対処
~進む「老化」~
☆初めに☆
「歩くこともままならぬ」表現は、ずい分な強烈さを持っていたようです。心配や驚きの声を沢山いただきました。ありがとうございます。どうしているか、どうにかなるか等の言い訳は、どのみち考えていました。というか、なんとかなるような気はしていますので。近況、及び「展望」を、武術的観点から考えます。
1 杖の「力」
先日、「杖」を購入した。ホームセンターで2800円なり。デビューは、くだんの「旭川いじめ事件」のことで、岐阜市まで出向いた時。自宅からバス停までの10分や、東京駅構内移動・新幹線ホーム等。
50メートルほど行くと腰のしびれと痛みで、杖の登場を願う。岐阜市の時の関東は雨が降っていて、地面を頼りにする杖の音が切ないのは、初心者故か。これがいつか歩行器か車椅子になる、そんな心の準備にもなるのだろう。杖を使うことになって思った第一は、乗り物の「優先席」に堂々と歩を進めるようになったこと。第二は、人の気遣いを感じることだった。岐阜市駅の待ち合わせで立っている時、若いカップルの女の子が私に気づかず、ながらスマホで向かって来る。すると、相方が「危ないよ」と注意したわけですヨ。私に言ったのではないですよ。彼女に言ったのです。ホームで杖に気が付けば、やはりすれ違う時の気遣いがある。日本捨てたもんではない、と思ったわけである。
2 「車椅子」で終わりではない
「歩くこともままならない」&「杖」と来たら、家の中で這うようにしていると思う方々が多い。しかし、あくまで「歩く」のが難儀なのである。炊事洗濯、そして自転車によるロードワークも10~20キロとこなしている。そのおかげで、痛みも決定的にならないでいると思える。しかし、知り合いの驚きの通り「去年はそんなことを微塵も感じさせなかった」。確実に病状の進行=超老人への道を進んでいる。かかり付け整体院の効果も、以前のようではない。現在はふたつのことで対処している。ひとつは、スポーツジムでの「リハビリ」である。治療ではない「リハビリ」で、嫌いな「筋トレ」を開始した。でもおかげで、間違ったストレッチにも気づき、体調は戻りつつあると思っている。
もうひとつの方が根底的である。身体は永遠ではない。武蔵は家臣が止めるのも聞かず、霊巌洞に這いながら「五輪書」を書き綴った。身体は永遠ではない。一方、亡くなる直前まで武術を貫いた先達も多い。ひとりは「太気拳」の澤井健一。中国の師・王向斉の「道場を開いてはいけない」という教えを守り、帰国後は神宮の森でひとり稽古を始めた。それを知った屈強な武道家が集まり、流れが築かれる。晩年は「杖」の生活となるが、それでお終いではない。
戦いの形・構築は止まらない。写真が愛用の杖である。実は、杖には「適正な長さ」があると指南もしている。左は杖を使用しての稽古である(「杖術」と言える)。四肢が健康な状態の稽古とは、当然だが全く違っている。
そして、もうひとりが「大東流合気」の佐川幸義である。写真は両方ともに御年94歳の時。



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