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震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百三十六号

2012-02-05 15:37:08 | エンターテインメント
映画『麒麟の翼』



 日本橋・麒麟


 日本一高いところにある駅、知っていますか、というクイズが昔あった。答は東京。ここは「上り」の終点であり、ここからはすべてが「下り」となるからだ。一番高い駅、東京の中心に日本橋はある。五街道の始点・終点として、その設立は家康の慶長八年(1603年)と言われる。東海道五十三次は広重の浮世絵『日本橋』、今でもよく使われる。現在の橋の完成は明治四十四年のことである。
 もう一つ。ビールのキリンの話。製品(ラベル)に印刷されている麒麟のイラストだが、麒麟の身体を覆う毛並みに、よく見ると「キ・リ・ン」と刻印されている。昔はたったひとつ「ラガー」だけが、それも633ミリリットルだけが製品だった。そのくびれのない瓶の麒麟に、よく見ると「キリン」がひとつずつバラバラに印字があった。今や無数の製品が乱立しているのはキリンばかりではないが、今もそのひとつひとつに「キリン」は読めるのだろうか。
 さて御存知の通り、麒麟は中国の神話に登場する、一日千里を走るという架空の動物である。馬の姿をしているが、立派な鹿の角をもっている。それでキリンは「鹿」辺や「馬」辺で書かれたりする。しかしその麒麟も、キリンの麒麟も「翼」は持っていない。キリンの麒麟に翼と見まがうものがあるが、よく見ると尻尾の立派な房である。
 日本橋にある麒麟像には翼があった。知っていただろうか。ついでと言ってはなんだが、獅子の像もある。そんなことを知らずに私は80年代、よく日本橋を横切っていた。きっとみんなそうだろう。覚えているのは、そして意識したのは重厚な橋の作りだけだ。そこに麒麟がいた。しかも翼を持っている。そんな日本橋の『麒麟の翼』が映画だ。


 再び「取り返しのつかないこと」へ

 メッセージ性の強い映画だった。「『新参者』の劇場版」と言われるように、あの時のテーマがそのまま息づいている。覚えているだろうか。
 「人は嘘をつく、ひとつは他人を欺くため、ひとつは自分を守るため、そしてもうひとつは愛する誰かを守るため」
というあのテーマだ。かみくだけば「事件の背後には必ず『人間』がいる、それは『いい』とか『悪い』と括れるものではない」、というものだった気がする。怠惰な私は東野圭吾の作品をひとつも読んでないが、
「簡単に書けていいですね、なんてとんでもない。死に物狂いで一行一行を編み出しているんです」
とは本人の弁である。この『麒麟の翼』でも、人間に対する愛情がそこここに溢れていて、その都度作者の深い場所を感じた次第である。
 私たちはこの『麒麟の翼』を見たあと「人はなぜ死ぬのだろう」と何度も思う気がする。それは、「死」が「取り返しのつかないこと」であり、それだからこそ、その「死」の前で「なんとか出来なかったのか」とじたばたするからだ。そういう意味で、「取り返しのつかなさ」の深みの極限を「死」は持っているのではないだろうか。「なんとか出来なかったのか」という思いは、人をして「取り返しのつかない」ことを「取り返したい」という思いへと駆らせていることに他ならない。そうして恋人は相手に償おう(近づこう)とするかのように、「犯人」を名乗り出る。父親は女性を騙る息子になりきり、第二の犠牲者が出たあとも、父親のメッセージに気付かなかった息子は沈黙を守る。みんなそれぞれ「嘘をつく」。そして物語は第三の犠牲者へと向かっていく…
 所轄の加賀(刑事)の、
「死んだもののメッセージを受け取ることが生きているものの義務だ」
という言葉は、この物語の鍵であり、救いとなっている。その加賀も、自分の父の死を看取った病院の看護士から、父親の気持ちを分かってないとなじられる。
「あなたが見てきたのは『人の死』じゃない。『死んだ人』よ!」
そう言われて加賀はハッとする。果たして自分は父のメッセージ(気持ち)をきちんと受け止めていたのかと、まさに虚を衝かれる瞬間だ。
 嘘の証言・発言を前に、いつも加賀はその相手をしばし見つめる。長い時間に思える沈黙の加賀は、
「あなたは嘘をついていますね」
「嘘をつく理由があるのですね」
「今は本当のことが言えないのですね」
「つらいことがあるのですね」
と語っているように見える。この文末につく「ね」が大事だ。どこまでも優しい筆者の語り口を、阿部寛は見事に演じている。一度だけこの加賀は激する。「いつまで嘘を続けるつもりだ!」という加賀の激しい詰問は、まるで生き残っている者の、死者への弔いであるかのようだ。それは、筆者がこの物語を通して投げかけている、生きている者すべてへの投げかけだと思えた。
 「嘘をつくな」と言っているのではない。「分かってくれる人は必ずどこかにいる」「希望は必ずあるのだ」と言っている。「それがまやかしだとか、出まかせだとか言われようとも、言わずにはいられない」とは、それに近い言葉で加賀の口から出てくる。
 『祭の準備』(黒木和雄監督)のラスト、原田芳雄が叫ぶ「万歳!」を偲ばせるかのような二人の切ないシーン。そして、さりげない福島への(福島からの)メッセージ。実にさりげないけれど、見る人は絶対見逃さない。
 ラストの『麒麟像』は、橋から見上げるようにアップされ、不細工な高架橋の狭間へと消えていく。麒麟が人々の愛憎を見守っていると考えたらいいのか、麒麟も人々と同じように辱めと嘲りを受けているとしたらいいのか。人々はそうして生きていく。そんなラストだった。

 感動します。是非見ましょう。
 

 ☆☆
『麒麟の翼』、連絡程度ですまそうとしましたが、気持ちがそうはさせなかった。皆さんにも是非スクリーンで見てほしいと思い、取り急ぎ書きました。自宅のDVD劇場でなくスクリーンで、という作品です。

 ☆☆
11日の『南相馬国際会議』が近づいてきました。この会議のパネラーでもあり、開催に大きい役割を果たしている岡本哲志氏は、『場所銀座』の設計をずっと担っています。以前、京橋に山本哲士主幹の文化科学高等研究院があったとき、何度かお顔を拝見しています。もしやと、この映画の関わりについて聞いてみたいです。

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1 コメント

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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-17 10:02:17
大悪は大善の来る前兆である。一閻浮堤が打ち
乱れるならば「閻浮堤のなかに広く流布せしめん」
との経文どおりになることは、よもや疑いあるまい

繰り返す

大悪は大善の来るべき瑞相なり、
一閻浮堤うちみだすならば閻浮堤内広令流布は
よも疑い候はじ(減刧御書)
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