<学校>と<子ども> その13
危機管理と回避 ~大川小学校~ その3
文書公開も遅れた
大川小学校で生き残った職員の手記によれば「山に逃げますか」という、校庭でのこの職員の問いかけに、「この揺れの中ではだめだ」という答がかえっている。そして、サイレンと津波がくるとの声(これが防災無線か、市の広報車なのかは不明である)に、「どうしますか、危なくても山に逃げますか」と、同じくこの職員が聞いている。しかし、「なにも答が返って来」なかった。
「校庭に避難してから…どんな話し合いがあったのか、正直本当によく分からない」という、現在療養中のこの職員は、尋常でない精神状態でこの手記を書いたのだろう。6月3日付で学校と保護者向けに送った手記だ。職員がこれを書く様子は必死で、そして誠実に思える。
市教委の謝罪が、年も明けた1月の22日に初めて行われたということ、前年の4、6月の二回の説明会は非公開だったことからも考え、私はこの職員の手記が事実に近いと思われた。この文書を、半年以上「保管」していたのは学校(市教委)側である。この手記がなんらかの形で「編集」されているかどうかはともかく、「決断回避」をした様子は事実に思えた。
「じゃあ、ここでえらそうに言っているオマエに決断出来たのか」、とのクレームは来るのかな。そんなのその場にいなかった私になんとも言いようはない。答えること自体無責任だ。繰り返しになるが、ここで私が一番問題としたいのは、「普段に『決断』を回避することを日常とする」ものは「いざという時」を見逃す、「覚悟しないといけない時」を見逃す、ということだ。そうして「『決断』を先送りする」というそのことを問題にしている。きちんとした対処を出来る人たちもいる。そんなの分かってる。そうして辛うじて悲劇を生まずにすんでいる。当たり前だ。しかし、繰り返し起こる悲劇の場所は、驚くくらい同じ風貌を見せる。
「こんなことが起こってしまったということが悲しい」
「学校で(の)子どもが亡くなったということには、なんの言い訳もたたない」
とはただちに言うべき、というか、世間の常識から考えて自然に口から出てくるものだ。それが出来ない、その後も「決断を先送りし続ける」学校の姿は現れる、そういうことを考えないといけないということだ。
謝罪出来ない学校
では、子どもの自殺をめぐる学校の「決断・覚悟の欠如」に移ろう。そんな結果を生む日常を普段に学校は積み上げている、とは、このシリーズ「その5」で書いた。ここでは、「その後(子どもが死んでしまった後)」のことを、またはその危うい「境界」での「決断先送り」を書かないといけない。
子どもたちの「自死」については、確かにいろいろ言われている。2チャンネル的ブログで子どもたちの自殺に対するコメントを読むと「言われたくらいで自殺かよ」「そんなんで世の中生きてけねえ」「(こんなんじゃ)今死ななくても、そのうち自殺だよ」等々。また、我が塾生さえも、「自殺となればその原因は様々で、必ずしもいじめとは限らない」などと言ったりする。バカだよ。
全国で多くの子どもが自殺した。その後、学校・市教委が繰り返してきた。「自殺といじめの『直接的』因果関係は認められない」。結論から言おう。その通りだ。我が塾生の言う通りだ。前回予告した群馬県桐生市の、上村明子ちゃん(2010年10月自殺)に対する不誠実で不謹慎な学校・市教委の例で考えよう。
報道によれば彼女が自殺する日、妹のことをめぐって本人と母親との間でいさかいが起こっている。そして「私は、学校でも家でも独りぼっちだ」と言い、「学校に行くくらいなら死んだ方がまし」と泣いている。また、この日の朝、外出前の父親(この日は土曜日だった)に「お父さんじゃないといや」とジュースを彼女はせがんでいる。
つまり、家庭でも彼女は悩み、そして不満を抱えていたのではないか、だから「いじめと自殺の『直接的』因果関係は認められない」と言えるのではないか、ということになる。私はこのシリーズでも、また避難所で不登校を相談された時のことでも書いたが「家庭が子どもの砦になっていれば、子どもが自ら命を絶つことは絶対にない」と言ってきた。やはり学校側の言うことは「正しい」のだ。
しかし、大切なことはそんなことではない。そんな「正しさ」を私たちは必要とするのだろうか。彼女は崩壊した学級の中でたった一人給食を食べ、「くさい」「きたない」と罵られ、やっとの思いで校外学習の日に登校すれば、「こんな日だけ来る!?」と排された。そんな中で悲劇が起きた。その時、
「お父さんお母さん、彼女が自殺した原因は、必ずしも学校でのいじめとは限りません。調査します」
などと、どの面さげて言えるのだろうか。今の子が自衛能力に欠けているとか、頼りにする信頼するものがない、ということがあるのは別の問題だ。「そんなんじゃ世の中生きてけねえ」と言うこととは別に、その「世の中」を考えないといけない。大人社会の道義性や、物事の筋道というものが問われている。
彼女が自殺する前日、校長に保護者側が「真剣に学級の立て直しに動くべきだ」と訴えている。これが遅すぎたのではない。後日、文科省がこのクラスの「崩壊」と「いじめ」に関して「学校側がきちっと教師と連携を取っておれば分か」りそうなものだ、と言っているが、その通りなのだ。保護者が直訴するということは「よっぽど」のレベルにまで行っていた。
学校は悲劇が起こると、まず「いじめがあったかどうかを調査する」。そして、その後は「いじめと自殺の因果関係について調査中」というお約束の展開となる。どこでどう悲しみ、どう遺族と対面出来るのだろう。遺族は情けなさと悔しさを募らせる以外にない。桐生市の明子ちゃんの例で言うと、学校側が「いじめの事実」を認めるのは事件の二週間後である。理由は多分ふたつある。醜悪な「守り」の姿勢だ。
1 多くの児童に対し、責任ある立場の人間が聞いたものでないといけない
2 すぐに「いじめの事実あり」としてしまえば「知っていたのなら、もっと早く対処できなかったのか」という追求をうける
そして、「いじめと自殺の因果関係」に固執し、認めたがらない理由もいくつかある。
1 学校の責任が問われる。その後の展開をどうしたらいいのか分からない
2 二次災害(クラスの児童に与える影響・将来性)が起こるかも知れない
3 慰謝料問題が発生する
こうして結局、子どもの自殺問題の多くは遺族の提訴(または泣き寝入り)、という形になっていく。実際この問題では、明子ちゃんの両親が市と県を相手取り、訴訟を起こしている(2010,12,27)。その第一回口頭弁論で市は「請求の棄却」を求めている。また第五回口頭弁論(2012,1,20)では、校長や担任の「証人尋問は不要」と市・県が主張している。
学校側が謝罪したのは11月8日(2010年)の一回。しかし、市教委からの発表という「謝罪」ニュースでは、それがどんな謝罪だったのか。その日に「自宅を訪問した校長、教頭、担任は下を向いたままだった」。また、謝罪ではなかったのか、通夜(10,25)の席上で「娘を返して!」と母親に叫ばれた校長は、土下座してもいる。
すぐに謝罪の覚悟・決断が出来なかった学校は、すべての決断が出来なくなっていく。「明子ちゃんを追い詰めた」という「確かなこと」は「ある程度」、いや本当は「充分」分かっていた。にも関わらず謝罪を出来ない時、今度は「謝罪出来ない」理由を言わないといけなくなる。遺族に会えば謝らずにはいられなくなる。だから「調査が終わるまで」はと、担任にも家庭訪問の「ストップ」を指示している。その担任も指示された通りにしている。その後は「いじめと自殺の因果関係」調査委員会設置をたてに「調査が終わるまではなんにも言うことが出来ない」と、両親の再三の面会要請を拒んでいる。ヒドイ。ピノキオの話ではないが「小さなウソをついたものはどんどんウソを大きくする」教訓を思い出す。
私は前著でこんなことを作り上げる学校現象を取り上げた(『さあ、ここが学校だ!』2010年)。真面目に対応しない学校に対し、保護者がテレビに訴えるということを「噂で聞いた」職員が、職員会議で話し合うように要請し、実際職員会議で話し合った内容を記録したものだ。こう言ってはなんだが、普通、学校は「閉じられた」状態である。こんな展開にはならない。「当事者(担任)・管理職」の「おおごとにしたくない」「配慮」の下に終始する。「おおごとに」なれば、多くが傷つくという理由からだ。そうして何度も言うが「決断を先送りする」。その結果起こった悲劇を「これでも一部だ」として、私は列挙もしておいた。
前著の原稿をすべて終わったところで、この事件は起こった。もう少し原稿提出が遅かったなら、とあの時ずいぶん悔やんだ。それでこの桐生の事件を書く。ホントはまだまだこの事件の後にもたくさん子どもは死んでいる。それだけは言っておく。
「決断する時」を見逃すことなく、という願いにも似た態度が必要なのだ。
☆☆
映画『麒麟の翼』見ましたか。今回の記事と関係ありなのですが、東野圭吾っていいですねえ。意地悪な世相にあって、それでも真っ直ぐに生きる、それが出来るんだよ、それをあきらめることはないという温かい、優しいメッセージが伝わってきます。
日本橋が舞台。重なる風景と、説明を重複させることのない雄弁な映像。お勧めです。
☆☆
由紀さおりのアルバム「1969」買いました。『夜明けのスキャット』、じゃああと一回だけ、が何度も続いて、20回ほど聴いてしまいます。でも、1969年のように歌って欲しかったなあ。
危機管理と回避 ~大川小学校~ その3
文書公開も遅れた
大川小学校で生き残った職員の手記によれば「山に逃げますか」という、校庭でのこの職員の問いかけに、「この揺れの中ではだめだ」という答がかえっている。そして、サイレンと津波がくるとの声(これが防災無線か、市の広報車なのかは不明である)に、「どうしますか、危なくても山に逃げますか」と、同じくこの職員が聞いている。しかし、「なにも答が返って来」なかった。
「校庭に避難してから…どんな話し合いがあったのか、正直本当によく分からない」という、現在療養中のこの職員は、尋常でない精神状態でこの手記を書いたのだろう。6月3日付で学校と保護者向けに送った手記だ。職員がこれを書く様子は必死で、そして誠実に思える。
市教委の謝罪が、年も明けた1月の22日に初めて行われたということ、前年の4、6月の二回の説明会は非公開だったことからも考え、私はこの職員の手記が事実に近いと思われた。この文書を、半年以上「保管」していたのは学校(市教委)側である。この手記がなんらかの形で「編集」されているかどうかはともかく、「決断回避」をした様子は事実に思えた。
「じゃあ、ここでえらそうに言っているオマエに決断出来たのか」、とのクレームは来るのかな。そんなのその場にいなかった私になんとも言いようはない。答えること自体無責任だ。繰り返しになるが、ここで私が一番問題としたいのは、「普段に『決断』を回避することを日常とする」ものは「いざという時」を見逃す、「覚悟しないといけない時」を見逃す、ということだ。そうして「『決断』を先送りする」というそのことを問題にしている。きちんとした対処を出来る人たちもいる。そんなの分かってる。そうして辛うじて悲劇を生まずにすんでいる。当たり前だ。しかし、繰り返し起こる悲劇の場所は、驚くくらい同じ風貌を見せる。
「こんなことが起こってしまったということが悲しい」
「学校で(の)子どもが亡くなったということには、なんの言い訳もたたない」
とはただちに言うべき、というか、世間の常識から考えて自然に口から出てくるものだ。それが出来ない、その後も「決断を先送りし続ける」学校の姿は現れる、そういうことを考えないといけないということだ。
謝罪出来ない学校
では、子どもの自殺をめぐる学校の「決断・覚悟の欠如」に移ろう。そんな結果を生む日常を普段に学校は積み上げている、とは、このシリーズ「その5」で書いた。ここでは、「その後(子どもが死んでしまった後)」のことを、またはその危うい「境界」での「決断先送り」を書かないといけない。
子どもたちの「自死」については、確かにいろいろ言われている。2チャンネル的ブログで子どもたちの自殺に対するコメントを読むと「言われたくらいで自殺かよ」「そんなんで世の中生きてけねえ」「(こんなんじゃ)今死ななくても、そのうち自殺だよ」等々。また、我が塾生さえも、「自殺となればその原因は様々で、必ずしもいじめとは限らない」などと言ったりする。バカだよ。
全国で多くの子どもが自殺した。その後、学校・市教委が繰り返してきた。「自殺といじめの『直接的』因果関係は認められない」。結論から言おう。その通りだ。我が塾生の言う通りだ。前回予告した群馬県桐生市の、上村明子ちゃん(2010年10月自殺)に対する不誠実で不謹慎な学校・市教委の例で考えよう。
報道によれば彼女が自殺する日、妹のことをめぐって本人と母親との間でいさかいが起こっている。そして「私は、学校でも家でも独りぼっちだ」と言い、「学校に行くくらいなら死んだ方がまし」と泣いている。また、この日の朝、外出前の父親(この日は土曜日だった)に「お父さんじゃないといや」とジュースを彼女はせがんでいる。
つまり、家庭でも彼女は悩み、そして不満を抱えていたのではないか、だから「いじめと自殺の『直接的』因果関係は認められない」と言えるのではないか、ということになる。私はこのシリーズでも、また避難所で不登校を相談された時のことでも書いたが「家庭が子どもの砦になっていれば、子どもが自ら命を絶つことは絶対にない」と言ってきた。やはり学校側の言うことは「正しい」のだ。
しかし、大切なことはそんなことではない。そんな「正しさ」を私たちは必要とするのだろうか。彼女は崩壊した学級の中でたった一人給食を食べ、「くさい」「きたない」と罵られ、やっとの思いで校外学習の日に登校すれば、「こんな日だけ来る!?」と排された。そんな中で悲劇が起きた。その時、
「お父さんお母さん、彼女が自殺した原因は、必ずしも学校でのいじめとは限りません。調査します」
などと、どの面さげて言えるのだろうか。今の子が自衛能力に欠けているとか、頼りにする信頼するものがない、ということがあるのは別の問題だ。「そんなんじゃ世の中生きてけねえ」と言うこととは別に、その「世の中」を考えないといけない。大人社会の道義性や、物事の筋道というものが問われている。
彼女が自殺する前日、校長に保護者側が「真剣に学級の立て直しに動くべきだ」と訴えている。これが遅すぎたのではない。後日、文科省がこのクラスの「崩壊」と「いじめ」に関して「学校側がきちっと教師と連携を取っておれば分か」りそうなものだ、と言っているが、その通りなのだ。保護者が直訴するということは「よっぽど」のレベルにまで行っていた。
学校は悲劇が起こると、まず「いじめがあったかどうかを調査する」。そして、その後は「いじめと自殺の因果関係について調査中」というお約束の展開となる。どこでどう悲しみ、どう遺族と対面出来るのだろう。遺族は情けなさと悔しさを募らせる以外にない。桐生市の明子ちゃんの例で言うと、学校側が「いじめの事実」を認めるのは事件の二週間後である。理由は多分ふたつある。醜悪な「守り」の姿勢だ。
1 多くの児童に対し、責任ある立場の人間が聞いたものでないといけない
2 すぐに「いじめの事実あり」としてしまえば「知っていたのなら、もっと早く対処できなかったのか」という追求をうける
そして、「いじめと自殺の因果関係」に固執し、認めたがらない理由もいくつかある。
1 学校の責任が問われる。その後の展開をどうしたらいいのか分からない
2 二次災害(クラスの児童に与える影響・将来性)が起こるかも知れない
3 慰謝料問題が発生する
こうして結局、子どもの自殺問題の多くは遺族の提訴(または泣き寝入り)、という形になっていく。実際この問題では、明子ちゃんの両親が市と県を相手取り、訴訟を起こしている(2010,12,27)。その第一回口頭弁論で市は「請求の棄却」を求めている。また第五回口頭弁論(2012,1,20)では、校長や担任の「証人尋問は不要」と市・県が主張している。
学校側が謝罪したのは11月8日(2010年)の一回。しかし、市教委からの発表という「謝罪」ニュースでは、それがどんな謝罪だったのか。その日に「自宅を訪問した校長、教頭、担任は下を向いたままだった」。また、謝罪ではなかったのか、通夜(10,25)の席上で「娘を返して!」と母親に叫ばれた校長は、土下座してもいる。
すぐに謝罪の覚悟・決断が出来なかった学校は、すべての決断が出来なくなっていく。「明子ちゃんを追い詰めた」という「確かなこと」は「ある程度」、いや本当は「充分」分かっていた。にも関わらず謝罪を出来ない時、今度は「謝罪出来ない」理由を言わないといけなくなる。遺族に会えば謝らずにはいられなくなる。だから「調査が終わるまで」はと、担任にも家庭訪問の「ストップ」を指示している。その担任も指示された通りにしている。その後は「いじめと自殺の因果関係」調査委員会設置をたてに「調査が終わるまではなんにも言うことが出来ない」と、両親の再三の面会要請を拒んでいる。ヒドイ。ピノキオの話ではないが「小さなウソをついたものはどんどんウソを大きくする」教訓を思い出す。
私は前著でこんなことを作り上げる学校現象を取り上げた(『さあ、ここが学校だ!』2010年)。真面目に対応しない学校に対し、保護者がテレビに訴えるということを「噂で聞いた」職員が、職員会議で話し合うように要請し、実際職員会議で話し合った内容を記録したものだ。こう言ってはなんだが、普通、学校は「閉じられた」状態である。こんな展開にはならない。「当事者(担任)・管理職」の「おおごとにしたくない」「配慮」の下に終始する。「おおごとに」なれば、多くが傷つくという理由からだ。そうして何度も言うが「決断を先送りする」。その結果起こった悲劇を「これでも一部だ」として、私は列挙もしておいた。
前著の原稿をすべて終わったところで、この事件は起こった。もう少し原稿提出が遅かったなら、とあの時ずいぶん悔やんだ。それでこの桐生の事件を書く。ホントはまだまだこの事件の後にもたくさん子どもは死んでいる。それだけは言っておく。
「決断する時」を見逃すことなく、という願いにも似た態度が必要なのだ。
☆☆
映画『麒麟の翼』見ましたか。今回の記事と関係ありなのですが、東野圭吾っていいですねえ。意地悪な世相にあって、それでも真っ直ぐに生きる、それが出来るんだよ、それをあきらめることはないという温かい、優しいメッセージが伝わってきます。
日本橋が舞台。重なる風景と、説明を重複させることのない雄弁な映像。お勧めです。
☆☆
由紀さおりのアルバム「1969」買いました。『夜明けのスキャット』、じゃああと一回だけ、が何度も続いて、20回ほど聴いてしまいます。でも、1969年のように歌って欲しかったなあ。
ただし大難に値えば、強盛の信心で
いよいよ喜んでいくのである。
繰り返す
末法には法華経の行者必ず出来すべし、
但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし
(椎地四郎殿御書)