実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

攻防の極み 実戦教師塾通信八百二十六号

2022-09-16 11:19:14 | 武道

攻防の極み

 ~向かう場所と迎え撃つ場所~

 

 ☆初めに☆

大相撲、始まりました。読者から立て続けに「相撲」の話を聞きたい、というリクエストを受けました。「武道」について、ずい分書かずにいました。でも、相撲は好きですが、そんなに分かってるわけではありません。「生涯現役」とは何か、そして何ゆえに「生涯現役」が可能なのか、という話です。つまり、日本刀や身体への思いを書きます。

   

あと、なんですが、この「武道」カテゴリーは「武術」に書き換えないといけないと思ってます。

 

 1 道具の在り方

 足に一番負担にならない履物と言えば、逆説的だが履物を履かない状態ー裸足である。裸足は足を最も自由な状態とする。しかし、道路・地面の事情に合わせて、草鞋や草履が出来た。そして、固い舗装路に対応して、靴は生まれた。人類は足を守るため、足に様々な制約を加えてきたのである。裸足のときに足は最も自由だった、このことは重要だ。

 リンゴをむくのは、包丁よりピーラーでむく方が早いと思う人もいるようだ。しかし、リンゴ剥き器なら間違いなく早い。お気づきのように、包丁は極めて単純な形だが、他のふたつは、構造が次第に複雑になっている。

作業のスムーズ化を図るため、道具の複雑化を必要としていると言い換えてもいい。しかし道具の複雑化は、その役割を限られたものにして行く。ピーラーはニンジンやごぼうに、まだいくつか用途を残す。しかし、リンゴ剥き器となれば、リンゴを剥く以外に出来ることは何もない(多分)。一方、包丁はあらゆる果物や野菜の皮を剥くばかりでなく、切る・裁断することも出来る。様々な使用法は、私たちの身体が道具を機能的に扱うことで生まれる。あるいは、道具の有効性は、私たちの身体が道具と一体化されることで生まれる、と言ってもいい。以前書いたと思う。包丁でリンゴをむく時、私たちは包丁でなくリンゴを動かして行う。正確には、両手でリンゴを固定しながら包丁をあてがっている。身体の延長上に包丁がある。

 以前、ウクライナの記事「火炎びん」の時だったか、どんな時どんな武器が有効かという話を書いた。刀と拳銃、どっちが強いかという話で考えよう。刀の構造のシンプルさに比し、拳銃が複雑なことは間違いない。ここの話の続きをすれば、一定の距離を置いた二人が正面で向き合った場合、「そのための武器」の拳銃は圧倒的強みを見せる。しかし同時に、その時のため「だけにしか」役に立たないリンゴ剥き器のように、拳銃の役割も極めて狭い。1m以内に近づかれれば、負けは必至となる。なにせ、拳銃で防御・受けは出来ない。刀ではそれが可能だ。

 役割が数多く、構造がシンプルな道具・武器が役に立つか否かは、それを「身体化」出来るかどうかである。

 

 2 武器化した身体

 空手・唐手の武器について少し。写真はサイを操る厳誠塾の宗家・田中将護師範。

見て分かる通り、己の身体に密着し一体となることで防御し、反転攻勢をねらう。

 次が、二本の棒を鎖でつないだヌンチャク。大きさはサイと同じくらい。

ヌンチャクは、もみ殻を脱穀する際に使われた農機具から生まれたという。これも使用する際は身体に密着させる。ブルースリーのようにぶんぶん振り回すことを、本当はしない。身体から離れても一瞬である。前も書いたが、武器というものは相手の手に渡ると面倒なことになるが、このヌンチャクだけは一定の修練をしないと使い物にならない。振り回すと自分が怪我をするのは、ヌンチャクに言えることである。「身体化した」「身体に密着した」武器、あるいは逆に「武器化した身体」というものを、私たちは考え修練している。一体どのようなものなのか。

 摩文仁賢和著『攻防自在・護身術空手拳法』(1934年)を参考にしながら書く。身体の攻防、相手と向かい合うとは、どんなことなのかが肝心だ。下は、型・セーエンチンを分解したひとつである。

この部分を、実際を想定した稽古である。

分解組手、または約束組手と名付けられた稽古である。突きがそこに行きます蹴りが行きますよ、という約束の下での対処だ。お察しの通り、こんな約束をして相手は攻めてこない。型どおりに相手が動くわけがない。

**念のため断るが、受ける時に初めからしこ立ち(М字開脚)しているわけではなく、前に出ながら(または後ろに下がりながら)この形にとなっていく。

肝心なのは相手の動きに型のどこかが反応する、という武術的対応である。いわゆる「身体が反応した」ことである。それが可能だと考え、私たちは修練している。たまたま「道の器用」があって勝ったとは言わせない、と武蔵が言ったことを信じて修練している。この修練を最初のリンゴの話で言えば、包丁とリンゴを会話させ最良の関係を結んで行っているのが「リンゴを剥く」作業だ。最良の角度を見出し刃をずらす、これは大変な修練の結果だ。ゴルゴ13が、ダイヤの唯一弱い場所を唯一の角度で射撃し打ち砕いた(『死闘 ダイヤ・カット・ダイヤ』)話に重ねてもいい。

 相手の「懐(ふところ)を探す」とは、すきを見出すというより、相手に無駄な力の入っている場所へ向かうことであり、相手の重心を迎え撃つことである。相撲の力士は全員やっていることだが、見えやすいのは宇良、正統派では豊昇龍がそうだ。

 

 ☆後記☆

東京は神保町で、久しぶりに山本哲士のレクチャーに出向きました。今回のウクライナ侵攻に、エンデの『モモ』、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を重ねたものです。ナウシカは映画しか見てないので分からなかったけど、モモで展開される時間泥棒の話はやはり面白い。次回に少し触れたいと思います。25日にも埼玉の大宮でトークショウがあるそうです。近場の皆さん、お勧めですよ。

ハムハウス #8 ハムハウストークイベント「今を生きる!ナウシカの戦いと愛 対関係のたいせつさ」

  By ハムハウス

16時〜18時

場所:大宮、ハムハウス:さいたま市大宮区高鼻町2丁目1−1 Bibli 1階

https://humhaus008.peatix.com/view

 

 ☆☆

明日、千葉県柏の中学校は多くが体育祭。応援も徐々に復活してます。気合いだぁ

そして同じく、こども食堂「うさぎとカメ」、明日はハンバーガー

皆さん、おいでくださ~い


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