kotoba日記                     小久保圭介

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2008年10月27日 | 生活
聡怩キる。
土を見る。
土を思う。
中上を思う。
中上は、土(自然のこと)をやったか?
むしろ山に火をつけてまわるような、
荒魂(あらたま。反語は和魂)であった。
でも、自然(土)の一部であった。

くもり空、少々、肌寒し。
陽、時に来、それ背に。

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限界の先に頂点がある。

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セザンヌ先生からもらった本、
及び、上野千鶴子への強烈な批判。

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苔、発見。敷石の間にたくさん。
緑が光っているようで、
とてもきれいです。

昨夜、ベランダから聞こえた音は、何。
街の音以外の音。
たぶん、想像するに、
建物が取り壊されたあと、
広い敷地があって、
雨が降ったあとは、水たまりになっていて、
草も生えていて、
そこから聞こえる秋の虫のざわめき?
自然界からの音には違いない。
それにしても、不思議な音。
まるで、異界から聞こえるようなそれ。
今日も聞こえた。
やはり、あの敷地、草のところから聞こえてくる。

中上健次の対談集、読了。
たけしの「TVタックル」に、
生前の中上が出ていた時のことを思い出していた。
蟹が何かテーマで、
ナントカ蟹という小さな蟹がゲストの机の上に置かれた。
ゲストは蟹を手にとって一応、見ていたけれど、
中上だけは、執拗にその蟹を手にとって、
何かぼそぼそと言いながら、蟹を見ていた。
あの時の中上は作家である。作家の仕草である。
蟹は、中上の中で、
とんでもなく遠くまで想像力を羽ばたかせていたに違いない。
今、そう思う。

熊谷守一の、
絵の、
凄さ。
その色、
バランス、
単純化。

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アイム・ノット・ゼアー

2008年10月27日 | 音楽
昨夜は、
ボブ・ディランの評伝映画「アイム・ノット・ゼアー」を観ました。
ディランの歌声が、いろんな場面で流れてきて、
その独特の声を聞くたびに、元気になる。
どんな曲でも、元気になる。
「何でだろうな」といつもディランの歌声を聞くたびに、
思います。
多感な時に聞いたから、というだけじゃないような気がする。
僕はディランをたまにしか聞かないけれど、
ある友人はいつもディランを聞いていて、
先日も電話したとき、ディランの歌が流れていました。
ディランの歌声を聞くと、
まず冷静になり、道を想像し、思考が詩的になります。
そして細かいことがどうでもよくなり、細かいことが大切になります。

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