kotoba日記                     小久保圭介

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中上と藤井

2008年10月21日 | 文学
第三文明社 中上健次発言集成2 対談Ⅱの中の、
藤井貞和との対談「物語とは何か」読了。

まず、物語は、
声と身体表現、ということを言っていて、
それは伊勢物語の話の文脈の中で、
彼らは言っている。
声と身体表現。

物語には神話のしっぽが必要、と中上。

ーーー
藤井
「記念講演で、今、体をめちゃくちゃにするほど忙しくしたい、
というふうなことを中上さんは言っていました。それを僕のほうで言い直してみると、
新しい物語をつくり出す場所へ自分を暴力的に動かそうとしている、ということだと思う。
 たとえば、中上さんが、”南へ”とか”韓国へ”とか言うのも、なにか物語を生み出すときにはエネルギーというか暴力的な破壊力というか、単なるずれというよりも意図的なずらし方というか、そういうのが外側から必要なんじゃないかという感じがするわけですよ。それを『虫諱xとか『宇津保』なんかでも、もしかしたら考えられないかどうか……。」
中上
「もちろん考えられると思います。『虫諱xとか『宇津保』も何しろスケールがでかいですよ、単純に言うと。つまり『虫諱xが視座に置いているのは異界というか、月の世界から来るところの、そういう異界が入ってますよね。それも神話の最初のものだし、それを物語的に展開するという仕組みを持っていますよね。」

                   <神話から物語へのズレ>より引用。P183


全体は宇津保物語のこと。
その文脈の中で、
身体、声、音楽、神話のしっぽをつかむ物語、物語のエントロピー性、
ということを、藤井、中上は、
言っているのでした。
音楽が物語に重要で、
ことの葉の、<こと>は、音楽のことなんだと、吉増との対談でも言っていました。
ここらへんの、音楽と物語という話になってくると、
もう僕は感覚を今は頼りにするしか方法がありません(涙

この対談集は、とても分厚くて、どうしようかな、と、
思っていたのですけど、めちゃくちゃ面白いので、
もう少し、
他の人との対談も読んでみたくなりました。
中上って、やっぱり、凄いです。

僕にとっては、この二人の対談は、
それだけで、凄い対談だと思っています。

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図書館へ。知里幸恵を二冊、書庫にわんさとある吉増剛造を二冊、古川日出男を一冊、宮沢賢治を二冊。
現在、三つの図書館で借りているのですけど、
とにかく、返却日が近い本から。
宮沢賢治と知里幸恵は児童図書で借りたかったので、
18時に閉まるらしく、労働を5時ピタでオジに帰してもらいました。感謝。

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と、びっくりしたというか、
またハッピーな出来事が朝から。
すんげえ、とみんなで。


コメント
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