播州赤穂に「普門寺」という尼寺がある
本日はその寺の「大般若会」があり、その後引き続きチャコちゃん先生の講話が行われた「大嘗祭」についてだ
寺で神様の話もどうかと思ったけど住職は「神も仏も同じこと、大嘗祭は日本人が知らなきゃあいけない事だから」ということで決行
60人くらいの信徒さんを前にお話しした
話が終わった後、二人のご縁について補足してくださった
ことの始まりは今から20年前1999年9月満月の日中野裕弓さんの企画で小田原のホテルで会が開かれそこで藤本恵祐住職が般若心経を朗々とした声で唱えると、大雨がやみ、雲が切れ、そこから月光が降り注いできた。参加者は大歓声をあげて外に出て月を拝んだ。その間も朗々とした力強くて透き通る声は続いていた
お経が終わった時私はすぐ声をかけ感動の心と感謝の気持ちを述べた
その後食事の時間になり幸福にもお隣同士となって改めてその気象おも動かす霊力に感嘆の気持ちを述べているうち、お誕生日が一緒、しかも観音様の日ということ一挙に仲良くなり20年の付き合いとなった
恵祐住職は40歳で比叡山に入って修行。それまでは普通の主婦であった
「なぜ?」
という私の質問に
「生き方が坊主になることだった」
と単純なお答え
坊主になるために修行したのではなく、自分の生き方が坊主とマッチしたのだそうだ
それからブレることなく檀家を持たない信徒だけの寺として過ごしている
何でもあり
誰でも引き受ける
どんな思想の人でもいい
だけどご自分の軸は絶対にぶれない
「広島に行くからついでに寄ります」
温泉に行ったり遊んでいるうち一泊、朝5時30分から始まる勤行に起こされ一言喋らされる
「神戸まで来たので足伸ばします」ついつい話が弾み夜中に なって一泊、もちろん早朝の勤行はズルできない
「最近ついでがないのね、それだったら講話を正式にお願い」
今回2回目の講話
顔見知りもできて皆さん手作り料理が上手でついつい食べすぎる
それにしても住職の座っている姿は力が全部抜けてあたかも宙に浮いているみたい
そういう感想を述べると
「その上で存在を消せたら良いと思うのよね」
とニコリ。
「最終の姿がそこですか?」
ここに惹かれて来るわけはこれでしたか、と自分自身に納得
つまり母の胎内