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『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

2012-03-20 14:12:40 | Movie
背中がまがり、スカーフを巻いた老女がよろよろとおぼつかない足取りで牛乳を買いにいく。細かく皺のよった首、たるんだ肉体、小さくしぼんだ目。老いたマーガレット・サッチャー、そして現在、認知症を発症している彼女が回想する政治家として”鉄の女”というご本人お気に入りの中傷どおりに意志と決定を敢行する過去のサッチャー首相、彼女になりきった女優メリル・ストリープの演技力は、予想通りに3度目のオスカー賞受賞とアカデミー主演女優賞の栄冠をもたらした。まさに肝心のサッチャーは影となり、メリル・ストリープによる”彼女の舞台”に圧倒された。もはや彼女を前にして今後誰もサッチャー役を演じることはできないのではないだろうか。しかし、私が観たかったのは、メリル・ストリープの演技力ではなくサッチャーだったはず。

映画はほどなく、若かりし頃のサッチャーを映す。マーガレット(アレキサンドラ・ローチ)は、食糧雑貨商の娘に生まれたが市長まで務めた父親の影響を受ける。父の政治演説に誇らかに胸高鳴らせる彼女を「お茶を入れるように」と会場から連れ出したのは母だった。オックスフォード大学からの入学通知に飛び上がるように喜ぶ父と娘を片目に、無関心そうに皿洗いをする母の姿。マーガレットは、まさにこの両親の娘だった。奨学金をえて大学を卒業し、化学者として研究活動を行っていたマーガレットは、25歳で保守党から出馬した最初の下院議会議員選挙で落選した。落胆する彼女にプロポーズしたのは、裕福な実業家のデニス・サッチャー。そんな奇特な?彼にためらいがちにマーガレットが尋ねたのが

「私はお茶を入れて人生を終わる女ではないわ。それでもいいの。」

何と胸のすくようなセリフなのだろう。議員になるためには 「世界で最も長い就職試験」をくぐりぬけなければならないといわれるこの英国で、まして雑貨商の娘のサッチャーが、大臣を勤め、首相にまでのぼりつめるのは本当にすごいことなのだ。鉄の女と揶揄されても、鉄の女にならなければ政治家への道は阻まれた時代と国なのだ。そして、ある作家の言葉を借りれば、

”Whether you love her or hate her, Margaret Thatcher's impact on twentieth-century history is undeniable.”

サッチャーが歴史的にみて完全に正しいと、後に第3の道を提唱して首相になったブレア首相も語っている。人々は豊かになるにつれ、お金の使い道に自由を求めた。大きな国家が、国家独占性の画一性、単調さ、鈍感さで国民を窒息させて自由に介入することを否定しはじめた。自由な競争が水準を高め、増税が意欲を失わせるか、極端にいえば人間性を無視することだ。しかし、彼女が間違えたのは、必要な機会を得るためには公的サービスを受け政府の力に頼るしかない人々の存在をみようとしなかったこと。フランスのサルコジ大統領にも通じるような下層から猛烈に努力してはいあがり成功した者にありがちな、成功できないものへの苛立ちや原因に努力不足をみようとする視点は、ソーシャル・キャピタルへの無関心につながった。タイタニックのように沈没寸前の英国を救ったサッチャーの功績の陰となり取り残された国民を思いやり、投資と改革のバランスをとり、公的サービスと福祉国家を築こうと第3の道を提唱した労働党のブレア首相も、基本的にはサッチャリズムとそれほど変わりがないと私は考えている。

それにしてもブレア首相の「回顧録」を読んでも感じたのだが、この国で首相になるのはとんでもなく大変なことである。テロ、紛争、デモ、野党からの猛烈な攻撃と心身ともに鉄のようにタフではないと務まらない。卵をぶつけられるなんてご愛嬌、サッチャーなどは文字通り保守党党大会中に宿泊していたホテルでIRAによる爆弾テロにまでまきこまれた。フォークランド紛争、とさまざまなエポックがあるのだが、サッチャー嫌いの監督は政治映画ではなく、あくまでもひとりの老いた女性を描くことに主眼をおいている。

しかし、11年間も英国首相であり、まだ存命中にもかかわらず、認知症で亡くなった夫に語りかける姿を描くことに対して、側近達の間では尊敬の念がないと批判の声もあった。派手で趣味の悪い服装をしている娘のキャロルさんが回顧録を出版した時の猛烈な批判を思い出し、米国とは違う英国紳士の慎みを感じた。確かに年齢を重ねれば誰もが老い、どんなに有能だった人でも認知症を発症することもある。メリル・ストリープ自身は「それは不名誉なこととしてとらえられるべきではありません。それは人生であり、真実です」と語ったそうだが、私はある日の新聞の読者投稿の記事を思い出す。早朝の通勤者でごった返す駅前に、忙しくて誰も声をかけることなく下着姿の老女が呆然と立っていたそうだ。おそらく徘徊して自宅に帰れなくなってしまったのだろうが、投稿者の都会の無関心さを悲しむ声に私も同感しながら、その女性のことをとても気の毒に感じた。病気になることは全く不名誉なことではなく、それも人生であり、真実だ。しかし、英国の首相だった女性を映画でこのように描くことは、老女を下着姿にすることとかわらないのではないか。他者への敬意と遠慮、思いやりがないと私は感じている。

恐らく男性の感想だと感じたのだが、「自分の母親があんなふうに描かれているのを見たくはない」と言う議員もいたそうだ。全く同感だ。彼女は鉄の女だったけれど、彼女を認める国民にとっては英国の強い母親のような存在でもあった。私には、良い意味とは違うなんとも寂しく苦い映画となってしまった。最後に流れたシューベルトの「アベ・マリア」が心に優しく聴こえたのがせめてものなぐさめだったけれど・・・。

原題:『The Iron Lady』
監督:フィリダ・ロイド
2011年英国映画

■アーカイヴ
「ブレア回顧録」
老いたサッチャー夫人
・サッチャー元夫人が認知症に
「インタビューズ!」

■参考まで
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の生き方」カトリーヌ・キュラン著

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