千の天使がバスケットボールする

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『ヴェラ・ドレイク』

2008-12-20 18:10:15 | Movie
映画『山の音』を撮った成瀬巳喜雄監督は、黒澤明が男性としたら女性を撮るのがうまい監督だそうだ。原作の川端康成の作品では、義父の尾形信吾の心境が中心となっていた記憶があるが、映画では嫁の菊子、妻、長女、愛人たちやその友人の表情や立ち居振舞いが鮮やかだった。なかでも、原節子演じる菊子と女性関係にだらしない夫の愛人の絹子(角梨枝子 )のふたりの対照的な雰囲気は、女性としてはかなり気になる。妻と愛人は、同じ時期に懐妊した。こうした状況における世間の慣習とは異なり、ふたりはそれぞれの反乱を密かに決意して実行する。中産階級の妻は、こどもさえいれば夫婦はどうにかなると安易に考える姑の考えを受け入れられず、また夫の不誠実な関係を是正しないままこどもを産むことを自分にとって潔しとせず中絶をする。一方、愛人の絹子は、戦争未亡人となり生活のためにダンスホールで女給をする身分。しかし、堕胎をすすめる信吾を前に、戦死した夫との間にこどもができなかったこともあり、せっかく授かった命を運命と受け入れ、ひとりでおなかのこどもを出産して育てる決意を宣言する。

信吾の視点が映画ではポイントだから、どうしても菊子よりになるのだが、私はむしろ愛人の絹子の存在が印象に残る。スーツを着た絹子が恋人の父を拒絶するためにあえて斜めの位置に座るのだが、背筋をのばしてまっすぐに信吾にむかって不倫の子をひとりで産む決意を語る場面は、瞳がきらきらと輝き凛とした雰囲気が実に清々しい。およそ半世紀も前の日本の妻と愛人の対照的な存在が、妊娠という人生の”事件”に立ち向かう時、しかしふたりは自らの意志でそれぞれの”選択”をした。ここであえて”選択”という言葉を使用したのだが、昔も今も妊娠は女性にとっては生死の伴う大きな出来事だが、法律や宗教によって選択ができない時代と国がある。

ヴェラ・ドレイクも菊子や絹子と同じ時代、1950年代に生きる女性。
ヴェラ・ドレイク(イメルダ・スタウントン)は、ロンドンの労働者階級が住むアパートで弟が経営する自動車修理工場に勤務する夫スタン、工場で働く地味な娘と昼間は紳士服店に勤務しながら夜学に通い、週末はダンスホールで青春を謳歌する息子と暮らす平凡な主婦。そう、一見地味で平凡なのだが、ヴェラは少し違う。体の不自由な隣人や母を訪ね、裕福な家庭の家政婦として通いで働く彼女は毎日を懸命に丁寧に慈しむように生き、夫の言うとおりその笑顔はダイヤモンドのように輝いている。
しかし貧しくも小さな部屋で家庭の団欒を大事にしてるヴェラには、家族にも内緒にしていた秘密があった。当時の英国では、妊娠出産が母体の命に危険をもたらすと医師が判断した場合のみ中絶は合法とされていた。そして手術費は大変高額だった。それでは、予期せぬ妊娠をしてしまったら。どうしても産めない状況だったとしたら。
そんな事態に遭遇してしまった”困っている娘さんたちを助けるために”彼女は自分の行為が犯罪であることを知りながら、非合法に堕胎を施していくのだったが。。。

マイク・リー監督はごく普通の家庭の大切さを諭すように映画の中で丹念にヴェラの日常生活を、家族を追っていく。ヴェラの家族の本当に小さな居間と食事をするテーブル。それにひきかえ家政婦として働く家庭には、まぶしいばかりの豪華なシャンデリアに大理石の広い床。洗練されたマントルピースの金の装飾を膝まづいて懸命に磨くヴェラ。それにひきかえ義弟の妻は、女優のように着飾り、広い家、車と裕福な家庭にこだわりをみせてヴェラを嫌っている。家事をせっせとこなすヴェラの手と後姿は生活感がにじみでている。さりげない日常の繰り返しと娘と青年の婚約という家族の慶事を通して、平凡な家庭と人生の大切さがせつせつと観る者にせまってくる。ヴェラ役を演じたイメルダ・スタウントンは英国では有名な舞台女優だそうだが、とても演技しているとは思えない存在そのものがリアルな描写にまず驚嘆させられる。実年齢よりも老けて見える顔の皺、年寄りくさくいかにも貧しげな所作。こんな演技を見せ付けられると、女優にとって顔立ちの美しさはただのパーツの表層にしか過ぎないようにみえてくる。そして、裕福な家庭の嘘っぽさと冷たさに比較してヴェラが夫ともに築いた家庭の暖かさはやがて妻の逮捕劇によって一瞬のうちに崩れつつも、家族が深い絆を取り戻して寄り添いながら再生していく。

本作品テーマーは、ヴェラの生き方とすべてを受け入れ赦し、深い愛情の絆に結ばれた家族の素晴らしさとなるだろう。が、女性として少し違う視点で考えることも多い映画だった。
ヴェラの堕胎の方法は、いたって原始的だが危険性が伴う。無知がうんだ妊娠、不倫の果ての中絶、貧困のための中絶とさまざま少女から女たちまで、それぞれの事情で中絶せざるをえない。彼女たちを笑顔で励ましながら、淡々と無報酬で業務をこなすヴェラの無謀さと無知と無教養を私には受け入れがたい。この点で、彼女を自己中心的と嫌悪する義弟の悪妻の感情もわからなくもない。ヴェラは善意100%のひとである。その善意が、次々と小さな尊い命を始末していたことを知った息子の非難に、むしろ私も同調する。不安で一杯の女性たちに根拠のない「大丈夫」という声を帰り際にかけるヴェラの”優しさ”には違和感や怒りすら感じる。ところが刑務所で同じ罪で収監されていた囚人たちとの会話で、ヴェラは初犯だが、彼女たちは再犯であることが知らされる。彼女たちには、罪を償う気持ちよりもいかに安全に堕胎させるかの方が関心が強い。何度も犯す罪。その罪には、息子の非難以前に、何よりも妊娠したが事情によって出産できない少女、女性たちの必死さがすがりつくようにはりついていたのである。男性主導の生活で、自分の体も男性たちがつくった法律に拘束され、すべての罪と責任が女性たちにおわされていた時代と社会。

すべてが露見したクリスマスの夜、ヴェラが用意したチョコレートを回す場面がある。
あからさまに拒否する義弟の妻、やはり受け取らない息子。最後に娘の婚約者はチョコレートの箱をしみじみと眺める。空襲で母を亡くし、天涯孤独だった彼はヴェラの誘いでドレイク家を訪問し、娘と愛情を静かに育み婚約した。そんな彼はつぶやく。
「人生で最高のクリスマスをありがとう」

今年はクリスマスケーキの売れ行きは、昨年の50%増だそうだ。不景気で外食よりも家庭でクリスマスを過ごす人が多いそうだが、恋人同志だったら兎も角、クリスマスの日こそは家族団欒が一番。そんなことを思い出させてくれる映画だった。

監督:マイク・リー
2004年英・仏・ニュージーランド製作

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