千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『ベルリン・フィル 最高のハ-モニーを求めて』

2008-12-02 23:11:05 | Movie
ベルリン・フィルが首席指揮者・芸術監督サイモン・ラトルとともに来日し、二晩でブラームスの交響曲全4曲を演奏した。
日頃、クラシック音楽にご縁のない方も「ベルリン・フィル」というブランドに登場されるようなので、チケットの入手が更に困難となり、結局、今年も泣く泣く見送ったのだが、romaniさまによると当日の演奏の感想は「ラトルは、ブラームスの音楽が本来持っている姿を、ベルリンフィルという最高の器を通して、ひたすら自然に開花させようと」したとのこと。評論家の舩木篤也氏は、もっとシビアに「ラトルの棒は腕っこきの楽員たちを御しきれていない」という表現になる。用意周到なラトルが、いよいよドイツものに挑戦と期待が高まる中、これはどうしたことだろうか。

それはさておき、ラトルが就任してから、ベルリン・フィルの活動が戦略的になったと感じているのは私だけであろうか。映画音楽の演奏だけでなく、『ベルリン・フィルと子どもたち』に引き続き、2005年に敢行したアジア・ツアー、北京、ソウル、上海、香港、台北、そして東京へと126名の楽団員が10000キロを超える楽器とともに6つの都市を駆け巡ったドキュメンタリー映画が上映された。

対象があのベルリン・フィルだったら、凡庸な監督でもそれなりのドキュメンタリーを作れるというのは、音楽大好き人間ゆえの思い入れだろうか。しかし、前作の『ベルリン・フィルと子どもたち』で意表をついたいきなりのラップ音楽で映画の幕開けをしたトマス・グルベ監督ならでは、文部科学省推薦枠とは別のスタイルで、多忙なツアーを縫ってナイーヴな団員達の素顔と本音にせまっている。ベルリン・フィルの団員と言ったら、凡人からすればソリストとは違うが音楽界の頂点に住むエリート集団。125年の歴史に自分の演奏が刻まれる誇りもある。しかし、研修生として入団した時の不安、こどもの頃に周囲になじめなかったつらい経験など、その素顔は予想していたような自信満々、人生順風満帆のハッピーさとは異なり、我々の隣人のような親しみすら感じさせられたのだ。また仕事の対象が音楽だから、彼らは一般の人よりも内省的であり、それゆえに悩みや苦悩も多かったのだろうと推測される。

そして栄えある団員の仲間入りできたにせよ、その伝統の重みのプレッシャーや、最高のハーモニーを求めて、常に音楽に献身的につくすプロ意識を持続させなければならない厳しさが待っている。技術ばかりではなくオケにつきもの音への調和や団員たちとの人間関係が伴わなず、結局去っていく者もいる。実際、このツアーには3人の研修生(団員候補生)も同行していたのだが、最後のクレジットで団員の投票でひとりはオケを去っていったことがわかる。映画を観ていて、その研修生が誰かは音を聴かなくてもそれまでのインタビューで私なりにやっぱりと感じるところがあった。彼、もしくは彼女には、他の合格したふたりの研修生がもっているある種の「覚悟」がたりない。ヴィオラ奏者の清水直子さんが、夫から自分の音がわからないのに(いや、首席ともなるとわかると私は思うのだが)、何故そんなに努力するのかと言われると笑いながら語っていた。また、こどもから幼稚園のお迎えの話しをされた時も仕事のことを考えていた、というママさん奏者ならではのつらいエピソードを語る女性もいた。この世界最高峰のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏するには、相応の覚悟がいるのだ。コンサート・マスターの安永徹さんが東洋人としてコンサート・マスターに就任した時に「自分がコンサートマスターになったことより、外国人をコンサートマスターにした団員の方が偉い」とおっしゃっていたエピソードも、あながち安永さんの謙虚な人柄ばかりでもなく、本当に団員が凄いという安永氏の主張もこの映画から私なりに理解できるようになった。

また、原題が『Trip To Asia』のとおり、ドイツ人の視点でのアジアの文化、風景や人々の映像と、ベルリン・フィルが奏でる重厚なベートーベンの「英雄」やR.シュトラウスの「英雄の生涯」などの音楽との対比も、観る者に鮮烈な印象を残す。
撮影時間300時間、編集に2年間を要したドキュメンタリーは、ベルリン・フィルの今を映している。

舩木篤也氏の批評は、ラトルとベルリン・フィルのコンビの行く末を案じながらも、ブラームスの第3番の第二楽章で
「~落日さながらに移ろいゆく管楽器の音色は、今も耳に残っている。たしかにそれは世界最高の音であった」
と結ばれている。

監督:トマス・グルベ
2008年ドイツ製作

■アーカイブ
・ベルリン・フィルを退団する安永徹さん
「コンサートマスターは語る 安永徹」
『カラヤンの美』
・ヴィオラ奏者清水直子さんの「情熱大陸」


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ラトルとベルリンフィル (romani)
2008-12-04 00:36:13
こんばんは。

ご紹介いただき、ありがとうございます。
今回の来日公演のメインに据えたブラームスは、まさに満を持して披露したプロのようですよ。
ラトルは、1曲ずつ慎重に演奏を重ね、日本公演はさながら集大成だとか。
私が聴いたブラームスの2番では、その成果を十分堪能させてもらいました。

ところで、いま、川口マーン恵美さんの「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」を読んでいるところですが、ベルリンフィルの第一バイオリン奏者だったバスティアーン氏の言葉が印象に残っています。
「フルトヴェングラーは、我々に自由に演奏させて、ときには自分が一歩下がることさえあった。(中略)その片鱗を、私はこの頃ときどきサイモンラトルに見るような気がするときがあります」

まさに、私がサントリーホールで感じたことと同じかもしれません。
返信する
シカゴ響も4万円◎◎ (樹衣子)
2008-12-06 22:27:01
こちらこそ弊ブログへのご訪問ありがとうございます。

>フルトヴェングラーは、我々に自由に演奏させて、ときには自分が一歩下がることさえあった。(中略)その片鱗を、私はこの頃ときどきサイモンラトルに見るような気がするときがあります

カラヤンは、細部にもこだわり徹底していて、オケを自分の音楽を表現するための道具と見ていてような点もあります。それはベルリン・フィルを鍛えた部分もありますが、今風ではないようにも感じます。この映画では、リハーサル時に響きを確認するために、ラトルが指揮を中断して客席に移動して、それこそオケの自主性にまかせている場面が映っていました。最高でありながら、常に進化しているのもベルリン・フィルなのですね。

チケット代が高くても一年に一度は思い切って、と思いつつ何しろ入手困難で残念な気持ちと、やはり国内オケも応援したい気持ちもあり・・・。
romaniさまのように好きなオケの定期会員になるのもよいですね。
返信する

コメントを投稿