千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「小説家たちの休日」

2011-06-18 19:39:19 | Book
革の手袋をはめた精悍な表情をした三島由紀夫と、当時、”慎太郎カット”という髪型が若者たちに大流行したという石原慎太郎が並んで、ビルの屋上からなにやら眺めている。この写真を撮影した樋口進氏によると、ある日の歌舞伎座でファンから「慎太郎刈りの真似をしている」と言われた三島は、「俺がこの髪型の元祖だ」と烈火の如く怒ったそうだ。このエピソードを、著者の川島三郎さんは、たかが髪型ぐらいで怒る三島を「何よりもオリジナリティを大事にしている誇り高い作家」と感想を述べている。そして、しかしたかが髪型にこだわるところに、見られ続けた作家の真骨頂と批評する。本書は、1922年生まれ、文士たちの写真を撮り続けた写真家、樋口進さんの写真に短いキャプションがそえられ、1944年生まれの川本さんの文章が4ページ、という構成になっている。とりあげられた作家は、川本さんの研究対象でもある1879年生まれの永井荷風が、浅草ロック座の裸の踊り子たちに囲まれた写真にはじまり、生まれた年代順に1932年生まれの江藤淳まで、すでに鬼籍に入られた65人の文士の素顔をとらえた昭和文壇実録である。

上映中の川本三郎さんの自伝的映画『マイ・バック・ページ』では、この方がある事件の犯人に関わったことで逮捕され、朝日新聞を懲戒免職になり、懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けていた過去を知って驚いた方も多いだろう。映画の終盤に向かって、試写会を観終えた川本さんモデル沢田雅巳(妻夫木聡)に映画批評の原稿を依頼していた記者が、これからみんなと一緒に呑みに行きませんかと屈託なく誘うのだが、沢田は遠慮して断る場面がある。声をかけてくれた女性記者にとっての仲間のみんなと、せっかく憧れの朝日新聞に入社するものの、懲戒免職という異例の退職をせざるをえなかった川本青年の立場との距離感と違い、そして彼の孤独を感じさせられる場面が私は好きだ。そんな経歴のせいだろうか、本書の川本さんの文章にはそこはかとない慈愛がある。対象との微妙な距離を維持しながら、前述のように三島の本質を見抜く力の怖さと見守る優しさが同居している。そんな川本さんらしい一冊だと思う。

「肉体の門」が大ヒットした田村泰次郎が、神社かお寺かと思わせるような豪邸だったらしい杉並区自宅の大きな門(本当に大きい!)の横で遠慮がちに腰を曲げているなんだか笑える一枚、線路を見つめながら歩く広津和郎の陰気は表情、団扇片手にランニングにステテコ姿でくつろぐ「風邪ひいたカバ」のあだなどおりの大宅壮一がいるかと思えば、「火宅の人」となった原因の愛人(よく見れば娘の壇ふみさんをもっと溌剌と可愛らしくしたような女性!)と並んでいる壇一雄などなど・・・。書斎の本棚を前に意識した作家ではなく、休日の素顔が並んでいる。読んだことがないどころか、知らない作家が5人もいる。そしてふたつの大戦を経験している昭和という時代性を感じさせられる作家の在り方は、同時に今という時代を問われているとも思える。

しかし、圧巻なのは昭和文壇を踊った文士たちの個性的なパフォーマンスと荒々しさである。その一部を記録。
久米正雄:昭和25年、「文藝春秋号」という列車を仕立てて作家と読者が小諸に行った時の写真。若き日に、夏目漱石の長女筆子に恋をしたが、失恋して松岡譲に敗れて生活が荒れたことがあった。(長編小説「破船」に描かれているそうだ。)そんな彼を厳しく諫めたのが、芥川龍之介と菊池寛だった。

佐佐木茂策:話らしい話のない小説を提唱した芥川龍之介が、最初の短編集「春の外套」を「ちゃんと仕上げを施した、たるみのない画面の美しさである」と評した。

尾崎士郎:宇野千代との結婚生活が破綻したのはよく知られているが、原因のひとつが梶井基次郎が宇野千代に惚れたことにあるという。この時、怒った尾崎が梶井基次郎を殴るという事件もあった。

大宅壮一:『マイ・バック・ページ』は、東大安田講堂事件の音声ではじまるが、この事件のテレビ中継に出演した時に、他の出演者が「大学紛争とは」と、真面目に論じているときに、彼は「あっ、いま石を投げている学生、いい肩をしているなあ」とのたまったそうだ。

今日出海:東大時代のエピソード。同級生の小林秀雄が卒業間際にどうしても単位がひとつたりないことがわかった。そこで、今日出海は一計を案じ、事務室に入り込み、事務員たちに面白い話しを聞かせて、彼らが笑いころげているあいだに印を盗みだして、小林秀雄のカードに修了の印を押してしまった。それにしても、小林秀雄も中原中也の恋人に「あなたは中原とは思想が合い、僕とは気が合うのだ」と囁いて奪った事件や、良寛の詩軸を買って偽物だとわかるや日本刀をもちだしてそれを斬り裂いた武勇伝といい、なかなかエピソードの多い文士である。

ちなみに豪邸を買った田村泰次郎は、足かけ7年間の戦争体験があり、「日本の女には、7年間の貸しがある」という名セリフを残したが、愛嬌がありどこへ行ってもみんなに好かれたそうだ。評論家の奥野健男とパリに行き、車にはねられ肋骨を3本折るという事故にあったのだが、大通りで大の字に横たわる田村は介抱する奥野にこう言った。「これで今年の文士劇にでられなくなった」と。かって、文壇というものが存在した。そして、小説というものかきにとりつかれたひとたちがいた。文壇の登竜門と言われた芥川賞は、文字通り作家として世間に認知され、食べていくため、生きていくため、作家を志す者にとっては必死にたどりつかなければいけない門だった。そういう時代に、こういう文士たちがいた。小さなエピソードも、川本さんの文章でその人となりの個性がうかびあがっていく。

最後にもうひとつ。井伏鱒二の阿佐ヶ谷の自宅には、人柄を慕って作家仲間が大勢集まってくる場でもあったそうだ。なかでも太宰治は不思議な嗅覚があり、酒席がはじまるとやってくると噂話をしたところ、本当に太宰がやってきて井伏は嬉しそうに笑ったという。昭和62年、そんな井伏の家に病み上がりの安岡章太郎が挨拶にくると先客とすでに楽しげに呑んでいる。いつもながらの光景に手洗いに立った安岡は、奥の部屋からの線香の匂いに気づき、夫人に尋ねると次男の大助が亡くなり、今日、葬儀を終えたばかりだという。息子を亡くすという悲運にも哀しみをこらえて、それを悟らせないよう客人と談笑する井伏の背中が大きくそびえたつような錯覚がした。井伏文学の魅力を飄々とした余裕にあるといわれるが、川本さんはその平穏な世界の背景に、43歳で陸軍に徴用されて報道班員として戦争を見つめてきた者の無常観を感じている。

■アーカイヴ
映画『マイ・バック・ページ』


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