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O・ヘンリーの「賢者の贈り物」は、学生時代に英語のテキストだったが、配偶者への愛情に満ちた貧しく若い夫婦のせつない物語は、格好のゲーム理論のテキストでもある。
大切な時計を手離して妻の長い美しい髪を飾る櫛を買ったのに、妻は豊かな髪を売って夫のために時計の鎖を贈物として用意した。相手への思いやりが夫婦にとって最もマイナスになり、どちらかが期待して時計、もしくは髪を売らなければ自分にとってはプラス、逆に時計も髪も売らなければ無難に0というのが、利得表で表示される。
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ところが、このチキンゲームで必要なのは、冷静で合理的な考えであり、それが最適な結論を導くが、狂気を装ったら、或いは個人主義を押し通すと社会的ジレンマに陥る。
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映画「キャッチ-22」で、主人公ヨッサリアンは危険な出撃任務を拒否する。「みんなが同じことを考えたらどうなるのか」と怒りまくる上官に向かって「だったら自分だけ違うことを考えるのは、とんでもないばか者ってことになるでしょうね」と狂気を装い、全裸で木によじ登り枝のうえでポーズをとる。映画では最高に笑える社会的チキンであるが、この発想は身近にいくらでもころがっている。予防接種をみんなが受けてくれれば、病気に感染する可能性が低くなるので、副作用のある注射は自分だけはやめておこう、痛いし。一番の利得は、みんなが予防接種して自分はしないことだ。だが、誰もが予防接種しなくなったら最小利得になって、病気が蔓延する裏切りあいの「懲罰」がまっている。オーケストラでもそうである。楽員みんなが集中して良い演奏をしてくれたら、二日酔の自分はちょっと手抜きをしよう。しかし演奏者全員が、怠慢になったら音楽は成立しない。(このように裏切りあいは、社会の崩壊につながるのだが、近年こうした「フリーライダー」が増えているような気がする。)利己心のないお人よしが、他者の利益になるという皮肉な社会的ジレンマを表明したのは、フリードリッヒ・ニーチェだった。そしてフリーライダー天国になった社会主義は、カール・マルクスの理想を裏切り、見事に崩壊した。
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最後にゲーム理論を信奉するには、人間が合理的な思考をするという前提で成り立つが、2002年ダニエル・カールマンがノーベル経済学賞を受賞した行動ファイナンスが示すように、人間の意思決定は決して合理的ではない。だから理論的には、誤った夫婦のクリスマスのプレゼントの選択は最悪な結果(懲罰)でも、その非合理性の精神は”賢者”の贈物にふさわしい。私はゲーム理論を愛しながらも、反面憎む著者の感情に共感する。ゴヤの名作「理性の眠りは怪物を生む」という作品が示すのも事実ではあるが、冷たい理性が逆に怪物を生むと著者は次のように警告を鳴らしている。
「地球の生物がまさしくバランスを保っていることを考えれば、核戦略化がゲーム理論を利用して、世界を破滅させない危険な”合理的”計算を正当化していることだ。彼らのしている冷静な論理的推論など軽蔑以外の何にも値しない」
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