![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/2e/e4f86b49ed5cf5f70921a214032008c6.jpg)
東京タワーのポツンと昼を彩どり、夜を照らす姿を淋しそうと語るある人、ボクはその孤独である強さと美しさの憧れ、まわされつづけられ東京へやってきた。それを目指して上京し弾き飛ばされた父、同じようにやってきて帰る場所を失ったボク、そして九州の炭鉱町から出てきて、戻ることも帰ることもできず、東京タワーの麓で眠りについた母との物語である。
「東京には、街を歩いていると何度も踏みつけてしまうくらいに、自由が落ちている。
落ち葉のように、空き缶みないに、どこにでも転がっている。」
溢れる自由と孤独、その一方で漂う閉塞感、東京で漂うのもなんと寂しいことなのだろうか。
前半は九州小倉の町で転々と生活に追われるわんぱく時代。この土地は貧しさは比較があって目立つもの、という著者の目からすると必要なものだけあれば貧乏も存在しない町だ。 東京が「搾取する側と搾取される側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさ漂う」悲しい大都会とすれば、この廃れていく炭鉱町で閉鎖された病院の病室を間借り、実家での同居と居場所がないまま、けれども豊かな少年時代をボクは送る。あいかわらず父親不在ではあるが、家庭という砂上の楼閣を冷めた目で見つめながら、弱い生き物が身を守るために備えた演技力を発揮して、自分の居場所でふるまう。そんなボクにオカンは欲しいものを買い与え、365日食事の時間を逆算して夜中に目をさまして自慢の漬物をつける。オカンは、自分が恥をかくのはかまわないが、他人に恥をかかせる行為を厳しく禁じ、男は金のことで文句を言うなとスタイリッシュな躾をする。いい女ではないか。
やがてボクは、別府の高校へ進学するために家を出る。そして武蔵野美術大学に通うために上京。オカンに電話する日も減った。自堕落な生活で一年留年して、家賃も払えず追い出され引越しを繰り返し、ここでも居場所が見つからない。友人や従兄弟に食事や酒を強制的に奢らせる毎日だったが、30歳を過ぎると元祖フリーターだったボクも仕事が増えその後、ようやく事務所と自分の部屋を駅前の騒々しいテナントビルに借りることができた。そこへ帰る場所をなくし、病んで老いて小さくなった母をひきとる話が後半である。
リリー・フランキー。このふざけたような名前からして、小泉今日子さんが書評でとりあげても読む意欲がわかなかった私であるが、手にとるきっかけが職場の読書好きな性格の良くて明るい女の子に薦められたことによる。彼女は読み終わった直後に、もう一度最初から読み直したくらいこの本にのめりこんだという。オカンのせっかくの手料理にはしもつけなかった編集のバイト女子大生に近い私は、リリーさんのような語り口は苦手だ。なにか異物を飲み込んだように、感性がしっくりなじまないはずだけれど。。。
けれども読み始めたら、リリーさんとオカン、そして時々オトンの人としての味と生き方にたまらなく惹かれていく。昨日、国会で小泉首相と民主党前原代表と激しい「格差社会」をめぐって答弁が行われたが、この著書に登場するオカンもオトンもまさに下流社会に生きる人間かもしれない。でもひとりで息子を育て、事務所に集まる息子の腹をすかした友人のためにせっせと食事を作ってもてなし、ガンにおかされて死を覚悟して、息子に迷惑をかけないように葬式代をひそかに毎月3000円ずつ積むオカンの生き方は、決して下流ではない。
よくある母と息子の物語とも違う。読者を意識した計算の排除されたリリーさんのきわめて私的で、その宇宙の小ささが逆に普遍性のある広い宇宙につながっている本とも言えよう。
悲しいことも、腹の立つこともリリーさんのユーモラスなオブラートに包まれると、どんどん透明になっていく。とにかく全編ユーモラスと繊細な感受性に満ちたこの著書は、また美しい物語でもある。
オカン、ありがとう。
このたったひと言が、どんな宝石よりも光っている。
「子供の頃の夢に破れ、挫折することなんてたいした問題じゃない。単なる職業に馳せた夢なんてものは、たいして美しい想いじゃない。
でも、大人の想う夢。叶っていいはずの、日常の中にある慎ましい夢。子供の時は平凡を毛嫌いしたが、平凡になるうるための大人の夢。かって当り前だったことが、当り前でなくなった時。平凡につまずいた時。
人は手を合わせて、祈るだろう。」
■フランキーさんのご挨拶
■小泉今日子さんの書評
*装丁と扉の題字にこめられた意味が胸に響く。
年代的にリリーさんと変らないことに驚き・・・
「だから」ですよね・・・
あの昭和の時代を知っている私たちの心に響くのは。
中流や下流の区別なんて意識はあまりなく、誰もが似たような生活環境だった時代。
そう、北九州特有のヌカ漬は時間を逆算しなければいけないんです(笑)
発つ鳥後を濁さず。
決して人に迷惑をかけるな。
だからこそ子供にも迷惑をかけないように自分の葬式代まで積み立てる。
自ら子供に手本を示しているような生き方。
お金に苦労した生活であっても、みんな必要以上に欲がなかったというか、その日を必死で生きてたから・・・
人と比べることもなく・・・
昔は「修身」というものがあったから・・と母はよく言います。
己の身を修める・・なんていい言葉でしょうか。
フランキーさんの語る”平凡”、家族とはなにか、いろいろ考えます。
>中流や下流の区別なんて意識はあまりなく、誰もが似たような生活環境だった時代
そうなのですよ。昭和の東京の下町も、みんな貧しくて生活環境に大差がなかったような気がします。オカンは、一般的な家族のように世話をする夫が殆ど家庭にいなく、また一人っ子だったフランキーさんにはその分たくさんの愛情をそそいでいたと分析します。最後まで、自分の家をもてなかったオカンは、社会的には、下流で負け組に分類されるかもしれませんが、最後は幸福だったと思います。見返りの期待しない大きな愛情が、自分を幸福させたのです。
>昔は「修身」というものがあったから・・と母はよく言います
この本を読むと、誰もが自分の母のことを思います。母とはどういう人間なのか、どういう人生だったのか。
高校に進学して、最初の保護者面談で私の母は、私のピンクのボタンダウンのシャツとジーンズのスカートをはいて現れたのです。今でも笑い話になっています。
友人たちには、樹衣子のママは若い、と好評でしたが、今から考えるとフランキーさんのオカンのように自分よりもこどものために生きていた人なのですね。安物を嫌い、食材でも洋服でも良いものを選んでいた母ですが、あの頃他に着る適当な服がなかったのでは、と最近気がつきました。当時の母は、今の小泉今日子さんと同じ年です。そんな母の愛情が、うっとうしくて重くて、そんな生き方をずっと否定してこれまで生きたのですが。
中学生ぐらいからお年寄りまで幅広い年齢の方にまで、読みやすい良書です。
ユーモラスな表現に、著者独特のあたたかみが溢れています。
私もたった一度だけ、東京タワーに登ったことがあるのです。母と一緒に。