千の天使がバスケットボールする

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『プルートで朝食を』

2007-02-05 23:31:32 | Movie
アイルランド映画「麦の穂をゆらす風」で主人公である医師デミアンを演じたキリアン・マーフィーの全体の印象をひと言で言えば、蒲柳体質な青年。恋人役の女性と並んでも身長が並ぶくらい小柄で痩せ気味で、少し猫背である。彼は菜食主義者だった。しかし、顔立ちは顎がはって骨格のしっかりしたオトコ顔。そんなオトコ顔のキリアン・マーフィーが本作では、こんなに(←)美女になりきるとは!!本当に綺麗だった。
映画の楽しみかたはさまざまあれど、最初から最後まで女装したゲイ役のキリアンの天才的な演技力に目を奪われた。


1970年代アイルランドの小さな町の小さな教会の前に、小さな可愛いらしい赤ちゃんが捨てられていた。
その男の子は、パトリック・キトゥン・ブレインデンと名づけられてブレイデン家にひきとられた。男児はその後ブレイデン家ですくすくと育ったのだが、育ち方の方向が少々偏向している。綺麗なものが大好き。ズボンより花柄のあかるい色のスカートを着たい。それにお化粧にも興味がある。つまり外見は男の子でも、感性はきらきらしたものが大好きな女の子。けれども時代と保守的な町の風習はそれを許さなかった。
そんなことは一向に頓着しないキトゥンは、自分の着たい服を着て自由に生きる。オカタイ信者でもある教師の怒りや説教も意に介さず、おしゃれと化粧を楽しむ。しかし、いまだに見たことのない母の面影を求めて、彼はロンドンに旅立つ。それは社会の保守から自由への転換と、自分のアイディンティ探しでもあった。

「クライング・ゲーム」で性差を超えた恋愛をディープに描いたニール・ジョーダン監督の最新作「プルートで朝食を」では、軽やかに、そしてポップに、シュールな香水をふりかけた”御伽噺”を描いた。これを彼の最高傑作とするかどうかは好みがわかれそうだが、さすがに完成度は高い。全体を32章の短いエピソードでつなげ、全編ゲイである主人公がまき起こす笑いを満載。しかもこの笑いには、保守的な教会や過激なIRA活動、この国に関与している英国政府など重く痛烈な皮肉をこめている。悲劇も悲惨な光景もカルク描くことによって、逆にコトの衝撃と重さを伝える手法のセンスがよい。常にアイルランドという国家をテーマーに背負いながらも表現の幅の広い監督である。またキトゥンと彼の友人たちとの関係も重要である。異端児として蔑まれがちなキトゥンを受け入れる彼らの存在は、彼ら自身が一般社会の規格からはずれている点から、世間そのものを皮肉り、自由な感性の必要性も説いている。
しかしなんといっても映画の成功の最大の功労者は、キリアン・マーフィーである。
高校の廊下を歩く姿、男性と腕を組み視線をあわせる時のいやみなく媚びた表情、お茶を呑む時のしぐさ、唇の角をあげた笑い方、女装をする役者は数あれど、キリアンほど美しく、尚且つなんら違和感なく女性になりきった俳優はいなかった。「麦の穂をゆらす風」では、少しうつむいた姿勢だったのに、女装したキリアンの姿勢はまっすぐでスカートの下からのびた細く長い脚がきりっとしている。一瞬一瞬もスクリーンの彼から目を離すことができない。演技が実にうまいのである。ついでながら、女性としてキトゥンの立ち居振舞いかたを見習わなければとつい思ってしまった。それに衣装がどれもこれもキュートでおしゃれ。70年代ファッションが流行のきざしがあるが、今みても新鮮。キトゥンが高校時代、グレーのセーターにカラフルなボタンをたくさんつけて着ていたのが、ポール・スミス風。こういったセンスは好みである。
最後のエンディングも含めて、かろやかだが実際は監督のアイルランドの国や恋愛哲学がベースにおかれた映画でもある。

ちなみにプルートとは冥王星のことである。冥王星は昨年、惑星から番外に降格になってしまった。


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