千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『君に捧げる初恋』

2007-01-10 23:03:48 | Movie
恋愛小説の大家である渡辺淳一氏は、最近の純愛ものは幼稚な愛であると苦言?を呈している。さすが「愛の流刑地」なる新聞小説で、シゴトと妻へのオツトメでお疲れ気味のビジネスマンの男心を巧みについている大御所ならではの発言。渡辺センセイは、SEXにはその人の人格や趣味や育ち、教養というすべてが表れると力説している。だから肉体関係の伴わないプラトニックな純愛は幼稚で、本物の愛ならず。

それでは、初恋はどんなに情熱を捧げてもやはり本物の愛とはいえないのだろうか。
韓国の慶南高校の高校生ティル(チャ・テソン)の24時間は、すべて担任の生物教師の一人娘、幼なじみのイルマ(ソン・イェシン)のためにある。憧れの初恋の君イルマは、まさに才色兼備のパーフェクトな女性。それにひきかえティルは、IQ148にして最下位の成績。弱いくせに喧嘩っぱやく、単純でその度の越えた猪突猛進ぶりのお馬鹿まるだしの行動は、学校中の名物の笑いもの。ティルの執念の凄まじさにとうとうイルメの父親、ヨンダルは全国の試験の3000番以内に入った者にイルメを譲ると宣言する。
これにはティルは、驚いた。約束が違うではないか。幼い頃、センセイは自分のカラダにオトナの”印”が表れたらイルマと結婚してもよいと約束したのではなかったのか。然し、イルマをゲットするためには、たとえどんなに困難で険しい道のりも乗り越えなければならない。覚悟ができている。我が身のすべてはイルマのために!!
そしてティルの「初恋死守決起大会」は始まったのだが。

ティルの命がけで初恋を死守する行動は、異性との恋愛が開放された現代ではもはやありえないパターンであろう。彼は、死ぬほど猛勉強をして潘基文(パン・ギムン)国連事務総長も卒業した名門ソウル大学に入学。同じく梨花女子大に進学したイメルの純潔を守るために、彼女の女子専用マンションの向かい合わせの部屋をキープ。父ヨンダルのミッションを実行するためにも、彼女の行動を監視してオオカミの毒牙から救うためには身を投げ出すことさえ厭わない。たとえ、そのため彼女にどんなに嫌われようとも。
ちなみに勿論ティルは、童貞だ。不図、脳裏をよぎる不安は、彼女と結婚できなかったら一生童貞のままで終わるかもしれないことだ。
父からの難関ミッションを次々とクリアしていくティルだったが、イルマにはすべてにおいて彼より上物と思われる強烈なライバルの好青年が現れる。
ここでイルマは、ティルの気持ちを察してライバル、イ・ビョンウクとの結婚を反対する父に涙ながらに訴える。

人がよくて好きになってしまった女性にふりまわされるティル役に『猟奇的な彼女』『永遠の片想い』でも好演しているチャ・テソンが、本作品でも再びお尻を出して熱演。私生活でも13年間の初恋を死守して結婚するという実績がうなずけるような、純な人柄がスクリーンからも伝わる。清純派女優のトップを走るソン・イェシンは、『四月の雪』での演技にみるように、清楚な人形から演技力の幅をつけるかのように水着姿も披露している。肉感的な女優ではないだけに、新鮮なエロティシズムが漂うのでファンにとっては必見のシーンだ。ラブ・コメディ路線を突っ走りながら最後の胸にせまる涙の落しどころをワンパターンと見るか、韓流映画のお約束と受け入れるかで評価がわかれるところだろう。

「彼とはもう寝たわ。何度も何度も抱かれた。」
そう、父に訴えるイルマの何度も寝て、何度も抱かれた相手とは、初恋の君との結婚を夢みて童貞を守るティルではなく新しい彼のイ・ビョンウクである。その事実を知ったティルは、廃人のようになってしまった。
イルマの肉体を知ったイ・ビョンウクと、いまだに彼女にキスすらできないティル。果たしてどちらが本物の愛なのだろうか。
同じく恋愛の大家であるGacktさんの言葉に

「恋は奪うもの 愛は与えるもの」

という名文句がある。
私に言わせれば恋とは与えるものであり、愛は惜しみなく奪うものである。またそうありたい。
ティルは、いまだ本物の愛にであってはいなかった。そしてイルマもまた。
彼は、激しく恋をした。確かにすべてを捧げてイルマに恋をした。しかし、彼らの愛は静かに深く、あのキスをした時からはじまるのであった。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
愛は奪うもの・・・か (ペトロニウス)
2007-01-13 15:13:47
>渡辺センセイは、SEXにはその人の人格や趣味や育ち、教養というすべてが表れると力説している。だから肉体関係の伴わないプラトニックな純愛は幼稚で、本物の愛ならず。

うむ。同感です(笑)。というか、肉欲的な欲望を殻はなれたところでないと、その人が本当にスキかどうかわからないなーというのが僕の実感ですねぇ。何度かHしても、まだ会いたかったら、それはホンモノの可能性がある(笑)、と。

この映画は見ていないのですが、純愛と肉体どっちが?という設定は、とても多いですが、この二元的対立って、凄く幼い印象を受けるな~。インパクトは確かに大きいですが、そもそも片一方『だけ』という視点の持ち方が、おかしいよなー。渡辺純一が好きなわけでは全然ないですが、そういったエロティシズムや肉体の欲望と、同時に心や精神的な充足などそういったものが、重なり合ってリンクしあっていることこそ、男女の愛や濃いなどの関係性が描けるのであって、、、、というか、たぶん、こういうのって身体感覚みたいなものだから、文章や映画などの物語とするには、難しいのかも。同時平行で、異なるロジックが身体を走っているみたいな複雑なプログラムだからジョィスのフィネガンズウェイクみたいな、特殊な描き方でもしないと無理なのかな・・と思います。

まっ、僕的な言い方で言葉に落とすと(少しずれるが)、恋と愛は違うって感じですかね。でも、恋愛って人くくりの言葉になるのは、この概念が複雑に入り組んでいるのが、恋愛感情ってやつなんだからですね。
返信する
恋と愛 (樹衣子)
2007-01-14 23:27:27
>何度かHしても、まだ会いたかったら、それはホンモノの可能性がある(笑)、と。

最後の一線を越えたら疎遠になった、というと女性側としては「私のカラダだけが目的だったの?」という反論がありそうですが、なにホンモノではなかったということですよね。肉体関係においては両者は対等なので、たとえ去られても女性だけが被害者ということはありえないと思うのですが。
渡辺淳一さんも性の相性は大事だと言ってましたね。
ブログでこんなこと言ってしまうのは顰蹙をかうかもしれませんが、女性の立場からは肉体関係が伴わなければ本当にその男を”一人の男(雄)として”知ったことにならないというのが自説です。

>この二元的対立って、凄く幼い印象を受けるな~

この映画は、起用された俳優のわりには、あまりおもしろくなかったです。

>エロティシズムや肉体の欲望と、同時に心や精神的な充足などそういったものが、重なり合ってリンクしあっていることこそ、男女の愛や濃いなどの関係性が描けるのであって

そうそう「冬のソナタ」が、今ひとつおもしろみに欠けていたのが、肉体の欲望が描けていなかったことですね。18禁まで望みませんが(笑)、20代後半の男女がキスだけというのは、もはや純愛ではないです。婚約者の出張先のホテルまで追いかけていって、ナニもしないで帰るパク・ヨンハ・・・男としてそれでよいのか、と突っ込みを入れたくなりましたもの。

>恋と愛は違うって感じですかね

やっぱりそう思いますか。恋はときめき感が大事ですが、愛はもっと静かで深いものだと感じます。
返信する
いろいろ (ペトロニウス)
2007-01-16 01:02:51
>最後の一線を越えたら疎遠になった、というと女性側としては「私のカラダだけが目的だったの?」という反論がありそうですが、なにホンモノではなかったということですよね。

そうそう。ホンモノでなければ、だめさ。身体しか目当てにされない相性だったということなんだと思う(笑)。こんなことブログ書くのは僕も顰蹙ですが、Hをしてみて、あーこのこのこと嫌いだったんだ(笑)と気づいたこともあります。肉欲で目がくらんで、好きだと思い込んでいた、とか。逆に、まったくの身体目的でつきあったら、凄い惚れてしまった・・・というのもあります。恋とかって、難しいものです。あれは、『おとづれるもの』だから、自分でコントロールしたり理性的にできるものではないですからね。

>渡辺淳一さんも性の相性は大事だと言ってましたね。

大事ですよ。それがあれば、言葉がいらないくらいに(笑)。ケンカしても、言葉もナシに仲直りができますから(笑)。

>ブログでこんなこと言ってしまうのは顰蹙をかうかもしれませんが、女性の立場からは肉体関係が伴わなければ本当にその男を”一人の男(雄)として”知ったことにならないというのが自説です。

賛成ですね。逆も、またしかり。つーか、肉体関係ナシの付き合いは、僕にはさっぱり理解できません。なんというか、心も身体も素直に見せたところから出ないと、コミュニケーションははじまらない気がするなぁ。

>そうそう「冬のソナタ」が、今ひとつおもしろみに欠けていたのが、肉体の欲望が描けていなかったことですね。18禁まで望みませんが(笑)

あれは、「だからこそ」の作品であって、それはそれでいいとおもいますよ(笑)

>20代後半の男女がキスだけというのは、もはや純愛ではないです。婚約者の出張先のホテルまで追いかけていって、ナニもしないで帰るパク・ヨンハ・・・男としてそれでよいのか、と突っ込みを入れたくなりましたもの。

あれは、気持ち悪いです(笑)。まぁ韓国のテレビは、性道徳にはうるさいから描きにくいというのもあるでしょうけどね。つーか、頭おかしいの?とか思いました(笑)。

>やっぱりそう思いますか。恋はときめき感が大事ですが、愛はもっと静かで深いものだと感じます。

愛は、男性は時々責任とすり替えてしまうので、やはり肉欲が失われたら愛から責任感に出してしまう気がします。
返信する
いろいろ② (樹衣子)
2007-01-16 23:31:32
結局、男性にとっても肉体関係にまでもちこむという努力(笑)なしには、愛の本質にたどりつけないということですな。

>心も身体も素直に見せたところから出ないと、コミュニケーションははじまらない

相手を知るって難しいですよね。逆にどんなに抱き合っても、気持ちが離れることもあるでしょうし、その一方で

>ケンカしても、言葉もナシに仲直りができますから(笑)。

それもありですね。言葉よりもカラダのコミュニケーションの方が大事と豪語する者もいますから。私は、最近よくある友だち夫婦(セックスレス)というのも、実は理解できないのです。熟年夫婦というわけでもないのに。もっとも性のあり方も多様化しているのだから、セックスレスのカップルもありなんでしょうが。
私は未婚、既婚を問わず、ある程度の年齢になったら性生活は大事だと思うのですが、今日の読売新聞に30~40代の童貞の男性の集いの記事が載っていました。記事を読んで、そのあまりの内気で純情ぶりに、男たちよ、たまには野獣になれ、人類よ、野生にかえれ、、、ですよ。

>愛は、男性は時々責任とすり替えてしまう

でも責任とすり替えられても長続きしないです。

>恋とかって、難しいものです。あれは、『おとづれるもの』だから

ああ、この言葉は素適ですね・・・。無防備な方が、よい恋が訪れそうです。
たまには、こんな会話もよいですね。活字だから、率直にここまで言えるのかもしれませんが。
返信する

コメントを投稿