千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「野中広務 差別と権力」魚住昭著

2005-08-27 22:06:24 | Book
”政治の天才”
被差別出身者にして、自民党幹事長にまで権力の階段を登りつめ、「郵政族のドン」「政界の狙撃手」として辣腕をふった政治家、野中広務をこう評する者が多い。そこにある評者の感情は、天性の政治的手腕をもった人物への感嘆と尊敬の念とともに、小柄な姿に隠れた厳しさへの恐れとほんのわずかな嫌悪。野中という人間を語るには、その両面性をとらえなければ、本質にせまることはできない。その複雑さは被差別出身者という出自から差別され、屈辱の体験をもちながらも実力でのしあがったことにある。その結果、から求められる解放への役割と、外から要請される解放同盟の圧力への”防波堤”としての役割。利害関係の対立する両者の境界線上に身をおくということで京都府議選を戦い抜き成功したスタンスは、中央政界入りしてからも変わらなかった。しかし結局は非常に有能な調停役としての政治家だが、独自の国家戦略をもたない自らトップとなる器でないことが最後に弱点となり、寂しく政界を去った。

野中広務は、京都府船井郡園部町に1925年生まれる。当時としては珍しく新聞を読む女として有名だった母と、正直で人の良すぎる父の間に、長子長男として生まれる。野中がはじめて町議選にたった時、母は文字の書けないお年寄りに熱心に字を教え、線香の火でボール紙に「ノナカヒロム」という字をかたどった穴をあけ、それをなぞれば名前を書くことができる方法も考案した。その一方で、父は元受刑者や朝鮮人の生活救済にも力を尽くした。野中の子守に雇ったのは、なんと子が泣き止まないとキセルで叩く、前科八犯の婆さんだった。その時できた傷が、今でも顔に残っているという。。。おまけに政府への米供出の時も、ごまかす者のために基準に満たないと、自分の家族用の飯米で他人の分の穴埋めをした。そのおかげでひもじい思いをするのは、家族だというのに。恥ずべきいわれのない差別をする者へ怒りと、差別される側にも潜む狡猾さへの怒り。この時の経験は、後年の人権問題へ立ち向かうあたたかい人柄をもちながらも、「控除」という特別扱いを、あらたな差別をうむ卑怯な問題だと、国会で一刀両断のもとに激しく追求した姿へつながる。

かっての日本の政界の中枢は、帝大出身者が占めていた。彼らを支える官僚、政治資金を提供する財界人も同じく帝大出身のエリートたち。ところが、日本列島改造論をひっさげて、小学校しか出ていない土建屋の田中角栄が力を奮うようになると、地方出身の非エスタブリッシュメントたちが政界の場に踊りでるようになる。そこには、かっての体制とは違う権力とお金が結びついた構図がつくられる。雪深い新潟に育った田中角栄と、野中広務はともに利用し、利用されながら昭和という政治の表舞台で、思う存分その権力を行使していくのである。まさに昭和という時代と寝て、日本の政界の縮図を描いたのである。その大きなうねりも、やがて時代とともに衰え最後を迎える。

著者の魚住昭氏は戦後社会は、平等性と差別性という二重構造をもつ社会だったと言う。そのはざまをよじ登り権力の中枢にたどり着いた象徴が、野中広務だ。しかしそれらを内包しながらも平和と繁栄を志向してきた戦後の終焉が、小泉首相との権力闘争に破れての引退が象徴とも語る。おりしも解散選挙。自説をまげず文字どおり政治生命をかけての戦がはじまった。プレビシットを強要する小泉首相のたて髪には、かっての泥臭い日本的な演出はない。そこには昭和の時代のおもかげも、あらたなる平成へのあかるい未来も見えない。

野中広務。
この名前をつけたのは地元一番の名士である船井郡部長の佐藤厳治だった。郡長が民の名づけ親になることは、当時では異例中の異例。その時の両親の喜びようは格別で、”郡部長さんに名前をつけられた特別な子”として、乏しい収入から広務への教育にかける。
広務にこめられた意味と願いが、見事に生き方に結実している。

「世の中に広く務める人間になれ」

■アーカイブ
「野中広務の居場所」

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9 コメント

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独自の国家権力 (ペトロニウス)
2005-08-28 00:46:48
>自の国家戦略をもたない自らトップとなる器でないことが最後に弱点となり、寂しく政界を去った。



このセリフは興味深い。調停ばかりしていう人が、リーダーになれないというのは痛い言葉です。僕も、組織の中では、これでも(笑)調停が上手いと自負しています(笑)。でも、部門・境界を越える活動には、バッシングも大きい。その時は、政治的に振舞うことになるんですが、それって妥協なんですよね。妥協では、真の意味で物事はいい方向へは進まないものです。



やはり樹衣子さんはまとめるのがうまい。凄く興味深くなっちゃいました。
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政治家は感情が激しい・・・ (樹衣子)
2005-08-28 17:24:34
「水平記」を読んだ後では、もの足りないかな、と思っていましたが、読み始めたら実におもしろいかったです。



ペトロニウスさまは、自分の考えを明確におもちな方との印象をもっています。そういう方は、むしろ妥協することが難しいのですが、調停能力があればビジネスマンとして最適な素材ですよ。



>妥協では、真の意味で物事はいい方向へは進まないものです

政治の世界では、妥協することによって少しずつ前進して目的をかなえる方法もあり、という考えをヒラリー・ロダム・クリントンの国民健康保険政策の失敗から学びました。妥協もひとつの賢い選択かもしれません。



そして野中広務もエピソードがいろいろあって、読み応えあります。

日本的な政界での冷酷な権力闘争と、世のため人のためという人情の乖離は、凡人の想像をこえております。ビジネスマンお薦めの本です。一気に読めますしね。政治の表舞台から消えていった懐かしい政治家の名前が登場すると、諸行無常の感慨もあります。



自分が読みたいと思って読む本は、やはり読んでいておもしろいので、文章が次々と滑らかに運びます。でも、課題図書だと、こうはいかないかもしれませんね。^^
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政治 (ペトロニウス)
2005-09-01 08:05:26
最近、踊る大捜査線の映画を見て・・・・この映画はいつも思うのだが、政治取引の腐っている部分をよく描けていると思うのだ。交通事故をもみ消す政治家の息子や、権力組織間のバランスをとるための様々な『取引材料』の側面を正義を求める警察官の立場からよく描けている。



でも、アフリカのことやボスニアのことを考えると、そもそも世界で「部族同士で殺しあわない」で「統一国家と権力を維持している」国ってけっこう少ないんですよね。アフリカや中東が典型ですが、たいていは派閥や部族争いが、際限のない内乱につながっています。そういう意味で言うと、諸権力間のバランスを取り、多少個人の人生が犠牲になっても、正義が犠牲になっても、『殺し合いを防ぐために権力間のパワーバランスを保とう』とするのは、実は、大きな意味での政治としては、重要なことなんじゃないか?。とか思ったり。



けど、政治取引の汚さは、目に余る。



いろいろ思います。最近、植民地官僚であった後藤新平の導入本を読んだのですが、彼は素晴らしい業績と天才的なテクノクラートであったにもかかわらずけっきょく、内閣のトップには立てませんでした。最高が、内務大臣です。事実上の実務としては首相の時期が長くてもです。それは、彼が目的と結果「のみ」を重視するプロジェクト志向の人物で、ほとんど自分のための勢力をつくらずに、プロジェクト(=問題)の解決のみを尊ぶ人物であったからだといいます。だから、その見事な長期的展望をもったVISIONは、時の政治家の比ではありませんでした。が、数と組織を基本とする政党政治の権力争いでは、これほどもろいものはなかったといいます。



政治に必要なのは、多数決と数に代表される『安定』とバランスです。しかし同時に相反する、現状を打破するプロジェクト志向、99人が反対しても実行すべき長期のVISIONも必要とします。



いろいろ思います。
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民主主義と衆愚政治の間で (樹衣子)
2005-09-02 23:04:00
>殺し合いを防ぐために権力間のパワーバランスを保とう

そういう意味では、マフィアも政治の世界でも似たような事情かもしれません。パアーバランスが拮抗していれば、薄氷上での平和を保たれる。

かって、米ソの冷戦時代をモデルケースで説明される「ゲームの理論」を思い出しました。



>大きな意味での政治←こういう表現に、ペトロニウスさまの良心と、重要と言ってしまうことの躊躇いが感じられますね。



>政治に必要なのは、多数決と数に代表される『安定』



日本的な”族議員”が跋扈するという国内の政治事情もあるのではないでしょうか。



①もし後藤新平さんが米国人だったら

②業績と社会的な地位は必ずしも一致しない

③内閣のトップにたつことの意味と価値



そんなこともつらつら私も考えます。私も長期的なヴィジョンは必要だと思います。短期の目標と長期のヴィジョン、つねに両輪でもって走ることがビジネスマンとしても鉄則ではないでしょうか。(ちょっと生意気な発言を許していただければ)^^



「踊る大捜査線」は、本当におもしろい!特に権力者、キャリアのエリートの愚かさが笑えます。

余談ですが、私が貴ブログで最も熱心に読むのは、「後藤新平/外交とヴィジョン」のように、コメントやTBのあまりつかないブログです。この後藤新平さんのブログも読んでおりました。非常に優秀な政治家だったのですね。多分、近代史だけでなく、政治や政治家、戦略、権力者の力というものにご興味があるのでは、とも思っております。
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マイナーな (ペトロニウス)
2005-09-03 00:05:01
>余談ですが、私が貴ブログで最も熱心に読むのは、「後藤新平/外交とヴィジョン」のように、コメントやTBのあまりつかないブログです。



苦笑しました(笑)。その通りでしょうね。そして、実は、多分この部分に共感していただける人が、一番「理解された」と感じます。なぜならば、話し相手がいないからです(笑)。マンガやオタク的なモノやシゴトは、話し相手はたくさんいます。けど、「この手」の話題は、しないですからね。樹衣子さんに、「20位くらいのマイナーでいて欲しい」といった評が書かれていたのが気になっていて、一番頑張って更新していた時期でも、ついに19位以上いきませんでした。まぁ書きたいだけで、順位はどうでもいいのですが、やはり自分の意見は、マイナーな部分があるのだ、と感慨深く思いました。まぁ、無駄に悩んでいるところはある気がしますしね(笑)。





>この後藤新平さんのブログも読んでおりました。非常に優秀な政治家だったのですね。多分、近代史だけでなく、政治や政治家、戦略、権力者の力というものにご興味があるのでは、とも思っております。



そうです。いろんなテーマの切り口があって、それを基準に世界を眺めている感じです。とりわけ、リーダー、エリートといったものにはとても興味があるようです。
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マイナーな部分とは (樹衣子)
2005-09-04 11:28:39
ん~~~っ、もしかしたら多忙なペトロニウスさまを迷わすような余計なことを言ってしまったかな?と考えておりました。

貴ブログは、順位からすると決してマイナーなブログでなく、充分人気ブログと誇れるランクだと思います。



ペトロニウスさまがいらっしゃる前に、gooの人気ブログランキングの中身を見たことがあるのです。その時の1位は、出会い系サイトでであった女性とのコトの顛末日記。ゲーム攻略本のようなブログ、韓国情報系(あまり中身がないような・・・)、有名人のブログ、などなどです。

時事、芸能の話題系や、映画の批評など、読みごたえあり感心するブログもあるのですが、私にとっては、人気ブログランキングと読みたいブログは、全く一致しなかったことが判明しました。

観客動員数を誇る映画が、必ずしも心に残る映画でもなく、賞をとったり売れスジの小説や作家が、恐ろしくものたりなかったりつまらなかったり、それと同じだと思いました。映画批評・感想も年間100本以上を観ている方のブログは、さすがにどれも水準が高いですが、一本の映画だけをとりあげると、鋭い分析や独自の視点の感想で、読んでいておもしろいと私が感じるのは、案外人気ランキングとは縁のないめだたないブログだったりします。

「物語三昧」は、人気ランキングを設置していることから、多少なりとも順位を意識してらっしゃると考えました。

たとえば、コミック本に特化して、毎日更新したらもっとランキングがあがりかもしれません。杉田かおるさんの離婚(もう古い?)のような芸能ネタ、選挙の話題だったら郵政改革に関するマクロ経済ネタでなく、女の刺客の話題、そんなところを積極的にとりあげたら、コメントやTBも増えるかもしれません。また映画のブログでも、「スターウオーズ」など、観ている方の多い映画をとりあげれば、TBは確実に増えます。

要するに、そういうプチブル的な転向はないでしょうが(^^)、個人的に一番読みたい「この手」の話題が先細りになってしまったら、寂しいなという勝手なお願いですね。マイナーな部分こそ、その人の個性を語る、というのが自論ですから。



世の中には、なにごともなく平凡な日常生活を送り、さりげない会話をしながら、そのこころの奥は実際は多岐多様に渡り、変化に富んでいて深い方もけっこういらっしゃることもブログの存在で知りました。貴ブログ内のTBやコメントが少ないテーマーも、みなさん今までそのような知識や関心がなかったから読むだけという立場になるけれど、よく訪問される方は、やっぱりけっこう読んでらっしゃると思い始めてます。
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他者からの視点 (ペトロニウス)
2005-09-04 12:05:36
ふむ、僕も少しまとまっていないのに軽率なコメントでしたね。人気欲しいわけでもないけど、反応ないのも寂しい、といった感じです。マイナーといったのは、コメントがないんで興味ないのかなー(笑)とか思って、寂しくなったり。。。後藤新平の本は、僕的内面で、この数年来のウルトラ大ヒットだったので、コメントなくてさびしくなったんですよ(笑)。





まぁ正直に言って、僕のブログはコンセプトを全然考えていません(笑)。というか、思った書きたいこと「垂れ流しブログ」(ホントはもっと厳しい発言が多いのだがさすがに公開しているので抑えています←小心者だから(笑))ですし、そこまでコンセプトや一貫性を考えると、めんどくさくて辞めちゃう(苦笑)ので、考えないようにしています。そうして書いていると、ある意味ナルシズム的な感覚になってくるのですが、コメントやTBそれに、樹衣子さんのような他者の視点が入ることによって、いろいろ思います。それは、興奮であったり、動揺であったり・・・もともとずーーーーと子供の頃から文章は日記のように書く癖があったのですが、他人に見せることはなかったので、レスポンスがあるブログはやはり興味深いです。





>貴ブログは、順位からすると決してマイナーなブログでなく、充分人気ブログと誇れるランクだと思います。



順位のカウンターがあるのは、最初につけたの(笑)外していないだけです。けど、たしかに、マンガやコメントしやすい内容や更新頻度で順位が(どこまで信用できるかは分からないが)変動するのを見て、いろいろ分かるので、設置しています。たとえば、後藤新平などのを書くと順位が急落するとか(笑)。



けど、たしかにアメブロの上位はほとんどがエロ系のサイトだし、たくさんの書評を書く方は、中身が薄かったりするというのも実は感じるのです。貴ブログに何度も長文を投稿させていただいているのも、やはりこのブログの長さと深さに、ぐっとくるものを感じるからです。・・・そうですね、きっかけがなかったら、毎日読んでもコメントしないかもしれませんねぇ。



>そういうプチブル的な転向はないでしょうが(^^)



きましたね(笑)。こういう素晴らしい一撃がくるので、貴ブログは、おもしろい。



>マイナーな部分こそ、その人の個性を語る、というのが自論ですから。



あっ、これ同感です。ただ僕の言い方だと、「その人の行う最もメジャーな部分と最もマイナーな部分にこそ、本質と魂が宿るです」かな。



支離滅裂ですが、まぁそんな感じです。



明日からまた出張三昧なので、今日はゆったり休みです。
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こんにちは (つな)
2005-12-14 11:58:15
ペトロニウスさん経由で、時々お邪魔させていただいております。

樹衣子さんのブログで、この本を知って読みました。

記事中、リンクいたしましたので(事後ですみません)、トラックバックさせていただきました。

私は噛み砕いて読めたとはとても言えないのですけれど、面白い本でした。



樹衣子さんの硬質な文章が美しいなぁ、と思い、またペトロニウスさんとの深い会話も、楽しませていただいています。
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いらっしゃいませ (樹衣子)
2005-12-14 23:19:46
はじめまして、ペトロニウスさまの妹分つなさまへ



つまさまのブログ、みなさまのコメントを読ませていただきました。また弊ブログもご紹介いただきありがとうございました。

政治家としての野中さん、そしていまだ残る”差別”。昭和を舞台にしたひとりの政治家と、まわりで踊る人々。なかなか考えさせる本だったと思います。



一冊の本から、他の方の書評を読むと自分とは違った視点もあり、ブログのおもしろさを楽しんでいます。

今後とも宜しくお願いします。^^
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