最晩年の船井会長が書いていたことを見ると、いつも政治の話ばかり。「どうして、精神世界系だったはずの人が、政治に傾斜していくのか?」と、改めて思う。
他人のことばかりは、言っていられない。本ブログを振り返ってみても、去年の後半くらいから、だんだん「左翼・中国・韓国」の反日3点セットに関する話が明らかに増えている(笑)。
まあ、去年は確かに、いつもの年とは違っていた。本来は敵同士であるはずの中国・韓国が結託し、日本の左翼とも呼応しながら、露骨に「反日包囲網」を作ろうと猛攻をかけてきたのだ。もともと東アジアは、中東と並ぶ「世界の火薬庫」と言われてきたのだから、このくらいの対立はあって当たり前。今までは幸運にもそれほど矢面に立たされることがなかった日本も、いよいよ政治的対立の前面に押し出されてきた。
そんな時流の中で、右も左も、にわかに論争をヒートアップさせた。
経済や文化が発達した日本では、社会の中で、政治の占める比重が小さくなっている。でも、他のアジア諸国は、そうではない。政治を抜きにしては、何も始まらないというのが現実だ。日本も、それに巻き込まれている。
それはともかく、精神世界系の人は、大なり小なり、理想の社会を築きたいと願っている。でも、現実の地球は、理想とはホド遠い世界だ。それを、どうするか。
この地球環境を、意識の進化によって変革していこうというのが本来の精神世界的なスタンスなんだけど、それが迂遠に感じられる人も少なくない。どうしても、「政治によって、現実の世界を変革しよう」という考えになりやすい。
でも、「現実の世界を変革しよう」という考えだと、どうしても、考え方が異なる勢力と衝突することになる。古い勢力を排除して、新しい勢力が出てきたとしても、それで変わるのは、表面的な状況だけだ。根本的な対立が終わるわけではない。
理想の社会を追い求めた結果、さらに対立が延々と続くというのは、一種の落とし穴と言える。
クリシュナムルティの「子供たちとの対話」でも、「インドの社会を変革したい」という理想に燃える子供に、クリシュナムルティが苦言を呈していた。その言葉は、周囲の聴衆には意外に響いたかもしれない。でも、実際に、それからの20世紀の歴史は、戦争と革命の連続になってしまった。「社会を変革しよう」と、燃えれば燃えるほど、対立が果てしなく続くハメになってしまった。
「社会の状況を変える」ということも、もちろん重要ではあるものの、そこにコダワリすぎると、「意識の覚醒」という、最も重要なテーマが見失われることになりかねない。
やっぱり、「政治の話はホドホドに・・・」というのが、精神世界系としては正しい態度ということだろう。
ただし、政治や社会を変えることにも、もちろん意味がある。国際関係でいえば、ヨーロッパや東南アジアが良いお手本だろう。
近代のヨーロッパで、ドイツとフランスが、どれほど戦ってきたことか。この2国は、ヨーロッパという文明をブチ壊してガレキの山にしてしまうほど、何度も戦争を繰り返した。イギリスとフランスも、百年戦争を戦ってみたり、今度は世界を舞台に「植民地・百年戦争」を戦ってみたり、まさに宿命のライバル関係。
イギリスとオランダも、何度も海戦を繰り返したかと思うと、遠いアジアの植民地で殺しあったり、相手のやることを世界中でいちいちジャマし合ったり。このため、「ダッチワイフ」を初めとして、英語の悪口にはオランダがらみのものが多い。
フランスも、何度もオランダに攻め込んだ。太陽王ルイ14世のオランダ侵略戦争では、オランダはわざと国中の防波堤を決壊させて、水攻めでフランス軍を撃退したが、オランダの国土はメチャクチャになってしまった。フランス革命が起きて、王様はいなくなったが、今度はナポレオンの革命軍が攻めてきた。
ヨーロッパの歴史はこんなことばかりで、これを言い出したらキリがない。どの国も、周囲は「宿命のライバル」ばかりで、振り返れば戦争の歴史。昔のことを言い出したら、まったく収拾がつかなくなる。
そんなヨーロッパ諸国が、今はEUとして一つにまとまった。内部対立が完全になくなってはいないものの、とりあえず戦争が再発することは考えられなくなっている。
東南アジアも同じで、以前はベトナムやカンボジアを初めとして、戦争や革命による流血が絶えない地域だった。これまた、今はASEANとして、かなりのまとまりを見せている。もともと、おおらかな南国だけに、国境の観念もアバウトだ。人々は、かなり自由に行き来している。「自分の国の言葉と、隣の国の言葉と、英語の3つが話せる」というような人が、ざらにいる。「歴史」とか、過去の問題には誰も興味がない。
中国や韓国を見ていると、21世紀も闘争と対立の世界が続きそうに見えてくるけど、そんなことは決してない。あの2国が特殊なだけだ。でも、あれらの国々も、もう限界が近づいている。日本と「対立」していられるのも、あと何年も続かないだろう。
社会の変革も大事だけど、政治談義に夢中になるあまり、この地球の物質世界における闘争と対立に、さらにドップリと漬かっていくのは避けたいところ。もちろん、「ボクは、もともと政治なんかに興味はないよ」と言う人もいることだろう。特に、女性にはそういう人が多い。それはやっぱり、もともと女性原理によって、そういう観念的な対立を最初から乗り越えているからだろう。
それから、若い世代ほど政治色が薄れているのは、誰もが認めるところ。
というのも、第二次大戦後、「大日本帝国」が解体され、韓国や台湾が独立した。日本に代わって東アジアの新たな覇者となったアメリカは、二度と日本軍国主義を復活させないため、各国で反日教育に力を入れた。
韓国で、最近になって急に反日が激しくなってきたことに、「いまさら、なんで?」と首をかしげる人は多い。これは、韓国通の人に言わせると、「世代」の問題が大きいという。つまり、朝鮮戦争の直後に、最も強烈な反日教育を受けて育った「反日世代」が、いまや50代~60代くらいになって、社会の主導権を握ったからだと言うのだ。
そういえば確かに、日本でも、何かといえば「日本が悪い。日本は反省せよ」と言い出す「反日左翼」は、やはり戦後の教育の影響を最も強く受けた世代が大半を占めている。「朝日新聞の購読者は60代~70代が主力で、20代~30代はほとんど読んでいない」という調査結果もあった。もっとも、この世代が多いのは左翼だけではなく、右翼の側でも主力になっている。
台湾通の人に言わせれば、これは台湾でも同様で、「親日国」の代表格とされる台湾でも、50代くらいの人には意外と反日的な考えを持っている人が少なくないらしい。「親日国」というのは、あくまでも全体の傾向なんであって、各個人にはいろんな見方があるんだそうな。考えてみれば、当たり前。
日本・韓国・台湾とも、この世代が国の発展を引っ張ってきた。政治的な意識が強いというのは、良い面もあるし、悪い面もある。
その点、中国はちょっと違う。中国の場合は、一般国民が政治的な対立に踊らされているだけで、教育の問題ではないようだ。おそらく、変化が最も速くて、変わるときはコロッと変わる国と思われる。
ただ、言えるのは、「どの国でも、若い世代ほど政治色が薄れている」ということ。これは今後の東アジアを思い描く上で、真っ先に参考にしなければならない事実だろう・・・。