坂本政道氏と浅川嘉富氏の対談「5次元体験の超衝撃」によれば、地球生命系は、深い井戸のような構造になっている。
この井戸に落ちたら最後、外には出られない。井戸の底にある物質世界と、その少し上にある死後世界とを、行ったり来たりすることになる。これが、輪廻転生。
「輪廻転生からの卒業」とは、この深い井戸の中から、広々とした大宇宙へと脱出することを意味する。
それでは、人はなぜ、輪廻転生しているのだろうか。
お釈迦さまによれば、その原因は「無明」ということになる。無明とは、何も分からないこと。
仏教において、輪廻転生とは延々と続く、果てしない迷走。どこまでも続く、苦の連鎖。それは、目を覚ませば終了する。輪廻転生を終わらせることを、「解脱」と呼ぶ。これが、仏教修行者に共通する目標・・・。
日本の新興宗教の教祖には、「私たち人間は、生まれ変わり、死に変わり、輪廻転生しているのですよ。古代インドで、お釈迦さまもそう教えておられました・・・」というようなことを説いている人が、ときどきいる。
だが、実のところ、それは日本人的な発想でしかない。古代インドは、輪廻転生思想の本場。そこでは、「人は生まれ変わる」というのが、当たり前の常識とされていた。王侯貴族から平民乞食に至るまで、誰にとっても「輪廻」は当然の前提。当時のインド人が「ここで」と言えば、それは「この世で」を意味した、と言われるほど、根が深い。
そのため、釈尊は最初から「輪廻」を前提にして話を展開している。言ってみれば、それはスタートラインにすぎない。
問題は、そこから先。「なぜ、輪廻するのか」と、「輪廻を終わらせるにはどうすればよいか」というのが、釈尊の教えだった。
古代インドとは異なり、現代の日本において、これはかなり奇異な印象を与える。初期仏教に詳しい人なら知っているのだが、それを最初からハッキリと言ってくれる人はなかなかいない。このため、「それが釈尊のメインテーマであった」ということを知るためだけでも、かなりの時間と労力を必要とすることになる(笑)。
それはともかく、現代アメリカのモンロー研究所が唱える「輪廻転生からの卒業」と、古代インドの釈尊が唱えた「解脱」が、まったく異なる角度からのアプローチであるにもかかわらず、不思議に符合しているのは興味深い。
坂本政道氏も、昨年の著書「2012年 目覚めよ地球人」で、このことに言及している。いわく、
>(話の中身が)重たいのは当然です。だって、仏教がやろうとしたことを私ごときが試みるのですから。仏教というのは輪廻の原因と、輪廻から出る方法を説いた教えです。そのことに釈迦は一生を費やしたんです。
「輪廻の原因」についての、坂本政道氏の説明は下記のようになる。
我々は、地球生命系に入る段階で、
① 意識を収縮させられて、物質界しか知覚できないようになった。
② 「生き残り、子孫を増やせ」という唯ひとつの目標を与えられた。
このため、ほかの世界から地球生命系に入って、地球の物質世界に生を受けた意識は、地球に来る前のことを忘れ、「ここで生き残って子孫を増やさなければならない」という信念を刷り込まれる。この信念は、死んで死後世界に移動してからも続く。何度でも物質世界に舞い戻ってきてしまうのは、このためだ・・・
これは、なぜなのか。理由は、地球生命系が、そういう設計になっているからだとしか言いようがない。
つまり、地球は、生存競争が起きるように環境設定されているのだ。
「神様がこの世をお創りになったのに、どうして、世の中は悲惨なことばかりなのでしょうか。神様は、本当にいるんでしょうか・・・?」と思い悩んでいる人を、ときどき見かける。
その疑問に対する回答は、「地球は、宇宙の中でも特殊な環境なのである」の一言に尽きる。
ここは、「弱肉強食の原理」を導入して、厳しい生存競争をやるところなのだ。広い宇宙には、いろんな惑星がある。たまには、こんなキツイ環境の世界があったって、イイんじゃないの・・・という感じ(笑)。
そのためには、地球の環境に専念する必要がある。せっかく、厳しい生存競争をやろうとしているのに、「死んだら終わりだ」という必死の思いがなかったら、効果は半減することになるだろう。このため、地球人類には、地球生命系に特有の原理が、強く刷り込まれているという。
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