旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

チュニジアでも指折りのレストランで

2019-03-14 19:20:00 | チュニジア
チュニスのメディナ(旧市街)、車で前まで行けない路地にある。このドアをドンドンっとノックして開いてもらう↓

まずは待合室があって、誰でもしばらく待たされる
こじゃれた品々を控え目に売っている

ジャズフェスティバル「チュニジアの夜」の案内が↓

シンプルなインテリアに生花↓

ここはもともとオスマン時代の高官が住んでいた

タイルの内装はなるほどそんな雰囲気だ



↓しばらくして通された「中庭」の天井を見上げると

↓我々のテーブルはこの「中庭」の一角だった

メニューはアラビア語とフランス語、ギャルソンは英語での質問にも応えてくれる

前菜はサラダとタジン料理にした

↓これが「野菜のタジン」なのだが、「あのタジン鍋」で出てくるわけではない。「あのタジン鍋」で調理してあるものをこんな風に盛りつけて出てくる。

確かに品が良い。これまで食べてきたレストランのような強い味でななく、香辛料が強いと感じさせはしない。
だが味わいは深い。

「イカのクスクス、ファルシ」があったので、是非食べてみたくなった。
だが、前菜とメインの間に入れるときっと量が多すぎる…
迷ったけれど五人で二人前だけ注文↓これが二人前

↑これは絶品! ここまでイカはどれもおいしかったが、群を抜いている↓

↑あ、これが、スースで出会った日本の人が話していた「いか飯」に違いない(^.^)
これだけ食べにまたチュニジアに来たい、料理でした。

メインは羊料理を主にオーダー、
「茹で羊」というので生臭いのかと心配していたが・・・

これがさすがの調理!パサつかず加熱しすぎず、骨からもはずしやすい。
羊肉がお好きでいろんな国で食べてきた方が「こんな羊料理はじめてだね」と感想をもらされた。
↓こちらも茹でた雰囲気だが味つけが違う。付け合せのナッツごはんも好き↓

↓定番のラムチョップ

牛の煮込みはグヤーシュみたいだったが


ここで食事をしたことで、チュニジア料理への評価は確実に上がった。
次回《手造の旅》でチュニジアを訪れたら、必ず再訪したい。
それだけの価値がある。



最後にコーヒーを

ちょっと東洋的なデザインのカップだが、

チュニジア産で「砂漠のバラ」というシリーズのようです(^.^)

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ドゥッガからチュニスに戻りメディナを歩いてホテルへ戻る

2019-03-14 17:00:00 | チュニジア
新しいドウッガ村、往路にはモスクまわりに朝市が出ていた

★遺跡郊外に同名の街があるのはギリシャのデルフィのようだと思ったら、ここドゥッガもデルフィと同じようにもともとの街は遺跡の上にあったのだった。
フランスは村ごと移転させて発掘を行っていたのである。

衣料から食料から、いろんなお店が出て

いちばん人が集まっていたこのテントは何を売っているの?↓

フランスの電話会社「オレンジ」が無料のSIMカードを配っていたのでした


↓遺跡見学を終えてお昼に通った時にはがらんとして

ロータリーをヤギの群れが横切った


ドゥッガ遺跡のすぐ外にある町の古称を冠したホテル

THUGGAは現地リビア語でTBGGと母音表記されTuBGaGaと発音されていたのが「ドゥッガ」の名前のルーツなのだ。

遺跡見学の後、ここで名物のイノシシを食べるかちょっと迷ったのだが、
思ったよりずっとおいしかった
もう一つのの選択はチキン

**
チュニス新市街に入る。「チュニスのシャンゼリゼ」に近づくとびっくりするような新しいビルがならんでいる


突き当りのフランス門近くにI LOVE TUNIS 昨夜歩いた時とはぜんぜん違って見える

フランス門のある広場。ここから奥が旧市街=メディナ

大聖堂の前に立つのは13世紀イスラム世界きっての歴史家とされるイブン・ハルドゥーン

↑彼はチュニス生まれでモロッコやカイロで活躍し、カイロにやってきたチムールにも招かれたそうだ

メディナの市場を抜けてホテルに戻ろう。
ディーツとピスタチオを買いたいとリクエストしたら、専門店が集まる一角へ連れて行ってくれた。

ディーツは日本の干柿のような味わいだと小松は思う

↑上の写真で奥にある小さなものはいちじく。
砂糖による甘味が高級だった時代・世界では、洋の東西を問わずこれらの甘味が定番だったのですねぇ。
↓こちらの店頭に干してあるのは何?

↓なんと、イカでした!

今回、イカはどこで食べてもおいしかったなぁ

↓ピスタチオは豆の専門店でキロ売りしている

こういう店から小売店にいくのですな
↓ピスタチオ、殻ごと炒って塩味をつけたものを買いました↓

小粒だがじつにおいしかった(^.^)もう一キロ買ってくればよかったと帰国後に思った小松でした

↓こちらはディーツとナッツを組み合わせたちょっと高級なお菓子店↓

**
ここからはメディナ内の通りに面したお店↓







↓グランドモスクのミナレットが見えてきた 我々の滞在する宿も近い


夕食は「チュニジアでも指折りのレストラン」に予約を入れてもらった(^.^)

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ドゥッガ遺跡~カピトリウム

2019-03-14 13:49:08 | チュニジア

かつて街の中心だったと思われる神殿が復元されている


ジュピター(ゼウス)、ジュノー(ヘラ)、ミネルヴァ(アテナ)の三神を祀ったとされている。

内陣のこの壁龕には↓

高さ六メートルのジュピター像があったのだろう。その頭だけが発見されてバルドー博物館に収蔵されているそうだ(今回倉庫入りしていて見られず)。
↓全体の復元図

おもしろいのは上の図で神殿の右側に位置するメルキュール(エルメス)の広場↑
↑小さな円が描かれているのが分かるだろうか↓

商業や旅行や(泥棒も)司る神であったので、東西南北それぞれの方向にある地域名と、そこから吹いてくる風の名前を記したウィンド・ローズと呼ばれる円が刻まれている↓

ローマ世界全体を見てもこういう例はめずらしいそうな

↓神殿の横壁には当時のドゥッガの人口を記した文字もあった



**
丘の斜面上部に位置する神殿から少し階段を下りてコンコルディア(和合)神殿前へ↓…あとから読んだ最新の現地解説本によるとその前にある四角い広場との関連はないだろうとのこと


***さらに階段を下りて浴場設備へ

アーチ型の通路にもお湯が流れていたパイプの跡↓


****
遺跡の中でいちばん大きな私邸↓

その床↓



↓公道に沿った壁には窓はなく、中庭に向かってだけ窓がひらかれていた典型的なローマの邸宅建築にみえる↓

↑公道の石畳はきっとうるさかったでのでしょう。荷車の轍が残っている。

この設備って何?↓あ、ローマ遺跡でよく見かける

公衆トイレの跡

娼館だったとされる建物の入口




↓下水の蓋


★ヌミディアの王子アテバンの墓は町の中心から少し離れた場所に見えた
















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ドゥッガ遺跡~劇場

2019-03-14 09:17:30 | チュニジア
標高六百メートル程の斜面に広がる都市遺跡である

↑バスを止めた場所から百メートルでいきなり劇場跡

↓もともとはこんなだったのか

↓舞台中央から上手側を見る

↓舞台のそでにあるこれは何?

「これは、古代のプロンプターなんだよ」とガイドのシュクリさん
どういう意味???…あ、セリフを忘れた人にここから教えていた、ということか。なるほど~
★アフリカ原住民(ヌミディア人)からAD172年にローマ本国の元老院になったPublius.Marcius.Quadratusプブリウス・マルキウス・クワドラトゥスが祖国に華を飾る事業として建設した劇場。残されていた劇場の入口碑文に書かれていたそうだ

**
劇場をあとにして、神殿へ向かう道↓轍がくっきり溝になっている

↓ふりむくと、ローマ遺跡には見かけない丸いドームがあった

予想通りモスクだった建物だった。
★なぜ、モスクがあるのだろう?
この町がもっとも栄えたのは帝政ローマ時代だが、七世紀以降アラブ・イスラムの支配になってもの村として人は住み続けていたのだ。19世紀から20世紀前半のフランス領だった時代に村を移転させて遺跡を掘り出したということ。
ギリシャのデルフィと同じようなことを、ここでもやっていたフランス。

神殿が見えてきた


が、シュクリさんはそこへ向かわず、先に市域を区切るアレクサンドル・セヴェルスの門へ我々を導いた↓

↓この門をくぐると…

↓巨大な貯水槽が姿を見せた

※この旅で見た水道橋はこちらに載せています
あとから資料を読んで知ったのだが、このドゥッガの街にはこういった貯水槽が七か所もあった。
最も古いものはもう少し斜面の上の方にありそこは近くの泉からの水を溜めるわりに単純な仕組みだったようだが、この貯水槽は紀元後二世紀後半に建設された最終形。直線距離で8.5キロ離れた水源から、12㎞を超える長さの水道管を建設してドゥッガまで水をひいた。
当時の人口は二万五千人と広場に誇らしげに刻まれていたのだから、そのぐらいの水が必要だったのだろう。あるいは、充分な水が供給できる都市だったからそれだけの人口が住むことが可能だったのだ。
↓THVGGES(ドゥッガの人々)XXVMII(二万五千人) 
↓メルキュール広場の碑文に残されているその部分

↑左下部分

↓天の神 カエレスティスの神殿は紀元後222年から225年にかけて建設されたと解説解説書に書かれていた

それはつまりアレクサンドル・セヴェルス帝の統治期間にあたる。
大叔父のセプティミス・セヴェルス帝からはじまる王朝は彼が部下の兵士たちによって暗殺されて終わった。

暗殺されたのは遥かドイツのマインツだが、このアフリカでも彼に捧げる神殿の建設が行われていたのか
↓神殿への捧げものを保管していたと思われる穴↓





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チュニスのメディナ(旧市街)にある宿にチェックイン、男ばかりのレストランへ

2019-03-13 22:42:28 | チュニジア
ボン岬からチュニスへの途上で、樹齢二千五百歳というオリーブの古木を紹介してもらった

※これについてはこちらにもっと写真載せて書きました

チュニスに宿泊するのは二回目だが、今回の宿はメディナ(旧市街)の中である。
昔は城壁があったあたりで車を降りる。外務省の前あたり↓

降りたあたりは政府の中枢機関があつまっていて「撮影禁止エリア」とのこと。

さて、旧市街の宿を選んだ時によく起きる問題が、スーツケースをどう運ぶか。
今回の宿も目の前まで車など入れない。数百メートルだがえっちらおっちらスーツケースを運んでなんとかたどり着いた。
ガイドさんが「ここだよ」と指差した扉↓名前もわかりにくい字体で読みにくい

これは知ってないととても見つかりません。昔ながらの鉄の輪っかでゴンゴンっとノックして扉が開かれた。
アラブ圏の建物は外から見ても様子は分からない。この宿もこんな中庭があり↓

小さな屋上から暮れゆくチュニスの旧市街が見晴らせた↓



↓部屋はこんな感じ

全部で十室ほどしかなく、それぞれがぜんぜん違ったつくり。
熱いお湯は出るのでありがたい(^.^)
**夕暮れに町を散歩する。
宿を出てすぐにチュニスを代表するモスクたちの尖塔が路地に聳えている↓



↓こちらはグランド・モスクの入口階段

チュニジアは猫率高いです

あわただしく店じまいするスーク(市場)の中を抜けて「フランス門」の方へ降りていった↓
↓後ろに見えている四角い塔がグランド・モスクのミナレット



迷路を抜けると突然ヴィクトワール広場「フランス門」に出る

「ワインも出してくれるお店がいいね」ということで、このホテルのレストランに話してみる↓

しかし…欧米人観光客も確実に泊まるホテルだけれど、レストランではアルコールを出していないとのことだった。
★チュニジアではアルコールを出さない店がほとんどなんです
「『オリオン』という店があるよ」と、ホテルのレセプションの人がおしえてくれた。
これは親切で紹介してくたようだ。行ってみよう。
「カテドラルのところを曲がって」↓あ、このカテドラルですね
フランス領だった時代にはカトリック教徒も多かったので立派な教会がたくさん建てられていたのだ↓

…どうもないなぁ、違うなぁ・・・
と思って立ち止まって、別の方向へ歩き出そうとしたとき、ちょっとぼっとした感じの男が話しかけてきた。
行こうとしていた方向を指さしながら「だーんじぇるー」と言う。
あ、フランス語で「あっちはあぶないよ」と、我々を心配してくれていたのか。

「『オリオン』という店をさがしてるんだけれど」と、カタコトのフランス語で訊ねてみると、「こっちだよ」と案内してくれた↓
「息子がね学校で柔道やっててカタカナもならってるんだよ」
日本文化は思わぬところで影響力を発揮している。
「オリオン」はここか?↓

あ!「オリオン」とはLe ORIENT(オリエント)だったのか(笑)

入口の番をする人にあいさつして中へ入ると、たばこの煙ただよう、サッカーのテレビが流れる店内には男しかいなかった↓

正確には、ちょうど出る時にカップルがあったので女性は一人だけ?
「トイレであったわよ」とのことで二名?
いずれにしても、チュニジアでは女性がこういうお店に入るのはかなりハードルが高いのだと理解した。

予定通り、チュニジアのワイン「ヴュ・マゴン」を注文

さて、料理はと思って持っていたガイドブックに目を留めたギャルソンが
「ここに僕が載っているよ」とアピール
お勧めの「ガルグレット」を注文した。
しばらくして大きな陶器のツボを持ってきて、テーブルで皿にもりつけてくれる↓

海鮮ものと↓

お肉ものと↓

「ガルグレット」とは、料理の名前というよりはこの壺の事を指す。
「タジン」というのがあの独特な調理器具を指すように。

その他のお皿。
肉はやっぱりちょいと焼きすぎ感がある↓

やはり焼きサカナとイカがおいかった↓店内にもかざってありますように

**
お店も閉まってすっかり人の少なくなったヴィクトワール広場手前↓
↓この手の巨大ボードはどこでも流行なのですね↓


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