旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

雪の「長浜城」で国友一貫斎の話を聴きく

2022-02-27 08:48:37 | 国内

雪が止んだ朝、湖の見えるホテルから「長浜城」まで歩いた。

城のカタチをしているが博物館。
現在全面修復中で閉まっているが、先月「東京長浜観音堂」で知り合った学芸員のOさんに国友一貫斎の話をきかせていただけることになっている。
※国友一貫斎について「国友鉄砲ミュージアム」のHPにリンクします
電話すると裏口から博物館の楽屋裏に入れていただいた。

一貫斎は鉄砲鍛冶でありながら天体望遠鏡を制作した。
鉄砲鍛冶としての技術が反射望遠鏡の要である集光レンズ作りに応用できたのである。
「百年経っても曇らないだろう」と本人が言っていた。
その言葉以上の二百年後、Oさんたちは実際に天体観測をした。
一貫斎が見たのと同じように月面のクレーターを見ることができたそうだ。

現存する天体望遠鏡は四基。
支える雲台部分も改良が加えられている。
以下、収蔵カ所と共に、古い順番に↓
①上田~球形をしていて自由に動くがしっかり固定できず肝心の観測に支障があった
※文化財オンラインのページに写真があります
②長浜~上下に五段階動く※国友鉄砲ミュージアムのHPに載っている写真のもの
③彦根城~望遠鏡単体、④一貫斎生家~上下に加え左右にも動き、固定できる。

鉄砲ミュージアムには一貫斎が描いた観測スケッチも収蔵されているそうだが、常設展示はされていない。
そりゃあそうだ。「鉄砲ミュージアム」なのだから訪れる人にはまず鉄砲の解説をしなくてはならない、一貫斎については最後の部屋でちょっと触れている程度だとか。
もったいないけれど、しかたない。

《手造の旅》でこういう人物を紹介したいと思うのだけれど、時間が足りそうにない。
**
2022年4月に催行する《手造の旅》近江長浜と比叡山の旅。
2020年9月に訪れた時には「観音の里めぐり」のイメージしかなかった。
※その時のブログのひとつにリンクします
だが、見学していくうちに観音様を見て回るだけではもったいないと思うようになっていった。
★西野水道は特に心に残る場所で、2022年4月の旅で通ることにした
※下見の時のブログにリンクします

琵琶湖を何百隻という「丸子船」が往来していたことも知ってほしいと思う。
※丸子船の博物館を訪れたブログにリンクします

長浜への旅、まだまだお見せしたいところがたくさんあります。
秋の紅葉も美しい場所ですし(^^)
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雪の長浜下見~琵琶湖の湖底から見つかった縄文土器

2022-02-23 07:43:14 | 国内
雪の伊吹山が間近にみえる。

角ばった山容は長年切り出してきた跡。石灰岩の山なのだ。
※採掘場を上からみた写真が掲載されています
米原から長浜への道。水鳥の遊ぶ三島池は背景に伊吹山が見えるので写真家が好むスポット。


米原駅についた時には「たいした雪はないな」とおもったのだが…


ローザンベリー多和田方向へ寄り道


休日で観光客もけっこう来ている。

こぶりな除雪車とすれちがう。
「もっと小さいのもありまっせ。安い除雪機は一台三十万から五十万ぐらい。このへんやったら一台ずつもってるんちがうかな」
と、四月に《手造の旅》でお願いする伊香交通のOさん。

重そうな瓦屋根に積もった厚い雪を下す年配の方をたくさんみかけた。

「古墳みたいだなぁ」と見えるものはほとんどホンモノの古墳。
古代には大陸からの影響を強くうけている地域なのである。


尾上(おのうえ)地区の小さな博物館を開けてもらう約束をしていた。

葛篭尾崎(つづらおざき)↑は琵琶湖の最北端に突き出した半島。
琵琶湖の湖底からは多くの縄文土器が発見されている。

土器は漁師の網にかかったものが多い。

なぜ?これだけ多くの遺物が湖底から見つかるのか
湖面が上昇して水没した説。
津波で水没した説。
祭祀の時に水中に投げ入れていた説。
どれなのか?決着していない。
※朝日新聞デジタルより水深七十メートルで見つかった記事

↑竹生島と葛篭尾崎(つづらおざき)周辺の湖底ジオラマ↑
このあたりの深さは七十メートルほど。
琵琶湖南部の平均水深は四メートルだから大きな差がある。

↑現代と同じ生活の雰囲気を感じさせてくれる急須?

↑湖岸道路を整備する工事で丸太をくりぬいた船が見つかった↓これが現物

これらの発掘物を研究したのは小江慶雄(おえよしお)(1911-88)という教育者。京都教育大学の学長まで務めた人物だが、地元の伝承に興味を持つお寺の子供だったのだそうだ。

大正十五年(1926)彼が十五歳の時、イサザ漁の底引き網が縄文式土器を引き上げたことがきっかけでその後調査・研究の道に進み、日本の水中考古学の草分けとなっていった。
4月の《手造の旅》では、この場所のカギを預かっている「紅鮎」さんに宿泊

竹生島が見える湖畔の現代的な温泉宿です(^.^)↑
**

午後四時半、「高月観音の里歴史民俗資料館」のSさんとお会いする。
長浜地域の村々に伝わる観音像を現場で調査してきた方だ。
※博物館のHPにリンクします
2020年9月の下見で訪れた冷水寺の胎内仏を発見したその方↓鞘仏をもちあげている左手の方がSさん
※冷水寺の胎内仏の事を書いたブログにリンクします
4月の旅でもお話していただけることになった。

五時過ぎ、雪がはげしくなってきた。

今日は長浜駅前のホテルに泊まる。
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はじめてナイジェリアの人と話す時

2022-02-15 21:34:47 | 日記
「首都のアブジャは日本人が設計したのですね」
はじめてナイジェリア人と話すので予習をしていると、首都のアブジャは計画都市で1970年代に丹下健三が設計したとあった。
「え?そうなんですか」と驚くナイジェリア人。

かたことの英語対話でも、マンジ君が優秀で勤勉なことはわかる。
高等教育をうけて日本語AETの資格をとって日本の学校で働くほどなのだから。
「機能別にゾーンに分けられていて道路も広いし使いやすいですよ」
住んでいるからといって、その町・その国に詳しいわけではない。
日本人もそうですよね。

ナイジェリアは日本の二倍半の国土に、日本の二倍強の人が住む。
アフリカ最大の産油国。
アフリカ最大の経済力を持つ。
北部はイスラム教徒が多く、南部はキリスト教徒が多い。
二百以上の部族。
マンジ君によると三百以上の言語がある。
「日本にきて一つの言語とひとつの文化なのには驚きました」
15世紀にポルトガル人がやってきたが、本格的西欧化は19世紀後半からの百年に及ぶイギリス支配。
1960年に独立。
1999年までは軍事独裁政権。何度もクーデターが起き(外務省によると七回)、三度の民主化の試み(マンジ君いわく)があったが、「いつも政治家は自分勝手」(マンジ君曰く)。
海岸部のラゴスが最大都市だが過密都市。
北部イスラム教徒エリアと南部キリスト教徒エリアの間になる、標高三百メートル超の中央台地に首都を移転することになった。
気候の良いアブジャが選ばれた。
その都市計画コンペを丹下健三が勝ち取ったのだった。

最近のナイジェリアがニュースで報道される多くは、
北部で過激派が村を襲撃したとか
南部の石油利権問題だとか
ううむ、この世界からやってきたマンジ君に、日本はどんなふうに見えたか。

「スシは食べたけれど生の魚ははじめてです」
↓「どうやって食べるのかな?」

「醤油とワサビ、あ!そんなにつけたらダメだよ」
次の瞬間、ワサビにやられて鼻をおさえたマンジ君だった。







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奈良、牧野古墳(ばくやこふん)の巨大石室を下見

2022-02-05 07:00:58 | 国内
巨石が組み上げられた玄室の天井は予想を超える高さだった。

古墳の内部は通常入れない。
広陵町に玄室見学を申し込んでもしばらく返信はなかった。
二日ほどして突然「対応できます」と電話が鳴った。

四月の奈良《手造の旅》の本番前に下見。

事前資料で七メートルとあった玄室にまでの横穴.

破壊された石棺の上部が見えた。被葬者は押坂彦人大兄皇子(第30代敏達天皇皇子)かと推察されている。大化の改新で有名な中大兄皇子(後の天智天皇)の曾祖父。古墳時代と飛鳥時代がつながる。

1980年代に周辺にマンションが建設されることになり、半分埋って口だけ小さく開いていた石室を調査することになった。盗掘されてはいたが残されていたモノも多く、花崗岩をくり抜いた石棺が二つ安置されていたと判明。

発掘されたモノが広陵町役場に展示されているときいて訪れた。

入って案内板を見てもそれらしい場所が分からない。
「すいませーん、牧野古墳からの発掘物があると聞いてきたのですが」
若手の職員は奥の先輩に訊ねて
「外の別棟にあるそうです」とのこと。

いったん出てすぐ左に↑平屋の建物が見えた。
市の職員なら毎日この前を通っているにちがいないけれど、興味がないものは見えないのですね。

展示されているものは一見の価値がある↑牧野古墳からの発掘物↑

↑馬型の埴輪につけられていたらしい

↑つぼ鐙の部分はそっくりそのまま↓

千五百年前もデザイン感覚は今と変わらない(^^)

↓ここでいちばんの見モノになっているのは巣山古墳からのこの出土物↓

↑なのだが床に転がしてあって、我々のために覆いをさっと外してくれた↑これはいったい何?

↑須山古墳は馬見古墳群で随一の規模を誇る前方後円墳↑
掘の水を抜いて調査をしていると、遺体を運ぶのに使われたと思われる「喪船」が泥の中から現れた↓復元した姿がこれ↓

↓レプリカをつかって実物大↓復元

エジプトのピラミッドの傍からも分解された「太陽の船」が見つかったが、日本の古墳でも同じように葬儀に使われた船を分解して埋めていたとは!人間の考えることは似てくるのか。

多様な埴輪も見つかった↑

↑イノシシは縄文時代の土偶のモチーフにもなっていたっけ(^^)

巣山古墳の前を通ると↑地元ガイドさんが「あ、開いてますね、近くに行ってみますか」と言ってくださった。

堀の水を抜けるのは農閑期の冬だけ。重機をつかいつつ、地道な発掘と整備作業が続けられている。
**

こちらは復元されて頂上に登れる三吉石塚古墳(みつよしいしづか古墳)↑↓牧野古墳よりも古い五世紀前と推定される。頂上からまっすぐに二上山が遠望できる。

すぐとなりに宮内庁管轄の新木山古墳(にいきやまこふん)↑が見える。

***

広陵町は「かぐや姫の里」として宣伝中(^^)
四月の《手造の旅》ではそのあたりのお話もしてもらいます。


牧野古墳の巨石石室見学は、奈良に住んでいる方でもめったに見られないクラスの逸品。
石舞台に次ぐ大きさで、石舞台とは違いそのまま土に覆われている。
本番でもっと解説していただけるのが楽しみです。
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信州、別所温泉の北向き観音

2022-02-03 07:13:06 | 国内
弘化四年(1847)3月25日午後八時半、善光寺を襲った大地震↑燃える家と押しつぶされる人々を振り返りながら、観音様の光に守られ逃れる市之助↑懐に手をやると、そこには真っ二つに裂けた北向き観音のお札があった。

善光寺に詣でたらこちらにも来ないと「片詣り」になると言い伝わる。
尾州知多郡(ちたごおり)新田から善光寺詣りにやってきた市之助一行だったが、彼だけ別行動して北向き観音にも詣でていた。一人助かったことを感謝してこの絵馬を奉納したのである。


様々な絵馬がそのご利益に感謝している↑こちらは蚕の繭でつくられた絵馬↑
北向き観音とは、善光寺の観音様と向かい合うために北を向いて祀られている。

養蚕業が盛んだった時代↑製糸所で働く女工たちが職場の温泉旅行で訪れて奉納していたモノ↑これは何?
↑これは着物の下に入れて腰を強調する「衽(おくみ)のつま」というものだそうな。
針仕事が上手になるのを願って奉納と解説されていた↑

↑こちらは明治時代に名倉の農家で見つかった古銭でつくられた龍の絵馬↑

由来を説明してあるものはそれほど多くないが、それぞれ個人的な感謝が綴られている。

この地方に伝わる鬼女退治の伝説↓

↓「札所観音堂」格子を覗くとたくさんの木像が並んでいる↓

享保年間に篤志家が秩父観音めぐりをした後にその三十四カ所を表す像を寄進したという。
その時のお堂は失われ、近年あらたにこの建物が建てられたと解説されていた。

↑この仁王像ももとは山門にあった↑
こういった「もともとの場所」を失った像は多い。

手水が湯気をたてている↑温泉!これがあったからここに人が集まった。
世界中どこでも、宗教の聖地になっている温泉は多い。



北向き観音へ続く参道はこの階段を降りてゆく。

小川を超える短いこの参道、良い感じです(^^)

↑味噌飴はおいしかった。「美味棒」ってどんなのかしらん。

信州は蕎麦屋がたくさんで迷う。

あたりをつけて入ったら「なかなか良い味」と、連れて行ってくださった蕎麦好きさんコメント。

2010年の地元の新聞記事があった。
あ、ご本人だ(^^)
三十年趣味で蕎麦打ちを続けてきて、ついに六十一歳でお店を持ったと書かれていた。

タチアカネという蕎麦の種類にこだわっている↑
出身の青木村で、他の種類との混合を避けるために標高の高い元牧場の敷地で栽培しているものを使っているのだそうだ。

↑別所温泉は昔ながらの外湯めぐりも三か所ある。
「別所」の名前は、鎌倉時代の北条氏が湯治のための別の館を持っていたことからきたそうな。
それ以前の平安時代からの名前は「七苦離の湯」=七つの苦しみから離れる湯。
伝説では日本武尊(やまとたけるのみこと)が戦の傷を癒したのだそうだ。
**

秋になったらこの電車に乗って

国宝の三重塔を見て別所温泉に泊まる旅を実現したい(^^)
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