旧市街の宿に泊まれば、出発までの一時間でおもしろい散歩ができる。
オスマントルコ時代の「ベイ」の墓を訪れることができた↓

アーチをいくつも抜けていく

にゃにをしているのあんた?


↓パンを焼くちいさなお店

↓そろそろ…あれか?

↓雰囲気あるドーム↓これはこれで「Sidi=聖なる」人の墓か?

探していたのはこれではなく…
もうひとつ向こうに見えた緑色の屋根だった↓

これは釉薬で緑色に焼き上げたのだろう

↑草が生えているけれど周囲の建物と違う雰囲気がある
↓「ベイ」とはオスマントルコの統治下の地方長官への尊称

「トゥルベ」は墓のことを指す、たぶんトルコ語
さて、中は…
扉を押したが、閉まっている。よく見ると「修復中」の張り紙が…。
その様子を見ていた近所の人が数人声をかけてくれた。
「中に居るから呼んでみなよ」
どんどんっと扉をたたくと、すぐに開いて管理人さんが招き入れてくれた。
内部は二つの中庭を囲うかたちで何十もの墓碑がずらりと並んでいる

解説によると、ここに葬られているのは1705年以降にオスマントルコ下のチュニジアを統治したフサイン朝の「ベイ」たち。
※「ベイ」を「王」と訳しているものもあるが少々違和感がある
管理人によると1740年以降に16人の「ベイ」とその「妻たち」が葬られているという

↑この頭飾りのカタチがついたものが男性の墓
※イスラム教では地面に直接埋葬するので棺ではなく記念墓碑と理解する方がよい

ヨーロッパ的な装飾で、イタリアの大理石とオスマントルコ伝統のタイル装飾がされている
↓こちらが女性たちの墓

↓これは葬送の時に担ぐ台

旧市街のど真ん中にこういう廟があるのは少々違和感があるが

この場所に最初に墓碑が置かれたのは
「ベイ」以前にSidi(聖者)の墓があったからのようだ。
こういう細かい話を詳しく聴けるタイミング、またつくりたいなぁ。

路地を歩いて宿に戻ろう

オスマントルコ時代の「ベイ」の墓を訪れることができた↓

アーチをいくつも抜けていく

にゃにをしているのあんた?


↓パンを焼くちいさなお店

↓そろそろ…あれか?

↓雰囲気あるドーム↓これはこれで「Sidi=聖なる」人の墓か?

探していたのはこれではなく…
もうひとつ向こうに見えた緑色の屋根だった↓

これは釉薬で緑色に焼き上げたのだろう

↑草が生えているけれど周囲の建物と違う雰囲気がある
↓「ベイ」とはオスマントルコの統治下の地方長官への尊称

「トゥルベ」は墓のことを指す、たぶんトルコ語
さて、中は…
扉を押したが、閉まっている。よく見ると「修復中」の張り紙が…。
その様子を見ていた近所の人が数人声をかけてくれた。
「中に居るから呼んでみなよ」
どんどんっと扉をたたくと、すぐに開いて管理人さんが招き入れてくれた。
内部は二つの中庭を囲うかたちで何十もの墓碑がずらりと並んでいる

解説によると、ここに葬られているのは1705年以降にオスマントルコ下のチュニジアを統治したフサイン朝の「ベイ」たち。
※「ベイ」を「王」と訳しているものもあるが少々違和感がある
管理人によると1740年以降に16人の「ベイ」とその「妻たち」が葬られているという

↑この頭飾りのカタチがついたものが男性の墓
※イスラム教では地面に直接埋葬するので棺ではなく記念墓碑と理解する方がよい

ヨーロッパ的な装飾で、イタリアの大理石とオスマントルコ伝統のタイル装飾がされている
↓こちらが女性たちの墓

↓これは葬送の時に担ぐ台

旧市街のど真ん中にこういう廟があるのは少々違和感があるが

この場所に最初に墓碑が置かれたのは
「ベイ」以前にSidi(聖者)の墓があったからのようだ。
こういう細かい話を詳しく聴けるタイミング、またつくりたいなぁ。

路地を歩いて宿に戻ろう
