旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

チュニスのメディナ(旧市街)にある宿にチェックイン、男ばかりのレストランへ

2019-03-13 22:42:28 | チュニジア
ボン岬からチュニスへの途上で、樹齢二千五百歳というオリーブの古木を紹介してもらった

※これについてはこちらにもっと写真載せて書きました

チュニスに宿泊するのは二回目だが、今回の宿はメディナ(旧市街)の中である。
昔は城壁があったあたりで車を降りる。外務省の前あたり↓

降りたあたりは政府の中枢機関があつまっていて「撮影禁止エリア」とのこと。

さて、旧市街の宿を選んだ時によく起きる問題が、スーツケースをどう運ぶか。
今回の宿も目の前まで車など入れない。数百メートルだがえっちらおっちらスーツケースを運んでなんとかたどり着いた。
ガイドさんが「ここだよ」と指差した扉↓名前もわかりにくい字体で読みにくい

これは知ってないととても見つかりません。昔ながらの鉄の輪っかでゴンゴンっとノックして扉が開かれた。
アラブ圏の建物は外から見ても様子は分からない。この宿もこんな中庭があり↓

小さな屋上から暮れゆくチュニスの旧市街が見晴らせた↓



↓部屋はこんな感じ

全部で十室ほどしかなく、それぞれがぜんぜん違ったつくり。
熱いお湯は出るのでありがたい(^.^)
**夕暮れに町を散歩する。
宿を出てすぐにチュニスを代表するモスクたちの尖塔が路地に聳えている↓



↓こちらはグランド・モスクの入口階段

チュニジアは猫率高いです

あわただしく店じまいするスーク(市場)の中を抜けて「フランス門」の方へ降りていった↓
↓後ろに見えている四角い塔がグランド・モスクのミナレット



迷路を抜けると突然ヴィクトワール広場「フランス門」に出る

「ワインも出してくれるお店がいいね」ということで、このホテルのレストランに話してみる↓

しかし…欧米人観光客も確実に泊まるホテルだけれど、レストランではアルコールを出していないとのことだった。
★チュニジアではアルコールを出さない店がほとんどなんです
「『オリオン』という店があるよ」と、ホテルのレセプションの人がおしえてくれた。
これは親切で紹介してくたようだ。行ってみよう。
「カテドラルのところを曲がって」↓あ、このカテドラルですね
フランス領だった時代にはカトリック教徒も多かったので立派な教会がたくさん建てられていたのだ↓

…どうもないなぁ、違うなぁ・・・
と思って立ち止まって、別の方向へ歩き出そうとしたとき、ちょっとぼっとした感じの男が話しかけてきた。
行こうとしていた方向を指さしながら「だーんじぇるー」と言う。
あ、フランス語で「あっちはあぶないよ」と、我々を心配してくれていたのか。

「『オリオン』という店をさがしてるんだけれど」と、カタコトのフランス語で訊ねてみると、「こっちだよ」と案内してくれた↓
「息子がね学校で柔道やっててカタカナもならってるんだよ」
日本文化は思わぬところで影響力を発揮している。
「オリオン」はここか?↓

あ!「オリオン」とはLe ORIENT(オリエント)だったのか(笑)

入口の番をする人にあいさつして中へ入ると、たばこの煙ただよう、サッカーのテレビが流れる店内には男しかいなかった↓

正確には、ちょうど出る時にカップルがあったので女性は一人だけ?
「トイレであったわよ」とのことで二名?
いずれにしても、チュニジアでは女性がこういうお店に入るのはかなりハードルが高いのだと理解した。

予定通り、チュニジアのワイン「ヴュ・マゴン」を注文

さて、料理はと思って持っていたガイドブックに目を留めたギャルソンが
「ここに僕が載っているよ」とアピール
お勧めの「ガルグレット」を注文した。
しばらくして大きな陶器のツボを持ってきて、テーブルで皿にもりつけてくれる↓

海鮮ものと↓

お肉ものと↓

「ガルグレット」とは、料理の名前というよりはこの壺の事を指す。
「タジン」というのがあの独特な調理器具を指すように。

その他のお皿。
肉はやっぱりちょいと焼きすぎ感がある↓

やはり焼きサカナとイカがおいかった↓店内にもかざってありますように

**
お店も閉まってすっかり人の少なくなったヴィクトワール広場手前↓
↓この手の巨大ボードはどこでも流行なのですね↓


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古代カルタゴの遺跡ケルクアン

2019-03-13 14:30:53 | チュニジア
これはなに?↓

「これは浴槽でこんな風にして入ったんだよ」とガイドのシュクリさん

↓小松も入ってみました

「せ、狭い…」
入ってみて分かったのは、古代カルタゴ人にとってどれだけ水が大事だったかということ。
カルタゴはローマの様な巨大水道は持たなかった。
雨水と湧水を活用するやりかたで、しかも海辺のこの立地で、どのぐらいの量の水が確保できていたのだろうか。

それでも発掘された家のほとんどすべてに、小さくはあってもこんな浴槽があった。

↓浴室の窓から海なんて見えなかっただろうけれど

↓ある家の見取り図↓2番の黒丸が井戸(溜めた水を汲みあげる)その右上4番が浴槽

↑8番がキッチンと推察されている
↓どの家も同じような水回りだったのがわかる



水がとても貴重であっても、中世ヨーロッパのように「風呂に入らないでよい」とは思わなかったのか。
古代カルタゴ人、えらい。

↓これは貴重な飲み水を溜めた場所と推察されている


↓だから円形の窪みも(どこかのサイトが言っていたような)「公衆浴場」などでは決してない↓

陶器を焼いた窯だったのは明らか↓

この町は人口二千人ぐらいで、漁師と(主に陶器の)職人と商人の街だった。

★発掘調査によりこの町の最も古い部分は紀元前六世紀ごろにさかのぼり
戦争による二度の破壊をうけ、その後は誰も住まずに埋もれたと考えられている。
☆一度目の破壊は紀元前310年のギリシャとの紛争時
シチリアのシラクーサからやってきたアガクレトスによって
☆二度目の破壊は紀元前256年のローマとの紛争=いわゆる第一次ポエニ戦争
ローマの執政官マルクス・アティリウス・レグルスによって
後日譚:このレグルスは翌紀元前255年にチュニスの戦闘で敗れ、カルタゴの捕虜となる。
保釈されてローマ元老院に講和の使者に出されたが、カルタゴの命令とは逆に徹底抗戦の演説をした。約束を破ったのだからただではすまない。カルタゴの牢にもどることはないと引きとめるローマ本国をふりきってカルタゴに戻ったレグルスは、やはり拷問の末に殺されたとされる。※この殺され方が読んだ資料で全部異なっていた


このケルクアンの遺跡はローマに破壊された後に再建されなかった。
だからだろうか、神殿だったと思われる場所にはギリシャ以前の神「タニト」のシンボルがモザイクで残されている




ここは1960年代にフランス人の釣り人が偶然発見するまで、破壊されたままのカルタゴの都市が残っていためずらしい場所である。
古代での街の名前はTamerzratだったと推察されているが、現在の遺跡は近くの地名からケルクアンになっている。

↓細い道から広い道へ出るところにあった「車止め?」


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ケリビア要塞

2019-03-13 11:56:23 | チュニジア
チュニジアには塩水湖が多い

塩水湖にはフラミンゴが好むエビがいる

ピンク色が集まった浅瀬
**
ボン岬を北上していくと丘の上に威圧的な砦が見えてきた↓

現在見えているのはビザンチン時代からのものをイメージして復元しているそうな

↓現在も軍の管轄下にある

それでも観光客に公開している

車を止めて城内へ

1960年代末に発掘と修復が行われて、ローマ以前のカルタゴの遺構も見つかった

二重になった城壁の中へ

くぐって入ると↓

突然ぽかんと開けた草原に出た

丘の上の城塞の内側はこんなだった

中心にはしかし、柱の跡が復元されている↓

異なる時代の遺跡が重なっている場合、どの時代をイメージして復元作業をするのかがいつも問われる。
チュニジアの場合はやはりカルタゴの時代のものを「見えるかたちで復元したい」という思いがあると感じる↓この柱もローマ以前のカルタゴの神バール・ハモンとタニトの神殿だったと考えられている↓

チュニス近郊のカルタゴ遺跡でも見たように、カルタゴ時代の神殿にはボン岬先端の石切り場からもってきた砂岩が使われている。
ここでも砂岩の大きな塊で構築された構造が見つかっている↓この階段も

↓この下に見えている石積みも、カルタゴ時代のもの↓

↓ビザンチン時代6世紀に建造されたという城壁も、基部の石はあるいはカルタゴ時代のものかもしれない↓

↓現役の灯台が乗っている

十分ほどでぐるりと回れてしまう城壁
↓よくみると、かつてはかなり大規模な建物があったのが分かる

↓第二次大戦中の1943年の4月に、
ドイツが占領していたこの要塞を、三機の英軍機が激しく爆撃したのだと資料に書かれていた。
爆撃される前まではビザンチン時代の名残もだいぶんあったのかしらん

まぁ、爆撃で破壊されなければ地下深くの古代カルタゴ遺跡に陽が当たることもなかったのかもしれないが。

↓白い建物は軍の通信施設だそうな

最初はなにもない草原のように見えた場所も、いろいろな時代の事物が細部にたくさん詰まっていた

↓いつごろ切られた巨木?

↓工事の人がなにかを一生懸命つくっている

ガイドさんに訊ねると、「勤務している兵隊さんのためのモスクをつくっている」のだそうだ。
アラブ時代のモスク跡をもう一度現役復帰させているのか。歴史はまだまだ継がれている。
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ハマメットの色

2019-03-13 09:30:00 | チュニジア

パウル・クレーも、きっとこんな色を見ていたのだ

カルタゴ空港に到着してすぐに、その「色」の素晴らしさに魅了された。

この朝、ハマメットの街の色はそれを思い出させた。

ハマメットはトルコ語の「ハマム」という言葉からきているそうだ

地中海沿岸はギリシャもチュニジアも同じような光に満ちている



路地を抜けて小さな浜辺に出た。角の庇のある小さな扉は画家のアトリエだった↓






↓二階への階段

↓窓から青い海の色が入ってくる




こんな絵を買いました

***
14から15世紀、オスマントルコ時代に築かれた四百メートル四方の城壁を出て
海沿いの道を歩く(これはもちろん現代になってからつくられた道)

最初に車を止めた小さなロータリーに戻った。セイレーン?の像がある↓

↓良いお天気なのでカフェで休憩しよう

おだやかな日の射すからりとした海辺

ハマメットはボン岬の付け根にあるので大きな湾になって対岸の山がうっすら見える↓

後から知ったのだけれど、このカフェは町の歴史的な場所にもなっている有名店なんだそうな

「あと一か月もすれば観光客でいっぱいになるよ。今朝はとっても良い時にきたねぇ」

屋内の海に向かってならんだテーブルの前に↓横長に水平線が

↓今、一部が改修しているところ。もっと現代的なカフェになってしまうようです


****
カフェを出ると、漁師さんが捕ってきたばかりのサカナを売っていた↓

こういう場所に買いに来ているのは男性ばっかりのチュニジア。
↓イカはどこでたべてもとてもおいしかった


ボン岬を北上して古代カルタゴの遺跡ケルクアンへ向かう。
通常のツアーでは必ず入っている陶器の街ナブールはやめて、途中でケリビアの要塞に寄ることにした。





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