旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

イスタンブル宝箱2

2013-04-30 12:42:10 | トルコ
《手造の旅》トルコ9日目、帰国便に乗る日を有効活用するために、この城壁に近い場所にあるホテルを選んだ。
良い天気で城壁が青空に美しい

が!最初にお見せしようと思っていた東ローマ帝国時代の「黄金の門」=オスマントルコ時代の「イエディ・クレ=七つの塔」はなんの予告もなく閉まっていた。ホームページにもそんな告知はないし、ガイドさんも手配元も知る術はなし・・・人があまり来ない場所だとこんな事もある。

日程表に書かれている場所を完全履行出来なくても、ご理解いただける皆さんに感謝いたします。
この古代の城壁の端にあたるエリアはスラムじみていたのだが、やはり開発が急にすすんでいる

城壁の外側に沿って北上すると、15世紀コンスタンチノープルの三重の城壁が現代でも見られる。畑や庭園になっている

今朝二番目の目的地は、金閣湾の奥に位置する★エユップ・スルタン・モスク

ここへは昨年9月に来たが、今回もまた面白い逸話を教えてもらった。
前回の話はここからお読みください


聖水


最初の場所が閉まっていたので時間に余裕ができた。金閣湾を見下ろす高台にあるロティ・カフェへ行ってみよう。斜面は昔から人気のある墓地になっている

この写真はロープウェイから撮ったもの。

良い天気で木陰のテーブルでひとやすみ

トルコにいるとこのチャイがおいしい。水が違うのかしらん

***
今朝、三つ目の訪問地は、元コーラ教会、モザイク画がすばらしいのだ



こちらからコーラ教会のモザイクをつくらせた人物についての話をお読みください。

****
すぐちかくで、今回の旅最後の食事を。オスマン料理でだそうだが、はじめて入った。前菜突出しにソラマメをクリームで練ったペーストとオリーブオイルにディル。パンにつけていただきます。
前菜二種
このオスマン料理についてはこちらに書きました。


最後にトルコ料理の幅の広さをしっかり認識させていただき、空港で今回ガイドをお願いしたケナンさんが手を振ってくれました。(^^)また、よろしくお願いいたします
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アンカラも見どころいっぱい

2013-04-29 10:28:52 | トルコ
朝、カッパドキアのホテルを出発。

バスに水をかけてくれるのは、「水のごとくおだかやに旅できますように」という意味だそうだ
やがて、標高3300mのハッサン山が草原の向こうに見えてくる。

この山とエルジェス山の二つの火山がカッパドキアの地形をを形成したのである。

アンカラへ行くのに二つルートがある。少し遠回りになるが、塩の湖を通るルートを選んだ。羊の群れと塩湖の中の島が蜃気楼のようだ。


塩湖に近づくには決められたバスストップに行かなくてはならない。そこでは当然お土産屋さんが手ぐすねひいて待っていた。昔はのんびり塩の塊をそのまま売っていたのだけれど、ちかごろはハンドクリームがウリらしい。

湖畔へ出る小道にそのクリームをお試しさせようと三人の男がとうせんぼ。おもわず手を出すと、ぺっとり塗りつけられ、両手にぬりたくるように言われる。クリームを洗う水道が近くにあってそこへいくと「すべすべ~」と言ってクリーム売ろうとするんです。

でもね、これって、「塩ですべすべ」というよりは、「脂分でぬるぬる」なんですけど(笑)

**
草原が終わり、アンカラの街に入っていくとき、昨年大破壊していたスラムの跡地に新しいマンション群が林立しているのが見えてくる。スラムは、かつて不法居住者が夜のうちに建てた家「ギェジェコンド=夜の家」がぐじゃぐじゃに斜面を埋めていた。変わればかわるものである。
※このあたりのはなしはまた別のところに書きます。

アンカラで訪れるべき第一は、建国の父アタチュルクさんの廟である(と、小松は思う)。アンカラ市内の丘のひとつを占めるこの場所は、古代の古墳があった場所。ヒッタイトのライオンが参道をつくっている

やがて、古代のマウソレウム(廟)をイメージした巨大な建物が姿をあらわす。

警護する兵士は日によって陸海空軍それぞれ。ちょうど衛兵交代していた。

廟の入り口を見上げると、トルコ絨毯のデザインをしている

天上へお迎えするという意味で絨毯柄になっているそうだ。

床はトルコ各地から持ってこられた大理石などいろいろな石をつかっている


ここにはアタチュルクさんの博物館が併設されていて、ゆっくり見ると一時間では終わらない。今日はさっとではあったが、通ってもらった。

***
アナトリア考古学博物館はアンカラ城旧市街へあがっていく途中にある。古い城壁のまわりにはまだ「ゲジェ・コンド=夜の家」がひしめいている


博物館はかつての隊商宿の建物

現在修復をすすめていて、一部しか開いていないのだが、それでも一時間やそこらはあっという間に経ってしまう見モノがいっぱいある。
ヒッタイト時代のライオンは舌を出していてかわいい

★昨年秋にはなかった(もしくは説明してもらう時間がなかったのか?)逸品は、フィラデルフィアから戻されたトロイの秘宝の一部。これは海の馬(ヒッポカンポス)

耳飾り

定番の展示物が見られないからこそ、地下のより新しいローマ時代の展示も見る事ができた。これは、アンカラという街の語源が、英語でもアンカーである「碇」であるという説の元になっているコイン

キリスト教伝説では、アンカラはノアの方舟が碇を下した場所だそうだ。

****
考古学博物館から急な坂を少しだけ登ると、三千年近い歴史があるというアンカラ城の城壁が見えてくる

雰囲気のある石の城門

ここからアンカラ城へ続く道はいったいどれだけの歴史があるのだろうか、かつてはここもスラムのような雰囲気だったが、近年ずいぶんきれいになってきた

つきあたり、城への入り口

城壁に逆さになった文字が彫られている。

古代の神殿かなにかの石材を再利用しているのだ。
こどもが近づいてきて「アレクサンダー」(と書いてあるんだ)と言ったが、そうではなさそうだ

彼女はこう言ってから「マネ、マネ…」と手を出した。観光客にお金を恵んでもらおうというわけだ。トルコの一般的な場所では、貧しくとも、こういう子供たちはあまりいない。ガイドさんの言うようにジプシーたちがたくさん住んでいる一角だからか…?

●午後四時に食事にした
え?そんな時間に?と言うなかれ。今日はちょうど夕飯の時間に飛行機に乗るのである。イスタンブルについたら遅いから食事などしない方が良い。そのために、お昼の時間はとらず、ドライブインでの間食でしのいでいただいた。
城壁内の「ワシントン」という店は、もともとアメリカへ働きに行ったトルコ人がはじめたのだときいたことがある。外国の要人(写真に写っているのは小泉当時の日本首相)もやってくる

テラスからアンカラの市内が一望できる
前菜とってもおいしい肉の盛り合わせ!前回、五年前?だったかに来た時には、その日昼食も食べていたので、全部食べられずとても残念だったのです。アンカラワインとともに

*****
イスタンブルへいく機内でもこんなにでちゃいました夕食つけなくてよかった(^^)
空港からホテルへのバスでは、運転手さんが小学生ぐらいの息子さんを連れていた。おとうさんの仕事をちょこっとお手伝いもしていて、ほほえましい。嬉しそうなお父さんと、照れ臭い息子さんのショットです
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カッパドキアを楽しむ日

2013-04-28 13:51:09 | トルコ
朝五時過ぎにホテルを出た気球オプションは、七時半にホテルへ帰着。ゆっくり朝食を食べて、九時から観光へ出発!
最初は地下都市へ

近年大人気で=大混雑する。今日は早く行ったから待たずに入れたが、混雑時には入場待ちの上、地下の迷路を腰をかがめて上下しながら渋滞になる。

入口周辺はお土産モノ街ネコが店番?青い目玉(ボンジュクと呼ばれ、ルーツは古代のメドゥーサの目に遡るお守り)の上を動きません。


ジャガイモを丸ごと長いスライスし、油で揚げてチップスにして売っている。しっかりした食感でおいしい


**トルコ絨毯は買わなくても一見の価値がある。店のど真ん中にあるアタチュルクさんがデザインされた絨毯

***
ガイドブックにも必ず乗っているパシャバーという場所へ。ここもバスが止まる周辺はお土産物屋がずらりと軒を連ねている。のびるアイスクリーム屋さんも日本語で声かけてくる。

しかし、お土産物やアイスクリームにばかり時間をとられているのはもったいない。自分の足で少し登っていくと、ほら、すばらしい白い砂と青空に出会えた(^^)



****
昼食は「シナソス」という街へ。
「シナソス」はギリシャ系住民時代が住んでいた頃の名前で、現在の名前は「ムスタファ・パシャ」という、アタチュルクゆかりの名前に変えられている。

以前、この↑レストランを紹介してもらって美味しかったのを記憶していたので今回もリクエストした。
サルマ~葡萄の葉でコメや穀物に味付けしたものを巻いたもの

トルコ、ギリシャともによく見かける料理。ここのは特においしかった。

丘の上にはまだまだ廃墟の村が残っているが、下の広場あたりは観光地として整備されている。
食事の後、中庭の東屋でチャイを

村に残る教会だった建物。
なぜ?いつ?ギリシャ人たちは村からいなくなったのか?

この村に住んでいたギリシャ人が追放されたのは20世紀前半。
トルコが共和国として独立を果たした時。

ギリシャに住んでいたトルコ人が追放されたのと交換のようにして、トルコに住んでいたギリシャ人たちは追い出されたのである。

共和国トルコは「政教分離」だった筈なのだが、やはりギリシャ正教徒のギリシャ人たちと共存し続けることは難しかった。
内戦で殺しあった異民族・別宗教のギリシャ人たちとのわだかまりをそう簡単にはなくせなかったのである。

*****
カッパドキア観光の定番「ギョレメ野外博物館」へ。近年ここもすごい混雑になってきたので、グループでそれぞれの教会内部へ入場することが禁止された。現在は外でガイドさんが説明した後解散し、各自で入場する。

******
混雑する定番箇所ばかりまわっていては疲れる。写真撮影でバス移動するよりも、一か所強く印象に残る場所を歩く方を選ぶ《手造の旅》であります。以前訪れた「剣の谷」をリクエストしたのだが、あまり行かない場所なので運転手さんも戸惑い気味。毎月来ているわけでもない小松も正確に道案内はできないから、しばらくおまかせしていたら、見覚えのあるばしょの近くまでバスが入って行ってくれた。ここからならしばらく歩けば、「あの場所」へ行けるに違いない。「みなさん、歩きましょう、すごい風景が見られるのを約束します」いやがるガイドさんを引きずって((笑)そんなことありませんが)、歩き出した。
ここ!
夕陽に染まる、間近に見上げる岩

天気によって来られないかもしれない場所だと、日本のツアー行程には入れられない。こういう馬での観光も楽しそうですねぇ。
おかあさんの畑仕事をおてつだい?


******
夕方ホテル帰着。斜面に建てられたホテルの夜景

朝早かったけれど、ご希望の方はさらに、ベリーダンスの夕べへ。
民族舞踊
そして、ベリーダンスのおねえさんが登場
「ちょっと、いらっしゃ~い」呼び出された男たちは・・・こんなことあんなこと

カッパドキアの夜はふけてゆきましたとさ
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カッパドキア気球フライト

2013-04-28 06:46:32 | トルコ
**
午前5時10分、ホテルに迎えのバンが到着
ギョレメの街にある気球会社のオフィスにてお金を払い、簡単な軽食と、ここでかならずトイレを済ませましょう。

車で15分ほど走ると気球が飛び立つサイトに到着。
ここへ到着するまでにもたくさんの気球がフライトの準備をしていたし、すでに飛び立っている気球がいくつも見えた。

バルーンに熱い空気を送り込む為のバーナーと巨大扇風機

明けゆく空にゆっくりと巨大な風船が立ち上がると、そろそろバスケットに乗り込む。

このバスケットのふちが高いので足があがりまへんわぁ(笑)

今回十五人、全員が乗り込んで、キャプテンがさらにバーナーを開ける。
頭の上でごうごうと炎の吹き出る音がして、頭が熱くなる。

しばらくすると、音もなく浮き上がるバスケット。風と共に動くから、時折のバーナーの音以外は無音なのである。足下にまだ地上にある気球から手を振る人
昇る太陽が大地を赤く照らし、そこに我々の乗った気球の影が移動していく

変化に富んだカッパドキアの地形は気球から楽しむに最も適しているといえるだろう

洞窟住居に住む人々はまだまだいる。

気付けば、三百六十度まわりにおびただしい数の気球が浮かんでいる(@_@;)
八十まで数えた方があったが、その数は百近いだろう。
パイロット曰く、最盛期は百五十にもなるそうだ。

はじめてカッパドキアで気球にのった十年前には「大空の孤独」という風情さえ感じたのに…
今は百以上の気球がいっせいに飛んでいる。



それでも、この気球には乗る価値がある。
何度でも。

45分ほどのフライトの後、降下体制ににはいる。
今日はほとんど風もなく、練習していた「ランディング・ポジション」をとる必要もなく、なんと、地上で迎えにきた車が引くバスケット用の台車の上に直接着陸したのであった。

バルーンの頂上を開き、熱い空気をにがしてゆく。

バスケットから降りるのにも足があげないと…こうしてだっこしてもらいましょうか(笑)


気球フライトの後、恒例のシャンペンタイム。
一応イスラム圏のトルコではノン・アルコールでありますが。
キャプテンがようく振ってポンっと開けると勢いよく噴出した。

大満足のフライトを終えて午前八時前にはホテルに戻り、
シャワーして着替えて朝食。

今日の観光はゆっくりスタート。
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カッパドキア~夕陽のウチヒサールが美しい

2013-04-27 08:58:36 | トルコ
《手造の旅》6日目、午後、まだ陽の高い18時前にホテルへ到着。洞窟ホテルは近年新しく施設の良いものがオープンしている。ここも十分な設備で快適。日本人の求める熱いお湯も充分すぎるぐらい出た。構造上へやの造りはそれぞれ違う

荷物を置いて、夕方の散歩へ出発。街を楽しむ為に、ホテルを街中に選ぶ事は大事。
このホテルはカッパドキアの自然城塞の中でも最も高く大きいウチヒサールのすぐ下にある。せっかくだから登り行こうじゃありませんか。入場料ちょっと払ってえっちらおっちら十五分ほど。頂上にはトルコの国旗凝灰岩の大地を風雨が浸食してできた土地だという事が眼で理解できる風景がひろがる


ウチヒサールから降りて歩き出すと、さっきまで登っていた頂上が夕陽に赤く染まっている。
歩き出して、思い出しが場所がある。2008年の《手造の旅》で選んだホテルがこのすぐ近くだった。そこのテラスからはとてもきれいにウチヒサールが見える。今はちょうどきれいな時間だろう、行ってみよう。

路地を曲がり、そのホテルは変わらずそこにあった。ああ、すばらしいタイミング。

夕食はここで軽くにしておこう。いくつか注文したメニューで当たりだったのが、トルコのスナック「ギョズレメ」小麦粉を焼いた生地にチーズが挟まり溶けている。イモや野菜の入ったものなど、いろんなヴァージョンがあるらしい。ウチヒサールの周辺でつくられたワインと共においしいくいただきましたお昼をしっかり食べたのでこれで充分、健康的。明朝は気球ライドの予定だから節制しておきたい。
ホテルへの帰路、振り返ると、さっきまで居たテラスが夕闇に暮れようとしてる
モスクの尖塔と緑色のライトが藍色の空に美しい
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