旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

中正記念堂、故宮博物院、そして松山空港へ

2019-02-21 20:45:59 | 台湾

「衛兵交代がはじまっちゃう」
蒋介石を記念した巨大な中正記念堂は1980年に完成した↓

↓内部へ急ぐ

↓巨大な蒋介石の座像の前で

ビシッとした衛兵が交代儀式をしている↓


交代が終わると柵がどかされ、座像の前に立つ。
↓ワシントンDCのリンカーン記念堂を思い出させる。あれは1922年建造。その時代なら「あり」だったと思うけれど…

頭上には「青天白日旗」↓

↓外にでると「自由広場」がひろがっている↓

↓「以前は『大中至正』と書かれていたんですよ」とガイドさんおしえてくれた

それは国民党から民主進歩党へ政権交代が実現した時に実施された。
★「中正記念堂」も、その時には「台湾民主紀念館」と名前を変えられていたのだそうだ。

記念堂内部の展示の中に、日本が中華民国政府に降伏文書を渡す場面があった↓
↓1945年9月9日南京にて↓

中華民国の首都は今でも南京とされている。
※台北ではないのです
↓日本の降伏文書↓


蒋介石の乗っていたキャデラック↓

愛車かとおもいきや、これは重すぎてスピードが出ないと分かり、たった一度しか乗らなかったとは。




***
故宮博物院へ向かう。
台北の中心部から北へ三十分ほど。
夜市で有名な士林へのMRT剣潭駅のそばを通る。

↑この線路の計画が持ち上がった当時、地元住民は風水を乱すと大反対したが、それを説得するために龍のカタチにしたのだと、ガイドさんが説明してくださった。ほほう。

↓故宮博物院到着

内部は専用のイヤフォンガイドを装着↓

↓最古の青銅器から

↓これはアイロンだそうな

↓玉の円盤

↓日本の貴族が持った尺にも影響をあたえた

↓西太后がつかっていたついたて

↓有名な象牙のボール入れ子

↓同じく入れ子になった木製の杯

サイの角をつかった杯


↓スタンプを手に押してもらって一度出て
すぐとなりに出来たレストラン棟へ

昼食時間をぐっとまわっていたのですぐに座れた
↓お得な定食

↓タンツー麺を注文した方いわく「台南の渡小月とは違う…」

↓この二色麺おいしかったです


食事の後ほんの二十分ほどだが再入場して特別展を見てきた

16世紀から19世紀にかけて欧米人が描いた台湾島の地図や民族がおもしろかった

↓ここは土着の部族が乱立する密林だったのか


****
空港へ向かう前に、印象的なホテルを外観だけお見せしようとおもった。
↓丸山大飯店↓

↓内装よりもやっぱりこの立地と雰囲気がここのウリでしょう


*****
台北の松山空港↓市内からほんとに近い

さらに、今晩のフライトは台北・松山✈羽田空港 なんと二時間十五分だった!



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台湾総督府見学

2019-02-21 09:17:49 | 台湾
帰国日。一般的な台北観光で訪れる場所も。
だが、最初に行った総督府の見学は半日観光では行けません↓総督府の塔を中庭から見上げたところ

日本統治下の1919年に完成したというから今年でちょうど百年。
全体のモデルが展示されていた↓

内部見学には身分証明書が必要。我々はパスポートを提示。
日本人には日本語の専属ガイドさんがついて案内してくださる↓

↑今回はソニーに三十年お勤めされていたという品の良い紳士にご案内いただいた↑
↓先代の馬英九総督まで三代が実際に使用していたデスク↓

↓蒋介石にはじまる歴代総督の肖像とストーリー

中華人民共和国からの観光客も今は見学できる。
選挙で国民党→民主進歩党という政権交代を実現してきた話を興味津々で聴くのだそうだ。

台湾はFORMOSATという人工衛星も持っている↓

ポルトガル人が台湾島を呼んだ名前がこんなところにつかわれている。
FORMOSAT5からは台湾の技術でつくられているとのこと。

企画展示では「台湾の島」の紹介をしていた

中国大陸からすぐそこの金門島などの他にも
一村しかないような小さな島がいくつもあるのを知った。
訪れてみたいです。
↓郵便局があって、ここでしか売られていない総督と副総督の顔を漫画化した切手、買っちゃいました

↓独身女性総督の蔡英文氏を漫画にしている
↓愛猫家なんだそうな

↓出口のところでこんなだまし絵↓総統と副総統が顔をだしておられるのをバックに↓




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十分でランタンあげ

2019-02-20 21:00:00 | 台湾
大混雑の九份からやってきた十分はびっくりするほど空いていた。
これなら待たずにゆっくりランタンがあげられます(^.^)

↓ほんとにこんな線路であげるんだ

↓電車は一時間に一本ときいていたが、我々の滞在していた三十分ほどのあいだに二本通った。

↓ランタンは赤一色ではない。願い事によっていろいろ選べる

↓えらんだら、相応しいお願いを各自書きましょう↓
コレがねぇ…年齢がいくと、なかなか書けない。この先に何かお願いすべきか…(笑)

↓今日は空いているけれど、混んでいる時はここが↓いっぱいになるのだろう

書き終りましたー、とアピールすると飛ばす係りの人が線路につれていって、
カメラを預かって指導しながら撮影してくれる↓
「はーい、まわして!」

これが実に手際よくて、到着して十分ほどのあいだに飛ばし終えてしまったわれわれ
↓線路沿いを歩いていると、回収したランタンの骨を再生している人にであった↓

↓連れているのは犬かと思ったら豚ちゃんでした

↓そのうち若い日本人四人組がやってきて、こんなお願いかいておりました

↑どんどん願いがうかんでくるなんてうらやますぃです。
**
★十分という名前は九份とは関係なくつけられた名前。「じゅうぶんなんでもそろっている街」という意味合いでつけられたんだそうな。

***台北へもどって、もうちょっと食べに行こう

言わずと知れた小龍包の名店。

十五分ほどの待ち時間で座れた。
注文したのはワンタンスープ↓

↓小龍包

↑黄色いカニのかたちが入っているのは「カニ味噌味」
↓ひさしぶりに食べてみて、皮がしっかりしていて破れにくいのに気付いた↓

↓さいきんはこんな種類もあるんですね

↓シュウマイもいただきました


リージェントへ帰着


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九份は鉱山の街だった

2019-02-20 17:00:00 | 台湾
九份というとこういう光景を思い浮かべるだろうけれど

小松がもっとも印象的だったのはそこへ至る道でいきなり見えてきた黄色い川

この流れがおもいっきり地表へ出ている場所が滝になっていて、写真スポットである

この滝は「黄金瀑布」と呼ばれている。
それは金色だからというだけではない。

★九份はもともと九世帯しかない寒村で、港から村に送る荷物を「九家の分」と言っていたことからこの名前になった。
清朝末期の1890年、そんな寒村近くを通る基隆⇔台北間の鉄道建設中に金塊が発見された(※15世紀から金の存在は確認されていた)。
1893年九份の金鉱脈発見。
隣接した「金瓜山」でも1894年にも金鉱脈発見。
ゴールドラッシュがはじまった。

↓基隆から海沿いを走り、九份への道を登りはじめるとすぐに、なんとも言えない廃墟が見えてくる↓

「4㎞先に黄金博物館」の看板がある↑
さらに登ると前出の滝。
下車して写真を撮り、もうすこし登ると今度は地中からにょっきり突き出す円筒の建物が見えた↓

★日本統治下に入ってから九年の1904年には銅鉱脈も発見された。
1923年に銅は金の千六百倍の量が採掘されるようになり、地上六百メートルの入口から最深部はなんと海面下二百メートルに至る深い深い坑道が掘られた。
この三本の円筒形の建物は、その当時の地下精製所の名残だった。
九份は鉱山の急斜面に出来た、そこで働く人々のきびしい労働者街だったのだ。

1971年に鉱山は閉山となる。

寂れてしまった九份にスポットを当てたのは1989年公開の日台合作映画「非情城市」だった。
※小松はこの映画を公開当時に音楽(「S.E.N.S」(センス)が担当していた)に惹かれて観たのだが、当時は映画の本質を何一つ理解できていなかったのだと三十年して思い知った
***

急斜面に細長く伸びた街を見学するには細い道を登るか、降りるかするしかない。
小さめの車にしてもらったのは「降りる」方を選びたかったから。
標高六百メートル程の場所は半分霧の中↓

独特の商店街を歩きはじめる↓


夕方少し前、天気が良くなくてもこんなに混むのか




↓華文字、ヨーロッパでも時々みかけたっけ


↓そして、下りの階段に出る

↓中心部にある有名な茶屋さんで夕食予約をいれてもらっていた

晴れていれば海が見えるはずのテラスだったが霧の中

少し早目に夕食

↓夕暮れていくころになると、店の前の路地階段は提灯が灯る景色を見る人が立ち止った動きがとれない

みんなでつながって階段を下りて

下の駐車場で待ってくれているバスまでたどりついた




****
十分へ向かいます

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基隆~屋台めぐりと巨大観音菩薩

2019-02-20 12:00:00 | 台湾
巨大だ

基隆の港を見下ろす丘の上にある観音像には

にゃんともびっくり

台湾にはひと目見たら忘れられない印象を残すこういった寺がいくつもある。
**
野柳地質公園を出て、基隆に着くころちょうどお昼となった。
夜ではないが「夜市」が人気の街なのでそこへ行ってみよう。

夜は黄色いちょうちんが灯ってもっときれいなのだろうけれど、今晩は十分でランタン上げるから(^.^)
左右にずらりとB級グルメ群

通りの真ん中あたりにある廟を集合場所にしてしばし自由に
最初はどうしようか戸惑うけれど、すぐにどんどん味わってみる
まずは串にささった丸いこれ↓

↓トマト飴!

リンゴ飴より好き(^.^)
↓揚げパンの榮養三明治(栄養サンドイッチ)↓

↓これは長崎の角煮の様な

↓こういうごはん類も食べたいのだけれどすぐにお腹いっぱいになっちゃうのです

一軒に座るよりも食べ歩きたくなる

三十分だけれどじゅうぶんいろいろ楽しめました(^.^)

↑集合時間間際に甘く巨大なパンをおしえられて買いに走ったり(^.^)

バスが迎えにくるのを待っている時、おしゃれなお茶ドリンクの店がめについた女性たち↓

台湾らしくお茶にはこだわっているようす↓

お会計してから待つ
↓お待たせお待たせ

そして、車で冒頭の丘の上の廟にあがり、基隆の港を見下ろした。



飛行機が今ほど誰にも利用できるものではなかった時代、台湾の玄関はこの基隆港だった↑
今も当時の建物がいくつも残されている。

↓廟の入口

古くからある廟であるが

↓この高さ22メートルを超える観音像は1969年に建造された
ひとつの伝説がある。
建設された当時、その存在など全く知らないマレーシア人が飛行機の窓から巨大な観音様の姿を見つけ、写真に収めた↓

不思議なその写真を、マレーシアで仏像をつくっている人に見せると、
「これは基隆につくられている観音様だ」と教えられ、わざわざ基隆までやってきてこの写真を奉納したのだそうだ。


この廟のあるエリアは中正公園と呼ばれていて、近隣の人々の遊園地のように使われている

↓井戸のようなこれは?

↓水の中に回転している手がたくさん↓

↑コインをあの手の上に乗せられればよいのだけれど、なかなか難しいアトラクションでした(^.^)

***
午後は九份と十份へ行きます

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