旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

コペンハーゲン観光

2018-05-28 17:17:17 | デンマーク
朝の驟雨、しばらく車の中で待っていると止んだ。人魚姫像のところはいつもにぎわっている↓

デンマークの国造り神話「ゲフィオンの噴水」のところも↓

アンデルセンも好きだったニューハウン↓「新しい港」




小松がお願いして連れて行ってもらったのは市場↓シーズンのアスパラ、白も緑も両方↓
左の赤いのは「牛の心臓」という名前のトマト↓

↓サーモンはノルウェーから↓今回は買ってかえりませんでした(^.^)

↓この蜂蜜はコペンハーゲンの四つの別の地区からのもの↓


ドイツに占領されていた時代にも国内にとどまり、コペンハーゲン市内を毎日馬で巡回して市民を勇気づけたというクリスチャン十世王↓

※この時期の勇気あるデンマーク国王の逸話がこちらのページに書かれています
第二次大戦にドイツに占領された王国はデンマークだけではない。ノルウェー、オランダ、ベルギー、有事の際にこそ振る舞いが問われるのだ。

正午の衛兵交代へ。王室が日々の礼拝をおこなう「大理石教会」↓


広場で衛兵がやってくるのをまっていると、警官がガイドさんに話しかけてきた何か問題でも?と思ったらこんな紙を手渡す↓
↑中国語で書かれた「スリに注意」という紙でした↑

車でストロイエ通りの中心にあるロイヤル・コペンハーゲン前へ↓レンガの建物がそれ

ロイヤル・コペンハーゲンの代表作といえばこのフローラ・ダニカ↓写真ではなく本物の色の素晴らしさをみてほしかった↓

ロイヤル・コペンハーゲンの現在のシリーズはずいぶんアジアを意識している↓そもそも「小鉢」というのが一般的でないヨーロッパ。このボールは朝のシリアルに使うぐらい?↓日本で使うにはちょっと大きめだが…煮物ですかね↓

花瓶に「KINTSUGI」と説明してあった↓
↑いかにも「わざと割って金継しました」という感じ

17世紀のラウンド・タワーもちょっとご紹介して↓

近くのバッフェで遅いランチをしてホテルに戻る。

***
夕方、開園百七十五周年を迎えるチボリ公園へ↓


百七十五周年記念パレード、ディズニーランドのようなのを期待してはいけませんでした(^.^)↓

この公園は小さい敷地を十二分に活用して魅力いっぱいにつくられている↓

野鳥もたくさん、遊具もいろいろ
19時半からは園内のコンサートホールにて市民楽団↓入園料+50クローネ(約千円)で自由席

今日の演目はワーグナー、プロコフィエフ、バルトーク
定期的に行われるこのコンサートはチボリの年間パスを持っていれば追加料金なし。
「いつもきている地元の」といった年齢層高めの方々がいっぱい。
市民楽団なので演奏者の知り合いも多かったようだ。
どんな高名な遊園地でも・観光地でも、地元に住む人々に愛されている場所でなければ魅力は持続しない。


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クロンボー城、グルントゥビー教会、ロスキレ大聖堂

2018-05-27 10:46:17 | デンマーク
表題の三か所を見学してコペンハーゲンへ向かう一日。大きすぎない国土のデンマークだから可能な行程

オーデンセのあるフュン島からコペンハーゲンのあるシェラン島へ渡る橋↓

クロンボー城まで二時間少しで到着

海を挟んでスウェーデンが見える位置にある。かつては海峡の向こうもデンマーク領だった↓

※クロンボー城内部を見学した時の日記はこちら

ここでガイドさんと二国のEU加盟時期の話なった。
調べてみると二国のEU加盟は二十二年も離れていた。
★二国のEU加盟時期
デンマークは1973年。スウェーデンは1995年。

それは地理的理由による。地理と歴史は表裏一体である。
九州程の国土のデンマークはドイツと陸続きで経済的結びつきが強すぎる。
スェーデンは日本の1.2倍の国土を持ちヨーロッパ屈指の鉄資源を有し、それによって第二次大戦にも中立を守り得た。
言語も似ているし政治的・経済的な政策も似ている印象の北欧の兄弟国ではあるが、EUとの向き合い方は違えざるを得なかったのだ。
通貨統合においては両国民共にユーロ導入に傾きかけていた政府を国民投票という民意で否決。自国通貨の維持を決めた。
昨今のユーロ情勢をみると、正しい道であったようにみえる。

クロンボー城は監獄になっていた。その時期の名残がある↓

トイレにあった梁の木材はそのころからのものだろう

世界遺産になってから、より人を集めようとして、旧ドックをつかって海洋博物館を建設した↓

ゆっくり見学する機会がほしいです。

**
グルントゥビー教会、まずは少し離れてみた方がよい↓

※昨年訪れた時に堅信礼をやっていた時の写真はこちらから
周辺の住宅区も同時期に合わせて設計されたのでよく調和している↓

ランチに入ったカフェの内部も↓

完成したのは1940年、つまりドイツに占領された時期だったのか。

内部


***
ロスキレ大聖堂はデンマーク王家の菩提寺

10世紀に木製の教会だったものから改築に増築を重ね、現在の聖堂の古い部分は十二世紀後半・日本の平安時代末期にさかのぼる。

現マルグレーテ二世女王も自身が選んだアーティストによるガラスの棺に葬られることになっている↓写真だとサイズがわかりにくいがこれは三十センチほどのミニチュアモデル↓

葬られる予定の「聖ビルギッタ礼拝堂」↓

1412年に亡くなったマルグレーテ一世女王は北欧三国をまとめたカルマル連合の要とされる。彼女は聖ビルギッタを信仰した。マルグレーテは1353年生まれ、ビルギッタは1373年に没。マルグレーテが若いころにビルギッタに会っていたかもしれない。

現女王マルグレーテ二世の夫でフランス人のプリンス・フレデリックは今年2018年の二月に没したが、女王と共にここに葬られることは拒否したのだった↓
※CNNの日本語ニュースページ

大聖堂の中心にあるのは15世紀のマルグレーテ一世女王の棺↓

この棺は1423年に製作されたものと伝わるが、18世紀に装飾を外され1862年から1912年までに修復された(大聖堂の解説書)とある。
15世紀前半の彫刻にしてはえらく現代的に感じられるのだが、どこまで「修復」されたのだろうか。

この聖堂にはまだまだ見所がたくさんある。ゆっくり読み解いていくタイミングがありますように。

****コペンハーゲンへ向かう


夕食はホテル近くのベトナム料理へ予想した何倍もの大きさのライスペーパー春巻きエビにパクチーたっぷりでした。






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オレロップ体操アカデミー訪問2018

2018-05-26 19:19:19 | デンマーク
昨年に続き、今年もデンマーク国民学校・体育をメインとするオレロップを訪問
※2017年の様子はこちらからごらんください
その前に、オレロップの教会へ↓

1920年にここを創立したニルス・ブックの墓に立ち寄る↓ピカソより一才若い1880年生まれ↓

堂内でオルガンの音が↓メンテナンスをしながら弾いておられた

↓となりにクラシックな集会場↓昨夜はここで四十年前の卒業生が前夜祭をしたそうだ↓

**

オレロップ体操アカデミー到着↓

学生たちと同じランチをたのしむ↓

現校長のウッフェさんがあいさつにきてくれた↓卒業生の田中さん(左)と共に、我々をゲストとして迎えてくださった方↓

けっしてゆたかでない学校の財政だが、彼のアイデアでスポンサーがついて活動の幅がひろがっているそうだ

現役生のエキジビションがはじまった↓

今日はとても天気が良いので屋外で↓

昨年体育館でやっていた時よりものびのびして感じられる↓

実は、現在体育館が大拡張の工事をしているということで。晴れて本当によかったです。
エキジビションの最初と最後にはかならずデンマーク国旗が先導する↓

こういうタイミングでデンマーク人は自然と立ち上がって敬意をあらわす


ティーブレイクの後、エリートチームの発表がはじまる↓
こちらはより創作的な内容↓ちゃんとメッセージがある↓
今回は「BOX」↓ということで↓

オープニングに分かりやすい英語でテーマが語られた↓
「BOX、人はしらずしらずのうちに箱に入れられている。性別、人種、年齢、学校…」
「ある時にはそこに選ばれ、他者を排除し・排除され、世界を分断する」
「そこから解き放ち、人そのものを見つめる世界にしていこう」
ただの体操を教える学校ではないのだ



18:45まだまだ真昼間。プールで飛び込み大会がこの日の最後のエキジビション↓















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オーデンセをふらふら歩く

2018-05-26 11:11:11 | デンマーク
※2017年のオーデンセ街歩きはこちらからごらんください午後五時ごろにオーデンセに到着して、ふらふら歩いて市庁舎前につく↓
アンデルセンは貧しい子供時代をこの町で過ごしたが、六十二歳でオーデンセの名誉市民となり、この市庁舎で民衆の歓呼をうけた。「故郷に錦を飾った」のだった↓

★オーデンセの紋章⇒北方神話に出てくる神の名前「オーデン」からきている
**
夕飯、「もうサンドイッチじゃないほうがいいねぇ」ということでスープ屋さんへ入るちょいとアジア風のようだがメニューの名前を読んでも・解説してくださいとお願いしても、よくわからない。食べてみましょう「MULLIGATAWNY」↓

野菜たっぷりのインド風なスパイスが入ったスープでした↑
チキンヌードルスープがこちら⇒
***
翌日、午前中は朝市とアンデルセン博物館へ↓この絵が描かれた建物は一般住宅なのだけれど、すごく記憶に残ります


きのう通過してきたランゲ島の蜂蜜↓

夏の蜂蜜は味も色も濃いい(左)、春はマイルド(右)
実際にどうか、日本で味を確認します(^.^)
↓えんどう豆はこちらでは生でも食べます↓

チーズはもちろんたくさんある↓


16世紀の家↓梁も傾いている。中はどうなっているのだろう↓

このエリアにも新しい建物は建っているが外観を他と合わせるように慎重に配慮しているのが分かる↓いちばん左にちらっとみえるのは本物の16世紀の家

アンデルセンの生まれた家のエリアは歴史的景観保護地区になっている↓




★アンデルセン博物館★昨年訪れた建物が改修にはいってしまい、オデオンのとなりに仮のものがオープンしている↓

むこう三年間はここで営業するのだそうだ。中国語の看板が併記されている。中国の人はアンデルセンが大好きで、今日もたくさんのグループが次から次へやってきた。

内部、入ってすぐに身長185センチのアンデルセンさんがお出迎え↓

↓旅を愛したアンデルセンの旅行バッグと、トレードマークのシルクハット用のケース↓

切り絵が得意で、
招かれたサロンであっというまに切ってはプレゼントして人気だった↓

↓このVRマスクでは何が見られるの?↓

↓アンデルセンが暮らしたニューハウン地区の部屋の雰囲気が見える↓

ニューハウン地区とはコペンハーゲン市内の人工港エリア↓こんな賑やかな界隈↓

寂しがり屋だったようにみえるアンデルセン、このエリアで何か所も住んでいたのだそうだ↓二階部分にパネルがついた赤い建物もそのひとつ↓

ここは三十代に住んだ場所だったが↓

アンデルセンの最後の住所もニューハウンだったと博物館で解説してあった。


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マリボーからオレロップ経由イーエスコー城

2018-05-25 15:08:17 | デンマーク
マリボーの朝、地元でとれるこぶりなリンゴはいつもおいしい

朝八時に出発したのは09:15発のフェリーに乗るから。クラシックカー愛好のグループがドライブしているのに出会った

ロラン島のいちばん西からランゲ島へのフェリーがやってきた↓

四十五分ほどの船旅

ランゲ(LONG)島(細長いのでこの名前がついた)のスヴェンボーは人気のリゾートタウンだが落ちついたたたずまい。

オーデンセへのハイウェイから西へそれてオレロップへ向かう田舎道↓

こういう何気ない道がとてもよく整備されていて心地よい。
国の底力とは観光地よりもふつうの場所にあらわれる。
**
オレロップはステファンさん宅を訪問する。
昨年と今回、小松がデンマーク旅をつくるきっかけになった田中さんの四十年前の同級生がお住まい。
昨年、ご家族で京都へ来られた際に小松もご案内させていただきました

海にむかってひらけた気持ちの良い敷地には柵などいっさいない。
安全に安心して暮らせる環境なのだ

テラスのウッドデッキはじぶんたちでつくった。
「注文してやってもらうとお金がかかるから」ということなのだが、デンマーク人のこういう「自分でできることは何でも気にせずやる」という気質は、人件費が高いことが理由でそうなったのだろうけれど、結果的にデンマークという国の総合力を高めていると感じる。
↓この真っ黒な樫の木はステファンさんのお父さんがずっと保存していたもの↓自分でこういうテーブルにしてしまったのだそうだ↓

どんなに高価なテーブルよりも、世界に一つのテーブルのほうが魅力を感じませんか(^.^)
窓辺にならんだオブジェはステファンさんがひろってきた流木をアレンジしたもの↓

この「アトリエ」からうみだされる↓

「世界一幸せ」と他者が認定する暮らしは、自分たちでなんでも実現させようと行動する国民意識の賜物だったんだ。

テラスの内側に軽食席を用意してくれたのは、日本人が陽の当たるところを避けるのを知っているから↓



↓チーズカッターの使い方わかる?↓


二時間ほど滞在させていただいて、イーエスコー城へむかった
***
途中に古い風車

18世紀ごろのスタイル?

イーエスコー城到着
ここは大変広い敷地でただ歩いてくるだけでも一時間はかかる


あ、アンデルセンさん↓


迷路の庭

ようやくお城がみえてきた

※昨年訪問時の様子こちらに書いています

天井裏の梁になんだかきもちわるい古い人形が寝かせてあって、「これ、なんでしょうね?」と横目で見ていたのだが…あとから資料を読んでみると、城に伝わる伝説の人形だった。
「この人形を起こすと城が崩壊する」
それでほこりまみれのなんだか気味の悪い人形がそのままにされていたのか。
写真、次回は撮ってきます。












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