旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ガウディへの新しい視点

2015-08-24 18:52:25 | スペイン
バルセロナ半日観光、午後から自由。

バルセロナ観光といっても、九時半にグエル公園の予約、十一時半に聖家族教会の入場が入っているのだから、実際には「ガウディ半日観光」のようになってしまう。

何度もおとずれている場所だが、新しい発見はあり得る。殊にガイドしてくださる方がちがえば、また違った視点でのお話をきくことができる。

★グエル公園は海からの風がとてもさわやかな朝のうちにおなじみトカゲちゃん
門番の家この建物の頂上部分の装飾は、なんとコーカップを逆さに埋め込んでいる。
拡大してみると…なるほどそうだ。

「ガウディは敬虔なキリスト教だったのでコーヒー嫌いだったとか」と、ガイドさんのお話し。へぇ~、ウラはとっておりませんが、ありそうなことかもしれませぬ。

★聖家族教会
中央に建設予定の塔はまだまだ立ち上がらない 左側の白い部分のゴシック尖塔の先にはフルーツのモザイクがきらめいている材料はヴェネチアングラス!ガウディ自身が指定した工房のものが指定されているのだそうだ。

ガウディ作の「生誕の門」の入口に、最近とりつけられた森をイメージする彫刻 日本人の彫刻家・外尾さんの手になるもので、細部にはこんな虫たちもみられる

このステンドグラスが完成したのもそれほど前の事ではない
圧倒的な天井

★カサミラ
午後から訪れたカサ・ミラは、現在入場料が€20.50もする。
ここに日本語ガイドシステムが導入されたが、聴いたことがなかったので、しばらくぶりに入場してみた。
中庭から見上げるそして、エレベーターで屋上へ出ると、つい二十年前までは簡単に見ることが出来なかった超絶の屋上風景に出会える。


通気口のアーチのひとつからは聖家族教会が見えるようになっているそして、もうひとつティビダボの丘にある教会も見えるようにしてあることを、今回のガイドシステムではじめて知った


屋根裏は1986年からの修復によって、ガウディのオリジナルに戻されている。

が、1980年代以前はここも賃貸住宅となっていたのだと、日本語ガイドの機械ではじめて知った。

ガウディ曰く「高貴な人が帽子や傘を持ち歩くように」断熱効果を考えて屋根裏をつくったのだそうだ。
そこにまで人を入居させてしまう、不動産屋さん。
こんな場所が、十三の区画に区切られて、居住用に貸されていたなんて。
いったいどんな部屋だったのだろう。

所有者がカイーシャ・カタルーニャに代わった1986年に修復がはじまり、1990年代に一般に公開されるようになった。
小松がはじめてバルセロナを訪れたころは、毎日整理券が配られて、限られた人数しか見学させていなかった。


居住フロアの天井のひとつなんとも微妙な波とちょっとジャパネスク・東洋的な雰囲気。

居住フロアの床
「あ、これはグラシア大通りのタイルと同じだ」と思ったが、もともとこちらの室内の床のためにデザインされたものだったそうだ。
イヤフォンガイドによると、バトリョ邸のためのものだったが、カサミラではじめて実際に使われた。

こちらは表のグラシア大通り1950年代にガウディに敬意を表してこのデザインになったそうな。
今日までこのタイルは、もともとグラシア大通りの為にデザインされていたのだと思い込んでいた。

ガウディについてのいろいろな新しい視点、これからも、いくらでも、発見することができそうだ(^^)










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モンセラ~カタロニアの聖地

2015-08-23 11:54:02 | スペイン
朝9時にヴァレンシアを出て、高速道路をひたすら北上。
ローマ遺跡の上に建設されたタラゴナの街近くを通る二度目のトイレストップで、カタロニア土産をガチャガチャには悟空のフィギアが顔がちょっと違う?

二度の休憩を含めたにしても、五時間後にやっとモンセラが近づく。

ここは見るからに「聖地」と感じさせる、独特の山である。

突然、雨がやってきた
日曜の聖地は渋滞にもなる。

標高は千メートルを超える。バスを降りてひんやりした空気を感じる間もなく、雨を避けてレストランへ。前菜のハモン・イベリコ、美味しゅうございました お皿もモンセラ

食事を終えて、すぐ前にそびえる修道院・教会へ。
今、目の前に見えている建物はナポレオンが破壊した後に再建されたものだそうだ。ロマネスク風だが「ネオ」ということになる。 

もともとは起源880年に、三人の少年が岩山に光る洞窟を見つけ、そこから「黒い聖母」を発見したことにはじまる。このフレスコ画は本堂内陣に描かれたその逸話いちばん左のパネルをごらんください。

その直後に建設された小さなお堂にかえて、11世紀に最初の大きな教会が建設された。その時の建物で現在目にすることができるのは、わずかにこの門だけ※写真の右側

今回モンセラを訪れるにあたり、確かめたかったものがある。それは・・・
★イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラが、騎士を止める決心をして奉納した剣。
剣を捨てて後、ここからほど近いマンレサという街にある洞窟で1522年から23年にかけて、祈りの日々をおくった。その時の体験がイエズス会をかたちづくってゆく思想の基礎となっている。
ガイドさんに訊ねると「ここにあります」と、おしえてくれました!
この暗い礼拝堂の壁に設置されたガラスケースに入れられた、鉄の棒のように見えるもの豪華でないところが、ホンモノらしい。ナポレオンは修道院の財宝を大量に強奪していったというが、その時にこの剣はただの鉄だったので免れたってわけですな。なるほど。

小松がこの剣を見たいと思ったのは、昨年11月に偶然マンレサを訪れる機会を得たから。
※マンレサ訪問の時の写真日記は⇒こちらからごらんください
高山右近のレリーフもあるのです。いえ、最初「高山右近を画いている」ときいたので、当日にコース変更したんですから。

ロヨラが剣を奉納した時のモンセラ教会は、現在の教会ではない。ナポレオンに壊される前のもの。

旧教会の内陣は、この写真の丸い石の場所。つまり、ここに「黒いマリア」が安置されていて、ロヨラはそれに向かって祈ったのだ。
すぐ横にロヨラの像がある

今見られる教会入口の中庭とファサードは、一見古そうだが、20世紀になってからのもの

内部。正面の一段高くなったところに「黒いマリア」がある★なぜ、マリアは黒いのか?
ガイドさんの話によると、もともとマリアが黒く塗られていたわけではなく、長年のロウソクの煤で黒くなってしまったのだろう、とのこと。さもあらん。
おもしろいのは、修復した時にあまりに白くなってしまい、皆が昔の黒い姿を望んだので、再び黒く塗りなおしたのだそうだ。

***教会の外へ出るころ、雨はあがり
雨にあらわれた山肌が銀色に輝いていた。この輝きを、昔の修道士たちもきっと楽しんだに違いない。

ふりかえって、青空の教会入口

モンセラの山には十二の礼拝堂が建てられてて、それぞれに向かうちょっとしたトレイルがあるのだそうだ。
この崖の突端の十字架もそのひとつ。このあたりを歩く《手造の旅》企画してみたくなりました


●余談
入口向かって左手に一部だけ16世紀末の中庭柱廊が、破壊を免れ、残されているここは、三十代のジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ=後の法王ジュリオ二世(ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂を画かせた)が修道院長をつとめていた時に建設された。
彼のファミリーの紋章である柏が刻まれている


******
バルセロナのホテルに到着して三十分休憩。
19時半に再びバスで港のレストランへイカ墨ライス、おいしゅうございました




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ヴァレンシアのアート&サイエンスセンター

2015-08-22 10:21:23 | スペイン
一昨年「ヴァレンシアの火祭り」で訪れた時、全く予備知識なく出くわしてびっくりさせられた建物。
今回はヴァレンシアはまったく観光時間がなかったのだが、ホテルに到着して夕食までの時間で、とにかく見ておくべく訪れた。

写真だけ、どんどん載せておきます。サンチャゴ・デ・カラトラーバの建築だというのはひと目でわかったが、その他の事はぜんぜん理解しておりません。またひとつ宿題。
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アルハンブラ、楽しめました

2015-08-22 09:33:45 | スペイン
たいてい大混雑しているアルハンブラ宮殿だが、今朝はなぜか空いていた。当日チケットを購入する個人客の行列は変わらずすごかったのだが、中に入るとそれほどでもなく。

「大使の間」を、いつもこんな風に見学できるといいんですが
我々一行の人数も、今回はたまたま七名+小松だったのです。天井の寄木細工は8017のピースからなる。これはコーランの詩句の数と同じなのだそうだ

色がよくのこった「裁きの間」の柱
下は「ライオンの中庭」へのアーチ部分


キリスト教時代になってからつくられた天井は、壁のイスラム装飾の部分と並べてみると武骨な印象となる⇒

スタラクタイト様式の美しさ


壁の装飾も、イスラム時代のものばかりとはかぎらない。
下の写真のタイル部分はキリスト教時代になってからセビリアで焼かれたタイルだそうだ。


●ラインの中庭
ライオンの噴水のまわり、最近大理石の床になってしまった。この方が観光的には人をさばきやすいのだろう。
が、イスラム時代にはオレンジの木が全面に植え込まれていたという説を読んだことがある。このほうがしっくりくる。緑のオレンジの海の真ん中に、このライオンの噴水が浮かんでいる図、見てみたいなぁ

****
アルバイシン地区を見晴らす ヘネラリーフェの庭 ★「この庭は1931年にイタリア風につくられました」と、この年号を示して、重要な解説をしてくれたガイドのアルトゥーロさん。イスラム時代の庭ではないということを、しっかり認識しておいがほうがよい。

●この窓からの風景も昔のままではない⇒こちらに書きました。

アルハンブラ入場券途中で何回も使うのでなくさないように。

イスラム時代と現代と、ほとんど変わらないものは、この水路今でも、シエラ・ネバダの雪解け水を流し続けている。この水があったことが、アルハンブラを他にはない魅力的な場所にしたのだ。
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ミハスとフリヒリアーナ

2015-08-21 13:41:03 | スペイン
内陸のセビリアを出てオリーブ畑の中を走るマラガから地中海に出て、三十分ほどでミハスの街に到着。

バスの駐車場近くには、今日もフアンさんのアーモンド蜂蜜のお店歳をとってから、こんな風に日々を淡々と楽しく人と触れ合いながら生きてゆけたらいいだろうな、と思わせる

サン・セバスチャン通りの入口にあるサン・セバスチャン教会

坂を上って小さな闘牛場前に到着。今日は人数も少ないので、みんなで中へ入った。主催者席からは闘牛場だけでなく、山の斜面に広く広がる街が見晴らせる。




上から見ると、角のある牛が見えた。ポスターには今週末に闘牛が行われるとあったから、そこに登場するのだろう

お昼に海鮮フリット

***
午後、もうひとつ「アンダルシアの白い街」フリヒリアナを訪問。

「白い街」は、ギリシャの島にも南イタリアにもある。これまでもたくさん訪れたので、正直に言うとそれほど期待していなかった。けれど、なかなかに歩くに楽しい街(^^)

駐車場近くにはかつてサトウキビから蜜をつくっていた工場がある道が分かれるところから高台への階段を選ぶ 街角に突然こんなゲーム?50セント入れると舞台装置の様にスクリーンが何枚もあがってきて…最後にあらわれたのはこの建物が売りに出ているという表示でした(笑)

街の歴史を表しているタイル画がたくさん1498年のグラナダの最後のイスラム王朝が陥落した後も、ここはイスラム教徒達の街だったが、七十年後の1568年にキリスト教徒によって掃討されてしまった。絵のタッチはほのぼのとしているが、そういう内容を描いているのだった。

その後に建設されたサン・アントニオ教会坂道の途中から細い家の中をとおり屋上のカフェでひとやすみ。

こういう時間が少しでもとれれば、街がじぶんの中に沁み込んでゆく


***ふたたび高速道路へもどる。こんな白いハウスがたくさんみえた⇒これについてはこちらに書きました。

今夜はグラナダ泊。
22時からの洞窟フラメンコショーアルハンブラの夜景

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