旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

クリスマスのストラスブールでミュージアムへ行く

2013-12-11 13:35:50 | フランス
シュトットガルトからアルザスへの途中、また雪である ライン川を渡る頃には小雨になっていた。ここからフランスに入る

バスはエトワール広場まで。市内への道はどこもクリスマスの飾りランチはアルザス料理シュークルート=ドイツのザワークラフトです

午後、地元ガイドさんと街をめぐる。聖トマス教会はプロテスタントの中心となっている13世紀からの建物。ここにあるオルガンはモーツァルトもシュバイツァー博士も演奏した。
この教会の主祭壇部分にあるのは、祭壇ではなくひとりの将軍の墓。ルイ15世に仕えたフォン・ザクセンはプロテスタントだったので、こちらに墓を持つことになったということ。

この彫刻は以前にも見ていたが、作者のピガールという人物について、はじめて注意してみた。そうか、パリの「ピガール広場」は、この人物にちなんで名づけられていたのだ

街はクリスマス市だが、ずっと気になっていた★レーヴル・ノートルダムという博物館を訪れた。ここには大聖堂を飾っていたオリジナルの石彫がある
門柱を飾っていた柱の像
猫をモデルにしただろう遊ぶライオンの表情が、人物以上にいきいきしている。


動物を描くときには制約が少なかったせいか、この種のものには時を超えた「カワイイ」表現がたくさん見つかる。この14世紀の犬、どうでしょ?(^^)

大聖堂の破壊されたポータルにあった彫刻のひとつ。壊れているが見事な手の表現

ここでいちばん印象的だったのは、15世紀にオランダから大聖堂建設に参加したニコラスという彫刻家の作品。「黙想する男」は、ロダンの「考える人」を思い出させる。


「ターバンを巻く老人」は、かつて彩色されていた名残がみられる横顔も完璧

このミュージアムは途中にいくつもこんな吹き抜けの場所がある。もともとの中庭やテラスだ。

★これだけ秀逸な彫刻をも、ことごとく破壊されたのは、二つの時代背景が理由になっている。
ひとつめは17世紀はじめの宗教戦争。もうひとつはフランス革命。
特に後者はフランス中の教会や修道院に壊滅的な破壊を招いた。

**
午後五時半、表はすっかり暗くなっていた。
観光の時に歩いた道々が、まったく別世界のように美しくライトアップしていた。
●大聖堂前

●昔、ローマ時代の通りと重なる道も

●グーテンベルグ広場~15世紀、マインツ生まれの印刷機の発明者は、この街で活躍した。

●クレベール広場~ナポレオン軍団のひとり、クレベール将軍はアルザス人であることを誇りにしていた。この広場の建物の一つをつかってプロジェクト・マッピングが行われている。三十分毎、一回十五分。




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ハイデルベルグ⇒ルードヴィヒスブルグ

2013-12-09 13:03:51 | ドイツ
昨夜JAL407便にてフランクフルト到着、バスで一時間ほど走りハイデルベルグ泊。

朝、朝食へ出ようとドアを開けたら、ノブにこんなものがひっかけてあった
こちらに説明書きました。

出発前の天気予報はよくなかったが、すっきりと晴れている
ハイデルベルグ城入口ここにもクリスマス市の小屋が出るようになったが、朝9時過ぎはまだ閉まっている。

テラスから見る旧市街、今年は雪がない。ほんとに年によって全然違う

こんな丸太を持って行く人とすれ違う。

ガイドさん曰く
「今日は、結婚式があるんですね。新郎新婦がはじめての共同作業として丸太切りをさせられるんです」「その太さ加減が大事で、あまり太すぎると二人がほんとに疲れてしまうし、細すぎるとなんだかしょぼい初共同作業になっちゃうし(笑)」
なぁるほど、このぐらいがちょうど良いのですね。

世界最大の木製樽それを制作したコンパスと、番人のイタリア人小人ペルケオの像

ケーブルカーで旧市街へ降りて、アルテ・ブリュッケへ

昼食後、シュトットガルトの外郭都市であるルードヴィヒスブルグへ向かう
***
途中に飛行機の博物館、見えているのはコンコルド二機の背中

ルードヴィヒスブルグは1704年に、ヴュルテンブルグ侯爵の気まぐれから建設がはじまった都市である。※地元の観光案内に「気まぐれにより」と書かれているのです。
日本なら赤穂浪士討ち入りの二年後。ヨーロッパはヴェルサイユ宮殿の様式が大人気になってきた時代。これをまねた宮殿と庭園がたくさんつくられていった、そのひとつ。

広い道を挟んで向かい側に「森のホルン」という名前のホテル・レストランがある。ここはなんとモーツァルト父子やゲーテも投宿したのだそうな。


ルードヴィヒスブルグの宮殿は、庭園をつくる関係からか、川に近い場所にある。人々が住む町の方は丘の上になっていて、そこに四角い美しい広場がつくられた。
広場に面している教会にはEとLの組み合わせ文字がよみとれるこれはエーベルハルト・ルードヴィヒが彼のイニシャルを、街で一番高いところに掲げたかったゆえの装飾。

一時間ほど、クリスマス市で自由時間。
あ、キノコのロースト…グリュ・ワイン(赤ワインのホットカクテル)と共に


シュトットガルトのホテルには夕暮れの16時半ごろ到着






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