旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

三崎町を歩く

2020-10-31 08:15:48 | 国内
城ケ島の灯台が「三浦大根」だったと、ガイドさんに言われてはじめてわかった。

よく見ると、根元が緑色でたしかに大根のよう(^.^)

107点の公募から選ばれ、今年2020年3月に完成した。

↑旧安房崎(あわさき)灯台は、1962年に建設され岩礁の上に見える白い丸い円の場所にあったのだそうだ。これがそれ⇒


通常の光源とともに、近くの岩礁を照らす光を照射する最新型。

東京湾への入口、対岸にぽこんと見えるのは千葉の鋸山。
**
マグロで有名な三崎。

冷凍マグロがクレーンで降ろされているのにいきあった。

なんと富山からの漁船だった。
漁師はサカナの価値を理解して高く買ってくれる人がいるところに持っていく。
三崎にはそういうマグロの買い手がいるから船も集まってくる。

冷凍マグロは湾をはさんだむこうがわの倉庫に貯蔵され↓

朝8時から競りがおこなわれる。
※2020年10月末現在、感染症対策の為非公開となっている
2021《手造の旅》では、加工業者さんを見学させていただけるようにお願い中



港をめぐるグラスボートが運行している。
乗船客が餌をあげるので鳥がついていく。

「うらりマルシェ」

二階の野菜コーナーで季節の野菜を選ぶのも楽し。

大根菜、根元にちいさなちいさな大根が出来はじめていた(^.^)

シラスと舞茸と共に刻んで炒めた。

こちらもおいしく漬かりました
アスパラ菜は豚肉と
三浦半島の野菜作りをめぐるのもおもしろそう。


一階に置かれた木彫に目が留まった。
解説によると、円空が大好きな方が流木を掘り上げたのだそうだ。
すごい迫力です(^.^)
この方は近くで創作料理のレストランもされていときいた。
一度行ってみたいです。

古い町並みも是非歩こう。

関東大震災で地盤が1.5mも隆起したが、それ以前は海に面した建物から釣ができたという。
↑創業明治四十一年の「三崎館本店」
はえ縄漁でかかったマグロがシャチに食べられてしまい、残ったアタマだけを料理にした苦肉の策が「カブト焼」のルーツなのだと、ガイドさんがおしえてくださった。

村の中心、少し高台の海南神社へ

雰囲気良い境内に巨大な「えびす様」?

いえ、この方は、元祖「天皇の料理番」とされる「七掬脛(ナナツカハギ)」。
ヤマトタケルが東方遠征をした際に膳夫(かしわで)として随行した。
日本武尊(ヤマトタケル)の父=景行天皇の御世の事ととされる。
それだけの歴史がある神社なのである。
※この絵を描いたのは、旧一万円札の聖徳太子を画いた画家さん。

↑境内には龍が!見えました?

源頼朝お手植えという伝説の御神木

★チャッキラコ奉納祭(ユネスコにより世界文化遺産に指定)は、この境内で1月15日に行われる

※2021年は中止が決定
街中の古い蔵の家がその記念館になっている

わざわざ開けてくださった。

内部にも蔵がいくつもあるたいへん面白い元商家

奥にお祭りを解説した部屋があった

開催されたらぜひ《手造の旅》で訪れます

街の女の子たちが着飾って、お母さんの歌とともに踊る。
受け継がれている木遣りが一聴に値すると、ガイドさんが力説。

雨の日は境内の神楽殿で行われる。

有名寺社の有名なお祭りが見学しておもしろいとは限らない。
地域の人にていねいに受け継がれてきた小さなお祭りこそ、
《手造の旅》で訪れるべきものだと思っている。
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シャガール美術館とサン・ポール・ドゥ・ヴァンス

2020-10-29 10:43:11 | フランス
2004南フランスの旅より
シャガールは晩年の二十年をニースに近いサン・ポールですごした。

城壁にかこまれた丘の上の街だが、海からも七キロほどである。

ニースから二十キロ。バスが頻繁に運行している。
★シャガールの絵の中に登場する町のシルエット

上半分がここサン・ポール・ドゥ・バンス。
下半分を上下逆にしてみれば、
彼が二十歳まで過ごしたベラルーシのヴィテブスク村のシルエットになっている。

町はずれの水道橋と

ちいさな墓地

シャガールの墓がある

お参りに来た人が小石をひとつのせるのがユダヤの習慣「ミツヴァ」のひとつ。
かつて、立派な墓石などつくれなかったユダヤ人たちが墓の場所を忘れられないためにおこなっていた習慣のなごり。
ここに一緒に葬られているのは二度目の妻ヴァレンティーナ。
愛称ヴァヴァ。ニースのシャガール美術館に掲げられた彼女への賛美。

「愛しきヴァヴァ、私の喜び、私の楽しみ」

ここで画かれる相手はヴァヴァなんだろう。
初期によく描かれる恋人たちは最初の妻ベラと自分だと言われるが

サン・ポールの街をあるいてみよう

街の入口にある有名なカフェ、その名も「広場のカフェ」。
すぐ前の広場では南仏伝統の「ペタンク」をやっていた。

旧市街の道を彷徨う。

中世からの道は曲がりくねりのぼり・降りる。

小さな教会がたくさん

ちかくに、街の歴史を視覚化した蝋人形館があった。

レオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せたフランス王フランソワ一世が、16世紀に城壁を築かせた。
1524年と1536年に(当時は別の国だった)プロヴァンスが攻めてきたから。
レオナルド自身も訪れたと町はいう。

↑17世紀のアントワーヌ・ゴドー司教はサン・ポールを独立させ、参事会教会を建設して権威を高めた。
アカデミー・フランセーズ設立時、最初の四十人の一人だった人物。

見所のが多い街だが小さなホテルしかないのでツアーで滞在することはほとんどない。

**
バスでニースに戻る。
シャガール美術館は彼が生きているあいだに開館した。

ステンドグラスの光につつまれたコンサート会場もある。

ピアノもこんな風。

絵の中によく登場するヤギのような動物

彼が心穏やかな時の象徴だと解説したものもある



美術館の売店に当時こんな子が居た

シャガールとベラの出身村にちなんで、勝手に「ヴィテブスク」くんと名付けておりました。
数年後にもう一匹買いたいと思ったけれど、もうありませんでした。
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モナコの夜、トリノでは冬季オリンピックが行われていた

2020-10-28 07:44:15 | フランス
2006年南フランスの旅より
モナコ公国に泊まった夜、テレビをつけると

隣の国イタリアのトリノでオリンピックが開催されていた。
「誰も寝てはならぬ」にのせた演技で荒川静香が優勝したのを到着したばかりのホテルの一室で見ていた

モンテ・カルロのホテル・ドゥ・パリは指折りの高級ホテル

右側がホテル↑左は有名なカジノ

アメニティも

置いてあるチョコレートもおしゃれ


翌朝

丘=モンテの上に、モナコ公爵シャルル(カルロ)三世が建設した新興地区。
新興地区といっても1856年だから、もう百七十年近くになる。

いちばんの目玉は↑このカジノ。
パリのオペラ座と同じく当時若手のシャルル・ガルニエが担当した。
中世のなごりで独立を保った小国モナコは財政問題を解決すべくカジノを許可したのだった。

モナコの切手も有名ではあるが、カジノの収入には及ばない。
あ、グレース・ケリーの切手だ↑
カンヌ映画祭で若き公爵レニエ三世に見初められて結婚

この聖ニコラ大聖堂で式を挙げた。

今はここで眠っている。

次女を乗せて運転している時に車ごと崖から落ちたのだが、ほんとうに彼女が運転していたのか、疑問ものこされているのだそうだ。
レニエ三世はその後も長生きし、我々が訪れた前年2005年に没した。

彼の墓も近くにある。

モナコ公爵宮殿のある丘からはイタリアまで見晴らせる。

我々のホテルのあるモンテ・カルロとはちがい、こちらは中世以来の路地ものこされている地区。

小国ながら、現代まで様々な歴史に彩られた国である。
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マントン~コクトーの壁画がある「結婚の間」とレモン祭

2020-10-26 22:10:17 | フランス
2006年南フランスの旅より
マントン市庁舎の「結婚の間」

ジャン・コクトーの線は個性的で、ピカソのそれとおなじようにひと目でわかる

「結婚の間」の正面に画かれているのは誰?
それは、横の壁に画かれたこの絵をみればわかる↓

↑矢で射られるケンタウロスたち↑
そうか、ギリシャ神話に出てくるペイリトゥス(テセウスの友人)とヒッポダメイアの結婚式だ。
酒に酔ったケンタウロス族たちが花嫁と女性たちを誘拐しようとしたので成敗されてしまう話。
結婚の間にあえてこの絵を選ぶとは、コクトーは何を言いたかったのかしらん。
※フランス語のサイトでこの部屋の画像をもっとごらんいただけます
**
2月でも南仏マントンは春がはじまって「レモン祭り」が開催される。

1928年にはじまった。

圧倒的な量のレモンとオレンジでつくられたオブジェたち
それぞれテーマがある。これはブラジル。

リオにある「キリスト・レイ」の像か。


↓こちらはヴェネチアですね



マントン市は紋章にもレモンの木









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2004年5月祭の日のアルル

2020-10-25 21:41:59 | フランス
2004年南仏の旅より
ビゼーの「アルルの女」が聴こえてくるようだ

闘牛場で見初めた「アルルの女」に身を滅ぼしてゆく話は百五十年ほど前に書かれたオペラ。

今もその伝統は脈々と受け継がれている。

5月1日、祭の日に偶然行き合わせたら、町中で「時代祭」である。
特に女性たちの装いが華やかなのは、どの国の民族衣装も同じ。

髪型がややこしいのも日本と似ている。

この日のために、とっておきのレースを

若手もいっしょうけんめい!

男女差があることを楽しんで良いのです(^.^)

祭りを代表するアルルの女は騎乗できることが条件のひとつになっている。

南仏の生地メーカーソレイアード


ゴッホの描いていたカフェの女主人「ジヌー夫人」

彼女はいつも「着物」をきていたのかしらん。
19世紀末の日本の女性たちが普段に着物をきていたように。
**

アルルはゴッホにとって喜びと苦しみが交錯した街だった

パリからこの街に移ってきたことで彼の色彩はいっきに開花したようにみえる。

「夜のカフェ」のモデルになったカフェはいまでも営業している。
ただ、この黄色はあとから絵に合わせて塗ったものだが。
***

円形闘技場には入らなくてもアルルの祭にもう一度行き合わせたいものだ





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