旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

オランジェリー、モン・マルトル、グラン・キャフェ

2013-10-21 18:48:49 | フランス
朝、いちばんでオランジェリー…と思って出たのだが、コンコルド広場でいろいろ説明したりしているうちに入場行列は長くなっておりました。一時間は待ちました個人的に一番回数多く入場している美術館がここだろう。モネの水連大壁画だけでなく、ポール・ギョームのコレクションも一見に値する。

お昼頃、地下鉄でモンマルトルのすぐ下、地下鉄アンヴェール駅に到着ここいらは歓楽街と共に安い店がならぶこの坂道を登っていくとすぐにサクレ・クール教会がみえてくる。

横にあるケーブルカーで上に

絵描きと観光客でいっぱいのテルトル広場、カフェの中はひんやりして空いている。こんなサラダ一皿で、日本人なら充分のお昼ご飯になる?

パリでも五指に入る古いサン・ピェール教会を少し覗く奥の柱四本は古代の神殿からのものと言われている。

ここからは曲がりくねった長いレピック通りをゆっくり降りてゆこう。途中にムーラン・ド・ラ・ギャレットが風車と共に健在だ

天気良く、遠くのアンヴァリッドの金色の屋根まで見える

この建物の上階にオーヴェールへ行く前のゴッホと弟テオが暮らしていた
朝は市場が出る通りにあるチーズ専門店の看板

大通りに出て地下鉄ブランシュから地下鉄に乗り、サン・ラザールへここからプランタン百貨店をちょと覗いてからホテルへ戻る。

**
最後の夕食は、オペラ座近くのグラン・キャフェへ。この時期、牡蠣とこのエビがおいしいのです海鮮のエキスと具もたっぷり入った包み焼きスープも洋風ユッケともいえるタルタルステーキ大好き

最後にパリのデザート、パリ・ブレストを

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モスクワのバレエがパリに中継される

2013-10-20 17:57:05 | フランス
朝、バスでオルセー美術館へオペラ通りから68番で一本道の空いた日曜日なら良い選択。

19世紀絵画を系統的に理解するには最適の場所。また、19世紀の駅だったこの建物は当時のパリの雰囲気を伝えている

オルセー美術館の地下からRER線にのるいつも思うのだがヨーロッパのプラットホームは低くて電車に乗るのに段差が大きい。

カルチェラタンの一角でクレープのランチこれはちょっと珍しいホタテ

はじめてのパリならノートルダムも見ておかなきゃね入口の彫刻はフランス革命時代にずいぶん壊されて、修復というか作り直された箇所も多い。もともとシャルトル大聖堂のものと、もっと似ていた筈である。これは「かに座」なのだろう。ロブスターですけど(笑)

近くの市場、日曜日だけ鳥の市場になっている

**
さて、今日は17時からモスクワで行われるバレエが見られる。パリ市内は14か所の映画館を使い、モスクワのボリショイ劇場で行われるバレエを完全リアルタイム中継する。

日本でやりとりしている時にガイドさんから教えていただき、チケットも買っておいていただいた。料金は25.5ユーロ。三部で三時間にもなるバレエをリアルに体験できると思えば安い?

こちらに内容をもう少し書きました

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朝のシャルトル散歩~午後から列車でパリへ

2013-10-19 11:39:17 | フランス
シャルトル旧市街は大聖堂だけではない。大聖堂の後ろから見下ろす小さなウール川(セーヌ川の支流)に沿って職人をはじめ一般市民が住んだ地区がある。今朝はこのあたりを歩こう。

城壁に沿って木立の散歩道がある「記憶の小道」と名付けられて、戦没者慰霊碑があったりする。

川にはしっかりした橋がいくつもかけられている
大きな教会もいくつもあるが、これはすでに教会としての役割はしていない旧聖アンドレ教会・現展示会場この場所はローマ時代の円形劇場があったそうで、その遺構もごく一部残されているそうだ。1994年に再現された中世のハーブ園におもしろい草があった帰国後調べてみると、Artemisia abrotanum = 一般的にはSouthernwoodと呼ばれている植物で、日本語にするとニガヨモギの一種らしい。衣服につけて蛾よけになり、エキスは月経不順や寄生虫除去の薬であったと解説してあった。

おや、さっきポスターでみた展覧会、ここでやっている。作家の名前、ファーストネームはレスリーだが、姓はいったいなんと発音するのだろう?「さかさまの世界」と題されているだけにそんな絵がたくさん床には巨大なすごろくがデザインされている。

ひとまわりして入口にくると、彼女自身が話しかけてきた。「XUEREB」という姓はマルタ島出身の夫のもので「シュエレブ」と発音するそうだ巨大なすごろくには、元アイデアがあり、それは司教館が保管している18世紀頃の巡礼すごろくだという。彼女が見せてくれた十数年前の展覧会で公開されていた(写真に写っている本)が、通常は見られないということである。
司教館の美術館は、何人かに「そんな面白くないよ」と言われたのでまだ入った事がないのだが、一度行ってみようかしらん。

※レスリー・シュエレブさんはシャルトルにアトリエをもっている。こちらのHPから他の作品もいろいろご覧になれます。

**
川沿いにもう少し歩くと、下の街のメインゲートだったギョーム門の後がのこされている。この門がこんな姿に破壊されたのは、つい20世紀の事だ。
第二次世界大戦中、シャルトルを占領していたドイツ軍が、ノルマンディー上陸作戦の後1944年に撤退する時、爆破したという。かつての姿は写真にも残されていて、ホテルの朝食の時、壁に飾ってあった写真がこれ

坂を上って上の町へ周囲の家も一皮めくれば木造のところがたくさんある。

***
お昼過ぎの列車でパリへ向かうちょうど荷物が置ける場所トイレのとなりですけどね。
パリが近づくと落書きもすごくなる泥棒にあわないように気を付けなくちゃ。

モンパルナス駅から四人と荷物を載せられるタクシーで、セーヌを渡る。金色のジャンヌ・ダルクの像、このすぐ横のホテルにも泊まったっけ

オペラ座とプランタンデパートに近い小さなホテルにチェックイン

少し休憩。旧知のパリのガイドさんにお迎えしてもらって、バスでルーブルへむかったルーブル美術館の入場料金、今は12ユーロ。四年五年前と比べても、高くなりましたなぁ。

いとこたちがはじめてのパリだから、定番箇所もめぐる。が、何度も来ている場所でも、新しく知る事はたくさんある。この宝物室(アポロンのギャラリー)の天井画はドラクロワによるものだった

閉館二時間前になるとずいぶん空いてくる。ダ・ヴィンチの作品もひとだかりなくゆっくり見られたこの「美しきフィレンツェ女」、はじめてじっくり見たけれど、せまってくるような存在感がある。

某映画で有名になった逆さガラスピラミッド

*****
夕食は陸軍士官学校近くのレストラン街へお連れいただいた。人気の店は開店と同時にいっぱいになる。七時半に開店する二軒目で気持ち良いテラス席に座った女性のギャルソンが黒板のメニューを丁寧に説明してくださる。ワインは南仏のジゴンダス数年前の9月に訪れた時おいしかった記憶があったので。

「ウフ・ブルゴーニュ=ブルゴーニュ風の卵」をメニューに見つけて迷わず選んだ。二十年近く前にディジョンに一週間ほど滞在し、はじめて食べたおいしい記憶が忘れられなかった。あれ以来ほんとに久しぶりにいただきました卵の赤ワイン半熟であります。

リーク料理=下仁田ネギに似て太くてそれ自体が主役になれる食材である。フランス語でポアロ⇒ポロネギと日本で呼ばれる種類。熱を加えると甘く美味しい

ステーキ、上に焼かれた山羊のチーズが乗っているこれは赤ワインと合います。

ホタテ、バジルソース。下に敷かれたマッシュ・ポテトもおいしい

タラは皮もよく焼けていて、食べたい

レストランを出て少し歩くと、シャン・ド・マルス。エッフェル塔が美しく見えるポイントだ。21時のキラキラライトアップに間に合った
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シャルトル大聖堂の塔へ登る

2013-10-18 13:12:26 | フランス
日本なら平安時代の西塔に乗るロマネスクの怪物(^^)
**
夜行便のAFでド・ゴール空港に着いた早朝というよりも夜。あたりは霧でおおわれていた

モンパルナス駅へ始発のバスで向かい、一時間電車に乗る

通勤とは逆の列車はがらんとしている。八時過ぎてもまだ霧


シャルトル駅前

二百メートルほどの場所にあるホテルに荷物を置いて、こちらもすぐ近くの旧市街へ向かう。

何度も見てきた大聖堂だが、こんな朝霧のシルエットになった尖塔ははじめて見た。


朝早くても、パン屋とカフェは開いているのがフランス。
その一軒で朝食セットを注文すると、一人分としてバゲット半分と大きなクロワッサン!

おいしいバターとカフェオレでぺろっと食べてまた歩き出す。

スーパーMONOPRIXを覗くと、美味しそうなエシレのバターに目がいく

大聖堂まで戻ってきたころにはすっきりとした青空になっていた

夜行便明けだけれど結構元気だから、塔へ登ろう。料金は…二三年前と比べてもずいぶん値上げしてました


16世紀に造られた向かって右側の113mの塔。
その八合目少ししたぐらいまで二百段近い石段を踏んでいく。
時折見下ろす風景がどんどん広くなってゆく。
赤い蔦がからまる家の壁

旧市街にはこの大聖堂以外には大きな建物はない


見晴らせるテラスまで出ると、となりのロマネスクの塔がすぐ近くにそびえている。ここに見えるおもしろい動物が大好きです(^^)


19世紀の火事の後にふきなおされた聖堂の屋根が十字に見える


下りも滑らないように降りよう

大聖堂内部、何度も入っているが、今日は今まで全貌が見られなかった床の「ラビリンス=迷図」が見られた

きけば、毎週金曜日には椅子をどけて全体を見られるようにしているんだとか。

こういった迷図は中世の多くの聖堂にあったが、今残っているものはほとんど、ない。
シャルトルは大変貴重な例なのである。

合唱隊席を区切る石壁の彫刻、ひとつひとつ見ていたら、あれ?天井から足が突き出している??

不思議な図の答えは二つとなりのパネルをみて分かった

天上へ昇天してゆくマリアを、見送る地上と、迎える天上の図だったのだ。

**
午後二時になり、ホテルの部屋に入りしばし休憩。
午後三時過ぎから再び歩き出す。

「王のポルタイユ」の彫刻細部。見飽きない面白いデザイン。
巨大なダニのようなものは「カニ」だそうな。

これは星座・カレンダーを表し、その時期にどんな農作業が行われるかが描かれている。

人の顔をもっているサソリ座。
豚を斧で塗擦する様子が描かれている


今日は大聖堂地下へのガイドツアーが16時半にある。もくろみ通り参加できた。こちらにその様子を書きました。

***
秋とはいえまだサマータイム、ちょうど19時ごろに日暮れとなった。
ビストロでおいしい夕食をいただきます。これはラムです
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タリンの秋を歩く~マジパンづくりも

2013-10-13 08:24:29 | エストニア
《手造の旅》バルト三国、第六日目。タリン滞在の日。
秋ですねぇ。


今年一月の砕氷船企画で来た時と比べると、観光客が多くてびっくり。でも、夏場はこんなもんじゃないそうだから、シーズンを少しはずした10月に訪れてほんとによかった。

秋の高い空に、のっぽのヘルマンの塔

13世紀のデンマーク支配以来、この塔にその旗を立てた者がタリンの支配者であることを示す。

今日のガイドさんは、学生時代の1991年の独立以前、ここにソ連の旗が掲揚されていたを覚えていると話した。上の城塞トームペアを囲む城壁。
下の街へと下る

秋ですねぇ

ニコライ教会の塔


★「聖カタリナのギルド」とは

現代の、手に技術を持つ女性たちのための場所である

自分の技術によって自立している魅力的な女性たちの堂々としたポートレートがずらりと並んでいる。

今日は日曜日なので、入口の帽子屋さんだけが営業していた↑


タリンの城壁には「セーターの壁」と呼ばれる一角がある↑
自分で編んだニット類をにこにこ顏で売っている彼女たちも、自立したギルドの職人のようではないか。

***
お昼ご飯、小松が突然決めてこの店に

エストニア料理というよりもエストニアの食材を上手に使った店。
●エストニアの山羊チーズと野菜をつかったサラダ

●羊のロースト

野菜と共に上品な味わいで

●サーレマー島の白身魚

最高!

こちらにもう少し解説しました。

●こちらも白身魚、リバー・トラウトをバターでフライしてある
****

★★マジパン作り実習
午後から、エストニアの老舗チョコレート屋さんKalev(カレフ)の二階にてマジパン作り
場所は城壁のすぐ外、かつて工場があったと思われる一角の新しい開発地区だった

材料は粉砂糖とアーモンドの粉。ほぼ等量を混ぜ合わせてごく少量の水でこねる。それを手でおだんごのように形成してゆく。色は専用の食紅が用意されている。黒と白の色はない。どちらかというと鮮やかな色は出にくいので、そこを工夫してどう仕上げるか。また、水が多すぎるとやわらかくなりすぎて形が崩れてゆく、崩れても成り立つようにつくるというのも方法かもしれない。ガイドさん作の「とぐろをまくへび」はだいじょうぶですね。
小松の作品とそのモデルをここに載せました(笑)

出来上がったら乾くまでしばらくコーヒータイム、チョコレートはもちろん食べ放題中にマジパンの入ったもの、けっこうおいしかったです。
★ちょっと歴史★
マジパンはこちらで「マーチーパーン」と発音する。17世紀に薬としてドイツから入ってきて、伝統的に市庁舎の薬局で売られていた。金持ちのための品だったのである。
伝説によると、マルトという市議会議員のために今の様に甘くしてつくられたのでこの名前になったのだという。
KALEVの元になっている会社は、1921年にKarlとKollaのWELLNER兄弟が創立したKAWE。彼らはエストニアのお菓子産業の75%を傘下にするほど繁栄した。しかしソ連時代1948年にいくつかの店と統合して(させられて?)、「人名はいけない」という政府からの命令によって現在の名前の国営企業となった。
1991年の再独立後、ふたたびエストニアを代表する優良企業となり、原料のミルクやそれを産する不動産にまで拡大。2003年にタリンにあった工場は郊外に移転しているが、エストニアを代表する企業のひとつである。
※WiKiによると、2010年、資本はノルウェーの食品グループNordic Abbaに売られたとあった

*****
さて、夕食。タリンで食べてみたいとおもっていた「にんにく」の専門店があったのだが、ようやく皆さんが「行ってもいいよ」と言ってくださったのに、席がとれず断念…。かわりに見つけて入った「MAGUNUNA」という名前のアラブ料理のお店。ここで食べたラム肉をまいたタンブーラという料理がいたくおいしかった。

調べてみると、タブーラとは粗挽き小麦を用いて作るこういうラップ料理の事のようです。エストニアでこんな料理に巡り合えるとはおもわなかった。こういう食事に巡り合えるのも《手造》の成果でしょうか。旅はなんでもめぐり合わせです。
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