旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ヴァチカンの庭園へ

2011-10-24 11:10:46 | イタリア
午前中ヴァチカン見学、午後自由行動となるローマの一日。
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ヴァチカン美術館は何度も入ったが、庭園を案内してもらうのは初めてだった。一番の発見は、サン・ピエトロ大聖堂の丸屋根が、実はこんなに美しいと実感できたこと。下の写真は聖ペテロが自分自身にささげられている聖堂を祝福しているというおもしろい構図。
いつも行く大聖堂前の広場からだとこの丸屋根はこんなにきれいには見えない。ミケランジェロのもともとの教会プランはギリシャ十字だったそうで、それがラテン十字に変更されたために正面からでは丸屋根の全体像がみえなくなっているのであります。

ヴァチカンの庭はそれほど広くないけれど、全体に起伏があり、9世紀の城壁やさまざま時代の大小の塔がみられる。守るに適した場所としてラテラノからここへ移動したのも理解できる。 そして、そこかしこにカソリック・キリスト教の歴史にまつわるモニュメントがたくさん置かれている。ルルド、ファティマ…特に「奇跡」にまつわるものは多い。これらを一つ一つ解説してもらうだけで半日ぐらいかかってしまいそうだ。

ミラノの守護聖人のひとりカルロ・ボロメオの叔父にあたる法皇ピウス四世によって完成されたヴィラ・ピア。ここは法皇のサロンとして各界の知識人をあつめていたのだそうだ。16世紀ルネサンスに美しい装飾がされている。

※この庭園については、また別のところで書きます。

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庭園を見学するツアーはあまり多くないので、ゆっくり充実した時間を過ごすことができた。
さて、美術館のほうはどうだろう…入っていくと、ありえないほどの混雑!
昨日は日曜日でヴァチカンが休館日、今日月曜日でほかの多くの美術館が休館というのが理由だが、さらに今、ヴァチカンでは久しぶりとなる列聖式が行われていて、各国から多くの巡礼がやってきているという。システィーナ礼拝堂への入り口へたどり着くまでに人をかき分けて一時間かかった↓システィーナ礼拝堂への入り口
礼拝堂の中はより人が滞留して立錐の余地もない。満員電車状態で名作鑑賞ってどうなんでしょう?何か方策を講じないと、これはたいへんな状況になってきた。
いかにミケランジェロの名画があろうと、正直こんな状態では何も感じられないのではないだろうか。

礼拝堂からサン・ピエトロ大聖堂へ、いつもグループが使う抜け道は閉まっていたので、一度退出してから聖堂前の広場へ入った。すると、どうだ、今度は大聖堂へ入場する人々の列が丸い広場をほぼ一周しているではないか。画面左から右へ人々の行列が延々と続いているのがお分かりいただろうか。

昼食、はミツコシ近くの和食。ホテルがすぐちかくなので一度もどって、希望者をちょっとしたローマ・ウォーキングへ。テルミニ駅からスペイン広場へ向かうにはトンネルを抜けるか丘を越えるかしなくてはならない。ローマはたしかに「七つの丘の町」なのである。

丘の一角にクアトロ・フォンターネという、その名の通り四つ角すべてに噴水が設置された場所がある。その一角にはバロックの建築家ボッロミーニが最初にうけた大きなオーダーであったサン・カルロ教会がある。今朝ヴァチカンの庭園で見たヴィラ・ピアをつくらせたピオ四世の甥、カルロ・ボロメオにささげられている。
ボッロミーニの作る建築はどれも躍動感がある。それは教会だけを見るよりも、こうして風景の中にあるところを見ると顕著に感じられる。

スペイン階段で解散、とおもったけれど、さらにパンテオン、カラヴァッジォの「聖マタイのお召」、ナボナ広場までご一緒してからタクシーでホテルへ戻る。

夕食は、ホテルから徒歩圏のカジュアルなレストランへ。定番ながらこういう前菜もりあわせがおいしいんですよね。


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「真実の口」前で車炎上

2011-10-23 16:36:07 | イタリア
午後のローマ観光で「真実の口」の前に並んでいた時、一台の車が突然ボンネットから煙を吐きだした。近くにいた物売りがペットボトルの水をかけたりしたが、そんなのはまさに焼け石に水、みるみる黒煙は濃くなって、周囲に異臭がただよいはじめた。「あぶないな…」と思った瞬間ボカン!と轟音。爆発と共に赤い炎があがった。
二十メートル近く離れていたにもかかわらず、爆発の炎は強く、ほおに熱さがかかってくるほど。その後も何度か車は爆発し、あっという間に骨組みだけがシルエットになっていった。
車の事故はこれまでも目の前で起こるのを見たことがあった。横倒しになるトラックや激突するバイクから空へ飛ばされる人も見た。ハイウェイで炎上する車のそばを通ったときには今回と同じように、車内に居てさえも熱い炎が感じられた。

いままでは自分自身は巻き込まれない場所に居る事ができたけれど、明日自分が当事者になったり、巻き込まれないと誰が言えるだろう。

日々最善を尽くし、食べたいものは食べ、見たいものは見て、会いたい人にはあっておこう。先送りをしないで。

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朝七時半にフィレンツェのホテルを出発し、九時半にオルビエートの駐車場到着。ケーブルカーで旧市街に上がる。大聖堂とその周辺を「散策」。今回は大聖堂の中へも入ることができない。あたえられた三十分ほど、旧市街の小道とオルビエートらしい崖をご案内する。ほんらいのツアー日程はここまで。

しかし、今日は日曜日、道路は空いているのでローマまで二時間のところを一時間半でいけるだろう。この三十分で何か出来る事はないか?
そうだ!オルビエートの有名な井戸を見てもらうようにしよう。日程表に含まれてない?入場料がかかる?もちろんそうだろうけれど、見ていただければきっと一生の記憶に残る場所だ。オルビエートという町の印象も全然違ったものとして心に刻まれるにちがいない。入場料なんて知れた金額、皆さん見れば絶対納得してもらえる。
下に小松が以前に撮った内部の写真みていただけます。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/iDiary/index.php?mode=show&date=20100506

<ahref="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/50/de466b80d33a321d084b2754f57c97a6.jpg" border="0">
この井戸にはラテン語で言葉が刻まれている。
「必要とするものを自然が与えてくれない時には、人間がそれを付け加える」

なるほど、ほおっておいたら見られないで終わってしまうような旅程であっても、人間の工夫である程度改善できる
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ピサの斜塔頂上より

2011-10-22 14:36:49 | イタリア
フィレンツェ連泊の中日。午前中ピサへの観光。今回は斜塔への登頂も含まれている。以前は予約できなかった制度が変更になったので、ツアーでも可能になった。青空に映える大聖堂を上から見下ろす。斜塔の影がくっきり映っている。
斜塔の頂上は塔の傾きが止まってから建設されたのでそれほど傾いていない。でも、こんな風にまるい円筒形の縁に乗っているかたちであります。
上がっていく階段は何百年も人々の踏んできたくぼみができている。

フィレンツェに戻り昼食。午後、希望の方とキャンティ街道のワイナリー見学。黒い鶏がキャンティの中でも元祖=クラシコのしるしであります。
訪れたヴェッキオ・マッジョという蔵は丘の上に中世の塔を持つヴィラにある。あのレオナルド・ダ・ヴィンチも客として二ヶ月逗留したんだそうな。
晩秋のブドウ畑を見晴らすヴィラの庭。

四種のワインを試飲して、オリーブオイルも買って、フィレンツェへ戻る。
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夕食はいつも行っているお店。しばらくぶりに行ってみると新しいメニューがふえていた。白いんげん豆のトマトソース煮であります。
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ヴェネチア雨の日スペシャル

2011-10-20 13:14:13 | イタリア
ヴェネチア終日滞在の日。
**朝、まだ夏時間なので朝が明けるのは遅い。気温はそんなに低くないが雨が降っている。ヒルトンホテルのあるジュデッカ島から本島のサン・マルコまで十五分ほど。桟橋からドゥカーレ宮殿の入り口へ歩くあいだでさえけっこう濡れた。
写真はヒルトンホテルの桟橋

宮殿内部を見学して出てくる、雨は止まない。サン・マルコ聖堂を見学して出てくる、雨は止まない。ガラス工房を見学して出てくる、雨は降り続いている。ゴンドラに乗る予定になっているけれど、運行しているのか?電話してみる⇒やってる。予約時間通り運行するという。傘差してがんばって乗って、それでも笑顔で楽しんでくださる皆さん、ほんとにありがたいです。どうせ何かをやるなら楽しまなきゃいけません。

13時にレストランに入る。さて、午後の行程が問題。自由時間が基本となっているが、希望の方にはムラーノ島へお連れすることになっている。しかし、この天気であのタクシーボートに詰め込まれて往復することがほんとに「素敵なお知らせ」なのか?※注:「素敵なお知らせ」とはパンフレットに表記されている名称。

小松から市内のウォーキングを提案して、結局ムラーノ島行きはなしになった。雨の日だから中止にしたムラーノ島行き、それに変わるだけの内容のあるウォーキングを、是非体験していただきましょう。

まず、レストランのすぐちかくにあるヴェネチアのオペラ座にあたるフェニンチェ劇場を見学。十八世紀に建設されたクラシックで小さな円筒形をしている。まぁ、雰囲気だけでも感じられればよいと思って入ったのだが、舞台の方からなんだか声がきこえてくる。CD?いや、肉声だ。
二階のロイヤルボックス席入り口まであるいてくると、係員がいて「し~!静かに」と指を口にあてた。なんと、リハーサルをやっていたのである。劇場見学者はロイヤルボックスからしばしその様子を見ることが出来る。

ロイヤルボックスに入ると舞台からの肉声が直接ぶつかってくる。小さな劇場は、いっぱいに肉声が充満する。CDでは絶対味わうことの出来ない生の迫力。オペラに趣味がない小松でも、このリハーサルに行き合わせたのは幸運だったとおもう。※写真は撮れなかったので、せめて雰囲気に

フェニチンチェ劇場を出てきてみると、雨はあがっていた。これから大運河を水上バスで移動、ヴェネチアで二番目に大きいフラーリ教会を紹介しよう。ここにはティッチアーノの出世作といってよい「聖母被昇天」が正面祭壇に掲げられている。
オリジナルのこの場所に何百年もありつづける。

ジョバンニ・ベッリーニの画いた祭壇も必見。彼はティッチアーノが20歳ごろまでは生きていてお互い面識もあったそうだ。このフラーリ教会で二人の作品が共にオリジナルの場所に置かれ続けている幸運に感謝したい。

教会のために描かれた絵は特にだが、美術館に置かれてしまってはその意味を半分うしなってしまうのだ。ここを見ていただければ、美術館というのは一種の「墓場」であるという意味もわかっていただけるのではないだろうか。

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近くのスクオラ・ディ・サン・ロッコも見学。ティントレットの絵がこのスクオラ(一種の互助会組織)集会場の壁と天井をうめつくす。彼の派手な絵柄は好きではないけれど、その執念にはだれもが感銘をうけるだろう。これらほんとうに渾身の作品群は、ここからは出されて展覧会に出展される事はない。

18時ごろ、サン・マルコ広場へ戻る。鐘楼も開いているし、行列もなかったので登っていただく。やっと雨があがって青空さえ見えるきれいな夕方になった。
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マロッキーノでひとやすみ

2011-10-19 12:20:19 | イタリア
午前ミラノ観光、昼食後ヴェネチアへ。スタッキー・ヒルトン泊。
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ミラノのカフェでなら「マロッキーノ」というエスプレッソの一種が飲めるとはじめておしえてもらった。じゃ、さっそく試してみましょ。
エスプレッソをよりマイルドにしたものと説明すればよいだろうか。レシピを検索してみると⇒エスプレッソ用コーヒー粉 7g(イタリアンロースト。仕上がり30ml)、スチームミルク 30ml 、砂糖 小さじ1、チョコレートブロック 10g、ココアパウダー 適量、というようなものであるらしい。

たった三十分ほどの時間だったが大聖堂前のガラリア内のカフェにて。冬の始まりを感じさせる少し寒くなった日にちょうどよい時間になった。
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「定番」のひとつレオナルドの「最後の晩餐」は、今回08:45の入場予約。我々は問題なくは入れたけれど、ひとつの貼紙が目に留まった。
「今日は会議のため10:30から12:30は入場できません」
突然こんな貼紙一枚で閉めてしまうなんてとんでもない。この時間にも予約を入れている人はある。イタリア的対応と言ってしまえばそれまでだけれど。

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今日ははじめてご一緒したガイドさんだったけれど、なかなか興味深い話をきかせていただいた。いっつも見せられていても(「見せられている」という意識になってしまってはいけませんが)、知らない事はたくさんたくさんあって、そこで自分なりのアプローチをしてくれる人の話がきけると面白い。たとえば、大聖堂のステンドグラスはいつも見ていたけれど、その修復逸話。
19世紀、破損が多くなってきたステンドグラスを修復する事になり、ステンドグラス製作者にむけて入札が行われた。いちばん安い修復料金を提示して落札したのはベルティーニという兄弟。使えなくなっていた部分には新しいものを製作してちゃくちゃくと修復は行われていった。
この写真で色の濃い両サイドはベルティーニ兄弟製作。ガラスの上に描くというスタイルである。真ん中の色の明るい青のところは15世紀のオリジナル。色ガラスを組み合わせる昔ながらの製法でつくられている。

とりのぞかれた「壊れた」ステンドグラスはどうなったのか?今なら壊れていたとしてもその破片さえ博物館へ収蔵されるに違いない。しかし、19世紀はそうではなかった。捨ててしまっても誰も文句は言わなかった。
ベルティーニ兄弟は、なんとそれらをアメリカをはじめ外国へ売っていたのである。安い値段で請け負っても充分元が取れる仕事になったでありましょう。
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