高さ七メートルを超える石のアトラス像が復元してある
これはいったいどこにあったモノなのか?
復元されたゼウス=オリンピア神殿を見ると↑柱の上部にこの巨人がはめ込まれているではないか↑神殿は20mを超える高さだったと想像されている。
博物館の外・遺跡エリアには同様のアトラスも発掘されて、放置?↑↓
BC480年の「ヒメラの戦い」に勝った記念に、負けた側にいたカルタゴ人奴隷をつかって建設されたと推察される。
巨大神殿は18世紀の地震で崩壊し、多くの石材は建材として持ち去られたが、今も石の山として残る。
*
アグリジェントには今も多くの神殿廃墟がのこされている。
「神殿の谷」と呼ばれる一帯は、実際には街を護る自然の壁の端に沿っている。
↑復元された絵をみるとどのようなかたちだったのかが想像できる↑
ひときわ大きいのが冒頭のゼウス・オリンピア神殿↑
ギリシャ人の入植した大都市「アクラガス」=現代のアグリジェントである。
紀元前五世紀の通貨↑その名前が刻まれている
独自銀貨を発行するにはそれだけの経済力と信用がなければならない。
↑ニューヨークの古銭収集協会と個人コレクションに同様のデザインのものが収蔵されている↑
↑もっとも保存状態がよいコンコルディア神殿は、冒頭のゼウス・オリンピア神殿と同時期の紀元前五世紀ごろのもの。
コンコルディア=和合と書かれた碑文が見つかったからこの名前で呼ばれるようになったが、実際に何の神にささげられた神殿かはわかっていない。
間近で見ると↑内部の構造まできれいに残されている↑強調しておきたいのはこれは「発掘・復元されたのではない」ということ。
二千四百年の年月ずっとここに立ち続けているのである↑横からみたところ↑
それが可能になったのは、紀元後六世紀に建物が教会に転用されたから。
現地ガイドさんと共に「神殿の谷」を歩く。
海が見える。
ダイヤモンドの単位の元となったカラット豆をおしえてくださる。
街の端にある城壁は、その後の平和なローマ時代には埋葬場所に使われるようになった。
↑アーチの中がその場所だった。
ローマ人たちは街を出入りする人々が目にする場所に一族を誇る墓や記念碑を建てていた。
神殿がたくさんありすぎて覚えきれないが、
この環境を利用して展示されていた現代作家のブロンズ作品にはぴったりの場所だ。
絵画も彫刻も、作品の価値の半分は展示される環境に依存している。
***
遺跡のど真ん中に20世紀はじめのイギリス人の邸宅が残されている↑ヴィラ・アウレア(黄金のヴィラ)
↑胸像はここに住んだアレキサンダー・ハードキャッスル卿↑
1921年に英国軍艦の船長としてアグリジェントを訪れ・魅了され、すぐに移住し1933年にこの地で没した。
考古学者でもあった彼が私財を投じて保護・発掘・復元したからこそアグリジェントは現代の我々が見学すべき場所になっているのだ。
↑彼が発掘し再び立てたヘラクレス神殿の八本の柱↑
↑アグリジェントの考古学博物館はギリシャ時代の半円アゴラの上に建てられている。
入り口部分は中世の集会場⇒教会修道院の祈祷所として使われていた建物。
これらを利用して1960年代に建設された。
冒頭の巨大なアトラス像の他にも見るべきものがたくさんある。
↑シチリアをあらわす三本足の「トリナクリア」の最古例はこれだとされている↑
シチリアの三つの岬、冬のない温暖なシチリアの三つの季節。
ギリシャ文化をあらわすメドゥーサが真ん中にあるはずだけれどよく見えない。
↑大地女神デメテル?の小さな像がたくさん見つかった。
神殿に詣でた人へのいわばお土産だったと推察されている。
昔も今も、旅する人の気持ちは変わりません(^^)
1980年に子供用の墓から見つかった飲み物入れ↑
どの時代のどんな家族にとっても、子供の死ほど辛いことはない
↑平和なローマ時代に子供を埋葬した棺↓
悲嘆にくれる父母や祖父
↓棺の短い面には羊に引かれて冥界へ?導かれていく様子が描かれている↓
世界中、どこの博物館を訪ねても
その時の人の心が伝わるモノに出会うことに意味がある。
これはいったいどこにあったモノなのか?
復元されたゼウス=オリンピア神殿を見ると↑柱の上部にこの巨人がはめ込まれているではないか↑神殿は20mを超える高さだったと想像されている。
博物館の外・遺跡エリアには同様のアトラスも発掘されて、放置?↑↓
BC480年の「ヒメラの戦い」に勝った記念に、負けた側にいたカルタゴ人奴隷をつかって建設されたと推察される。
巨大神殿は18世紀の地震で崩壊し、多くの石材は建材として持ち去られたが、今も石の山として残る。
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アグリジェントには今も多くの神殿廃墟がのこされている。
「神殿の谷」と呼ばれる一帯は、実際には街を護る自然の壁の端に沿っている。
↑復元された絵をみるとどのようなかたちだったのかが想像できる↑
ひときわ大きいのが冒頭のゼウス・オリンピア神殿↑
ギリシャ人の入植した大都市「アクラガス」=現代のアグリジェントである。
紀元前五世紀の通貨↑その名前が刻まれている
独自銀貨を発行するにはそれだけの経済力と信用がなければならない。
↑ニューヨークの古銭収集協会と個人コレクションに同様のデザインのものが収蔵されている↑
↑もっとも保存状態がよいコンコルディア神殿は、冒頭のゼウス・オリンピア神殿と同時期の紀元前五世紀ごろのもの。
コンコルディア=和合と書かれた碑文が見つかったからこの名前で呼ばれるようになったが、実際に何の神にささげられた神殿かはわかっていない。
間近で見ると↑内部の構造まできれいに残されている↑強調しておきたいのはこれは「発掘・復元されたのではない」ということ。
二千四百年の年月ずっとここに立ち続けているのである↑横からみたところ↑
それが可能になったのは、紀元後六世紀に建物が教会に転用されたから。
現地ガイドさんと共に「神殿の谷」を歩く。
海が見える。
ダイヤモンドの単位の元となったカラット豆をおしえてくださる。
街の端にある城壁は、その後の平和なローマ時代には埋葬場所に使われるようになった。
↑アーチの中がその場所だった。
ローマ人たちは街を出入りする人々が目にする場所に一族を誇る墓や記念碑を建てていた。
神殿がたくさんありすぎて覚えきれないが、
この環境を利用して展示されていた現代作家のブロンズ作品にはぴったりの場所だ。
絵画も彫刻も、作品の価値の半分は展示される環境に依存している。
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遺跡のど真ん中に20世紀はじめのイギリス人の邸宅が残されている↑ヴィラ・アウレア(黄金のヴィラ)
↑胸像はここに住んだアレキサンダー・ハードキャッスル卿↑
1921年に英国軍艦の船長としてアグリジェントを訪れ・魅了され、すぐに移住し1933年にこの地で没した。
考古学者でもあった彼が私財を投じて保護・発掘・復元したからこそアグリジェントは現代の我々が見学すべき場所になっているのだ。
↑彼が発掘し再び立てたヘラクレス神殿の八本の柱↑
↑アグリジェントの考古学博物館はギリシャ時代の半円アゴラの上に建てられている。
入り口部分は中世の集会場⇒教会修道院の祈祷所として使われていた建物。
これらを利用して1960年代に建設された。
冒頭の巨大なアトラス像の他にも見るべきものがたくさんある。
↑シチリアをあらわす三本足の「トリナクリア」の最古例はこれだとされている↑
シチリアの三つの岬、冬のない温暖なシチリアの三つの季節。
ギリシャ文化をあらわすメドゥーサが真ん中にあるはずだけれどよく見えない。
↑大地女神デメテル?の小さな像がたくさん見つかった。
神殿に詣でた人へのいわばお土産だったと推察されている。
昔も今も、旅する人の気持ちは変わりません(^^)
1980年に子供用の墓から見つかった飲み物入れ↑
どの時代のどんな家族にとっても、子供の死ほど辛いことはない
↑平和なローマ時代に子供を埋葬した棺↓
悲嘆にくれる父母や祖父
↓棺の短い面には羊に引かれて冥界へ?導かれていく様子が描かれている↓
世界中、どこの博物館を訪ねても
その時の人の心が伝わるモノに出会うことに意味がある。