切れ切れになった水道橋が延々と続いている。
建設がスタートしたのはハドリアヌス帝時代の紀元後128年とされる。
水源からカルタゴまで132㎞、ローマ世界最長の水道。
地下に敷設されているのはそのうち24㎞だけ。地上部分がこれだけ長い水道は珍しい。
水源は直線距離で70㎞ほど離れたザグワン山↓カルタゴ遺跡に大雑把な地図が示された地図があった↓
↓写真いちばん下にザグワン山1,295mと書かれている
↓チュニスからカイロアン(ケロアン)への道でその山が見えてきた↓標高八百メートル付近が水源となっているそうな
フェニキア人の紀元前二世紀までのカルタゴでは、水源は雨水と湧水だった。
海辺の都市カルタゴにローマ人の好む大浴場をつくるなど、これではとても不可能である。
アントニヌス・ピウス帝の大浴場はハドリアヌス帝の建設した水道のもたらした水で実現したのだ。
ローマの主要都市には必ず十分な水が供給される仕組みがある。いや充分な水が供給されたからこそ主要都市になり得たと言って良いだろう。
ザグワン郊外の水道橋は鉄道線路が横切るので壊されている場所もある↓
ちょうどやってきた
↓すぐ近くに軍施設がある場所もあるので写真撮影にちょっと気を遣ったりする
↓落ちてしまったアーチの跡がこんな風に延々と続いている姿は、土地開発が進んでしまったヨーロッパでは見られないものだろう。
北アフリカにおいても、ここが野原の真ん中という風情ではなくなっていく日がくるだろう↓
**
前日、カルタゴ遺跡からチュニス市内への途中ラ・マルガで水道の貯水槽遺跡があった↓
↓水道が運ぶ水はところどころでこういった施設に溜められ、沈殿・浄化させてからその地域へ配送されていた
この場所、発掘されて見えているのはごく一部で、全体で1㎞になる広さがあったとされている。
***
同じ施設が内陸の都市遺跡ドゥッガにもあってびっくり↓
標高六百メートルほどの丘の上から斜面に建設された街↓
↓この門を出たところ
↓街のすぐ外側だった
アーチが落ちて半分埋まってしまっているが、ラ・マルガで見た構造がどんなものだったのか理解できた↓
かまぼこ型の屋根にはところどころに明り取りの丸穴が開いていたのだ
水道施設は内部をしっかり掃除しなくてはならない。メンテナンスがなければ維持できない。
↑細い方の穴型送水管
建設がスタートしたのはハドリアヌス帝時代の紀元後128年とされる。
水源からカルタゴまで132㎞、ローマ世界最長の水道。
地下に敷設されているのはそのうち24㎞だけ。地上部分がこれだけ長い水道は珍しい。
水源は直線距離で70㎞ほど離れたザグワン山↓カルタゴ遺跡に大雑把な地図が示された地図があった↓
↓写真いちばん下にザグワン山1,295mと書かれている
↓チュニスからカイロアン(ケロアン)への道でその山が見えてきた↓標高八百メートル付近が水源となっているそうな
フェニキア人の紀元前二世紀までのカルタゴでは、水源は雨水と湧水だった。
海辺の都市カルタゴにローマ人の好む大浴場をつくるなど、これではとても不可能である。
アントニヌス・ピウス帝の大浴場はハドリアヌス帝の建設した水道のもたらした水で実現したのだ。
ローマの主要都市には必ず十分な水が供給される仕組みがある。いや充分な水が供給されたからこそ主要都市になり得たと言って良いだろう。
ザグワン郊外の水道橋は鉄道線路が横切るので壊されている場所もある↓
ちょうどやってきた
↓すぐ近くに軍施設がある場所もあるので写真撮影にちょっと気を遣ったりする
↓落ちてしまったアーチの跡がこんな風に延々と続いている姿は、土地開発が進んでしまったヨーロッパでは見られないものだろう。
北アフリカにおいても、ここが野原の真ん中という風情ではなくなっていく日がくるだろう↓
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前日、カルタゴ遺跡からチュニス市内への途中ラ・マルガで水道の貯水槽遺跡があった↓
↓水道が運ぶ水はところどころでこういった施設に溜められ、沈殿・浄化させてからその地域へ配送されていた
この場所、発掘されて見えているのはごく一部で、全体で1㎞になる広さがあったとされている。
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同じ施設が内陸の都市遺跡ドゥッガにもあってびっくり↓
標高六百メートルほどの丘の上から斜面に建設された街↓
↓この門を出たところ
↓街のすぐ外側だった
アーチが落ちて半分埋まってしまっているが、ラ・マルガで見た構造がどんなものだったのか理解できた↓
かまぼこ型の屋根にはところどころに明り取りの丸穴が開いていたのだ
水道施設は内部をしっかり掃除しなくてはならない。メンテナンスがなければ維持できない。
↑細い方の穴型送水管