旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ザグレブ大聖堂の見所

2017-04-30 17:50:36 | クロアチア

クロアチアの首都、ザグレブの大聖堂は1880年の地震で大打撃をうけた。

 

その時間、朝七時過ぎで止まった時計が入り口左手に展示してある↓

 

 

壊れた大聖堂は全然違うかたちだった。※地震前の姿、こちらからごらんください⇒さらに、イエラチッチ広場の騎馬像の向きも逆だった話、お読みいただけます

 

「どうせ再建するなら」と思ったのだろう、二つの塔を持つ立派な姿ですぐに再建された↓古い絵ハガキが残されている↓ 大聖堂前の広場には、この時まだ城壁が残されていたのがわかる↓

 

 

この再建に用いられた石はしかし、とても脆くて、どんどん風化していった。ゆえに現在の長い長い修復が終わらないのだ。大聖堂を入ったところに、ガラスケースに入った風化した石材↓

 

 

「カテドラルの修復にご寄付を」↑

 

全部を立て替えたわけではないので、二つの石材が併存しているのが、入口を見ても判別できる↓

 

 

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内部、大聖堂のいちばん大事な場所に蝋人形のステピナッツ枢機卿が横たわっている。墓はその下。独立後のクロアチアによって改葬されてここにある。ステピナッツがキリストの元にひざまずく図は、「クロアチアのロダン」と呼ばれたイヴァン・メシュトロヴィッチ(イワン・メシュトロビッチ)の作品。彼がなぜこれをここに奉納したのか⇒こちらからお読みください↓

 



***壁の一面に大きく書かれたグレゴール文字
ここはクロアチア民族の愛国的な場所になっている。

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大聖堂のあるカプトル地区から少し下がって、マーケット広場に至る。ここにある銅像のことは、今回はじめて解説してもらった。実在した風刺詩人の話で、最後は自分の語った事が原因で絞首刑になってしまったそうな。だから、首に縄がついている↓

もともとあった川をこえて、グラデッツ地区の城壁にあった門を抜ける。ここは礼拝堂になっている↓

聖マルコ教会、国会の前で、前方から古めかしい衣装でやってくる人がいる。彼らは?↓

「ザグレブ・タイムマシーン」と、左の男性がメガホンで時々叫ぶ。右手の男性はクロアチアでは有名な作家だった人だそうだ。日本なら夏目漱石?女性もおられます。

日曜のこの時間に、市民がボランティアでやっている「ザグレブ・タイムマシーン」というイベントなんだそうな。このタイミングだから出会えたんですね。

古くからの通りにはニコラ・テスラが公演した場所もある

グラデッツ地区のいちばん端から、カプトル地区の大聖堂が見える

***

夕食はビヤホール。チェコのバドワイザー二種類がある。同じスラヴ系の国だからかしらん。あとは、ベルギーの白ビールも↓

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20時になって、シェラトン・ホテルへチェックイン。ここのレセプション後ろに、「ナイーブ・アート」の画家イヴァン・ラブジンの作品が飾られている。以前記憶していたが、それがホンモノであることに、今回はじめて気付いた。※こちらからごらんください。

 

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リブリャナから国境を経てクロアチアへ

2017-04-30 11:12:14 | スロヴェニア

ブレッド湖を出てスロヴェニアの首都リブリャナへ。小さな山の上の城を川がとりまいている。山と川の間にぎっしりと旧市街↓

ケーブルカーで城へのぼろう。今日は天気の良い日曜日。地元の家族連れもたくさんやってきている↓

城の中庭にある井戸↓ちょっと重い蓋を上げて覗いてみると・・・↓

まだちゃんと水がある

旧市街へ降りて、少しだけ自由時間。見つけたのは養蜂箱のフタに、素朴な絵をつけたもの↓いろんな風刺画がおもしろい↓下は、「争いごとをする二人の間にたって利益を得る弁護士の図」↓

板の下部、少し削られている部分から蜂が出入りする↑

***昼食を終えてハイウェイでクロアチアへ向かう。途中のサービスエリアで売られていたトリュフ製品。クロアチアのイストラ半島はトリュフの名産地。2015年の《手造の旅》で行ったっけ↓

***クロアチアの国境検問で三十分以上待たされた。昨年と比べてずいぶん厳しくなっているのが分かる。

★昨年10月の同じコースの模様はこちらから

三十分以上遅れて、クロアチアの首都ザグレブへ到着。まずはクロアチア通貨のクーナに両替をしなくては。クロアチアではユーロそのままでは受け取ってもらえない店が多い。ガイドさんが紹介してくれた店、今回は大聖堂前のハンバーガー屋さん。こんなところで両替をやっているなんてびっくり↓

クロアチアの通貨はKUNA(クーナ)というのだが、これはもともとテンの毛皮を指してることば。毛皮が通貨の代わりに使われていたということだ。ガイドさんが「この動物ですよ」と写真を見せてくれた↓

***

ザグレブ旧市街は二つの丘からなっている。グラデッツという(たぶん)古代からの丘の街と、カプトルという大聖堂の立つ丘。模型でわかりやすく見せてくれている↓ふたつの街の間に確かに川が流れているのがわかる。

 

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スロヴェニアの最高峰がきれいにみえた

2017-04-29 10:19:20 | スロヴェニア

成田空港からヘルシンキ経由で首都のリブリャナ到着一時間ほど北へ走ったところにある旧ユーゴスラヴィア時代からのブレッド湖畔リゾートへ、20時前に到着。この日はこんな夕景だった

翌朝、起きてみてびっくり↓ 左側がスロヴェニアの最高峰。オーストリアとの国境近くの山↓ブレッド城が朝陽に照らされている↓

これまで何度もブレッド湖畔には泊まっていたが、ここまできれいにトリグラヴ山が見えた。※⇒こちらにもう少し書きました。

午前中はまたリブリャナを通過してポストイナ鍾乳洞の観光へ 

ここには人間と同じぐらい生きる、おもしろい生きものが住むのです

午後、ブレッド湖畔のホテルへ戻り休憩。16時から湖の中にうかぶ島の教会へ↓手漕ぎボート一艘で二十人を渡してくれる↓

島の船着き場から教会までの九十九段を、新郎は新婦をかかえてあがるしきたりだそうな↓

★島のあちこちに花のデザインがあることを質問していただいた これって何?↓

ガイドさん曰く「この島には教会が出来る以前から女神礼拝の伝統があって、それと聖母信仰を結びつけた象徴なんです」 お土産の袋にも描かれている↓今まで何度となく訪れていたが、まだまだ知らないことだらけ。

お土産物屋にあった「蜂蜜酒」→

***ブレッド城へ入る↓

スロヴェニア語で最初に書かれた本を再現している工房↓ここで、名前を入れた記念カードも制作してくれる↓

★六世紀のスラブ人女性の墓から見つかったクジャクのブローチも展示されている※⇒こちらからお読みください

夕食レストラン↓窓際席が人気なので、「一時間でよければ窓際席どうぞ」とのこと↓

セルビアからの車も訪れておりました

 

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《手造の旅》屋久島+指宿 四日目 池田湖、知覧、鹿児島空港へ

2017-04-25 23:24:33 | 国内

このページでは、三月一回目と、四月二回目の両方の写真を載せます。

池田湖・四月↓

大うなぎ→こいつはいつも居ります

日本最西端、西大山駅の「幸せの黄色いポスト」三月↓

通称「釜蓋神社」 鳥居から拝殿まで短い距離だけれど、頭に釜蓋を乗せて歩ききり、お賽銭をいれましょ  こちら、小さな釜めがけてコインを投げております

こんな看板があるのも九州南端ならでは↓

***宿泊した白水館の、朝のお見送りシーン 敷地内の「薩摩伝承館」↓

★余談★↑この伝承館、小松はまだ見たことがない。 で、ここで何が見所なのか、いままで何人も訊ねてきたのだが、これまで一度もぴんっときたことがなかった。 

今回、白水館のチェックイン時に受付をしてくださった若いホテルマンのMさんが、はじめて「見た見たい」と思わせてくれた。「私は薩摩切子が素晴らしいと思いますよ」と、自信ありげに言う。彼本人が薩摩切子が大好きだというのが、その言葉ににじんでいたので、もう少し押してみた。すると・・・

Mさんははじめ薩摩切子の職人になりたくて弟子入りしていた。ところが職人になるには視力が充分でなく、親方からあきらめるように直接引導をわたされてしまった。そして「英語が喋れるのなら、それを生かせる仕事につけ」と言われ、ホテルマンに転進したというのだ。

世の中、志した道を邁進できる人ばかりではない。何かに積極的に取り組む人は挫折なしに生きてはいけない。だが、それは無駄ではない。ホテルマンになったMさんが、小松を伝承館を見たい気持ちにさせたのは、彼の言葉に、人生に裏打ちされた説得力があったからである。

****

知覧は陸軍の航空基地があったが、今はその痕跡もない。わずかにこの弾薬庫と給水塔が残るだけ↓

知覧の特攻平和会館では、三十年前はじめて訪れた時には理解できていなかった事々にも出会えた。

 ★「知覧を遺した人」の話、こちらからお読みください

武家屋敷は、とても美しく保存されている。これで下級武士の住まいだったのだそうな↓

左右で使われている石の材質が違う。これも家柄の違いなのだそうだ。

武家屋敷エリアを下調べしていて、小松がいちばん見たかったのは、実は武家屋敷そのものではなかった。その近くを流れる川にかかる古い石橋。嘉永五年、黒船来航の前年に建造されたものだった↓ 橋というのは洋の東西を問わず、合理的なカタチを追及すると同じようになるらしい↓

鹿児島エリアをゆっくりまわる時間までは、ない。一回目三月は晴れて雲が高かったので、城山の展望台へのぼった↓

途中には西郷隆盛が西南戦争で最後の数日を過ごした洞窟も見られる→

二回目、四月は雲が低く、眺望が望めそうもなかったので、「維新故郷館」を見学。駐車場から橋を渡る↓西郷隆盛が実際に使っていた名前のひとつ「南洲」の名前がつけられている↓

シアターで人形を使ったショーを見学→ 展示はよく工夫されている。

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空港へ向かう錦江湾添いの道。薩摩藩がはじめた工場の為に雇った外国人のための洋館

尚古集成館と磯庭園、三十年前の国内添乗で何回となく訪れた場所。今回は充分な時間がなくて訪問を断念。次に鹿児島を含む《手造の旅》を催行するときに、是非ゆっくりと訪れたい。

★錦江湾沿い「西郷隆盛甦生の家」 僧 月照と入水自殺を企てて、自分だけが助かった時に甦生したと言われている家。 三十年前に鹿児島交通のガイドさんがしてくれたここの説明を、いまでもありありとおもい出す↓

三月の回にて、不思議な美しい虹が見送ってくれた↓

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《手造の旅》屋久島+指宿 第二回 三日目 

2017-04-24 13:27:29 | 国内

サンカラ・ホテルのテラス 昨夜は雨も降っていたのか

ここで焼いているパンをはじめ、どれも秀逸な朝食セレクション ※前回3月7日の日記からご覧ください

テラスと同じぐらいの高さに達している椰子が、景色をより美しくみせてくれている↓

***

屋久杉を使った箸作りを楽しんでいただくべく「杉の舎」さんへ。ここは、一品モノをたくさん制作されている、ホンモノの工房↓

一輪挿し、焼けたように見える部分も積年の自然色↓

十数人を、この場所で受け入れてくださって、感謝いたします。リアルに制作感が伝わってくる↓

一時間の予定をたっぷりオーバーしたけれど、こうして自分の手で屋久杉を削り、お話してもらえる時間こそが何にも代えがた《手造の旅》の意味。ありがとうございます

***白谷雲水峡 いちばん短いコースをゆっくり歩く

植物、小松は得意でない分野だけれど、説明を受けているうちに少しおもしろくなってきた。この毒々しい「マムシグサ」一度見たら忘れません↓さらに、毒のある植物で食べられない。特に根っこの部分はとんでもないそうな。

よくにた形状の「ウラシマソウ」↓釣りをしているような弦がのびているのでこの呼び名になったそうです↓

泳ぐ人なんているのかしらん

宮之浦が見える

★宮之浦・里めぐりへ出発 今日は三人ガイドさんにて↓小松はこれで三度目の宮之浦里めぐりになるが、それぞれの語り部さんによって、ちがった角度からの話がきけるのが面白い。

午後二時過ぎ、公民館でちょっと休憩。昼食代わりに、前回三月一回目にはちょうど定休日にあたって食べていただけなかった押し寿司→ それと、小松が12月下見でいただいて、本番でもぜひご参加の皆さんに食べていただきたいと思っていた紫いものでんぷん菓子↓↓

案の定大好評で、みなさん作り方を質問されていた。

「もっといるひと?」と訊かれて、たくさん手があがった。追加で揚げてくださった↓

旅倶楽部メンバーの皆、心も胃袋をつかまれたに違いない(^^) 語り部のみなさん、キッチン担当のみなさん、ありがとうございました!

***今回の船は17:00発の指宿直行便。三月、四月とお世話になった文化村センター↓ありがとうございました↓

少しまどろんでいる間に、開聞岳がみえてきた↓

港から白水館のお迎えバスにて十分でホテル玄関に到着。今回も「こま通信」の看板を掲げていただきました↓

 

夕食の時、携帯が鳴った。旧知の旅倶楽部メンバーのSさんから。

「小松さん、いまどこにいるの?」

「指宿の白水館というホテルです」

「やっぱり!すぐ行きますね」

なんと、偶然にも別の旅倶楽部メンバーが、個人旅行で同じ白水館にお泊りになっていた。宴会場まできてくださって、以前スイスの旅でご一緒したメンバーとも再会。こんなことがあるのですね。ちょっとした看板でも、だしていただいて感謝です。

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