旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

マンハッタン北部をめぐる

2012-12-23 06:21:48 | アメリカ東部
12月23日日曜日の朝七時半、この時期になると観光エリアを除きマンハッタンはひっそりしている。お盆時の都心と同じ雰囲気だ。

マンハッタン島もここまでいくとけっこう起伏があるのがわかる。

この時間にやってきたのは、ハーレムの教会で朝8時からのミサに参加するため。

観光客でも・誰でも、ミサには参加できる。この場所はもともとホールだったところなので、こういう音楽ミサには最適だ。六年前には撮影OKだったので、その時の写真を載せます。
最初の一時間は説法などほとんどなく、映画「シスターアクト」か「ブルース・ブラザース」か、という雰囲気で強力な合唱隊とともにゴスペルが熱唱される。いつもきていると思しき人たちはあいさつを交わし、周囲にきがねなく踊りだして音楽を楽しんでいる。途中で「隣のひととあいさつしましょう」と声がかかると、きょだいな黒人のおばさんが、笑顔でぎゅっとハグしてくれた。


ミサの本番・説法が始まる前に退出し、観光を続ける。
道が空いているのでいろんな場所へすいすい行ける。
●10ドル紙幣のハミルトン初代財務長官が住んだ家がこれ。
近年移築されてきれいになったのだそうだ、2006年に来た時にはこの銅像の後ろに見える空地にあった筈・・・ううん、覚えてませんでした(笑)
彼は最後に決闘で亡くなっている。このあたりのストーリー、掘り下げればかなりおもしろそうであります。

●初代大統領ワシントンの家も高台に残されている。

川向うまで見渡せる場所はたしかに司令部にふさわしい場所だ。
ここは18世紀後半にモーリスというイギリス人将校によって建てられ建物で、1776年にジョージ・ワシントンが軍司令部として使用し住んでいたのである。後にはジュメルというフランス人商人の持ち物になった。
よって、正式名称はモーリス=ジュメル・マンションという。
すぐ前のとおりは18世紀末から19世紀初めの雰囲気を残す歴地市区としての建物がある。


●50ドル紙幣の第18代グラント大統領の墓
写真右側のいかにも「霊廟」という建物

歴代アメリカ大統領の中では汚職まみれで最低と言われるそうだが、南北戦争の英雄で国民に人気があった。
この墓をみると、彼はなんといっても軍人だったということがひしひしと伝わってくる。
飾ってある戦場の旗、勝利した戦いの地図。
なによりこの墓はフランスにあるナポレオン一世の墓そっくりであります。


**
セントラル・パーク近くまでもどり、映画「ナイト・ミュージアム」の舞台になった自然史博物館の前を通る。


ジョン・レノンが撃たれたダコタ・ハウス前

今でも七階にはヨーコさんがお住まい。
近くのセントラルパークに設置されたプレートここを「ストロベリー・フィールズ」と呼ぶ。

今回NYで二つ目の美術館はフリック・コレクション

ここはカーネギーの共同経営者にもなった富豪ヘンリー・フリックの晩年の邸宅でもある。

厳選された名品を、その置かれるべき環境とともに楽しむことができる稀有な空間。念願の訪問で、念願のホルバイン作「トマス・モアの肖像」に対面することができた。

***
昼食は飲茶を「麒麟金閣」にて。ガイドさんに教えてもらったこの店は大人気で少々待ったが、本格飲茶が楽しめます。

GOLDEN UNICORNが英語名



ホテルのあるタイムズ・スクエアまで北上

あ!噂のネイキッド(裸の)カーボーイがいたいた


****
この旅最後の夜は、全員でブルーノートのクリス・ボッティ(トランペット奏者)ライブへ。
テーブル席もぎっしり満員、ステージまでほんの五メートル。高級感でなく、親密な雰囲気たライブハウスの楽しみだ。

彼は自分のホームグランドであるNYブルーノートにて、なんと12/17~新年1/6まで、三週間ぶっつづけで毎日二回セットをやっている。

冒頭、マイルスの「スケッチ・オブ・スペイン」誰もが知っているアランフェス協奏曲のアダージョからはじまり、ショパンのノクターンCm、バカラックのLook of loveなど、幅広い選曲を聞かせてくれる。ゲストボーカルにリサ・フィッシャー、ストーンズと一緒にやっていたのとは全然違ってエレガントに(でもパワーはそのままに)STINGのLa Belle Dame Sans Regretsを聞かせてくれた。

BLUE NOTEは彼のホームグランドなので、知り合いがいつも誰かしら来ている様子。
「今日はここBLUE NOTEのシェフのお母さんが来られてます、どこですか?」(ハーイと声がする)「あ、そこですかぁ、子供の頃の彼ってやんちゃでした?あとで教えてくださいね(観客(笑))」
(あたりまえながら)観客と言葉が通じるので、もともと饒舌なボッティはいろんなエピソードを語ってくれる。
「ポーランドの式典に招かれた時に、ショパンのノクターンCmをやってくれってことになって・・・お役所ってのは時々良い提案をしてくれる、「よく」じゃなくて、あくまで「ときどき」だけどね(観客(笑))」

一時間半、最後には各楽器の圧巻のソロをこれでもかと聴かせてくれて、終了。これで税サービス込み82ドルでした。

*****
ライブを終えて、ホテルへの帰路、ワシントンスクエアの夜はふけて?(笑)


タイムズスクエアまでもどり、ロックフェラーセンターの前をとおると、まだまだすごい人でありました。
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マンハッタン島の南エリア

2012-12-22 23:15:17 | アメリカ東部
朝、タイムズ・スクエアど真ん中に位置するマリオット・マーキーズホテル32階の部屋からの眺め

リフトは吹き抜けの館内を降りていく。途中ガラスの向こうのジムではたくさんの人が汗を流してエクササイズ

NYのシンボル「自由の女神」は、通常のツアーだとスタテン島へ行くフェリーの上から遠望するだけ。はじめて行った時、あまりに遠くでがっかりした記憶があったから、《手造の旅》の時にはできるだけ近くから見るようにする。

だが、先日のハリケーン「サンディ」の被害がひどく、一か月以上経っても「自由の女神」のあるリバティ島へ上陸するフェリーは運休のまま。今日はバッテリーパークから出ている一時間の遊覧船に乗ることにした。

遠くに見えていた像が、やがて目の前にやってくる。


かつて飛行機などない時代、人々は皆海からマンハッタンへやってきた。その時、最初に正面にその姿をあらわしていたのがこの立像なのである。新世界を求めてやってきた移民たちの目に、それはどれほど印象的な光景だっただろう。
フランスからの革命百周年記念プレゼントだったとか、作者のバルトルディは自分のコワイ母親をモデルにしたとか、そんな事は忘れて良い。大事なのは、どれだけ多くの「新アメリカ人」たちが、この像を見つめて上陸していったのかという事。

すぐちかくのエリス島は、移民たちが検疫を受けた島である。ここで病気や犯罪歴が発覚すると、新世界を目前にして強制送還されてしまう。
ここの博物館はその歴史を日本語でも解説してあるそうだが・・・こちらも台風被害の後、まだ復旧していなかった。また、次回、ですね。

船はイーストリーバーをさかのぼっていく。百年の歴史を持つ美しい橋の下をくぐりぬけてゆく。

高層ビルが海から直立したような景観はたしかにNYならではの圧巻だ。

いちばん右から二つ目の建設中のビルが「9・11」の跡地に建てられているビルの中のひとつであります。

遊覧船から降りて「ハイライン」と呼ばれる遊歩道を歩く。
元の貨物小列車が走っていた空中線路をとりこわさずに細長い庭園にしたもの。ところどころに線路自体も残されている。暖かい時期にもっとゆっくり歩きたいですね。

降りてから近くのカフェで全員でお茶。十人ほどだからこういう時間がとれる、そこが《手造の旅》の良いところです(^^)

11:30に「グランド・ゼロ」の入場予約をとってもらっていた。ここは観光地ではないのでに入場料はとらない。しかし、この行列はやっぱりどこかのアトラクションに入る行列のようであります。

新たなワールド・トレード・センターを建設してはいるが、
南北のビル二つのあった場所そのものには、さすがに建物をたてようとはしていない。
それぞれのビルのかたちに掘りこまれた穴に、えんえんと滝が吸い込まれていく。

ふちには犠牲者の名前が刻まれている。

記念館はまだオープンしていなかった。

**
遅めの昼食を、「フランシェス・タバーン」という歴史あるレストランへ。

ワシントンも好きだったというパイ包みのスープがいけてました。


ウォール街を少し歩く。

42丁目のホテルへ向かう頃には、早くも陽がかたむいている。


夜はすぐちかくでやっているミュージカル「ライオン。キング」へ

※ミュージカルの感想はこちらからお読みください。
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アセラエクスプレスでニューヨークへ

2012-12-21 22:41:34 | アメリカ東部
ボストンのホテルから南駅まで運んでくれた運転手はジャマイカ人だった。

2000年に奥さんとボストンへ移ってきたのだそうだ。「中国人?」と訊かれた。よく話てみると、彼らにとって東洋人は日本から東南アジアまで全部一緒に見えるとの事。で、「日本人から見て『黒人』は、アフリカの全部の国とカリブ海のジャマイカまでふくめて違いがわからないんだからいいんだよ。」と、一緒に大笑いした(笑)

駅ではポーターを使った方が、早く列車に乗車できる。

アセラ・エクスプレスは日本の新幹線とは違って、一般の線路を走る。かたちはドイツのICEみたいですが。


ボストンを出た時は天気予報どおり嵐のような天気で、時折見られる海岸線も灰色で凍えそう。

二時間ほどすると陽が射してきた。沿線はかつての港湾工業地帯だった名残が感じられる。



ニューヨークの摩天楼はいつ来ても圧巻。


マンハッタンのど真ん中に到着して、すぐにメトロポリタン美術館へ向かった。

六年前は別館のザ・クロイスターズを重点的に見たので、この本館は駆け足ですぎてしまっていた。
今日はここだけのためにガイドさんをお願いし、結局三時間ご案内いただきました。これ以上は見ている方の神経と体力がついていきませぬ。


あまりに見ものが多く、博物館セクションはとおりすぎただけ。それでも、このキクラデス諸島から発掘された五千年前とも言われる竪琴弾きの像の前では足を止めた。単純化されたフォルムだが、表情も含めて音楽が聴こえてくるようだ。


あ、これは「三美神」ボッティチェリもラファエロもモデルにしている。

ティファニーのステンドグラスと邸宅前の柱。

こういったかつての建築物につかわれていたものを、それごと移築して、新しい空間で美しく見せる事ができるのは、こういった広大な美術館だけに許されたぜいたくにちがいない。


尾形光琳の「かきつばた」図
このセクションに、イサム・ノグチの庭園に置かれるような水がながれるオブジェがある。


とおりすがりに目が吸い寄せられた「狛犬?」は、中国の6世紀頃の作品。ロマネスクな雰囲気がいいなぁ。


★ボストン美術館をご案内いただいたガイドさんからサージェント作の「マダム・エックス」をお勧めいただいていた。ううむ、これ、すごいです。
またあらためて書きます。

***
メトロポリタン美術館を出ると早夕暮れ。
夜景の美しいイタリアンレストランで夕食の後、一般住宅のクリスマス・イルミネーションがすごいという地区へご案内いただく。
いやはや、これならディズニーランドいりません。こんな住宅が何十とかたまっているのです。
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絶品チェリーストーン

2012-12-20 20:57:13 | アメリカ東部
午前中ボストン美術館をたっぷり説明していただいて、電車で昼食のモールに移動。

ボストンの地下鉄というか市電というか、は、正直きっぶが買いにくいし、外から来た人間にはわかりにくい。
一回利用料金二ドル五十セント。チャーリー・カードと呼ばれるプリペイドカードを買っておく方が便利。
ボストン美術館前のような屋外の駅では、バスのように乗車口が運転手のところしか開かない。ここで切符を買うのだが、おつりは出ないと思った方が良い。
列車がシンフォニーホール前のような地下駅にはいれば、すべての車両扉から乗降が可能になる。駅自体に改札がついているからだ。ややこしいですね。

遅めの昼食は老舗海鮮チェーンへ。
午後二時近くになると、十人で座れる席も空いていた。

ロブスター

身も美味しいけれど、この味噌でお椀をつくってほしいなぁ(^^)


牡蠣は日本に比べると少々小ぶりだが味は良い。しかし、地元の人に教えていただいたチェリーストーンという貝の方が印象に残る美味しさだった。

ハマグリと同じような食感だが、色がほんとに桜色であります。
この日出されたものは厨房でも「今日のは大きくていいねぇ」と話していたんだと、ウェイトレスさんが教えてくれた。

**
夜はホテルからすぐ近くのシンフォニーにて、ボストン・ポップス・オーケストラへ。
この《手造の旅》は、このコンサートの日程に合わせて企画した。

それだけ六年前の印象が鮮烈だったのである。

今日はもちろんクリスマスの演目。指揮者キース・ロックハート。

絵本の朗読がはじまったり
歌詞が大写しになってみんなで歌ったり

たのしいクリスマスコンサートでありました。
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新装ボストン美術館のアメリカ美術セクション

2012-12-20 08:10:12 | アメリカ東部
旧来の入り口を入ると、サージェントの画いた古典的な天井画がある

新しく増設されたエリアに入ると、がらりと雰囲気がかわり、明るい空間に緑色の木が見えてきた。

が、よく見るとこれがガラスで出来ている
デイル・チフリーという作家の作品。
調べてみると、彼の作品をいままでにもたくさん目にしていたことに気付いた。
ラスベガスのベラジオホテルロビー天井のカラフルで有機的な形のガラス群。ロンドンV&Aを入ったところに吊り下げられた巨大なガラスオブジェ。これらは確かに忘れがたい印象を残してくれる。
このガラスの木も、これがあることによってこの広い空間がいわば軸を得て華やかになっている。

見学の後半で見かけた、彼の初期の作品

**
ボストン美術館が大規模改修され、新しくアメリカ美術のセクションが加わったのは2010年の事。
ガイディングしていただくにあたって、特にそちらの方面に重点を置いていただいた。
以下に美術館の説明文とガイドさんの解説からの情報を基に、一部を紹介いたします。


建国の英雄のひとり、ポール・リヴィアの肖像。
仕事は銀細工師なので手にその作品を持っている。その金属や衣服の質感・机に写る光はフランドル絵画のように緻密に描かれている。
ティー・ポットは当時ぜいたく品。茶税によってボストン茶会事件(1773)が起こるのを予感させる。※この肖像画が描かれたのは1768年


彼自身の造った銀の杯。
イギリスの課した重税に反対すして結成された秘密結社「自由の息子たち」のメンバーの名前が入った高さ三十センチ近い大きなもの。


初代マサチューセッツ州知事となったジョン・ハンコックの肖像。独立宣言書にいちばんはじめにサインした人物として知られている。父を亡くして叔父に育てられ、その事業を引き継いだ。

この肖像は二十代の終わり、四年間のイギリス滞在から帰国した年に画かれている。ちょうど叔父が急死して、自分自身がトップになった時期にあたる。

ボストンのビールと言えばサミュエル・アダムス。この人物にちなんで名づけられたビールのラベルがこれ
肖像がの方がより年とって見えるが三十代前半でしかない。、

彼も建国の英雄のひとりで、政治論評誌を発行して活動。この場面ではイギリスへの請願書を持ち、マサチューセッツ州憲章を指さしている。
友人のジョン・ハンコックが依頼して画かせたものだそうだが、前出のジョン・ハンコックの肖像のかっこよさにくらべると胴体が小さくあたまでっかちになっているような。確かに絵としてはよく描かれているけれど、文句いわなかったのかしらん?アダムスさん。

これら三枚はすべてコプリーという画家によって描かれている。
彼はボストン生まれでアメリカ建国の英雄たちを描いたが、自分自身はアメリカ独立戦争前にイギリスにわたり、ロイヤル・アカデミーの会員になり、ロンドンで死去している。

**
ワシントンDCのリンカーンの巨像。

ダニエル・チェスター・フレンチのオリジナルから鋳造されたブロンズ。
この作品はその優れた造形力を知ってもらうために
PLEASE TOUCH!=さわってください、付記されていた。

***
一ドル札のワシントンは、この画きかけの絵がもとになっている。

大統領二期目に、マーサ婦人からの依頼で画かれたこの肖像画は、結局本人には引き渡されなかった。このオリジナルは画家本人が所蔵し続けて、これを元絵にして、依頼殺到のワシントンの肖像画を描いていったのである。

****
冒頭のボストン美術館天井画を描いたサージェントの最高傑作とされるのが「ボイト家の娘たち」という大作。

実際の四人姉妹の構図は、幼女から少女への精神的変遷を表している。
画面の中に画かれた日本製の巨大な壺は1997年になってボストン美術館が購入して絵の隣に置いた。

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ティファニーよりひとまわり年上のライバルガラス作家ラ・ファージによるステンドグラス。

釣りが大好きな注文主の邸宅のためにつくられたそうな。一見してジャパネスク。
水を表すのに使われている白濁したパール・グラスは、彼が考案して特許。

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あ、おととい旧市街でみかけたバッタのオリジナルだ
こちら参照

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実業家パトリック・リヨン氏の引退記念・全身肖像画

自分がはじめてついた職業・鍛冶屋に扮して画かせている。左上背景には一時投獄された監獄の塔。貧しい出自を忘れないための戒め、また研鑽を積めば出自に関係なく成功できるアメリカという国に生まれた事を誇っているかのようである。

★アメリカという国は、血ではなく、個々の人々の個性と努力によって成立してきた。
ボストン美術館のアメリカセクションは、美術品としての作品を通じて、その事をゆっくりと理解させてくれる場所になっていた。
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