旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

屋久島視察、二日目

2016-12-21 20:26:30 | 国内

JRホテルは岬の先端近く、絶好の景勝地にある。「谷崎(たんざき)鼻」の灯台まで日の出の少し後に向かった。

雲の多い夜明けだったが、赤く染まる岩場↓

磯には釣り師の姿が見えた。

 

磯まで降りるのはちょっと急なコンクリートの階段↓

坂を上ってホテルに戻り朝食

山側の部屋の眺望も、海側に劣らない。モッチョム岳の岩肌をながめていたら、むこうから雨のカーテンがやってくるのがはっきり見えた↓

しばらく雨を降らせて、虹を残して去ってゆく↓ なんだか、ハワイを思い出していた(ほんと)

**島の南端のJRホテルから、北東岸に位置する宮之浦までほんの一時間ほど。

文化センターで「里めぐり」ガイドさんにお会いした。元新聞記者の長井さんは実に博識。「里めぐり」と言う牧歌的な響きではなく、屋久島を俯瞰する話もたっぷりきかせていただいた↓

下の写真は益救(やく)神社の境内入口

↓この社は10世紀には記録に出てくる、屋久島でいちばんの神社である。昭和20年七月にアメリカ軍の爆撃をうけて焼失し、現在のモノは昭和29年の再建だが↓

奉納された手水は砂岩でできている。島にある花崗岩の方が高級だと思ったが、島では珍しい砂岩を使う方がありがたかったのだそうである↓

小さな祠のとなりに亀の様な石が祭られていた↓

↑これは花崗岩が山から流れてくるとき、自然にこのようになった「亀石」で、集めている人もいるとか↑

ぼろぼろになった砂岩の「仁王」↓明治維新の廃仏毀釈で壊され・埋められていたものを発掘・復元した↓

南方的な巨大「あこう」の木も↓

境内を出て村を歩き出す。巨大な木材が家の前に無造作に積み上げられている↓

これが、「土埋木」↑ 江戸時代に杉を切り出した時の残りの部分。当時、根に近い部分は木目がそろっていなかったので、残して切り出していた。いまでも森の中に入ると、たくさんの苔むした切り株に出会う↓※下の写真はベルテンポ・トラベルの高萩さん 後ろの巨大な切り株、ごらんください↓

こういった「土埋木」は、現在でも年二回切り出されたものを安房で選別し、セリをおこなっているのだそうだ↓下はその時の写真↓左奥に積み上げられたもっとも状態の良いものは、内地の業者に高く買い取られていき、手前のものを島内でセリにかけるそうな↓

宮之浦にはかつて松並木があったが、今残されているのはこれだけ↓みんな松くい虫にやられたのだとか↓

この松の向こうに見える建物、今は廃業したホテル↓内部の一室には、ウィルソン(屋久杉を世間に知らしめるきっかけをつくったアメリカ人)が滞在していた屋久杉の木目がはりめぐらされた部屋があるのだそうだが、見せてはもらえない・・・残念↓

宮之浦川に昭和五年はじめてかかった橋↓

島民から森の所有権を奪った林野庁が、いわば懐柔策にと建設を約束した島の周回道路のひとつとしてつくられた。そうか、昭和になるまで、島をぐるりとまわる道はなかったのだ。まるで、江戸幕府が民衆を分断して支配していたように↓下の写真は橋ができた時の「渡り初め」↓

**

通りかかったくるまが止まって、ガイドさんに声をかける。彼女も里めぐりガイドをしているという方。つくったばかりの、まだ温かい紫いものでんぷんお菓子をくださった→ 見た目も、味も、屋久島の忘れられない印象になってゆく↓

↓三叉路におかれた「石敢当(せっかんとう)」は、南の島に見られるどくとくのもの↓

このあたりは昔の雰囲気が感じられる道↓

***

島の仏教は、明治になるまですべて「法華経」、つまり日蓮宗だった。丘の上に位置する久本寺は、15世紀末に京都は本願寺からやってきた日増(にっそう)という僧によってはじまった。鳴動する山を祈りにより鎮めたことにより、島中が法華経に改宗したのだそうだ。現在の場所は移転されている。墓も移転されているが、いちばん奥に「旦那墓」とよばれる、薩摩藩が派遣した代官の墓がまとめられている↓

屋久島の墓は、鹿児島県らしく、どこもとてもきれいに掃除され、生き生きとした花が手向けられていた。

寺から降りてきて、見覚えのある建物に出会った↓「ヤクニク」とは、屋久島の鹿肉を販売している唯一の業者であるそうな↓この建物の裏で解体もやっているそうな。ネットで見つけて、この旅の行程に入れるか、ちょっと考えた、が、やめときました↓

***

「里めぐり」を文化センターで終えて、屋久島のモデルをつかっての説明をうける↓

天井から下がっている水色の球は何を表す?それは、降水量。雨が多い屋久島のなかでも、もっともよく降ったのが、かつて小杉谷集落のあった山の中↑上で水玉が模型にくっつきそうなほど降りてきています↓

***

さて、屋久杉の森を比較的楽にみられるもうひとつの場所「白谷雲水峡」へも行っておこう↓

公共のバスは一日三本ほどしかないから、やはりこの島をめぐるのはチャーターバスかレンタカーが便利だ↓

入場してしばらく、下の写真のような川べりを歩いていく↓

しばらく歩いたが、見えてくる景色がそれほど変わらないと思った。奥の奥にいけば「もののけ姫」のモデルになったといわれる苔むした森があるそうだが、そこまではかなり遠い。一時間ほどでもどってきた。車で海岸へ降りてゆく道から、宮之浦がきれいに見えた↓

空港へ行く前に、「あ、開いている!」と車をもどして寄ったのがこの押し寿司の店。以前、案内してくれたバスガイドさんの友人のお母さまがやっているとのこと。飛行機で食べることにした↓

 注文したからつくるのでしばらく待つ。お茶とあんのんイモの焼き芋をだしてくださった↓

飛行場へつくと、昨夜夕食を一緒にした空港に務める方がサプライズを用意してくださっていた。

あ、お寿司の後にデザートでいただきます(^.^) 

搭乗

夕暮れに開聞岳と池田湖がくっきり見える↓

鹿児島から羽田へのフライトで押し寿司をひらく→

そして、デザートに、VITA特製の手作りプリン!↓

ほんとに、皆様ありがとうございました!

 

三月と四月の本番にて、お会いいたしましょう!

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屋久島視察、一日目

2016-12-20 11:38:20 | 国内

《手造の旅》屋久島と指宿 一回目3/5発 二回目4/22発のための屋久島下見。

羽田空港を朝六時半出発し、鹿児島でさっと乗り継いで

午前九時半に降り立った。

ターンテーブルで荷物・・・とおもったら、ターンはしないテーブル越しに渡される。ネパールのポカラ空港を思い出した。そうか、屋久島ってビッグネームだけれど、実際は田舎の離島だったのか↓

歩いてもすぐ近くのレンタカー営業所で手続き。傍らになんと「無料のCD貸出」があるなんて↓

 これまた歩いても行ける近さにある屋久杉を使った彫刻屋さんへ。いきなり「箸作り体験」、少人数でちゃんとご指導いただけるので、誰にでも屋久杉にじっくり触れていただけます(^^)↓

※こちらに、もっと写真を入れて、内容を書きました

●ヤクスギランドに向かう道 木材を積んだトラックとすれちがった。↓

世界遺産で国立公園で、そんな場所でも切りだせる木材があるんだ?と素朴な疑問。これは翌日に里めぐりのがいどさんにご説明いただいて、事情を理解した。 あ!ヤク猿↓ 群から離れてたオスのようだ↓

 

いちどヤクスギランドを過ぎて先まであがってゆく。山登りの入口には二日前の雪が解け残っていた↓

「紀元杉」は、車でもすぐそばまで行ける↓下の写真左手前に写っているのは、団体バスの記念写真用ベンチなのです↓

樹齢一千年を超えるモノを屋久杉とよぶのだが、それは有名な「縄文杉」以外にもたくさんあることを知った。「紀元杉」も充分な迫力↓

再び車で、ヤクスギランドの入口へ向かう途中に・・・あ!ヤクシカ、子供ですね。不安そうにこちらを見ている↓

さっと横切って茂みにはいってからも、こちらを伺っている↓ きいたとおり、サルとシカにはたくさん出会える。ちなみに屋久島にはイノシシも野兎もいないのだそうです↓

●ヤクスギランド 入口に到着。この名前をきいて遊園地だと勘違いした人もあるのだとか。ここは五つものルートが整備された屋久杉の森を歩く場所です。いちばん短いものは30分。今回小松は50分のコースをあるいたが、木道もしっかりしていて、普通に歩ける方ならばゆっくり楽しめてたっぷり屋久杉も楽しんでいただける場所だと思った↓様子、ごらんください↓

↓巨大な岩を巻き込んだ屋久杉の根。屋久島は花崗岩の巨石がごろごろしているのも面白い風景

道はよく整備されている↓

ご案内いただいた高萩さん↓屋久島へは二十回近く来られている。後ろに写っているのは、江戸時代に切れられた屋久杉の切り株、その上から新しい木が生えている↓苔むした古い切り株が、貴重な「土埋木」として使われるようになっている↓

あ!こんどは大人のヤクシカ↓ 我々のことはちらっと横目で見たきり、余裕をみせている↓

ヤクスギランドを出て、ふたたび海岸の道路へ下る。雲がはらわれて、尾根が顔をだした↓

山が終わるとすぐに海↓屋久島の集落はすべてが海沿いにある

★屋久杉のことをまとめて理解できる自然館へ↓建物の前にあるのは昭和期までつかっていたトロッコ。屋久島では四か所に長いレールが敷かれていたそうだ。今でも軌道が残るのは一か所のみ↓

屋久杉の木目は普通よりもずっと詰まっているという説明↓ なるほど、だからヨセミテやセコイア&キングスキャニオンのほうが太いのに樹齢は若いと推察されているのか↓

↑左がふつうの杉、右が屋久杉。目が詰まって、油分が多い色をしている。

江戸時代には大木を運び出すことは簡単ではなかった。森の中で「平木」に加工して、それを背負って下山していた。米と交換する時のレートは、「平木」2310枚でやっと米一俵↓

巨木を切り倒すのに導入されたチェーン・ソーを実際に持たせてくれる。歯の部分がとんでもなく重くて持ち上げるのがやっと↓

***

宿泊場所をどこにするかは、旅の骨格である。今回選んだサンカラ・リゾートは、世界レベルの空間だ。敷地を入っても建物は見えてこない↓

 

派手ではないが心地よさげな建物が見えてきて、車を裏手につける。降りてひらけてゆく景色↓

テラスに出た時の解放感は、スリランカのジェフリー・・バワの建築のようだ↓

ウッドデッキで時間を過ごしたい

ティーサロンで雨を眺めるのもよい時間になりそう↓

客室はテラスから見える屋根↓

散歩していると庭師の地道な努力も感じられる↓

客室は上階・下階となっているが、上階でも眺めがよいわけではないので、それほどの差はないと感じる↓

各部屋三人まで、ひろびとくつろげる↓

バスルームも↓こんな

除湿機も常設⇒

ダイニングは、二つクラスがある。+6000円でアップグレードなのだそうだ↓

***夕暮れ迫る「千尋(せんぴろ)の滝」を見て↓

今晩は高萩さんの友人が経営しているVITAレストランを訪問した↓「ていねいに作った家庭料理」を目指しているとおっしゃる・屋久島前菜の皿↓いけてます!ヤクシカの肉、屋久島で養殖しているエビは皮もするっとたべられてしまう。柑橘の塩、そして契約農家さんからの野菜。屋久島で普通に売られている野菜は別の島からもってこられたものがほとんどなのだそうだ↓

とても濃い屋久島理解ができた、屋久島デビュー一日目でありました。

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カイロ~コプト教会と博物館

2016-12-11 15:03:37 | エジプト

昼食はシーフードレストランへ。砂漠のカイロだからとあなどるなかれ、かなり美味しい

 

 

今日の高速道路はとても空いていた

オールド・カイロ地区へ到着。エジプトはイスラム教徒の国だと思われているが、ローマにカトリック教会が出来る以前からのキリスト教=コプトの教会がいまもたくさんあるのだ↓

コプト教会の総主教は、十二使徒のひとりである聖マルコの後継者ということになっている。そう、あのヴェネチアの教会に葬られている、その人。

この教会がもっとも重要な「ハンギング教会」↓ローマ時代の「バビロンの要塞」の上に建てられていて、二十九段の階段を上った先の身廊は、その上をまたぐようにして建てられている。だから、この名前があるのだ↓

階段をあがって、教会の入口。七世紀から十三世紀にかけてつくりつづけられてきた↓装飾がイスラム教のモスクと同じようにみえる。共存し続けてゆく中で双方に違和感のないデザインになっていったのだろうか。実際に建築に携わったのがイスラム教徒だったかもしれない↓

↓内部、木製の天井。

目につく、おもしろい説教壇には、奇跡の逸話がある↓

⇒こちらに奇跡の逸話、書きました。 

彫刻は中世キリスト教的↓

至聖所は木製のイコン壁によって仕切られ、中は見えない↓

イコン壁の美しい象牙細工の幾何学模様はイスラム教的↓

**コプト博物館を見学する

入口にオスマントルコ役人帽子をかぶった胸像↓このコプト教のコレクションをしたのは、イスラム教徒のこの人物だったのであります↓

コプトは織物が卓越している↓デザインも色彩も↓

エチオピア正教は1959年までエジプトのコプト教会の一部であった。

アフリカのキリスト教徒のものなので人物の色もそれらしい↓下もエチオピアのキリスト教主教の儀式福↓

古代のキリスト教であるコプトはギリシャ神話も彼らの神話の一部にしてしまっている↓下は「レダと白鳥」↓

オルフェウスとエウレディケ↓

6世紀のキリスト教徒の墓には、シンボルに古代エジプトの生命のシンボル「アンク」がしっかり刻まれていた↓

カソリック成立以前の十字架は、古代エジプトのアンクと同一視されていたのか。

10世紀頃描かれたアダムとイブの話もあっけらかんとしている。右の二人が禁断の実を食べる前。左が食べたあとなので羞恥心を知って、イチジクの葉で隠している↓

コプト語で書かれた最古の聖書が大事に、下のガラスケースに入れられている↓

少女の墓にいっしょに埋葬されていた、羊皮紙と象牙でできている↓

ここはモノだけでなく、建物の一部もコレクションしている。なんと、天井も↓

とりこわされた建物の見事な天井装飾が、失われずにうけつがれている↓

木製の窓「マシュラベイヤ」も。内側からみるとこんな↓ステンドグラスもはめ込まれていたりする↓

外の中庭からみるとこんな↓

***

オールドカイロの街歩きを続ける・・・なにげない建物でも趣がある⇒

旧約聖書のモーゼは、赤ん坊の頃ナイル川で籠に乗せてながされ、それをエジプト王女が拾ったことになっている。その、拾われた場所にある教会が、現在ユダヤ教のシナゴーグになっている。内部撮影禁止↓

 ****

ギザのホテルへ戻る時、巨大な工事中の建物が見えてきた。これは、2017年秋に完成予定の新しい考古学博物館。日本が援助し、ノルウェーの建築家のデザインなのだそうだ↓

今の、タハリール広場にある巨大な物置のような建物からここへ移ると、さて、どんな風にみせてくれるのか、楽しみであります。モノの価値は、その展示環境が的確でないと大きく損なわれてしまうものだから。

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逆さピラミッドの見えるホテルからピラミッド見学へ、「太陽の船」も見学

2016-12-11 12:04:51 | エジプト

「朝おきて、ピラミッドがみえてびっくりしたよ」と、コメントをいただいた(^^)想定した展開、このホテルを選んでよかった。下の写真で右の方に見えるのが我々の泊まった新館↓

レストランの前の小さな水に、こんなふうにピラミッドが映るのです

朝食レストランは本館とも新館とも別になった建物で、ゆったり天井も高い↓

洗練されたエジプト料理の朝ごはんは、辛すぎず、日本人はきっと気に入ります。

**さぁ、いよいよ、あこがれのピラミッドへ。ホテルからバスに乗ってすぐに到着。入場↓

いつも、いつも、見るたびに畏敬の念にうたれる。

六年間のブランクがあって、ギザのピラミッドがいかに圧倒的な建築で、他に比肩するものなどない存在なのかを、あらためて感じた。

ギザの大ピラミッドは一日の入場者を制限している↓斜面の下にあけられた「盗掘穴」から入って、途中で上の穴から続いている本当の通路に至る↓

今はもうカメラの持ち込みさえも禁止されているが、ここでは2002年に小松が撮影した写真をお見せしましょう。内部、なにも変わっておりませぬ(^^)↓

これが、盗掘穴を入っていった通路が、正式な通路にぶつかるところ↓

腰をかがめなくては進めない四角いトンネルを抜けると、いきなり「大回廊」と呼ばれる天井の高い空間に出る↓

正面にも水平に続く穴があり、かつてはそこへも入る事が許されていたが、今は閉められている↓

大回廊をのぼってゆくと、また腰をかがめる四角い通路が少しあって↓

最後に石棺のある玄室に到着する↓

発見された時にはすでに、ほぼこの状態で中身などは何もなかった。

このピラミッドがクフ王のものだと伝承はあったが、確認されたのは、玄室の上に見つかった、通称「重力軽減室」のひとつにクフ王の名前が書かれていたから。

また、クフ王の像はたったひとつ、7.5センチのモノがアビドスでみつかって、考古学博物館に展示されているが・・・※これについてはこちらに書きました

 外へ出て、間近に見上げる。日本出発前には「ピラミッドに登りたい」と言っていた方も、この51°の傾斜と巨大な石を見ると、そのむずかしさをさとる↓マーク・トゥエインはガイドにひっぱられて登った話を書いていたが、その当時は落ちて死んじゃう人もいたのだとか。なるほど、そうでしょう↓

日本人で、ここに登った著名人は、現東京都知事の小池さん。カイロ大学へ留学していた当時、帰国する前の記念にと登り、なんと頂上でお茶をたてたのだそうだ↓

←バスに乗って、三つのピラミッドがきれいに見えるポイントに。こういう楽しみ方もできまする。

みんなで記念写真→ ふたたびバスに乗り、こんどは「太陽の船」を見学。それは、ピラミッドの横の穴からみつかった巨大な木材をくみ上げてみると出現した、王様があの世に行くための船、だと思われている巨大なシロモノ↓

あの、見えてくる巨大な建物内部に、ある↓

↑上の写真で左端に並べられている巨石は、船が発見された穴の上にならべられてふさいでいたもの。建物のある場所の地面に、その穴がある↓

上を見上げると、空中にうかぶように木製の巨船があった。周囲をまわるように見学ルートがつくられている↓

***

第二ピラミッドに付属して建設されたスフィンクスと、葬祭殿も訪れる↓

緻密な石組の葬祭殿。思い出したのはペルーはクスコのインカの石組。その数千年前に、同様かもっと卓越していた石組をつくりだしていた古代エジプトって・・・↓ 下の写真地面には、カフラ王の座像がずらりと並んでいたと推察されている↓

スフィンクス横に出る↓

夜になると「音と光のショー」が上演され、下の写真の座席で見学する↓

圧倒される午前中の見学だった

 

 

 

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カイロ到着、スーパーマーケット経由ギザのホテルへ

2016-12-10 22:07:13 | エジプト

空から見るカイロは、東京とは全然違うけれど超絶の大都市であることはひと目で分かる

新しい街が砂漠の方へもどんどんひろがってゆき、その中心にはナイル川がたいして広くない川幅でながれている。世界最長の川ではあるけれど、砂漠の中をながれていくので川幅はひろくならないのであります。

空港近くのスーパーマーケットに寄る↓

こういうところでお土産になるもの、たしかにあります。小松はタヒーナ(食事によくでてくるゴマのペースト)を見つけて購入↓ビネガーでのばしてクミンをはじめとするスパイスを好みで味付けするのだそうな↓17.25エジプト・ポンドは、約US1ドル。変動相場が導入される11月以前のレートでは倍の2ドル換算だった。外国製品は今後もどんどん値上がりしてゆくだろう。インフレもすすんでゆくだろう。

そのスパイスは種類も豊富。胡椒、クミン、コリアンダー、などなど。↓小松が以前買った経験から、この手のモノは日本で売っているのとは比較にならないぐらいパンチがある=ぴりっと強い味がする、のであります↓

ディーツはナツメヤシの乾燥させたもの↓経験上、日本の柿が好きな人にはウケル味↓

**

「最近できた、いちばん高級なホテルです」と、ガイドさんのいうケンピンスキー↓

渋滞は近年とてもひどいときいていた

ギザのホテル近くにて、パピルス屋さんに寄る。かわらずがんばっていたのですね↓

近くには豊富なフルーツを売る店 そして、ギザのピラミッドが目の前のレストランで夕食となった↓

ここで、カイロ在住の日本人Nさんが、「ラジオ深夜便」の海外コーナーの為のインタビューにこられた。「観光復興途上のエジプトへきてみてどうでしたか?」という質問。

外では夜の街で子供たちが遊んでいる。過激派のテロ行為は散発するカイロだが、市民生活は街中の安全は、あの「アラブの春」でデモを毎日やっていた当時とはちがっている。普通の生活が守られているカイロに思える↓

***メナハウスホテルに到着。ここはピラミッドが目の前にみえる、かつての国王の迎賓館。チャーチルをはじめ、各国のVIPが宿泊していた。

明日の朝、中庭でびっくりするほど大きくピラミッドが見えるのを、みなさん見つけて喜んでもらえるにちがいない(^^)

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