旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ダニーデンの夜、翌朝オークランドへ

2023-12-28 10:00:36 | ニュージーランド
ダニーデンの夜。
夕食は牛ステーキにした↓テーブルでバターを焦がしてくれる

今回の旅でNZが羊よりも牛を食べる国に変わってきたことを実感した。

市の中心「オクタゴン」にあるステーキハウス

人気店を予約することができた。

熟成肉の保存庫がある


付け合わせの季節の野菜は初夏らしいアスパラガス!

食後のコーヒーは

↑今回の旅で覚えたNZならではの「フラット・ホワイト」↑
牛乳の味を生かしていて、NZのどこのカフェでも通じるメニュー。
フツーのコーヒーは「ロング・ブラック」と書かれている。

午後九時近くに店を出たら日暮れのあとのトワイライト・タイム

↑「ファースト・チャーチ」のそばを散歩してホテルにもどった。
**
翌朝、ホテルの部屋から見るオタゴ半島

ここまでずっと晴天でほんとうに恵まれていた

↑あのあたりは雨が降っているだろう
ロビー横で朝食。いわゆるイングリッシュ・ブレックファースト。ホテル前は繁華街ど真ん中だが週末で空いている。

ダニーデンの急な坂の上は雲の中

空港に向かう道に入ると雨粒がたたきつけられてきた。
空港の天気を心配したが、十分ほどで今度は青空がひらけて

空港の表示がみえるころには

すっかり青空

日本の小さめな地方空港ぐらいのサイズ。

でも随所に楽しいデザインがいっぱい(^^)

ゲートが開くのをまっているとまた雨が落ちてきたが、

誘導係員さんは外からのタラップへ行けと言う。

離陸…

二時間弱でオークランドに降下をはじめた。

北島は南島よりずっと人口が多く、オークランドへは世界中からの航空路線が集まっている


↑降機してすぐに、南島との体感気温の差におどろいた。
天気予報の気温を見ているとどちらも20度前後なのだが、
南島のダニーデンの朝は初夏とは言えないコートがほしいぐらいの感覚。
北島のオークランドは昼に到着したせいでもあるが、
完全に「夏だ」と体感した。

日本からのNZツアーは南島を中心にしているものがほとんどだが
実際には北島でこそ現在のNZを知ることができるのかもしれない。
今回はオークランドに一泊するだけだが、
NZ北島だけの旅も考えてみたい。

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ダニーデンは「ニュー・エジンバラ」だった~世界一急な坂、オタゴ大学、ダニーデン駅、英国風の教会

2023-12-23 13:40:01 | ニュージーランド
カタカナの「ダニーデン」からDUNEDINという綴りはうかばない。
※由来を後述します
↑1906年開業のダニーデン駅のホーム看板
**
最初に街の位置がわかるシグナル・ヒル展望台へ

↑対岸に複雑なカタチをしたオタゴ半島↑
半島によってできた入江の奥にダニーデンがある。
最初の入植は1840年代。
見晴台の公園は入植の百年後「次の世紀」を記念して、もとあった公園を拡張した。
1840年はイギリス人がマオリ族からニュージーランドを取得したとされる「ワイタンギ条約」が結ばれた年である。

巨大なモニュメントは1950年代に完成した↑ブロンズ像↓

あとから調べてみるとこの女性は「the thread of life」↑つまり、抱えている毛糸の玉は魂の緒だった。
※ギリシャ神話の「モイラ」=命を司る三姉妹の女神↑糸を紡いでいいるのはそのうちのクロート?

逆サイドに坐する男神は歴史をあらわしている↑製作者はこの二つの像で何を伝えたかったのだろう。

↑モニュメントの前に置かれた石は↑スコットランドのエディンバラ城のもの↑1841年に贈られた↑
スコットランド移民は、はじめはNEW-EDINBURGH(ニュー・エジンバラ)と名付けたが、のちに(エジンバラの古い名前である)Din Eidyn→DuneideannからとってDUNEDINと改名した。Dinは古いゲール語(ウェールズ語という解説もあった)で城塞の意味。
EDINは、5、6世紀の聖女Edanaはアイルランドの聖人パトリックの弟子だったとされる

モニュメントの裏側にスコットランドのシンボル↑アザミ

ニュージーランドのシンボルのシダ↑

↑オタゴ地域の紋章にも↑いちばん上にイングランドのバラ↑ 左右にスコットランドのアザミ ↑下にアイルランドをあらわすクローバー(Sham rock)(聖パトリックのシンボル)
現代に至るまでダニーデンはスコットランドとのつながりを大切にしている。
***

世界一急な坂が、ダニーデンのボルドウィン・ストリート

住民はぜんぜん知らなかったが1987年にNZのキャスターがギネスブックに申請し、
サンフランシスコの坂を抜いて一位と認定された。
2019年にウェールズのスノードニア国立公園の道が世界一とされたが
2020年に厳密な測定の結果、一位に返り咲いた。
勾配はおよそ19度になる。

こんな道が出現した理由は、都市計画をした本人がここを訪れていないから。
イギリス本国で地図にまっすぐな道を引いて、それが実際にどんな坂道になるかは気にしていない。


↑坂から市の中心へ向かう途中の学校↑門が出征兵士の記念碑になっている↑
****

↑オタゴ大学はニュージーランドで最も歴史ある大学↑
1869年三人の教授によってスタートした。
1861年にオタゴ半島で金が発見されたことがダニーデンが栄えた理由。
1872年に鉱山を専門にする学部も創設されている。

ひとつの街のような場所

川沿いの散歩道もキャンパス

↑マラマ・ホールは1919年にリバプール伯爵によって礎石が置かれ1923年に完成した。

Arthur William第二代リバプール伯は、初代のニュージーランド総督になった人物。
オタゴ大学の「演劇部」が主にこの建物を使っている。


↑時計塔は2019年から古い鐘が鳴らされるようになった。

そのうちのいちばん大きな鐘?がベルタワーに入らなかったのか地面に置かれていた
↑1863年エジンバラと刻まれている↑
大学のHPに鐘の歴史があったのでリンクします↓とても足りませんが以下に要約↓
1863年にエディンバラで鋳造され、翌年ダニーデンの見本市会場に置かれた鐘。
1871‐77年までその建物が大学になって、鐘は大学のシンボルになっていたのだが、
1877年に建物がコロニアル・バンクに売却された際、新しい所有者が時計と鐘は販売用の備品であるとして、大学側の所有権を拒否した。
1969年に証券取引所となった建物が取り壊された時、鐘は行方不明となっていた。
1997年に発見され、メリディアン・モールに展示されていたが、
2019年に大学の時計塔に設置されたのだった。


*****

突然見えてきた中華門は2008年にオープンした中華庭園の付属として、2011年に上海から贈られたもの。
ダニーデンの市長は2004年から2010年まで中国系NZ人のPeter Chinという人物だった。
中国名は陳荣和。
1941年生まれの彼の先祖は19世紀に移民してきた初期中華移民。
ファミリーはもともとテイクアウトのフィッシュ&チップスを売っていた。
名門オタゴ・ボーイズ・スクールからオタゴ大学へ進学し弁護士になり、
市議会議員から市長になったのは、NZ中華系移民を代表するサクセスストーリー。
在任中に中国との関係を密にして、中華庭園やこの中華門を町中に出現させたのは議論になった。

******

ダニーデン駅が見えてきた

世界遺産に登録されただけのことはある↑白い石は今日歩いていたOAMARUオアマルの石灰岩だ※リンクします


今も駅舎として使われ、誰でも入ることができる。

↑第一次大戦の出征兵士がここから出発したことを記したプレート

内部は見事なタイル装飾

英国王室御用達のロイヤル・ドルトン社のタイルを75万枚使用しているのだそうな。
※NZ観光局の日本語HPにリンクします
20世紀初頭はアールヌーボーの時代↓

↑取っ手ひとつに時代が凝縮されている↑

ステンドグラスもあの時代らしいデザインだが、今見ても古臭くない。
*******
↓1863年創立のオタゴ・ボーイズ・ハイスクール↓
↓ここもオアマルの石灰岩を使ったイギリス本国そのままの建物↓

前出の元市長=中国系のピーター・チン氏もここの卒業生。
後輩が門の前に座ってる。

↑この学校入口にも第一次大戦出征兵士の像がある↑

アーチに書かれているのは学校のモットー?と思って調べてみると、
学校のモットーはラテン語で“Recti Cultus Pectora Roborant”
英語なら “The ‘right’ learning builds a heart of oak!”
日本語なら「正しい学びは《樫の心》をつくる」
※樫は固くて粘りがあり強い

門のアーチに書かれていたラテン語は、調べてみると
「Dulce et decorum est pro patria mori」。
訳すなら「愛国的な死は甘美で正しい」という少々怖ろしい言葉だった。
この言葉は紀元前一世紀・共和制ローマの詩人ホラティウスのもの。
※当時ローマは大国パルティアとの闘いに大敗していた
第一次大戦に従軍したイギリスの詩人ウィルフレッド・オーエンが、
二千年前の詩の一説を引用し有名になった。
オーエン自身が第一次大戦が一週間前に戦死している。
※オーエンは皮肉を込めて書いたとする解説もあった

********
こちらも英国風のセント・ジョセフ大聖堂↓

↑1969年建造のカトリック教会

↓こちらノックス教会は1872年11月25日に完成した。

↑「ジョン・ノックスの死後ちょうど三百年の日だった」と、教会HPに誇らしげに書かれている。
ノックスは16世紀後半の宗教改革者。
メアリー・スチュワートとも会っている。
※2017年にエディンバラ徒歩観光で出会ったノックスの像を載せたブログにリンクします

ノックス教会を設計したRobert Lawsonが↓こちらファースト・チャーチも設計している↓

↑確かににている。※夕食後の散歩の時に撮影
ジョン・ノックスの創設した長老派教会はダニーデンの創成期にもっとも主流だったようだ。

17時過ぎ、ダニーデンの中心である「オクタゴン」近くのホテルにチェックイン。
南半球は初夏でまだまだ明るい。
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オアマル~ニュージーランドのヴィクトリア朝な街、モエラキ・ボルダーズにもちょっと寄って

2023-12-21 09:06:38 | ニュージーランド
イギリスの地方都市がそのまま残されているようなハーバー・ストリート。

地元でとれる「ホワイトストーン」と呼ばれた石で1860から80年代に建てられた、
まさにヴィクトリア朝の倉庫や事務所↓博物館に石材のサンプルが展示されていた↓

**
オアマルの街の入り口にはその「ホワイトストーン」でつくられたモニュメントがある↓

↑この石灰岩がNZ(ニュージーランド)各地の都市建築に使われた。
オアマルはワイタキ川の河口近くに位置しているが↓河口そのものではない。

歴史博物館でも飲料水には苦労していたと解説された。
なぜそういう場所に町をつくったのか?
オアマルの街は石材の切り出しと搬出に便利な場所を選んだ結果に思える。

ワンブロウ岬の影になって港がつくりやすく見えた事も
オアマルがここに建設された理由のようだ↓岬の上からオアマルを見下ろしたところ↓
マオリの戦の神MARUを祀った場所がこの岬にあった?
街の名前の由来である置かれていた19世紀の大砲は飾りなのか?歴史の一コマを象徴するものなのか?わからない

↑二つの桟橋が岬の下を守っている↓19世紀末の絵にも同じ桟橋が描かれている↓

↑今はヨットがぽつぽつ係留されているだけだが↑大きな蒸気船が入港している↑
↑1861年にオタゴ半島で金が発見されるといっきに人口が増え、船も増えた。

1864年にはじめて桟橋が建設される前↑沖合に停泊した船から小舟を使って荷下ろしをするのは危険な作業だった↑
1865年から足掛け三年かけて桟橋が建設されたが、
同年にやってきた嵐によって一晩で流されてしまった。

もともと良港とは言い難い場所。
現在は底が浅くて使えず、港はダニーデンに移っている。
**
ホワイトストーンのモニュメントを過ぎて街に入っていく

真っ直ぐな道が直角に交差する計画都市だ。

下調べの時に「19世紀にはロサンゼルスよりも繁栄していた」と解説があったが、
ほんの少し雰囲気が似ていると感じる。

下調べの時「オアマル・ホワイトストーン市民トラスト」のサイトで見た建物がいくつもみえてくる
※HPにリンクします


第一次大戦慰霊記念碑の向こうに↓ランドマーク的な聖ルカ教会が見えてくる↓1860年代街の創成期に建設された英国国教会↓

目立つ尖塔は20世紀に入ってから建設された↑

***
お昼少し前、
今朝の出発が早かったので早めのお昼にしよう。

雰囲気よさげなカフェに即決

ショーケースに並んでいるものもおいしそうだが

オーダーしてからつくってくれたこのエッグ・ベネディクト

ほどよい半熟加減(^^)

サーモンも、何枚でも食べられそう

「このお店の縁の下にペンギンが巣をつくって、日本の『ふしぎ発見』が紹介したんです」とガイドさん。
この町に来る多くの人の目的はペンギン見学だと知った。

「世界一小さなペンギン」とされるブルー・ペンギンは、メルボルンからよく見学にいったフェアリー・ペンギンと同じ種類なのだそうだ。

そう思ってみると↑いろんなところにペンギンがいます(^^)
****
冒頭写真のハーバーストリートを歩こう

かつて駅があって、蒸気機関車が走っていた。

↑こんなふうに

↑ハーバー・ストリート入口↑正面の建物はオアマル港湾事務所だった建物↑2001年に前出の「市民トラスト」が買い取り、2005年に修復された。

ハーバー・ストリートから市街地方向をみたところ↑左手奥のコーナーにあるのは百年以上の歴史があるホテル。最盛期17あったホテルのうち3つが今も営業を続けている。


↑歴史博物館は元は倉庫

なので正面入口から線路が中にひきこまれている↑

↑天井の高い一角で昔の街の様子が上映されていた


↑19世紀後半に流行したスピードの出る自転車↓ホンモノが展示されていた

★歴史博物館のスタッフに街の歴史をきかせてもらったなかで興味深かったこと
●1906年から1960年まで半世紀以上も「禁酒法」が生きていた
港町は荒くれ水夫が多かったので「禁酒法」が導入されたのだろう。
だが、19世紀には飲料水を確保するのがたいへんだったので、衛生管理のためにビールを飲むことを奨励していたという話もあった。
アメリカの「禁酒法」と同様に、販売は禁止するが飲むことそのものは禁止されなかった?
●アジア人と白人が写ったこの写真↓左下の「VJ」とは何?

中国人移民を受け入れたのは本国が日本に侵略されて難民が発生していたから。
「VJ」はVictory over Japan=日本に勝った記念日
これは本国に送還される危険も意味していた。
※オアマルに最初の中国人がやってきたのは1865年。12人。
1869年には2000人になっていたのだそうな。


二時間ちょっとのオアマル滞在だったが、
行程に入れてよかった(^^)

*****
午後、オアマルからダニーデンまで100キロちょっと南下する。

途中で「モエラキ・ボルダーズ」に寄る。
モエラキという場所にあるボルダーズ(丸い石)。

車を止めて海岸へ降りていく↑

砂浜に無造作にころがっている丸石。

NZ観光局のページにはまだ砂に埋もれる前の写真が載っていた。
なぜこんな石になったのかよくわかっていない不思議な石。
この土の中にもっと埋まっている?触ってもなにしてもかまいません。

↑割れたものも


午後三時ぐらいにはダニーデンに着けそうだ。
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海洋博記念公園内の熱帯ドリームセンター~その2「ポーたま」食べながら南城市へ

2023-12-16 09:03:43 | 国内
ミナレット…じゃない「遠見台」頂上から伊江島の城山(タッチュー)が見える
↓上の写真に写っている庭から塔を見上げたところがこちら↓

蘭がいっぱいの温室を出るとやっと塔が近づいてきた。
上る前に蓮池やアマゾンの魚たちもいる「ヴィクトリア温室」にも寄っていこう。


蓮池と温室

「アロアナが噛む恐れがあるため、池に手を入れないでください」
魚に噛まれてもたいしたことはないだるとと思っていたが…

↑こんなのに噛まれるのはごめんだ(-_-;)

しらべてみるとアロアナも血が出るぐらい噛むことがあるそうな。

ビクトリア温室の地下部分には熱帯のこわそうな魚たちがたくさんいた

↑これがナマズ…ところ変わればサナカも変わる






上の階「ヴィクトリア温室」へ

ヴィクトリア温室にはオオオニバスがある

受粉の仕組みが興味深い

※「熱帯ドリームセンター」のHPにリンクします

この部屋でひらひら白黒の蝶が飛んでいた

安心な場所だと思っているのかこの距離でゆっくり観察できる

↑おどろいたのはこの蝶のさなぎが黄金色をしていること↓

オオゴマダラ=たしかに胡麻塩柄の蝶なのに

↑こんな金色のさなぎなのは、なぜなのだろう?


ようやくミナレット...じゃない「遠見台」の下まで来た。

外周をまわりながら32mまであがってゆく

この造形のモデルになっている、「サーマッラーの大モスク付属ミナレット」には柵のない外周階段があるのだそうだ。行ってみたいけれど、今は気軽に行ける場所ではない…
※ウィキペディアにリンクします

32メートルだが、エレベーターはない。
ゆっくりすすめばよい。

頂上到着!

1月24日《手造の旅》で宿泊する全二十室のホテルが見えた↓

今朝あそこのベランダから見ていた景色がこちら

塔を降りてすぐにある円形の中庭に↓バオバブが植えられている

「星の王子さま」で有名だがホンモノを日本で見られるとは思っていなかった。


※調べてみるとこんなページがありました

熱帯ドリームセンターは見どころがぎゅっと凝縮された場所(^^)/

**
12月11日は午後三時半過ぎには
沖罠本島南東部に位置する南城市議会のある市役所まで行かなくてはならない。
久高島の滞在を可能してくださった方とお会いする。
※2023年1月の訪問記をこちらに載せています
お昼ごはんは近頃話題になっているという「ポーたま(ポーク・卵おにぎり)」を買ってみた。

本部が本店※HPにリンクします
マハイナホテルの敷地内といった立地。朝はずいぶん並んでいることもあるそうな。オーダーがあってからつくる。

「あぐー豚生姜焼き」にした。

片手でも食べられる、ボリュームある巨大におにぎり(^^)具だくさん。


予定通り南城市役所に到着。使いやすそうな新しい建物。四階にある市議会場のロビーでお会いした。

↑南城市の絵地図↑久高島は右上の欄外に記されております。
メールでやりとりはしていたが、お会いしていっきに話がまとまる。

旭橋でシェアカーを返却し、モノレール那覇空港へ移動し、08:55発羽田行きの最終便で東京へ。
二日間、ぜんりょくで回って人にお会いした沖縄下見でした。


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沖縄下見2023 12月海洋博記念公園内の熱帯ドリームセンター~その1

2023-12-12 08:45:36 | 国内
螺旋ミナレット…じゃなくて「遠見台」に上ろう。
※らせんミナレットについて書きました
**
海洋博記念公園は海岸にそって細長い敷地になっている。


↑右の「美ら海水族館」から左の「熱帯ドリームセンター」まで↑この絵地図を見て「歩いてすぐ」に思えたが、係員さんと話すと「二十分はかかりますよ、車で別の駐車場P8まで行ったほうがよい」とアドバイスしてもらった。
車で走りだしたが、P8が見つからない…
熱帯ドリームセンターに電話して訊ねると、「P8はP2の中に入ってから降りていったところにあるんです」とのこと。

↑あぁ、ここを入るのか~、外の道路を走っているとちょっとわかりにくい。

↑P8に車を置くと熱帯ドリームセンターの入口は近い↑

ここも細長くのびていて、冒頭の「遠見台」はいちばん奥にある10番↑
↑そこまでいろんなテーマの庭が続いているようだ。

エントランスを抜けるとすぐに

↑天井に沖縄ガラスを一部使用したお土産コーナー
★ここからの解説は植物園内の掲示板より引用しています
ここを出てすぐにある庭は↓南スペインのパティををイメージしている

↑あとからネットを調べて知ったが↑このレンガは風合いにもとてもこだわってつくられていた↑「かち割ったれんがの割れ面を表にして防風壁に張ってある」のだそうだ↓引用元
※タイムス住宅新聞ウェッブマガジンのページにリンクします

「クロトン・パティオ」↑クロトン=日本語で「変容木」、多様な葉の色を楽しむ↓

↑こういうのがクロトン=変容する葉を持つ観葉植物だったのか。
小松ははじめて認識しました(^^)

こだわりレンガ壁に沿っていくと…
●ファレノプシス温室

Phalainaはギリシャ語で蛾、opsisは「~に似る」、つまり蛾に似た植物。

日本では蝶が群れ飛ぶ様子に似ていると「胡蝶蘭」と呼ばれるようになった。

沖縄は日本に生育する蘭全種の四割にあたる120種の蘭が自生しているとはじめて知った。

美しく交配された蘭だけでなく地味な固有種もたくさんある。

↑樹上に着生するタイプの蘭も多い↓





ヴァンダVANDAも蘭の一種=サンスクリット語のVANDAKA(着生するもの)

↑こんなふうに壁に飾られている様は鹿の頭のはく製がかざられているよう↓。コオモリランと呼ばれることもあるが実はシダの仲間のビカクシダは、漢字なら「麋角羊歯」と書く。

なるほど、鹿の角に似ている。



「ヴァンダ」も着生蘭の種類

↑バルボフィラム・スピーシーは一メートル以上になる葉をもつ蘭の珍種↓

これが球根(バルブ)? にょきにょき葉が出ている


カトレアももちろん蘭の一種





↑アリに住んでもらえるように進化した植物もある↓「アリさん住んでください」と穴が開いている↓


ちょっと長くなってきたので、「その二」に分けます。





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