ギリシャのミケーネ遺跡を思い出した。
※ミケーネ遺跡を訪れた時の写真をこちらからご覧ください
本土の城とはあきらかにちがう雰囲気。
見事な城壁は戦前のカタチをよく復元している↓昭和初期の写真をガイドさんがみせてくださった↓
城の復元は1960年代に本格的に行われ↓
↑この門のまぐさ石も落ちていたものを元の位置にもどした↓
↑門に続く参道と桜もその頃つくられた↑しかし…
1980年の発掘で本当の参道が発見された↑
1960年の道とは逆に細い上り坂が続いている。
↑見下ろせる道にしたほうが城を護るのに適している。
今帰仁城が本当に城として機能していた「三山鼎立時代」(1322~1429)にはこちらが本当の道だったのだろう。
まぐさ石が復元された門は、琉球がひとつの王国に統一されて以降に祭事のためだけの場所になってからつくられたのではないだろうか。
↓ジオラマ模型
「三方を崖にかこまれ、北側だけが海に向かってなだらかでそこに集落がありました」
↑城壁のはるか下に志慶真川が流れている↑ここから水をくみ上げていた跡がみつかったのだそうだ。
丘の上の城はいつも水に苦労する。
ギリシャのミケーネ遺跡も同じように裏から水源に下りられる秘密の通路があった。
1月10日だというのに早咲きの桜があった。
1月下旬には桜祭りだという。
次の冬に《手造の旅》沖縄を実現させたい。
ここは琉球王国の世界遺産のひとつとなっている
*
今回、撮影した写真の半分ほどが手違いで消えてしまって残念無念。
本番でしっかり案内していただき、とりもどしたいです(^^)
※ミケーネ遺跡を訪れた時の写真をこちらからご覧ください
本土の城とはあきらかにちがう雰囲気。
見事な城壁は戦前のカタチをよく復元している↓昭和初期の写真をガイドさんがみせてくださった↓
城の復元は1960年代に本格的に行われ↓
↑この門のまぐさ石も落ちていたものを元の位置にもどした↓
↑門に続く参道と桜もその頃つくられた↑しかし…
1980年の発掘で本当の参道が発見された↑
1960年の道とは逆に細い上り坂が続いている。
↑見下ろせる道にしたほうが城を護るのに適している。
今帰仁城が本当に城として機能していた「三山鼎立時代」(1322~1429)にはこちらが本当の道だったのだろう。
まぐさ石が復元された門は、琉球がひとつの王国に統一されて以降に祭事のためだけの場所になってからつくられたのではないだろうか。
↓ジオラマ模型
「三方を崖にかこまれ、北側だけが海に向かってなだらかでそこに集落がありました」
↑城壁のはるか下に志慶真川が流れている↑ここから水をくみ上げていた跡がみつかったのだそうだ。
丘の上の城はいつも水に苦労する。
ギリシャのミケーネ遺跡も同じように裏から水源に下りられる秘密の通路があった。
1月10日だというのに早咲きの桜があった。
1月下旬には桜祭りだという。
次の冬に《手造の旅》沖縄を実現させたい。
ここは琉球王国の世界遺産のひとつとなっている
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今回、撮影した写真の半分ほどが手違いで消えてしまって残念無念。
本番でしっかり案内していただき、とりもどしたいです(^^)