旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

嘉儀駅の阿里山森林鉄道車庫をちょっと見学

2024-03-26 14:18:09 | 台湾
もともと日本統治時代に材木を切り出す目的で敷設された阿里山森林鉄道。
嘉儀駅から北門駅方向への間数百メートルが現役線路と一体の車庫博物館になっている。
隣接する「嘉儀製材所」の敷地で↓巨木を積んだ再現車両に出会い↓

屋久島から切り出された巨大な杉を思い出した。
※2017年に屋久杉ランドを訪れた時のブログにリンクします


嘉儀駅から徒歩十分のホテルで、朝七時すぎに旅メンバーから電話がかかってきた。
「朝食を注文しすぎてたいへんなんです、小松さん手伝って」
台湾は朝食を外食して仕事や学校に行く習慣がある。

台湾によく来られるTさんは↑ホテルを出てすぐの食堂におられた。

よろこんでお手伝いさせていただきました(^^

七時半前の店内は空いていた。

たくさん用意してある↑これらみんな売れるのかしらん
**
八時にご希望の方だけ、三十分ほど嘉儀駅へ

枕木の塀

↑蒸気機関車が木材を運び↑ここに貯木池があった時代を思い出させる↓

↑左下↑嘉儀駅の右に木材があつめられて↑その上に製材所↑右下の方には「樟脳寮」が見える↑右下の「独立山」へ鉄道が三回ループして登っているのも描かれている。

1899年に調査をはじめ、1912年に本格稼働。1920年からは観光客もはこぶようになった。

1907年に購入した↑アメリカLima社製の蒸気機関車。
動態保存された機種が2024年1月から北門駅との間を「ヒノキ車両」をけん引して一日五往復の運航をはじめた。

ディーゼル車両が利用したターンテーブル↑1978年に完成し1989年まで使われていた↑

↑手で回転させられるようになっている。

↑元祖「中興號」↓今も嘉儀⇔奮起湖間で同じ名前の観光列車が運行されている。

車庫の中にはまだまだ蒸気機関車やディーゼルが保管されている。
次回、阿里山森林鉄道に乗る旅を企画する時にはもっとゆっくり見学しよう(^^

道路をはさんだところにある木材の塀に↓

「嘉儀製材所」と書かれていた↓

中を覗き込んでいると、ちょうど出勤の方?が扉を開けて入っていく↓

「ちょっと見せてもらってよいですか?」と言うと入れてくださった。

↑駅近くにもこんな巨木がまだ残っている。山から切り出された木はどんなだったろう…

木材を切り出していた当時を再現した車両が置かれている。

↑こんな感じで運搬していた

人と比べると大きさがわかる。

巨木と樟脳、阿里山森林鉄道は屋久島の安房森林軌道の巨大版なのかもしれない。
※2021年に屋久島の樟脳工房を訪れた時のブログにリンクします

08:45↓ホテルの前の朝食屋さんには行列ができていた

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嘉儀公園の「ニセ贔屓」、嘉儀野球場。夜は「林聡明沙鍋魚頭」へ。

2024-03-25 13:38:23 | 台湾
目なんか丸く線を入れただけ。

↑海に落としたホンモノの代わりの即席製作されたニセモノだ↑
↓下の台南にあるホンモノたちと比べるとその差は歴然↓


※2019年の台南のブログにニセモノがつくられた経緯を書きました
↓後ろも雑なつくりの「ニセ贔屓」

※こちらにも「嘉儀」の街の由来となった話と共に書きました

*「ニセ贔屓」のある嘉儀公園には1918年(大正七年)に建設された嘉儀球場がある。

1998年に拡張されて12000席となった。
嘉儀の野球場が有名なのは「KANO」嘉儀農業高校のおかげ

1931年(昭和六年)の高校野球で決勝までいった。

映画は大ヒット。

1931年の高校球児のメンバーの名前がずらりと掲げられている↓

日本人(日人)、台湾先住民族(原住民)、大陸からの中国人(漢人)↑民族混成のチームである↑
↑全員が日本人としてのの名前を与えられているのは現在の視点からは問題に見えるが、映画の中で監督はこのように言う。
「蕃人(先住民)は脚が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。三者のよいところをひとつにすれば、理想的なチームができる」※スポーツ雑誌NumberのHPにリンクします
民族ごとの特性というのは確かにある。それを上手に発揮できる環境をつくれば物事は成功する、ということなのだろう。ただ、こうした民族特性への思い込みは、ともすれば民族による職業隔離につながってゆく。


**
ホテルに入る前にスーパーでお買い物タイム

「ほんだし」のホタテ味はみたことがなかった↓

ドライマンゴーなどお買い得?

ホテルにチェックイン。
歩いて夜市に向かう。

「KANO1931」の公開にあわせて2014年に設置された、投手呉明捷の像

ライトアップがはじまっていた

★林聰明沙鍋魚頭は「砂鍋(=土鍋)魚頭」という、台湾の鍋料理の店。

三代続く、嘉儀で最も人気の食の店と言ってよいだろう。

予約をとらない。店の前は常にひとだかり。

↑イートインかテイクアウトか↑

我々はイートインのメニュー↑

番号札をひく↑待つ間にチェックしておく。


一時間ほど待って電光掲示番号がでた。

チェックしたオーダー表をみせて↑まず料金を支払う。
つまり、席で追加オーダーとかは、できない。

支払いをしてから
口頭で番号を呼ばれるまでさらに十五分待った。

店内はけっこう広く、外の混雑とちがってゆっくり食事ができる。

みんな大テーブルで中華料理らしい食べ方。

↑これがお目あての魚スープ

↑嘉儀名物の七面鳥ライス
※表記は「鶏肉」だけれど、嘉儀では七面鳥をつかっているのだそうだ。

↑こちらは別の鶏肉ごはん専門店↑次回はこっちでも食べてみたい

林聡明の魚スープ店は嘉儀に四店舗あるだけ。
品質への徹底したこだわりを三代守り続けている。

↑ビニール袋に入れたテイクアウトもあるけれど、
やっぱりお店で楽しみたい(^^)
予約をとらないから団体ツアーの予定表に入ることはない。
《手造の旅》で次に嘉儀に泊まったら、
一時間待ってでも入ろうと思います。



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北回帰線を超えて嘉儀に入り、監獄博物館を見学

2024-03-20 15:27:39 | 台湾
台湾の南部を横切る北回帰線。
市内に向かう一号線を北上すると見えてくる。

すぐ近くには嘉儀飛行場(=水上機場)↓

北回帰線博物館って何を展示しているのかしらん?

調べてみると、温帯と熱帯の違いとか、北回帰線上にある国々の紹介がされているそうな。



↑嘉儀駅は日本統治時代の建物↑
阿里山森林鉄道の起点になっているこの駅は明日の朝にちょこっと行ってみよう。

嘉儀には、珍しい「監獄博物館」がある。

1920年代日本統治時代の建物がそのまま1994年まで使い続けられていた。

網走刑務所と同じように中央の監視台から↓房への通路が放射状に広がって見通せる構造。

↑三本の通路が集まっている場所に↓

↑こんな神棚が↓今も残されている↓

「革命先烈之…」といっょに置かれているのは変ですね?と随行ガイドさんが質問したら

別のところにあった二つの位牌をあとから置いたのだとわかった。

中央監視所に↓こんな「有事ランプ」もある

↑いちばん右に「女監」とあるように、
ここには女性用の獄舎もあった。

壁で隔てられた場所に三十人ほどが収監できた女性用の建物↓

ここで産まれた子もあったのだそうだ。


面会用の建物↓

↓1990年でも、こんな風に受話器を通じて話してんですね↓

売店で↓現在の受刑者によって製作された品々を売っていた

品物の質は保証されております(^^⦆

もっと買ってくればよかった↓



外に出ると

当時の職員用住宅も残されている↓

現在はリノベーションされてアーティストなどの貸し出すスペースになっているそうな。


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東石郷の「義愛公」、牡蠣の村で昼食、

2024-03-19 13:49:16 | 台湾
2020年とはちがう「義愛公」を開帳してくださった。
※2020年にはじめて訪れた時のブログに「義愛公」について書きました。同じ人物でもこんなに違う雰囲気になるのか。

東石郷は小さな村が点在している。

それぞれの集落に大きな寺があるが、

この副瀬村は特に立派だ。

村を離れて都会で暮らす人々が故郷の寺に寄付をする。

新たな寺をつくり、神様を分霊する。
2020年にお会いした木造は↑この写真↓分霊先に出張しておられるのだそうだ。

「義愛公」は人気で、三体つくられている。
**
海に突き出した牡蠣の養殖村にむかう。

↑水没しかけた古い墓地がたくさんみえてくる↓

農業用水をとりすぎて起きた?地盤沈下による

↑長ーい竹さおを運ぶトラック。これって建設現場につかうの?

↑我々の目的地=牡蠣のレストランの前で止まった↓堤防にあがると…

↑牡蠣の養殖いかだにつかう竹さおだったのか(^^)

養殖場のど真ん中にあるこのレストラン↓

今回の旅でどうしても味わっていただきたかった

四年間忘れられなかった牡蠣のソーメン(温かいです)!
※四年前のブログにリンクします、このお店がコロナ禍を生き延びてよかった(^^♪

↑四年前、エビだと信じて食べていた料理が↓

↑実はイカと混ぜ合わせたすり身をカタチにしたモノと知った↓

↑なるほど、これをフライにしたのか。

多様な海鮮食材が用意されている。

この貝↑見た目以上に身がたっぷりだった↓

他でみたことがない飲み物↓

海藻ゼリーのジュース↑ぷるぷるしている↓

小松はけっこう好きでした(^^♪

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烏山頭ダム「開工記念!」写真でいちばん目立っていたのは

2024-03-16 23:24:45 | 台湾
↑四年ぶりに訪れた八田與一記念館。
渡された案内に百年前のダム起工式の写真が載せられていた↑
最前列に息子と映っている八田與一よりも目立つ・後ろで両手を広げている人物は誰?

「いとうさんです。はったさんのしんせき」今日おられた記念館の係員さんがおしえてくれた。


朝、台南のホテルを出発してすぐ↓

↑お祭りみたいな一団が道路を横切った↓

「神様の里帰りです」とガイドさん。
「故郷の神様を分霊して祀る習慣があって、春節のこの時期に神様も里帰りするんですよ」
写真には撮れなかったがこの後ろに大規模な山車が続いていた。


↑台南駅前の鄭成功像※鄭成功について※2019年のブログをお読みください

日本統治時代に建設された台南駅↑修復が終わったらじっくり見学できる時間を作りたいと思っているが、2019年から覆いをかぶったまま…

↑日本統治時代の専売局の建物は現在スターバックス。

一時間弱のドライブで烏山頭ダムの「八田技師記念室=八田與一記念館」前に到着。

ダムの放水口の上にある建物

ここからの放水シーンが映画「1931KANO」にもでてきていた↓

嘉儀農業高校=KANOが甲子園の決勝戦まで進出した1931年の前年に、烏山頭ダムも完成している。
嘉南の農業を飛躍的に発展させた烏山頭ダムはKANOにとって神の建造物。

映画の中で八田與一の役をやっていた俳優大沢たかおがここに来た時の写真↓ガイドさんが見せてくれた

↑左下の写真で八田與一の像を真ん中に写っている二人の男性。
右の大沢たかおと、左の男性は誰?
なんと今年から台湾総統となる頼清徳氏!

調べてみると写真が撮られたのは2014年の1月※「アジアンパラダイス」のHPにリンクします
頼氏は当時台南市長。
三人が「似ている」と言われてこんな写真を撮った。
気さくな人柄がつたわってくる(^^♪
この後に蔡英文総統に重用されるようになる。

9時に記念館が開く。
一室だけの記念館だが展示内容は濃く、今日おられた係員さんはとても詳しい方だった。

冒頭写真の両手を大きく広げた人物伊東哲(いとうさとし)は八田與一のいとこの子供にあたる。
調べてみると東京芸大卒業で、ダム建設など技術方面とは縁のなさそうなアートな人物。
八田與一より五歳年下で当時30代後半。
柳原白蓮(※朝ドラ「花子とアン」にもでてきた)をモデルにした絵を描いたせいで日本の画壇で挫折して、いとこの八田與一が元気づけようと台湾に呼び寄せたのだそうだ。
ダムの工事についての絵をたくさん描いた。
「この絵です」と、ガイドさんが↓スマホの画面を見せてくださった↓

最近オークションに出た絹にろうけつ染めをした作品だそうな↑
↓ネット検索をしていたら他の似た作品もでてきた↓

↑こちらの大きさは93×80センチ。
画中に描かれている蒸気機関車は↑ダム建設の掘削ででた岩石を運び出している。
ダムの堰堤に展示してあるベルギー製の蒸気機関車がこれ?↓

「いえ、絵の機関車はドイツ製のものです。」↓

確かにカタチがちがう。
ダム建設当時、使われていた機関車は二路線あり、
土砂運び出しにはより馬力のあるドイツ製が使われていたそうだ。
あ、もういちど絵をよく見てみると、
↓いちばん下に描かれた方がベルギー製のもののようだ↓

↑煙突を長く、前出のドイツ製との違いをちゃんと描いてある↑

伊東哲の絵は建設当時の烏山頭ダムの様子を知る貴重な手掛かりになっている。
だが、これは技術者の絵ではない。
あくまでアーティスト・表現者としての絵に見える。
どこか彼の絵画をまとまって見られる場所はないのかしらん。

↑2020年2月に訪れた時、復元された応接室に飾られていた八田與一の肖像画も伊東哲の描いたものだった。
※2020年のブログにリンクします※殉工碑についても書きました⇒

ダムの堰堤に登る

↑今日もダムを見守る↑八田與一の像↓

↑2017年、このブロンズ像の首が切り取られた↑確かにその跡がある↑
※「サンケイ新聞」HPにリンクします
切り取られた首は行方不明。
復元するために↓元の像からつくられた胸像がモデルに利用されたときいた。

↑先ほど訪れた記念館にさりげなく飾られていた胸像がそれだったのか↑
↓事件以来監視カメラが設置されたが

↑「どうぞ微笑んでください」(^^)


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