旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

丹後の「ゆるりら」ランチ、「狛猫(こまねこ)」に出会い古墳を感じてからカニを食べる。

2020-11-30 06:05:59 | 国内
晴れた夕陽ヶ浦海岸!

京都市内から一度休憩を入れても二時間半ほどでたどりついた。
「弁当忘れても傘忘れるな」の丹後だから、この青空の海のうちに第一印象を心に刻んでいただきたかったのです。

昼食はレストランではなく京丹後市の子育て支援施設「ゆるりら」におねがいした。

もとは旅館だった建物が、地域のママさんたちが集まる暖かな場所として再生されている。
※「ゆるりら」のホームページごらんください(^.^)

ここで月に一度だけ腕をふるっているのが、昨年三月まで間人(たいざ)で「ブルータンゴ」というお店をやっていた亀田さん。
☆下は在りし日のブルータンゴ2019年3月28日。閉店三日前に東京から日帰りで訪れた時の写真。

今はもう記憶の中にしかないこの空間、あの日がんばって行っておいてよかった亀田さんが今日迎えてくださってほんとうによかった(^.^)↓右が亀田さん

食事を美味しくしてくれるのは作り手の気持ちです。

もちろん食材もすばらしいものだった。ブルータンゴでも食べたカレイは今が旬。
味噌汁の海苔は九十歳で現役の漁師さんがとってこられたものだそうだ。

「ゆるりら」ではママさんたちが手作りした作品も売られている。
絵本もある。
お土産然としたものでない、その土地のモノが好もしい。

すぐ近くの踏切で一両だけの丹後鉄道が通過していった。
**
丹後半島は古墳の宝庫

ちょっとした丸い小山はみんな古墳とおもってよいほどに。

本物の朱や勾玉で飾られた墳墓もあり、大陸由来の青銅の鏡も見つかっている

***
四回目の丹後ではじめてその存在を知った「狛猫(こまねこ)」

日本で唯一ここだけなのだそうだ。
何故?
※こちらに阿吽二匹とも載せました
峰山は丹後ちりめん発祥の地とされている。
養蚕の繭を食い荒すネズミを退治してくれる猫を守りに置く必然性がある土地なのだ。
奉納されている明治時代と思われる祭りの絵がおもしろい↓
たくさんの山車が祇園祭のようにならび、後ろからついてくる群衆

その中に洋装で偉そうな男たちがみえる。時代ですな。

地元の人も「狛猫」の希少性に気付きはじめ、ちかごろはこんな像をつくる体験教室もはじめているのだそうな。
《手造の旅》にどうかしらん(^.^)
****

間人を代表する竹野神社へ

すぐ横が巨大な古墳になっている。
多くの古墳は後の時代に神社が祀られていったのではないかしらん。

大成古墳群は6-7世紀の古墳時代後期に建設されたと考えられている。
奈良ではちょうど石舞台古墳が建造されていた時期。

大陸からやってくる船を迎えるような崖の上にたくさんの古墳が残されている場所。


古墳が築かれる場所は何かしら畏敬を感じさせる自然がある。

ここでは間人のシンボルである「立岩」がそれに間違いない。

*****

丹後ちりめんの「丹後ええもん工房」を昨年に続き訪問。

※昨年の間人訪問記のなかにも載せています。今年は残念ながらセリはありませんでした。

何度も訪れていてはじめて見えてくる魅力がある
この細部のすごさとか

地味だけれど味わいのある端切れとか

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じゃじゃ~ん(お二人の着ている元着物を仕立て直した服、なかなか素敵です。男性用もこのぐらいいろんな服を楽しめたらよいのになぁ)

カニさん、まずは顔見世

京都丹後を紹介するトークをすこし

そして、カニ尽くしの夕飯スタート



でも、いつも思うのですが、ここで登場するブリのまたおいしいこと!

さっとしゃぶしゃぶにしよう
カレイのぎっしり卵のはいった身

カニが売りの間人ということになっているが、小松としては個人的に「ブリとカレイを主に楽しむ間人の旅」をしてみたい。
カニだけを目的にして訪問するにはもったいなすぎる間人だと思うのです。
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琵琶湖の「出島灯台」、浮御堂、ブルーベリーフィールズ紀ノ国屋を経て京都へ

2020-11-28 03:00:58 | 国内
明治八年に建設された灯台が残っている。

同年二月に起きた四十七人の死者を出した満芽丸転覆事故をうけて、出島集落の九戸が私費で建て・交代で灯台守までしていた。
たった八メートル弱の木製灯台で灯油を灯した光だったが、この頃の夜はまだまだ暗かったのだろう。
琵琶湖がいちばん狭くなる場所でちゃんと役割を果たしていたようだ。
江戸時代の丸小舟に代わり、蒸気船がたくさん就航し、お客の獲得競争が過熱していた時代である。
※こちらに今年見学した「丸小舟資料館」について載せています

定番の浮御堂から歩くには遠いが車ならすぐ。だが大きなバスではとうてい近寄れない、路地を抜けた場所。

定番の浮御堂にも寄る


※昨年の浮御堂訪問のブログをごらんください

浮御堂すぐ前のお店で売っておりました。今年長浜で買った卵いっぱいの鮎でおいしかった!
**
湖畔を比叡山方向にのぼってゆく
急坂をのぼりきったところに現れる「ブルーベリーフィールズ紀ノ国屋」

周囲のブルーベリー畑が色づいている

眼下にびわ湖がきらめく

ここからの景色がいちばんのごちそうかもしれない

同じ場所でも光がかわると景色は一変する

昼食後には気持ち良い青空になった。

※昨年の様子をこちらからご覧いただけます
今年もこの濃厚なブルーベリージュースが楽しめた(^.^)


今年もおいしいジャムを入手できました
***

大原を経由して京都市内に入る。
下見の時に愛都の西村さんに教えていただいた狸谷山不動院へ。
その下にある詩仙堂あたりはすごい人出だったがそこを抜けるととたんに人がすくなくなった。

無事に石段のすぐ手前まで車で入ることができた。

さらにここから二百五十段ほど登ると、

京都の「もうひとつの舞台」があるのです。

伝説によると平安京をつくった桓武天皇の勅願で、鬼門の方角に咤怒鬼(たぬき)=「鬼を叱る」不動明王を刻ませたのが起源。
崖の高いところに彫られた不動明王を拝むためにこの舞台がつくられた。
現在安置されている不動明王はとても9世紀のものには見えないが、場所はたしかにそこに古来のものがあったと感じさせる。

今日は住職がご案内してくださった。

京都を見晴らす東山の北の端

****

今日の泊りは宝ヶ池のザ・プリンス。
チェックインして休憩。16時半に町家での夕食へ出発。

毎年訪れているけれど、今年は文化財指定をうけて、より磨きがかかっていた。


二階で「おりん」の展示会

小さな庭がきれいに見下ろせる


足で集められた日本全国こだわりの日本酒も魅力


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造形大学のカフェ「結」から西教寺を経てびわ湖プリンスへ

2020-11-28 02:12:58 | 国内

成安造形大学の建築学科学生が自らの手で建設したのだそうだ

地産地消・資源活用を体現するために、通常なら捨てられてしまうような木材をボルトで合わせて柱にしてある。この空間を体験していただきたくて行程に入れた。

けっして密閉性の高い空間ではないのでけっこう寒かったりするそうな。
建築のコンセプトを理解してくださる地元の方に入って営業してもらいと、地元滋賀でブルーベリーフィールズ紀ノ国屋を運営する岩田康子さんに声がかかった。十六年前のことである。
彼女が息子さんとたちあげた「ソラノネ食堂」を昨年の旅で訪れている
※こちらからその時の様子をごらんください


大学内のカフェの料金でオーガニックなメニューを出すのは予算的に難しいが、最大限工夫した内容を提供されている。
今回もわざわざ出張ミニトークをしていただき、感謝いたします。

びわ湖を見晴らす高台にキャンパスがそのまま美術館になるような空間なのだが

今日は屋外を歩き回りたい天気ではないので断念。

**
大津ガイドの野津さんに登場していただき、明智光秀ゆかりの西教寺を訪れた。

※昨年の秋に訪れた時の写真をこちらから
※昨年の春・桜の時期の写真をこちらから
どちらの季節も見応えある場所

※お猿がたくさんいる理由も上記のリンクに書きました(^.^)

今年は大河ドラマ「麒麟がくる」のための展示が行われている。

短い期間だが明智光秀が築いた近江坂本城跡から発掘された品々も展示されていた。

西教寺はもともと天台宗の寺ではあるが、室町時代1486年に真盛上人が入山し不断念仏の道場をたちあげたことによっていわば分派となっている。だから比叡山から攻められた「法難」にも遭っているわけですな。

真盛上人が出家した時をイメージした美しい彫刻が、彼自身を祀った宗祖大師殿前に置かれていた。
***
今日の宿泊は昨年に続きびわ湖プリンス。
今年も夕食の場所をグレードアップして最上階のフレンチレストラン「ボーセジュール」にした

※昨年の様子をこちらに載せました。滋賀のワインMINORIは今年もおいしくいただきました




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《手造の旅》大津京都丹後間人丹波~伏見クルーズ

2020-11-26 15:47:27 | 国内
鉄道が開通するまで、伏見は何百年も京都の玄関口だった。

大阪から淀川を遡る船が着く港。秀吉が整備したのがはじまり。

↑池の北岸奥に伏見が位置している。

↓下は昭和の地図だが大阪港から淀川をのぼってくると伏見に至る。

↑何百年にもわたり大きな水害が襲っていたのがわかる。
地図上で上の方に記されている水門がこれ。

昭和四年竣工。今も現役で京都市内に淀川の水が入ってくるのを止めている。

水門にある資料館で上陸。

二十分ほど見学時間がある。ちいさいけれど見応えがある。
※ここで解説されていた歴史をこのページに再録しています
見学している間にどしゃ降りに!

ふたたび乗船。伏見の酒蔵は有名。

蔵を見ながらのんびりと、と思ったら
先ほどの雨で水路にどどっと水が噴き出している。

なるほど、治水というのは都市計画の要なのだと実感した。


京都市内をながれる高瀬川は伏見に着いた荷をそのまま船で中心部に運ぶための運河。
鴨川の水を市内へバイパスするかたちで建設された。

1614年に建設され、物流の役目を終えた今もここから分岐している↑

ただぼーっと乗っているだけではもったいない十石船クルーズでした。
**
寒天を使った日持ちする羊羹をはじめてつくった「駿河屋」さんへ

ちかくにある「油かけ地蔵」もぜひ見ておこう

「これはホンモノだ」と、ひと目見て思った。

ランチは滋賀県の琵琶湖畔へ

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遣唐使最後の日本寄港地「三井楽(みみらく)」

2020-11-24 09:48:33 | 国内


福江のカンパーナホテルからの朝陽。

お城のように見えるのは元ホテルで今は資料館。
ほんとうの城があった場所は後ろに見える学校がある場所。

今日は福江島をぐるっとめぐり17:45につばき空港から長崎行に乗る一日。
**
島の北西端「辞本涯(じほんがい)」は日本を去る空海が名付けたとされる。

今は「柏崎港」だが、八世紀の「肥前風土記」に「美弥良久」として登場する「三井楽(みみらく)」。

もう一つの句碑は万葉集より「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群」

天平五年(733年)第九次遣唐使船で旅だった我が子の無事を祈る母の歌
「空高く旅する鶴たちよ 旅路で霜降る野に眠るわが子をみたら、どうぞその羽で包んでください」

千数百年前、空海や最長青雲の志を抱いた男たちが乗った「四つ船(遣唐使船はリスク分散のために通常四艘に分かれていた)」が、ここから故国を後にした

捕鯨基地でもあった柏崎。

↑巨大なクジラを引き上げるためにつかわれた「カグラザン」跡。
※こちらに解説されたページがありました


※「ふるさと遣唐使館」については2017年に書いたブログをごらんください

遣唐使船には一層に百から百二十人もの人がのっていたそうだ。


だとすればこの縮尺ではホンモノを再現しているとはとても言い難い。
観光客への視覚的イメージ、もう少し事実を反映したほうがよいのではないかしらん。


遣唐使船が入港したもうひとつの港「魚津ヶ埼」

大型バスはのぼっていけない城が岳から見はらすと、
溶岩が湾の中に流れ出て固まった様子がはっきりわかる。

そのまんま

この深い入り江で風待ちをしていたのか。
***

水浦教会は大浦天主堂の木造版といったかたちをしている。

すぐちかくにある現代的な建物は修道院だそうだ。
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魚鱗観音

抱えているのは鯛

途中で出会った
*****

大瀬崎灯台は上から見下ろすことができる稀有な位置にある。
バードウォッチングをする人が背景に灯台をいれて撮影することができるので人気。なるほど。

日産は2010年福江島でEV車(電気自動車)の実証実験をはじめた。リーフ百五十台を投入し、急速充電器十四機を設置。※東洋経済新聞の頁

灯台と逆方向の展望台に上ると入江と森と山々の連なりが一望できる。
※この入江の高台にある「魚見やぐら」の写真を2018年に載せました。こちらのページをごらんください。それ以外にも違った場所を訪れています
※2017年のブログで「魚見やぐら」を使った漁についてくわしく書きました

↑七つのギザギザした山並みは「七嶽神社」のあるところさっき通ってきました。
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昼食は久しぶりの「椿茶屋」

以前は炉辺に座り込むスタイルだったのが掘りごたつ式に新しくなっていた。


変らずおいしい塩をつくっている

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●明星院は、現代は真言宗に属するがもともとは空海が唐から戻った折に滞在し名付けたといわれる

※こちらのページに概略があります
本堂の天井に画かれた迦陵頻伽+実在する鳥たちの絵が見事。

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●「あぶんぜ」は溶岩でできた海岸



その溶岩を吹きだした「おんだけ(鬼岳)」が近い

上部がきれいな芝生になっているのは山焼きをおこなっているから。

向かう途中にある見事な断層を紹介してくださった。

今回の五島列島の旅はここが最後の訪問地

福江空港から長崎へ。

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