今夜飛行機に乗るので午前中はゆっくり休憩。正午少し前にホテルを出発した。
高級住宅地のミラフローレス地区南へ三十分も走ると、砂漠の斜面に折り重なるように建てられた家が見えてくる近づくとこんなこれは、砂漠の土地に勝手に住みだした「不法占拠住宅」である。
1980年代ガルシア政権下、強烈なインフレと治安の悪化で地方からリマへ流入する人々が増え続け、都市の周辺にこういった不法住宅をつくりはじめた。それは彼らにとってやむを得ない選択であり、長期化して1990年代フジモリ政権下では既成事実になってしまっていた。
フジモリ大統領は、こういった人々をなんとか本物の市民にしてゆく方法が必要であると考え、「五年間住んだ土地は自分の物になる」という法律をつくった。
今では、その法律を逆手にとって、本当の難民でない人々も「五年住めばもらえる」として、強引に敢えてこういう手法をとるようになってきた。資本家が貧しい人々を手先につかっているケースもあるという。
海岸からすぐの砂漠地帯、地盤がしっかりしていない場所にもこんな家がひしめいている。
砂漠の一番上にも家々があるのにご注目ください。
すぐとなりにはセメント工場があって、砂を採掘している。
それが今日明日でなくても、崩落が起きるのは時間の問題ではないのか。
セメント工場は地盤の強化のために植林をしている?
いえ、これは、周囲の住民に「これ以上はいってくるな」という意志表示をしているのだ
**
あっけにとられているうちに、ちょっと秘密のレストランに到着
ここはスペイン伝来の馬のショーを見せてくれる。どんなものかイメージがわかないだろう。写真があるこういう馬に乗った二人や一人が騎乗でもうひとりが地面でというケースもある。コンテストも行われる人気の乗馬スタイルなのだそうだ。食事のあとに十分ほどだが実演してくれた。
メニューはパスタ。これが期待をはるかに超えた美味しさ!これならイタリアでだって流行るでしょう(^^)前菜にはカウサというイモとトウモロコシとアボカドなどいれるマヨネーズあえのケーキ
***さて、食後はすぐちかくの広大な都市遺跡パチャカマックを訪れよう。ここにはピラミッドが発掘されている神に仕える美しい少女(アクリャ)たちが布を織りながら暮らしていたとされる「アクリャワシ」がある古代ローマの「ヴェスタの巫女」にも似たシステムだとされるが、その一方で売春宿説もある。
石積みの参道が続く
ここは何世紀にもわたっていくつものピラミッドが道営されてきたところで、まだまだ発掘途上。なにか大事なものが発見されると、こんなふうに屋根をかけてこつこつ秘密裏に掘り進められてゆくここからは何が見つかっているのだろう?
インカの信じる太陽の神殿は遠くからでも真っ赤に見えていただろう。その赤い漆喰のなごりが見られる
ピラミッドの斜面をあがってゆくと…
おお、海がみえた!ペルーは大西洋岸からすぐに砂漠になっている、日本では想像できないような場所。
我々も日本人らしく、今いる場所がこんなに海が近いことを忘れていた。
★この島の伝説は、また別のところに書きます。
眼下には小さなプライベートの闘牛場も見える
パチャカマックの神殿はスペイン人により放火され略奪されてその歴史を終えた。今でも黒く焼かれた跡がのこっている。
ここへ来る途中でたくさんみてきた不法占拠住宅が、遺跡のすぐ横まで押し寄せているのがわかる。パチャカマック遺跡は広大な遺跡にもかかわらず、道路や海に面している方向の他は、不法占拠住宅にかこまれてしまっているのだ。
いや、よく考えてみれば、この不法占拠住宅の下にも確実に遺跡はある。発掘地として指定されたところぎりぎりまで押し寄せているだけのことである。おそるべし、不法占拠住宅。
入口に新しい遺跡の看板を建設しているところに出会った。ここはペルーの学校が校外学習に訪れはするが、その面白さほどには旅行客が訪れていない場所。トイレもレストランもあまり整備されていなかったのが、その理由のひとつだろうが、次に来る時にはずいぶん変身しているにちがいない
****リマへ戻る
渋滞緩和のために、トラムでも走らせているのかと思ったら、やってきたのは普通のバス専用レーンもこういうふうに保護しないとダメなんですね。
信号で止まると、その一分にも満たない時間に大道芸をやる若者が飛び出してくる。けっこうチップあげているドライバーたち。
バイクに乗った警官が、少し先にいた女性警官を呼んでいた。なにをするのかと見ていたら、やってきた女性警官に持っていたコーラを渡したのだったこれがこちらでは許される姿なのです。
観光バスが必ず止まる「恋人たちの公園」へ
最後に、日本人女性の経営するお土産屋さんにも寄る。事前に電話して、「世界三大フルーツ」のひとつとされているチリモーヤを用意してもらった。アイスクリームのような甘さ。熟したアボカドのようにすくってたべる
ショッピングモールも少し寄る
今回の旅で、ペルーはフルーツ王国なのを実感した。チリモーヤもありました
ペルーは砂漠からアンデス、アマゾンまで、自然景観は多様。
資源にも食にも恵まれた国だということが、今回の旅でよくわかった。
最後に、今回の旅を裏方でしっかり支えてくれた現地駐在のK氏にごあいさついただきました彼は小松のヨーロッパ企画から担当してくれていた。この信頼関係があったからこそ、はじめてのペルーを企画しようという気になったのであります。ほんとうに、ありがとうございました。
2016年、まだこれからですが、催行するならばもうそろそろ取かからなくてはなりません。よろしくお願いいたします。
ひとつひとつ、一生モノの旅をつくるには、造り手も、そして旅していただく皆様にも、じっくりと用意する時間が必要なのだと考えています<m(__)m>御希望あれば早めにお知らせください。半年前でももう、マチュピチュ遺跡すぐそばのサンクチュアリーロッジは空きがないかもしれません。
*****
空港で、ペルーで毎日飲んだおいしいチチャ・モラーダの瓶ジュースがあったこのラベルの絵にあるように、紫トウモロコシとパイナップル、リンゴを入れて煮立てたもの。日本では飲めないけれど、日本にはいってきたらきっとウケるおいしさです。
******
帰国二日目、おひとりのかたが、ペルーを思い出してつくったという料理の写真を送ってくださった。
チキン、ポテト、ペルーで買ったソース各種、ワイン、そしてさっきのチチャ・モラーダ・ジュース。
こんな風に旅を楽しんでいただけているのは、旅の造り手として冥利に尽きます(^^)/
高級住宅地のミラフローレス地区南へ三十分も走ると、砂漠の斜面に折り重なるように建てられた家が見えてくる近づくとこんなこれは、砂漠の土地に勝手に住みだした「不法占拠住宅」である。
1980年代ガルシア政権下、強烈なインフレと治安の悪化で地方からリマへ流入する人々が増え続け、都市の周辺にこういった不法住宅をつくりはじめた。それは彼らにとってやむを得ない選択であり、長期化して1990年代フジモリ政権下では既成事実になってしまっていた。
フジモリ大統領は、こういった人々をなんとか本物の市民にしてゆく方法が必要であると考え、「五年間住んだ土地は自分の物になる」という法律をつくった。
今では、その法律を逆手にとって、本当の難民でない人々も「五年住めばもらえる」として、強引に敢えてこういう手法をとるようになってきた。資本家が貧しい人々を手先につかっているケースもあるという。
海岸からすぐの砂漠地帯、地盤がしっかりしていない場所にもこんな家がひしめいている。
砂漠の一番上にも家々があるのにご注目ください。
すぐとなりにはセメント工場があって、砂を採掘している。
それが今日明日でなくても、崩落が起きるのは時間の問題ではないのか。
セメント工場は地盤の強化のために植林をしている?
いえ、これは、周囲の住民に「これ以上はいってくるな」という意志表示をしているのだ
**
あっけにとられているうちに、ちょっと秘密のレストランに到着
ここはスペイン伝来の馬のショーを見せてくれる。どんなものかイメージがわかないだろう。写真があるこういう馬に乗った二人や一人が騎乗でもうひとりが地面でというケースもある。コンテストも行われる人気の乗馬スタイルなのだそうだ。食事のあとに十分ほどだが実演してくれた。
メニューはパスタ。これが期待をはるかに超えた美味しさ!これならイタリアでだって流行るでしょう(^^)前菜にはカウサというイモとトウモロコシとアボカドなどいれるマヨネーズあえのケーキ
***さて、食後はすぐちかくの広大な都市遺跡パチャカマックを訪れよう。ここにはピラミッドが発掘されている神に仕える美しい少女(アクリャ)たちが布を織りながら暮らしていたとされる「アクリャワシ」がある古代ローマの「ヴェスタの巫女」にも似たシステムだとされるが、その一方で売春宿説もある。
石積みの参道が続く
ここは何世紀にもわたっていくつものピラミッドが道営されてきたところで、まだまだ発掘途上。なにか大事なものが発見されると、こんなふうに屋根をかけてこつこつ秘密裏に掘り進められてゆくここからは何が見つかっているのだろう?
インカの信じる太陽の神殿は遠くからでも真っ赤に見えていただろう。その赤い漆喰のなごりが見られる
ピラミッドの斜面をあがってゆくと…
おお、海がみえた!ペルーは大西洋岸からすぐに砂漠になっている、日本では想像できないような場所。
我々も日本人らしく、今いる場所がこんなに海が近いことを忘れていた。
★この島の伝説は、また別のところに書きます。
眼下には小さなプライベートの闘牛場も見える
パチャカマックの神殿はスペイン人により放火され略奪されてその歴史を終えた。今でも黒く焼かれた跡がのこっている。
ここへ来る途中でたくさんみてきた不法占拠住宅が、遺跡のすぐ横まで押し寄せているのがわかる。パチャカマック遺跡は広大な遺跡にもかかわらず、道路や海に面している方向の他は、不法占拠住宅にかこまれてしまっているのだ。
いや、よく考えてみれば、この不法占拠住宅の下にも確実に遺跡はある。発掘地として指定されたところぎりぎりまで押し寄せているだけのことである。おそるべし、不法占拠住宅。
入口に新しい遺跡の看板を建設しているところに出会った。ここはペルーの学校が校外学習に訪れはするが、その面白さほどには旅行客が訪れていない場所。トイレもレストランもあまり整備されていなかったのが、その理由のひとつだろうが、次に来る時にはずいぶん変身しているにちがいない
****リマへ戻る
渋滞緩和のために、トラムでも走らせているのかと思ったら、やってきたのは普通のバス専用レーンもこういうふうに保護しないとダメなんですね。
信号で止まると、その一分にも満たない時間に大道芸をやる若者が飛び出してくる。けっこうチップあげているドライバーたち。
バイクに乗った警官が、少し先にいた女性警官を呼んでいた。なにをするのかと見ていたら、やってきた女性警官に持っていたコーラを渡したのだったこれがこちらでは許される姿なのです。
観光バスが必ず止まる「恋人たちの公園」へ
最後に、日本人女性の経営するお土産屋さんにも寄る。事前に電話して、「世界三大フルーツ」のひとつとされているチリモーヤを用意してもらった。アイスクリームのような甘さ。熟したアボカドのようにすくってたべる
ショッピングモールも少し寄る
今回の旅で、ペルーはフルーツ王国なのを実感した。チリモーヤもありました
ペルーは砂漠からアンデス、アマゾンまで、自然景観は多様。
資源にも食にも恵まれた国だということが、今回の旅でよくわかった。
最後に、今回の旅を裏方でしっかり支えてくれた現地駐在のK氏にごあいさついただきました彼は小松のヨーロッパ企画から担当してくれていた。この信頼関係があったからこそ、はじめてのペルーを企画しようという気になったのであります。ほんとうに、ありがとうございました。
2016年、まだこれからですが、催行するならばもうそろそろ取かからなくてはなりません。よろしくお願いいたします。
ひとつひとつ、一生モノの旅をつくるには、造り手も、そして旅していただく皆様にも、じっくりと用意する時間が必要なのだと考えています<m(__)m>御希望あれば早めにお知らせください。半年前でももう、マチュピチュ遺跡すぐそばのサンクチュアリーロッジは空きがないかもしれません。
*****
空港で、ペルーで毎日飲んだおいしいチチャ・モラーダの瓶ジュースがあったこのラベルの絵にあるように、紫トウモロコシとパイナップル、リンゴを入れて煮立てたもの。日本では飲めないけれど、日本にはいってきたらきっとウケるおいしさです。
******
帰国二日目、おひとりのかたが、ペルーを思い出してつくったという料理の写真を送ってくださった。
チキン、ポテト、ペルーで買ったソース各種、ワイン、そしてさっきのチチャ・モラーダ・ジュース。
こんな風に旅を楽しんでいただけているのは、旅の造り手として冥利に尽きます(^^)/