旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

収穫祭のトゥヴァン村

2012-10-27 11:07:25 | スイス
ベルンから一時間ほど西へ行ったビール湖のほとりにある小さな村・トゥバン。毎年10月末に三日間だけ開かれるささやかな収穫祭を訪れることが、今回の《手造の旅》のテーマのひとつ。
企画途上で開催日が一日ずれていることが分かって、あわてて日本からの出発日を変更したりしたがそれだけの価値がある
村の入り口には大きな葡萄の飾り。スイスの国旗を挟んでベルン州の熊の紋章とこの村の旗。やっぱり葡萄がついている。

雨模様の朝なので、人々の出足も遅いようだ。村の店もこれから準備。
五分で通り抜けてしまえる村のメインストリートを抜けて、葡萄畑へ上がっていく坂道へ
ヨーロッパの紅葉というと黄色が主体だが、葡萄畑では赤色も楽しめる。日本のもみじとは一味違う赤い葡萄の葉
雨に煙る湖も美しい。三十分ほどして再び村へ戻ると、いろいろな店が開き始めた。葡萄の村だからやっぱりワインの蔵元を訪れて一杯ためしてみたい。
長テーブル四つだけのお店の半分を占領。雨の収穫祭の朝、遠来の珍客にも店のおばさんはにこやかに迎えてくれる。
店のメニューはワイン三種類とブドウジュースだけ(だと見えた)※写真右が葡萄ジュース。赤・白のほかにロゼもありました。あとから地元のおじさんたちが巨大なクリームパフェを注文したのにもびっくり。
すぐ後ろの部屋にはご覧のような樽があって、そこからグラスに汲んで出してくるだけ。
この場所で飲むからなのかもしれないが、やっぱりすっきりおいしい白ワイン。きれいなラベルにも惹かれて一本買ってしまいました。CHF10スイス十フラン。ここらの村のワインは日本になどやってこないだろう。

村を散策して買い食いも楽しい。今日のお昼ご飯はこれで済ませる予定で、なにも予約しておりません。アジア風の麺もあり。
フランス語圏からのソーセージあり
この時期らしい焼き栗もおいしい
手編み製品や手造りのものもいろいろ売っている

12時にバスにのってムルテンの街へ移動。当初、列車での移動にしようとも考えていたのだが、こうして雨に降られてみるとバスがあってほんとによかったです車窓からはかぼちゃ、あ、写真ぶれてしまった

予定にはなかったが、時間がとれそうだったので、ムルテンを通り越して、フランス語圏ヴォー州にあるアヴァンシュという街へも行ってみることにした。ここは紀元後一世紀には現スイスにおけるローマ帝国の中心的な町だったそうで、人口二万を数えたそうな。丘の上に中世の街があるが、古代にはそのふもとに大きなまちがあったのである。発掘は今も続けられていて、その中心になる円形闘技場にはローマの博物館もある。

マルクス・アウレリウス帝の金の胸像が収蔵されているという博物館(※写真で闘技場の向こうにある中世の建物がそれ)は、残念ながらまだ閉まっておりました。次回、ぜひ、見学できるようにしたいです。
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ベルン歴史博物館へ

2012-10-26 21:41:53 | スイス
ベルン旧市街を徒歩でゆっくり見学した後、トラムにのって十分ほどの郊外にあるパウル・クレー・センターへ。十五人だけだからこういう移動もできる。

途中、ベルン州の旗が現在のデザインになった戦いがあった場所を通る。
★パウル・クレーセンターへきた目的は、この面白い建物の美術館ではなく
付属の一戸建てレストラン。ぴったりの人数の個室を用意して待っていてくれた。その様子はこちらからご覧ください。

午後三時すぎにホテルへ戻り、もっとベルンを深く知りたい方々と橋を渡って「ベルン歴史博物館へ」

ここはチューリヒについでスイスで二番目の大きさを誇る博物館である。

一時間ほどでは見るものを決めなければ楽しめない。二十五万点もあるという収蔵品の中から、今日午前中に歩いて目にしたものと関係があるものを中心に見学。
大聖堂の入口を飾っていた極彩色の彫刻の本物の多くはここにあった。
さらに宗教改革で壊され、大聖堂裏の高台の盛土に埋められていたおびただしい彫刻群に驚かされる。

~続く
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ベルン旧市街散歩

2012-10-26 20:47:04 | スイス
《手造の旅》黄金色スイス二日目~午前中
スイス連邦議事堂すぐ隣のベルビューホテル、豪華な朝食バッフェはゆっくり楽しまなきゃ

薄曇りの朝、アーレ川の緑と紅葉が美しい

9時に出発、ベルンの二回目の城壁門であったケーフィック塔

広場には市場が出ている。スイス産は少し高くても多くのスイス人は自国産を選ぶのだそうだ。

有名な時計塔も見なくちゃ


世界遺産に指定された旧市街は1405年の大火で木造の街が壊滅した後、都市計画に沿って建設された。
だからこそのこの美しい街並み。



ここに路面電車を通す時に邪魔になったのが、彫刻で飾られた噴水。
「美しき障害物」と呼ばれているのだそうだ。なるほどねぇ



★これら噴水の彫刻についてはまた別のところに書きます







アーレ川の一番湾曲した場所、ここからベルンの歴史ははじまった。

1191年、ここにニーデックの城塞を建設した、ツェーリンゲン家のベルトルト五世

彼は「狩りではじめて捕まえた動物の名前をつけよう」と決めた。
捕まったのはクマ。
そして街は「ベルン」という名前となり、今でもクマが飼われている


大聖堂の塔はいつきても修復している

正面入口の「最後の審判」は必見

これ以外の聖人彫刻は宗教改革の際に取り壊された。
大聖堂入口近くに立つモーゼが十戒の「その二⇒偶像を作ってはならない」を指差しているのは、その教訓を表しているのだとか。


内部にある墓碑で一番立派なのは、狩りをして「ベルン」と名付けたベルトルト五世のもの


16世紀初頭、後期ゴシック時代にはロマネスク的なおどろおどろしさと面白さを引き継いだ、技術の高い彫刻がたくさんつくられた。それら職人の遊び心を感じさせる小品がいろいろ見つかるのが楽しい。
ガイドブックに載っていなかろうが、面白いものは面白い~これはナニモノ?↓

★大聖堂についてはもう少し詳しく別のところで書きます。

大聖堂裏側のテラスからはアーレ川が見下ろせる

秋は深まり落ち葉が美しい

昼食はかねてから用意していただいていたパウル・クレー・センターへ。
こちらからご覧下さい。
特においしかった前菜の卵サラダの拡大写真はこちら
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秋深いベルンへ出発

2012-10-25 19:59:46 | スイス
《手造の旅》黄金色スイスへ出発!
10月25日、直行便でチューリッヒへ。スイス航空の白ワインはスイス26カントン(州)の紋章が入っていてかわいい。到着後バスで二時間走ると湾曲したアーレ川に抱かれたベルン旧市街が見えてきた。立派な屋根は連邦議事堂※ベルンはスイスの首都
すぐ右に見えるベルビューホテルにこれから三連泊する《手造の旅》のスタートである。10月の終わりに出発するスイスの旅は、パッケージツアーではほとんどない。
「こんな美しい季節に誰も来ないのはとてももったいいです」と現地在住の方に言われるまでは、小松も《手造の旅》スイスをこんな時期にやろうとは思っていなかった。

一年前から細かく準備してきた《手造の旅》黄金色スイス9日間、いよいよスタート!

チェックインしてからホテルすぐ近くの橋を渡ると夜景が美しい。
連邦議事堂がライトアップ
大聖堂の塔が対岸から
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イスタンブル宝箱~エユップ・スルタン・モスク、ロティのカフェ、リュステム・パシャ・モスク

2012-10-07 12:55:39 | トルコ
イスタンブルは何日見ても見終わるということがない。
朝一番で素晴らしいモザイクの残る旧ホーラ(コーラ)教会へ。
こちらにしっかり書きました。

金角湾の奥に、イスラム教徒にとって重要な巡礼地になっているエユップ・スルタン・モスクがある。

イスラム教徒がはじめてコンスタンチノープルを攻めたのは西暦674年。ムハンマド(マホメット)の友人で弟子であったエユップはその遠征で亡くなった。エユップはアラビア語で「アイユーブ」。彼のフルネームはアブー・アイユーブ・アル・アンサーリー。「アブー・アイユーブ」は旧約聖書に出てくる「ヨブの父」という意味。※アル・アンサーリーは「助ける者」という意味があるようだ。

彼がコンスタンチノープルの包囲戦にやってきたときに八十歳を超えていた。それでも遠征軍には加わり、病に倒れ、最後にこういった「出来うる限り敵陣に攻め入り、私の遺骸はコンスタンチノープルの城壁の下に葬れ」。

彼の墓は、1453年にコンスタンチノープルを陥落させる直前のメフメット二世が礼拝した場所から偶然に発見され、それ以来ここはイスラム教徒にとってトルコでは一番重要な巡礼場所となっている。
オスマン・トルコ時代、歴代のスルタンは即位にあたってここを訪れ、戴剣式をここで行ってきた。この絵はスレイマン大帝が訪れている図


トルコ人以外でもたくさんのイスラム教徒が訪れる。
下は1957年にカダフィ以前のリビア首長、イドリース一世が訪れた記念パネル。


周辺、金角湾を見下ろす斜面は何百年ものあいだに積もり積もった墓でいっぱいだ。

彼の墓にご利益を求める人々が殺到している。

モスク内部は1980年頃までイスラム教徒しか入ることができなかった。

**
ゴンドラで丘の上へあがっていく

19世紀のフランス人士官で小説家だったピエール・ロティがよく訪れたというカフェがある。


トルコ人の服装をして水パイプをふかすロティの写真がかざってあるカフェ内部

天気が良ければテラスも気持ちよさそうだ。


降りてゆくゴンドラからエユップのモスクが見える。

**
昼前にもう一箇所。
スレイマニエ・モスクを見学。かのスレイマン大帝のために建築家シナンが建てた傑作。

しかし、近年の修復はドームの内側装飾を西欧式の遠近法柱にしてしまっていた

午後、こちらもシナンの手がけたシュステム・パシャ・モスクを訪れる。

ここはスパイス・マーケットに近い市場の中に位置している。
路地の階段を上がっていくとタイルの美しい入口。メッカを表すこんな絵柄は、あとからはめ込まれたものだろう。

内部はこんな
市場にはいっぱいの果実スパイス・バザールは実際観光客がたくさんやってくるので日本語のこんな看板もある。「エドちゃん」とは、トルコ人の名前「エルドゥアン」を勝手に日本風にしたものだそうな(笑)

***
アヤ・ソフィアの見学へ。入口のこの支え壁はシナンによる修復。
長年かかっていた内部の修復は終わり、唯一無二の空間がもどってきていた。
1204年にこの街を征服した第四回十字軍を指導したヴェネチアのドージェ、エンリコ・ダンドロの墓石。これは、もともとここにあったものだろうか?それにしてはどうも設置のしかたが不自然に見える。
内部はあまりにも見るべきものが多すぎるので、別の機会に、ぽつぽつと。

近接して18世紀のスルタンたちの廟がいくつかある。このいりぐちのタイルについては
こちらに書きました。


**
夕食は旧市街の路地にあるクレタ料理の店へ。前菜があまりに多彩で美味しくて、たべきれません。
こういう料理は日本人も大好き
デザートも
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