ベルンから一時間ほど西へ行ったビール湖のほとりにある小さな村・トゥバン。毎年10月末に三日間だけ開かれるささやかな収穫祭を訪れることが、今回の《手造の旅》のテーマのひとつ。
企画途上で開催日が一日ずれていることが分かって、あわてて日本からの出発日を変更したりしたがそれだけの価値がある
村の入り口には大きな葡萄の飾り。スイスの国旗を挟んでベルン州の熊の紋章とこの村の旗。やっぱり葡萄がついている。
雨模様の朝なので、人々の出足も遅いようだ。村の店もこれから準備。
五分で通り抜けてしまえる村のメインストリートを抜けて、葡萄畑へ上がっていく坂道へ
ヨーロッパの紅葉というと黄色が主体だが、葡萄畑では赤色も楽しめる。日本のもみじとは一味違う赤い葡萄の葉
雨に煙る湖も美しい。三十分ほどして再び村へ戻ると、いろいろな店が開き始めた。葡萄の村だからやっぱりワインの蔵元を訪れて一杯ためしてみたい。
長テーブル四つだけのお店の半分を占領。雨の収穫祭の朝、遠来の珍客にも店のおばさんはにこやかに迎えてくれる。
店のメニューはワイン三種類とブドウジュースだけ(だと見えた)※写真右が葡萄ジュース。赤・白のほかにロゼもありました。あとから地元のおじさんたちが巨大なクリームパフェを注文したのにもびっくり。
すぐ後ろの部屋にはご覧のような樽があって、そこからグラスに汲んで出してくるだけ。
この場所で飲むからなのかもしれないが、やっぱりすっきりおいしい白ワイン。きれいなラベルにも惹かれて一本買ってしまいました。CHF10スイス十フラン。ここらの村のワインは日本になどやってこないだろう。
村を散策して買い食いも楽しい。今日のお昼ご飯はこれで済ませる予定で、なにも予約しておりません。アジア風の麺もあり。
フランス語圏からのソーセージあり
この時期らしい焼き栗もおいしい
手編み製品や手造りのものもいろいろ売っている
12時にバスにのってムルテンの街へ移動。当初、列車での移動にしようとも考えていたのだが、こうして雨に降られてみるとバスがあってほんとによかったです車窓からはかぼちゃ、あ、写真ぶれてしまった
予定にはなかったが、時間がとれそうだったので、ムルテンを通り越して、フランス語圏ヴォー州にあるアヴァンシュという街へも行ってみることにした。ここは紀元後一世紀には現スイスにおけるローマ帝国の中心的な町だったそうで、人口二万を数えたそうな。丘の上に中世の街があるが、古代にはそのふもとに大きなまちがあったのである。発掘は今も続けられていて、その中心になる円形闘技場にはローマの博物館もある。
マルクス・アウレリウス帝の金の胸像が収蔵されているという博物館(※写真で闘技場の向こうにある中世の建物がそれ)は、残念ながらまだ閉まっておりました。次回、ぜひ、見学できるようにしたいです。
企画途上で開催日が一日ずれていることが分かって、あわてて日本からの出発日を変更したりしたがそれだけの価値がある
村の入り口には大きな葡萄の飾り。スイスの国旗を挟んでベルン州の熊の紋章とこの村の旗。やっぱり葡萄がついている。
雨模様の朝なので、人々の出足も遅いようだ。村の店もこれから準備。
五分で通り抜けてしまえる村のメインストリートを抜けて、葡萄畑へ上がっていく坂道へ
ヨーロッパの紅葉というと黄色が主体だが、葡萄畑では赤色も楽しめる。日本のもみじとは一味違う赤い葡萄の葉
雨に煙る湖も美しい。三十分ほどして再び村へ戻ると、いろいろな店が開き始めた。葡萄の村だからやっぱりワインの蔵元を訪れて一杯ためしてみたい。
長テーブル四つだけのお店の半分を占領。雨の収穫祭の朝、遠来の珍客にも店のおばさんはにこやかに迎えてくれる。
店のメニューはワイン三種類とブドウジュースだけ(だと見えた)※写真右が葡萄ジュース。赤・白のほかにロゼもありました。あとから地元のおじさんたちが巨大なクリームパフェを注文したのにもびっくり。
すぐ後ろの部屋にはご覧のような樽があって、そこからグラスに汲んで出してくるだけ。
この場所で飲むからなのかもしれないが、やっぱりすっきりおいしい白ワイン。きれいなラベルにも惹かれて一本買ってしまいました。CHF10スイス十フラン。ここらの村のワインは日本になどやってこないだろう。
村を散策して買い食いも楽しい。今日のお昼ご飯はこれで済ませる予定で、なにも予約しておりません。アジア風の麺もあり。
フランス語圏からのソーセージあり
この時期らしい焼き栗もおいしい
手編み製品や手造りのものもいろいろ売っている
12時にバスにのってムルテンの街へ移動。当初、列車での移動にしようとも考えていたのだが、こうして雨に降られてみるとバスがあってほんとによかったです車窓からはかぼちゃ、あ、写真ぶれてしまった
予定にはなかったが、時間がとれそうだったので、ムルテンを通り越して、フランス語圏ヴォー州にあるアヴァンシュという街へも行ってみることにした。ここは紀元後一世紀には現スイスにおけるローマ帝国の中心的な町だったそうで、人口二万を数えたそうな。丘の上に中世の街があるが、古代にはそのふもとに大きなまちがあったのである。発掘は今も続けられていて、その中心になる円形闘技場にはローマの博物館もある。
マルクス・アウレリウス帝の金の胸像が収蔵されているという博物館(※写真で闘技場の向こうにある中世の建物がそれ)は、残念ながらまだ閉まっておりました。次回、ぜひ、見学できるようにしたいです。