旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ミルフォードサウンドをクルーズ

2020-09-30 08:05:38 | ニュージーランド
2006,2007ニュージーランドの旅より






海から切り立った山が直立する。
フィヨルドのような海は日本にない。

年間三百日、七千ミリの雨が降るこのエリア。
何の水源もなさそうな崖の上から滔々と滝が落ちてくる。
※実は山上にいくつもの湖があることを帰路のセスナから見つけた

二時間弱のクルーズ。内部は自由席。

こんな天気の良い日はデッキも気持ち良い。

崖に近づくと

アザラシがたくさんひなたぼっこちゅう(^.^)




湖のような景色

ノルウェーとニュージーランドはフィヨルドの名所です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クイーンズタウンから山を越えてミルフォードサウンドへ行く道

2020-09-29 06:41:40 | ニュージーランド
2006,2007年ニュージーランドの旅より
朝六時過ぎ、クイーンズタウン

ワカティプ湖畔を走っていると対岸の山に朝陽が当たりはじめた。
クイーンズタウンは標高310mに位置しているが、海抜0mのミルフォードサウンド(海だから)へ行くのに1000m近い峠道を越える。

朝陽に羊の群れ

山を覆う黄色い植物はハリエニシダ。
きれいだけれど名前の通り針のように刺があり固い。
イギリスから渡来した雑草で生命力が強く。
NZの固有種にとっては脅威なのだが、羊の柵に使うには便利だったそうだ。

山道へ入るところにこれから抜けてゆくルートマップ。
「雪崩注意」エリア、トンネルの表示。ジグザグの道。
いちばん上が入江=ミルフォードサウンド。

山道の途中の湖に、よく整備された木道がある

今日はよく晴れているがこのあたりは雨が多い。

幹に苔がぶらさがっているのがそれを感じさせる。

奥入瀬を思い出させる渓流沿いをのぼっていくと、谷の上に雪山が顏をのぞかせていた。

葉の厚い高山植物。

あ!野生のケアだ。
「アルプスのオウム」と呼ばれて、羽を広げると中が赤い。

ニュージーランドの鳥らしく飛ぶのは苦手。人間にも慣れやすく、残したものをあさるので「餌をあげないで」と書かれている。
でも、我々のまわりをのこのこ歩くのは、あげている人がいるからかもしれません。

ちょっと寒いぐらいのトンネルのある峠。

掘りぬかれただけでライトがないのです。

トンネルを抜けてジグザグの道を下りると、急激に気温も植生もかわってゆくのがわかる。

ニュージーランドのシンボルになっているシダが巨大な葉をひろげている。
裏側が銀色なので「シルバー・ファーン」という名前になった。

そして着いたのは湖畔…ではなくて海!

ちゃんと塩辛い水でした(^.^)
ここからミルフォードサウンドのクルーズに出発。
一年に三百日雨が降ると言われる地域だけれど、今日はとても良いお天気(^.^)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月はクイーンズタウンの春

2020-09-28 10:41:15 | ニュージーランド
2005,2008年ニュージーランドの旅より
雪がまだ残る南島の山脈を見下ろして飛ぶ

クイーンズタウンは自然あふれる小さな町

ワイン栽培も盛んで

ワイナリーでは屋外のテーブルが用意されていた。

忘れられない、あの気持ちの良い風(^.^)


これはクイーンズタウンからはじまった「スポーツ」のための道具

この橋の上から足に縄をつけて飛び降りるなんてよくもかんがえたものだ

「バンジージャンプ」
**

クイーンズタウンは細長い形をしたワカティプ湖に面している

ショットオーバージェットボートは迫力満点。
誰でも安全にたのしめる(^.^)

湖をゆく昔ながらの蒸気船も

空にはパラグライダー
***

標高七百三十メートルのスカイライン展望台へ

夕暮れにかけてゆっくりする

先住民族マオリのショー

あ、このTシャツは

ラグビーの試合の前にニュージーランド代表がやる「HAKA]ですね(^.^)

ディナーの時間になってもまだ薄明るい

11月のNZはもうすぐ夏至だから陽が長いのです

2021年の11月には《手造の旅》が催行したいものです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザイサントルゴイの丘で鷹を

2020-09-26 19:54:53 | モンゴル
2008年《手造の旅》モンゴルより

鷹の重さと爪の鋭さを感じていた。

猛禽類をつかった狩りというのは日本からヨーロッパまで、ユーラシア大陸全土の伝統だ。

ウランバートルの南にあるザイサントルゴイの丘

1971年に第二次大戦の勝利を記念してたてられた


丘からの眺めはモンゴルの未来をみせてくれていた。

ちょっとしたビルほどもある仏像がたちあがっている。
社会主義時代に大弾圧されていたチベット仏教が復活してきている。
ソ連が崩壊した後の不安な時代にロシア正教がいっきに復活したのと似ている。

社会主義時代には土地はみんなのもので、公共の草原を塀で囲うようなことはなかった。
民主主義と資本主義が解禁され、土地の個人所有がすすみ↑板塀の中に遊牧の住居=ゲルをたてて住んでいる。
ウランバートルの周辺では、最早遊牧が不可能になってきている。
伝統的な生活スタイルを続ける人々はモンゴルの未来から取り残されてゆくのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボグド・ハーンとその妻の宮殿

2020-09-25 14:23:09 | モンゴル
2008年《手造の旅》モンゴルより
「生き仏」だが結婚して、モンゴルの君主だったボグド・ハーンの彩色写真が冬の宮殿に飾られていた。

1911年辛亥革命で清朝が倒れると、支配下にあったモンゴルは宗教指導者だったジェプツェンダンパ・ホクトク八世を君主「ボグド(聖なる)ハーン(王)」として独立した。

彼らの住んだ冬の宮殿は1893年から1903年にかけて建設された中国式の建物。
チベット生まれのガワンロサン・チューキニマ・テンジンワンチュク少年は「生き仏」の名跡ジェプツェンダンパ・ホクトクの生まれ変わりとしてダライラマ十二世に発見され、歴代のジェプツェンダンパ・ホクトクと同じようにモンゴルに入った。

※ロシア人によって撮影された1896年28歳ごろの彼の写真 Wikiより
このころ、後に結婚する19才のテンジン・ドンドグラムとエルデニゾー修道院で出会ったという解説がネットにあった。
本来結婚などしないチベット仏教の僧に、なぜ可能だっただろう?
1902年に結婚した二人が住んでいた宮殿がここ。息子もいたそうだ。

北京と同じような儀礼的空間をすぎると、実際に住んでいた雰囲気がある部屋があらわれる。

散逸をまぬかれたものが展示されている。

この御璽はほんものかしらん?

クロテンの皮136枚が使われたガウン

王妃テンジン・ドンドグラウの服

地方の藩王から贈られたレオポン(ここでは雪豹?)の毛皮で飾られたゲル。
遊牧しなくなったモンゴル宮廷においても、チンギス・ハーン以来の伝統は大事に受け継がれていたのか。
屋内には似合わないゲルは、天気の良い日にだけ屋外に設営されたのだそうだ。

これは輿ですね。

辛亥革命が起きなければ清朝支配下の朝貢国君主の一人として平穏に終えた人生だったのかもしれない。

清朝に代わり中国の支配者となった中華民国と、ロシア帝国に代わった社会主義ソ連の狭間で翻弄されたモンゴルは1921年に社会主義国として再出発する。社会主義国にはあり得ない君主だが、ボグド・ハーンとその妻はその後も「社会主義君主」という矛盾した言葉ででも形容するしかない立場でこの宮殿に住み続けることを許された。
妃は1923年に没。
ボグド・ハーンも翌年に崩御した。
次の「生き仏」の名跡ジェプツェンダンパ・ホクトクを選ぶことは、社会主義モンゴルには認められなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする