旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

スパイスガーデンからキャンディへ

2017-12-31 20:38:56 | スリランカ
シギリアを出てランチ、午後スパイス・ガーデンを経由してキャンディへ至る。
スパイスではないが、このジャックフルーツは時々見かける。まだちゃんと食べたことないなぁ

スパイスガーデンは毎回訪れて毎回専門ガイドさんの解説を拝聴しているのだが、なかなか覚えきれていなくていつも新鮮(笑)
同じこと書いちゃうかもしれませんが
●ウコン


●ヴァニラは、以前テレビ番組でマダガスカルでの収穫を見たことがあった↓

収穫しただけではあの甘い香りはなく、さやえんどうの細長いのみたいなのをさやごと発酵・乾燥をなんども行う。
とても手間のかかる作物なのだそうだ。世界中から買い付けが殺到して値段がどんどん高くなっているそうな。
●カカオ


●クローブがフランス語語源だということは、以前調べていてはじめて知った↓
※こちらに書きました
●シナモンは樹皮をはがしてまるめる↓


●カルダモンは生姜の種類だがこちらは種↓

●ナツメグとMECE(メース)は同じ種が原料だが、後者は種の周りの赤い部分↓



他にもいろいろ説明してもらって、さてそれをどんなふうに薬剤として役立てているのかのお話をきく↓

アーユルヴェーダのマッサージに使うオイルを実際にぬってくれたり
あたまのてっぺんのツボに塗って、新陳代謝を促進するというこれ⇒ちょっとためしてみようかな。けっこう高いんですが、自分で使ってみないとなにも言えませんから。

****
古都キャンディにはいってゆく↓

中心にあるのは、「ブッダの犬歯」を保管する仏歯寺↓ここはもともとキャンディ王朝王宮に隣接していた↓政教一致の王国だったのである。

今日は大晦日で満月でもあるので仏教旗が飾られていた↓

入場券、最近できた自動販売機↓


お供えする蓮の花を売っている↓

それをかっさらって?食べる猿↓


五時から「キャンディアンダンス」を見学し↓


今日はホテルに入る前に、夜のプジャ(礼拝)を見学しよう。明日の元日にはもっとすごい数の人がやってくるだろうから。日本の初もうでと同じとのこと
大晦日も人は多い↓特に今日は満月だからか?↓




「仏歯」が収められている厨司が開くときに少しでも近くでお参りしたい人の行列は下の写真左の人々↓
我々のような観光客は行列をよけてどんどん進む↓

人々は皆白い服を着ている。スリランカでは白が礼服の色で、葬式の色といえば黑ではなく白である。

仏歯寺の敷地内に、かつて王宮があった。ブッダの歯をもっていることでスリランカの王である証になっていたのだ。
王宮の建物は、現在ではほとんどなくなっている。英国統治時代にイギリス風の建築にとってかわられた。
残された数少ないものの一つがこれ↓この屋根の下でスリランカ最後の王が退位書類に署名した場所なのである↓


屋根の上、雲間から満月が↓


この仏歯がおさめられた木造建築は17世紀ごろからのものと推察されている。1990年代、内戦時のテロで爆薬を満載したトラックが寺につっこんだが、ここまでは届かなかった。下は「仏歯寺」入り口↓雲の向こうから満月が見え隠れしている↓



スリランカの法律で、満月の日にはアルコール販売禁止。今晩は大晦日のパーティだが、それでも22時以降はアルコール販売は禁止。
ホテルにチェックインして、年越しガラパーティの会場へはいった↓
めを丸くさせる装飾↓













我々は食べたら引きあげたけれど、夜中中パーティは続いたもよう↓

零時過ぎに花火があがっていた


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大晦日にシギリア・ロックに登る

2017-12-31 10:25:33 | スリランカ

「地元の人もたくさん来るから混みます」ということで、9時過ぎに到着したシギリア・ロックのふもと。登り口まではまだ行列していなかった↓

この風景を見て「とても登れません」と言う方も多いのだが、実際に登りはじめてみると「思ったより楽でした」との感想をよくきく。個人差あるとおもいますが。

百八十メートルほどの岩山の横に穿たれた登山道に連なる人々が蟻のように見える↓

↑画面左で上方に登ってたどり着いている、横長場所に、有名な「シギリア・レディ」のフレスコ画がある↓
※今は撮影禁止になってしまったが、その前にはみんなばしばし撮影していた↓




こういったフレスコ画はここだけではない。全部で五百ほど発見されている。下から見ていると、このフレスコのある場所から左方向にもたくさんそれらしき場所があるのがわかる↓

こんな場所に描かれたという事にも驚くが、これを是が非でも見てやろうという観光施設もすごい。

さぁ、この岩の間から登っていこう↓

ここをすぎて登り階段がキツクなってきたころに、行列がうごかなくなった。ほっとして休憩。お猿も休憩↓


横移動の場所に入る⇒
前方に見える明るい茶色の壁が「ミラー・ウォール」↑

↓ここから「ミラー・ウォール」入る


壁には9世紀ごろからの詩がたくさん刻まれている。
↓こんな様子で左側に近寄らせないようにしてあるのだが↓

小松がはじめて訪れた時にはこんな柵はなかった。

「ミラー・ウォール」の外側にコワい回廊がつくられているのは、かつて観光客はここを通行させていたのかしらん?↓





かつて巨大なライオンのかたちをしていたという王宮の入口。今では爪だけが残されている↓


その間からのぼってゆくと、頂上はもうすぐ↓


頂上にはたった八年間だけだが王宮があった。人が住むためには水が必要。大きな貯水槽もある↓




*****
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ミンネリヤ国立公園でゾウに向かって突進

2017-12-30 22:47:17 | スリランカ
ゾウが水場に集まっているのが分かった。
が、そこへ近づくには小川を越えなくてはならない↓

正規の道ではないが、ジープのドライバーたちはなんとしてもお客に喜んでもらおうと川を渡ろうと突進してゆく↓

我々のドライバーも意を決して、突っ込む!


うぉ~がんばれ!対岸へのぼりきれ!!・・・

横転の危機を感じながら、三度のトライの後なんとかのぼりきった。
そこには、見渡す限りの(ちょっと大げさ)ゾウの群れ






ほんのすぐ近く。太い蛇口から出るみたいなおしっこの音まで聞こえる(これはほんとに)↓


ゾウの家族はいつも小象を真ん中にはさんで守っている↓


みんな大満足のゾウサファリだが、数年前にはじめて訪れた時よりは、ドライバーたちは無理をしなくなったと感じる。
当時はゾウをみつけると、小さな木ならなぎたおしてでも、我先に近づいていっていた。さすがにそれではいかんと思ったのだろう。

いずれにしても、ドライバーさん、よくがんばってくださいました。
日本では少数派になった喫煙派も、ここでは言葉のいらない友好関係がはぐくめる

***
ヘリタンス・カンダラマへ戻って、今晩は昨夜とは別のダイニングでセットメニュー。このカレーはじっつに!おいしかった↓





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ポロンナルワのシンハラ人とタミル人

2017-12-30 12:32:16 | スリランカ

スリランカ二番目の古都とされているポロンナルワを訪れる度に思うのは、ここは仏教国の首都だったけれど、シンハラ人だけが住んでいたのではないということ。

聖なる遺物「ブッダの犬歯」と「托鉢」を納めてあったとされる、ポロンナルワ最古の建物「アタダアゲ」の横にたてられた「ヴェリカラ碑文」に書かれている話がひとつの証拠になっている↓

「ヴィジャヤバル王(1055-1110)の治世三十年目、タミル人の侵略に対して戦いを命じられたヴェリカラ傭兵たちが反乱を起こし王を宮殿から追放する事態となったが、すぐに鎮圧された」
と、シンハラ語とタミル語で書かれているのだそうな。
王の死後に彼らは許されて再び復職した。その際、後の戒めの為に両民族が読める言葉で出来事を刻んだと思われている。
つまり、ポロンナルワでいちばん大切な場所においても、タミル人は住んで仕事をしていたのである。

王宮で「仏歯」の警護をしていたヴェリカラ傭兵は、タミル人ではあっても仏教徒だったのではないだろうか。
シンハラ人=仏教徒 と決まっているわけではない。
タミル人=ヒンドゥー教徒 とは言い切れない。
人の信仰というのは民族で一刀両断にはできない。

ポロンナルワにはミャンマーやタイから招聘された僧も多数住んでそれぞれの宗派寺院があった。
当然、商人など一般の人々の交流もあったと考えてよい。
下はタイ様式の仏塔↓


ポロンナルワの聖域にはヒンズー教徒も多くやってきて、仏教寺院にも参拝した。
多神教というのはこういうところは気にしないのであります。
小松はインドのヒンズー寺院で神々の一人にキリストが描かれていてびっくりした。

仏教寺院に入ってきたヒンズー教徒はしかし、足元に刻まれた牛を踏むのは嫌ったのだと思われる。
聖域の入口をあらわす「ムーンストーン」↓には、ふつう牛も刻まれているのだが、
↓ここでは足で踏む場所から牛の姿ははずしてある↓

わざわざ別に刻まれた牛がすぐ横にいる↓


↓別の寺院建築では外見がヒンズー寺院に似せてあったと推察されているものもある↓これはその内部↓


13世紀には南インドのタミル人ヒンズー教徒の王朝からの侵略で放棄されてしまうが、
ポロンナルワでは多民族・多宗教で繁栄していたのが、そこここで感じられるのである。

**巨大な仏塔のまわりを歩く↓









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ヘリタンス・カンダラマの魅力②ジェフリー・バワの視点を追体験する

2017-12-30 09:59:01 | スリランカ

ジェフリー・バワが七十代の前半になって設計したのがこのカンダラマホテル
熱帯の森に埋もれている姿こそ、彼が目指した姿なのだろう↓

後にいろんなホテルに取り入れられる「インフィニティ・プール」をはじめて考えたのは彼だ↓湖に同化するような視点↓



六階のバフェレストランの入り口に、巨大なフクロウがある。友人の彫刻家ラキ・セナナヤケの作品↓もとになった小作品が、コロンボの「ナンバー11」にあるのを後日見た↓



五階ロビー周辺に置かれたオリジナルの椅子↓

↓広く開いた吹き抜けからは雨ももちろん吹き込んでくるが、それで良いと考えたのだ↓

この、開け放されたベランダ回廊は、昨年見学した国会議事堂にもそのままあってびっくりしたっけ。

何百年も前の人造湖を見下ろす巨大な岩のまわりをとりまくように建てられている。
当初、施主が考えていた建設予定地を見学にやってきた折、自らが「ここにしよう」と選んだ場所。
二階部分まで降りると自然の岩がどっしりと支えていることが分かる↓


ロビーになっている五階の奥、階段の踊り場に置かれたこの椅子によく座っていたと伝えられている↓



ここから見える景色は↓二十年前なら左手の木もまだそれほど大きくなくて視界はもっとひらけていたのではないだろうか↓


七階へ上がる階段からの視点↓ヘリタンス・カンダラマにはこれで五回目の滞在になったが、まだまだ見ていなかった視点がたくさんある


★最上階のスパの様子など、以前訪れた時の写真もごらんください

★客室内



ゆったりした風呂のバスタブに横になると、ちょうど窓からの緑が心地よく光を運んでくる↓これもまたバワの意図していた視点なのだろう↓


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