モアイは村を見守るように立っていたのでほとんどは海岸線にある。

そんななかでこのアフ・アキビだけは海岸線から三キロ入った「内陸」にある。七体のモアイは、伝説によると初代王ホトゥ・マトゥア王の七人の息子↓

年代測定によって14世紀ごろのものと判明して、伝説は正しくないとはされたのだが。

内陸に村ができたのは、海岸線の住みやすい場所がすでに集落で占められてしまったからだと考えられる。
イースター島の人口が最盛期には二万人近くになったとする説もある。
アフ・アキビはその頃に新規開拓された集落ではないだろうか。

**
ハンガロア村にもどり、「手工芸品マーケット」に立ち寄る↓

団体バスがまとまって止まることができるような場所はここぐらいしかないのだ。
それにしても…どの店もよくあるような品揃え

同じような店がずらりとならんでいる

イースター島らしいものといえば、モアイの他はこのロンゴロンゴ文字盤のレプリカぐらいか↓

※ロンゴロンゴ文字についてはまた別に書きます
百メートル程のところに教会↓

ハンガロア村の中心部はすぐそこである。
***
いったんホテルにもどる
↓このレセプション棟のデザインは、「鳥人間崇拝」が行われた神殿?のかたちを模倣している↓

↓この客室棟もそうだ↓

部屋から見えた山頂の↓三つの十字架はなにをあらわしているのだろう?
こんどガイドさんに訊ねてみよう↓

****
七時に再出発してサンセットツアーへ

今朝最初に訪れたアフ・ビナプ↓くもっていたので心配したが


雲があることでより赤い夕焼けがみられるようになる

日が暮れてから二十分ほどがいちばん空が焼ける

*****
夜はダンスショーのディナー

バッフェ↓

最後にラパ・ヌイ・ケーキ↓バナナを練り込んである↓

ショーはハワイとよく似ているが

↓ひとつだけ、日本のあやとりのようなこの島独自の文化が紹介された↓

島の歴史を口伝えしながら、それをあらわす形をこの「あやとり」で覚えていくのだそうだ

そんななかでこのアフ・アキビだけは海岸線から三キロ入った「内陸」にある。七体のモアイは、伝説によると初代王ホトゥ・マトゥア王の七人の息子↓

年代測定によって14世紀ごろのものと判明して、伝説は正しくないとはされたのだが。

内陸に村ができたのは、海岸線の住みやすい場所がすでに集落で占められてしまったからだと考えられる。
イースター島の人口が最盛期には二万人近くになったとする説もある。
アフ・アキビはその頃に新規開拓された集落ではないだろうか。

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ハンガロア村にもどり、「手工芸品マーケット」に立ち寄る↓

団体バスがまとまって止まることができるような場所はここぐらいしかないのだ。
それにしても…どの店もよくあるような品揃え

同じような店がずらりとならんでいる

イースター島らしいものといえば、モアイの他はこのロンゴロンゴ文字盤のレプリカぐらいか↓

※ロンゴロンゴ文字についてはまた別に書きます
百メートル程のところに教会↓

ハンガロア村の中心部はすぐそこである。
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いったんホテルにもどる
↓このレセプション棟のデザインは、「鳥人間崇拝」が行われた神殿?のかたちを模倣している↓

↓この客室棟もそうだ↓

部屋から見えた山頂の↓三つの十字架はなにをあらわしているのだろう?
こんどガイドさんに訊ねてみよう↓

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七時に再出発してサンセットツアーへ

今朝最初に訪れたアフ・ビナプ↓くもっていたので心配したが


雲があることでより赤い夕焼けがみられるようになる

日が暮れてから二十分ほどがいちばん空が焼ける

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夜はダンスショーのディナー

バッフェ↓

最後にラパ・ヌイ・ケーキ↓バナナを練り込んである↓

ショーはハワイとよく似ているが

↓ひとつだけ、日本のあやとりのようなこの島独自の文化が紹介された↓

島の歴史を口伝えしながら、それをあらわす形をこの「あやとり」で覚えていくのだそうだ