旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

亀山城址の植物園と亀岡の街

2020-12-01 07:04:13 | 国内
みごとなイチョウの絨毯で迎えてくださった。

「皆さんが来られるというので掃除せずにお待ちしておりました」
Sさんの粋なはからいだった。


朝、間人(たいざ)を離れる前に立岩を間近に見る

きのう、遠目には見ていたが、やはり近くで見ると圧倒的な迫力

幼き聖徳太子もその母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)と共に見たことがあっただろう。

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二時間半ほどで亀岡に到着。朝霧はそろそろあがってきていた。

亀山城址の石垣と紅葉はとてもよくあう。

昨年、下見の時にこの看板を見て、
「ここには植物園もあるのです」という一言に小松が喰いついたことで今回、Sさんに案内していただくことになった。
●「大本花明山植物園」と書いて
=「おおもとかめやましょくぶつえん」と読む

イチョウの絨毯の上からスタート
戦国時代の土塁と推察されている土の上に生えているのは

「ヤダケ」つまり矢に使った竹。四百年以上前に人が植えていった名残なのだ。

「マルバノキ」はなるほど葉っぱが丸い。

花はこんな↑ちょっとおもしろい形をしている。

「いぶきじゃこうそう」は、日本原産のハーブなのだそうだ。手で草をさわって嗅いでみるとタイムに似た香りがした。昔の人はお香「麝香(ジャコウ)」と似たものを感じたのだろう。

亀山城址の一角にあるというよりも、城の敷地そのものが植物天国になっていた。
Sさんのお話あってこそ、これだけ楽しめる。

この植物園でもっとも言及しなければならないのは★コノハナザクラ
山桜の変種としてここで発見された。
大本教の第三代によって命名されたという逸話、来春の花盛りに訪れた折にあらためて書きましょう(^'^)

晩秋の彩の中を歩いた。
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昼食は元城下町の中心に残る町家の観光案内所。

昨年下見した時に、ここで食べてもらいたいと思ったのをやっと実現できた。

明治なって壊された亀岡城にあった装飾がここに移されているのだそうだ。

この欄間は「琵琶湖七景」、初日に訪れた「浮見堂」↑ですね。
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昼食後、街歩き。

ヨーロッパの古い街と同じように、売られている商品の名前がつけられた町

10月に京都の祇園祭に影響を受けた祭りがあるときいた。

こういう山車がたくさん並ぶのだそうだ。
厄除け「ちまき」も同じようにくばられ

家々の玄関に掲げられている。


↓昨年試飲させていただいた酒屋さん

今年は寄る時間がなかったけれど、今回はまったく予期していなかったおもしろい工房をみつけた

ここに吊り下げられていた「鳥獣戯画柄」のマスクに惹かれて

入ってみると・・・
※こちらにもっと載せました
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最後は大本教の聖地でもある天守閣のあった場所の近くへ

この城壁下部は戦前に大本教が大弾圧で爆破された時にも地中に埋まっていて難をのがれた戦国時代からのものではないかとされている。

石垣に残された家紋は徳川幕府が命じた「天下普請」により西国の大名がもってきた石である印だそうだ。亀岡ガイドの牧田さん、力入ります(^'^)

昨年はすぐ近くまで行けなかった「明智光秀お手植えの銀杏」と共に。

↑明智光秀像はつい2019年に設置されたもの
約一時間のドライブで京都駅へ

2020年こんな世情の中で四日間の旅を無事に終えられたことに、ご参加いただいた皆様、訪問先の皆様、こころより感謝いたします。
コメント
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