旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

バスが故障して美味しい鯛を食べたシュノンソー

2024-10-19 08:28:43 | フランス
絶妙にハーブが効いたバターとクリームのソース。フランス料理で鯛はなるほどこんな風に調理するのか。日本料理とはぜんぜんちがうが、フランスに来てよかったと思う鯛料理だった。

10月2日朝、ロワール河畔の大学町トゥールでの朝食。

バゲットとチーズが美味しければフランスの朝食は良し。

↑いちばん左「トゥーレーヌ」は形成のための藁が通してあった部分に穴が開いているチーズ↑山羊のミルクからつくられるが、ここで食べれば多くの日本人にも「おいしい」と言ってもらえる。
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朝一番で訪れたシュノンソー城への並木道

誰もいなくて、訪問客も少なかった三十年前を思い出した。

↑やがて城館が見えてくる。

↑入り口の「火喰いトカゲ=サラマンドラ」はフランソワ一世の個人紋章。1516年にダ・ヴィンチをフランスに連れてきた王である。
この館のはじまりは、王の財務官だったトマ・ボイエ夫妻が建てたもの。
↓館の変遷が展示されていた↓

↑いちばん左が1517年のシュノンソー城↑ダ・ヴィンチもみたかしらん。
↑真ん中のように、橋をかけたはアンリ二世の愛妾ディアンヌ(=英語ならダイアナ)。

↑彼女の狩の女神ダイアナに扮した肖像画がかけてある↑
橋の上に建物を建てたのは本妻カトリーヌ。

↑カトリーヌのCとアンリのHを組み合わせた紋章が暖炉の上に刻まれている↑それが合わさるとディアンヌのDにも見えたりする。

シュノンソーは「七人の女性の城」と呼ばれている。
※フィガロ・ジャポンの記事にリンクします
小松がいつもご紹介したいとおもっているのは「黒い部屋」↓誰もいない朝、ちょっと足が止まる空気

アンリ三世の妃ルイーズ・ド・ロレーヌが、暗殺された夫の喪にふくしながら住んだ部屋。

真っ黒に塗られた壁に↑いばらの冠に囲まれたアンリのHとルイーズ・ド・ロレーヌのLLのイニシャル↑

↑部屋の端には暗闇に浮かぶアンリ三世の小さなポートレート↑
この部屋はもともと礼拝堂に隣接する二階部分にあったが、デュパン夫人の時代には一度解体され、後に現在の三階端に復元された。

フランス革命期にかけて住んだ↑デュパン夫人とジャンジャック・ルソーの逸話もおもしろかった。
※2012年のブログにリンクします



城の窓から入り口方向↑

広い庭園にはまだまだ見ていない場所がたくさんある。

***
お城での自由時間に「バスが壊れて修理している」と電話が入った。
このあとバスで一時間ほど離れたレストランに予約が入っているのだが…行けない。
シュノンソー村でワイン・テイスティングをしている間に手配会社と連絡をとりあって、この村にあるレストランに変更。

ルレ・グループに入っている=定評あるホテルのレストラン。

突然の予約に「鯛なら人数分用意できます」と対応してくれて、冒頭写真の料理に出会ったのだった。

****

昼食後、ロワール河沿いにシャンボール城へ向かう。
あれあれ事故ですね。

↑城は見えないがブロワの街を横目に

シャンボール城の広大な敷地に入り、正面に巨大な城が見えた。

ロワール古城の中でも最大の大きさをほこるシャンボール。
ダ・ヴィンチが亡くなった年にフランソワ一世が建設をスタートさせたルネサンスの城。

↑中央にダ・ヴィンチがアイデアを出した?とされる二重螺旋の階段がある。

↑二重螺旋を見上げたところ↓

イタリアはオルヴィエートの井戸とそっくりの光景。
※二重螺旋の系譜についてこちらに書きました


↑ルイ15世妃マリー・レグザンスカの父スタニスラフ・レシチニスキがトルコ風の衣装を身につけた肖像画があった↑
彼は1703年にポーランド王となったがそれを維持する才はもたず、娘婿のルイ15世をたよってロレーヌ公となった人物。
1725年から1733年までシャンボール城に住んだ。
*****
シャンボール城を出て、シャルトルを経由

シャルトル大聖堂は数あるフランスの大聖堂の中でも屈指。
夏のプロジェクションマッピングは見事
※2015年のブログにリンクします

キャパが撮影した有名な写真の一つもシャルトルで撮影されている↑
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少々渋滞したが無事にパリのホテルに到着。

ホテルでの夕食。



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サン・マロを一時間だけ歩く

2024-10-18 08:09:52 | フランス
ブルターニュの海岸に突き出した城壁都市サン・マロ。

サン・ヴァンサン門をくぐって旧市街を歩きだすとすぐブルターニュ地方のお菓子に出会った↓

●KOUIGN AMANNは「クイニー・アマン」と発音するブルターニュ語。
綴りはむしろゲルマン系。ドイツ語のKUGELがクリスマスの球飾りや弾丸などを意味する言葉。
AMANNはブルターニュ語でバターの意味。
2013年に船でブルターニュのロスコフに上陸した朝に食べたっけ※その日のブログにリンクします

城壁に出るとサン・マロ市の旗が青空にはためく↑左上の赤地にはテンが描かれている↑

サン・マロのいちばんの見どころは城壁↑
↑ルイ14世の信任厚き築城家ヴォーヴァンが設計した
※ヴォーバンをはっきり認識したマントゥノン訪問時のブログにリンクします
※こちらにも書きました



↑城壁に設置されたジャック・カルティエ像↑1530年代から40年代にかけて三度北米へ航海しモントリオールやケベックをフランス領と宣言した人物。
※2014年にモントリオールとケベックを訪れた日のブログにリンクします

1763年ケベックはイギリス領になる。

サン・マロには大西洋を航行する船を狙うコルセール(私掠船=敵国の船からは略奪を許可された国家公認の海賊)がたくさんいた。

↑シュールクーフはその代表格↓

ナポレオン金貨を敷き詰めた部屋に暮らしているといううわさがながれ、ナポレオンに拝謁した際に「おまえは私の顔を踏んで生活しているそうだな(金貨にはナポレオンの横顔が刻まれていた)」と言われた。
シュールクーフは「とんでもありません陛下、金貨は立てて並べておりますので」と答えた。
これは作り話だろうけれど(^^)

干満の差世界一の浅い海に囲まれた城壁。

潮のひいた時にだけ歩いて渡れる出城もある。


第二次大戦の艦砲射撃で破壊されたあとに再生された旧市街↑新しい建物と共存して独特の美しさを出現させている。


一時間の散歩でも、サン・マロの魅力を少しは感じていただけていれば幸いです。


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朝のモン・サン・ミッシェル

2024-10-14 05:48:45 | フランス
2024年10月1日朝8時過ぎのモン・サン・ミッシェル。
三時間もすると人であふれかえるが、その前に歩きたい。

対岸からのナベット(シャトルバス)に、予定よりずっと早く乗った。

かつては団体バスで島の入り口まで行けたが、2012年の4月28日からナベットに乗り換える必要がある。

ナベットを降りると、見たかったようなモン・サン・ミッシェルがそびえている。
ガイドさんとの待ち合わせ時間までまだ40分以上あるからゆっくり写真タイム。
そして中世らしい城門をくぐる。

パリからのバスが到着する前に歩くことが重要。

メインストリートではない細い階段を上がると

朝の空がひらける。
村の墓地にあるプーラールさんのお墓。有名なオムレツメニューを開発した「プーラールおばさん」一族の墓はたくさんある。小松が記憶していたお墓は本人のとはちがったけれど(笑)

後ほど↑ガイドさんと修道院に入ろう。

午前9時すぎガイドさんと待ち合わせ。
めずらしく日本人ガイドさん。
多くの場合英語ガイドさんの話を添乗員さんが要約するのだが、今日は直接お話していただけるし、時間も節約できるから濃い内容を楽しんでいただけそう。
「コロナ禍でいろんなモノがかわりましたが、これもそのひとつです」として、足で開閉できるゴミ箱を紹介してもらった。
なんでもないこういう事こそ、実際に訪れないと見えてこない。

大通りはまだ人通りが少ない。

一人が肩を壁に摺らせながらあがる階段。

ほんとに狭いんです。

↓この建物の間を上がってきた↓

↓「屋根を覆っているのは栗の木の板かスレート(粘板岩の板)です」↓

なるほど、栗の木もあったんだ。

四十五分前と同じ修道院が、朝陽に照らされてまったく別の色になってきた。

さきほどの村の墓地↑サン・ピエール教会のロマネスク的な塔。

上がりきると↑かつて小学校だった建物↑今は写真家のアトリエ

↑めずらしい雪のモン・サン・ミッシェルも写真

↑修道院入場の行列は予約グループ優先

↑そびえる城門は中世も今も手荷物チェックの場所。
かつては携行武器をここで預けさせられた。

↑修道院内の階段をのぼりはじめると↑途中に巨大な蛇口がある↓

↑見上げる上は実は…

雨水の貯蔵タンクになっている。
この島で暮らすために必要な水は天から恵まれる。
雨の多いノルマンディー地方だからそれが可能。

頂上の修道院テラスに出ると人怖じしないカモメが「何かくれるの?」

巨大な尖塔の影

別途、続く

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ルーアンで散策とランチ

2024-10-06 17:08:13 | フランス
2024年9月30日、午後はルーアンにちょっと寄る。

バスを降りて歩きはじめると「きれいな街ねぇ」という声がきこえてきた。

ノルマンディー地方らしい木組みの家々と旧市街の街並み。

モネが連作を描いた大聖堂↑
※2008年にモネが描いた場所にもはいりました
夏場には壮大なプロジェクションマッピングが行われているので、次回はぜひ一泊してください(^-^)
※2015年のプログに写真を載せています、ぜひごらんください
↑上の写真の大聖堂は何百年もかかって今の姿になったのでいびつなカタチをしているが、
↓下の写真のサン・マクルー教会は1437年から八十年ほどで完成したので整った後期ゴシック様式で統一感がある。

この場所にあったロマネスク様式の教会を、15世紀に近くに住んだ商人たちが後援して当時最新の建築スタイルに建てなおした。
フランス革命期に内装はほぼ失われ、第二次世界大戦では二発の爆弾が命中したが、
15世紀当時の姿をとりもどしているのは幸い。
教会正面から左にすすむと「サン・マクルーの回廊」がある↓左手が入り口

↓この場所はローマ時代から中世まで墓地で、黒死病(ペスト)の犠牲者が大量に葬られていた。
↓1348年にはルーアンは人口の四分の三を失くしたという。

1533年に周りを囲む木造の建物が完成し中庭のある納骨堂となった。

なので↑骸骨や墓堀道具の装飾がされている

↑※こちら2006年訪問時の写真
建物入り口壁の中から発見された黒猫のミイラが今もそのまま置かれている↓

魔除けだったとされている。

18世紀には一度廃墟になり、孤児院にもなったそうだが、今は美術学校として使用されている。

↑ふたたびサン・マクルー教会と大聖堂横の道を通り「古い市場広場」へ。

ジャンヌダルクが火あぶりで処刑された広場に↑モダンな教会が建てられている↑1979年に完成した

↑この十字架がその場所↓

↓教会内部が開いている時、2008年に入った↓

13枚のステンドグラスは16世紀聖ヴァンサン教会を飾っていたもの↓

聖ヴァンサン教会は1944年の爆撃で破壊されてしまったがステンドグラスは外してあったので難をのがれた。
ステンドグラスは戻る場所を失ったのである。

新しい教会はこれらのステンドグラスの場所としての意味が大きい。
教会のカタチはノルマン人たちの「竜」をイメージしていると共に、ジャンヌダルクの兜もあらわしているそうな↓

↑これは確かに目ですね↑※2008年の写真より↓

旧市街のど真ん中にあっとおどろく現代建築の教会。
1980年ごろにはこれでOK、だったのかもしれません…

昼食はジャンヌダルクが火刑に遭ったときから営業していたとされる「ラ・クーロンヌ」

数多くの有名人のサインが掲げられているが

入り口の故エリザベス二世イギリス女王は別格。

パンプキンが主体の暖かい野菜スープ、カモはノルマンディーらしいカラメルソース、ミルフィーユ。
このレストランは団体客を受け入れても質を落とさない稀有な有名レストランにちがいない。
※2012年に訪れた時のブログにもメニュー写真を載せております
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モネが後半生を過ごした家

2024-10-04 17:16:53 | フランス
ジヴェルニー(ジベルニー)に43年住んだモネ。

絵はたくさんかけられているが、今は本物はひとつもない。

↑亡くなった先妻カミーユと二人の息子たちの幼少期の絵があった↑
左の長男・ジャンは、後妻アリスの連れ子ブランシュと結婚した。
アリスは六人も子供がいたから、ジヴェルニーの家はとても賑やかだっただろう。
モネが40代でようやく売れはじめた時期である。

食にも興味津々だったモネは最新のキッチンをつくり、

↑大家族は黄色いダイニングで食事をしていた。

ジヴェルニーの家は浮世絵と

友人たちの絵でいっぱいだった。

だが、長男ジャンが父より早く46才で亡くなり、
次男ミッシェルも1963年に自動車事故で死ぬ。
二人に子供はいなかったのでジヴェルニーの家を継ぐ人はいなくなった。

荒れ果てていた邸宅を、
モネ財団が本気で修復しはじめたのは1980年代に入ってから。
ヨーロッパよりもアメリカの人々からの多額の寄付で、かつてのジヴェルニーの様子が復元された。

日本的な「箪笥」もある。

※2012年に訪れた時のブログにリンクします

モネがこの家を借りたのは43才。
十年後に買い取って、道むこうに水連の庭をつくらせた。

世界中の美術館で見ることができる「水連」絵は、この庭だったのかとわかる。
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