2012年ブータンの旅より
ブータン版「ブレーメンの音楽隊」?
↓以下は当時書いていたコメントをもう少しわかりやすくして写します↓
「ブータンのいたるところで見かけるこの四匹の絵が気になった。
まるでブータン版「ブレーメンの音楽隊」。
象、猿、ウサギ、鳥、の四匹が縦に積み重なっている。
ガイドさんに尋ねると「まぁ、フレンドシップね」と、簡単に言って詳しい話はきけなかった。
他の人に訊ねたり、情報を集めてみると、なかなか含蓄のある話が見えてきた。
★その①
象は力のシンボル、サルは知恵があり木にも登れる、ウサギはめったに見られないので幸運のシンボル、鳥は空を飛ぶことが出来る。
これらが合わされば最良のチームが出来上がる。みんな協力しましょう。
なるほど、これ、単純に納得できます。
★その②
ある日、象が一本の木の下で休んでいると猿がやってきました。
象が「自分がまだ小象だった頃は同じくらいの背丈のこの木で身体をこすったものだ」と言いました。
すると猿が「自分が小猿だっ頃はまだこの木には遊べるほどの枝もなかったよ」と言い、「自分の方がこの木を長い間知っている」と言いました。
そこにうさぎがやってきて、「自分が子供の頃はこの木はほんの小さな木で、上を飛び越えて遊んだ」と言いました。
最後に鳥がやってきて、「この木の種をここに運んできたのは自分だよ。上を飛んでいたら落としてしまったんだ」と、言いました。
四匹は、いちばん古くから木を知っている鳥を頂点にして積み重なって祈り
木に敬意をあらわしました。
するとたわわに実った果実に手が届き、鳥は果実をとって年下の動物に順番に渡しました。
4匹の動物はお互いを尊敬して仲良く平和に暮らしました。
★その③
孔雀が果物の種をまき、ウサギが水をやり、猿が肥料をやり、象がその果樹を外敵から守る。やがて果樹が生長し実をつけるが、この四匹とも高い枝になる果実に手が届かない。
そこでこの絵のように象の上に猿が、その上にウサギが、その上に孔雀が乗り、ようやく果実まで届くことができた。
四匹で分かちあって食べる事ができましたとさ。
↑
それぞれに面白い解釈。四匹のうちで一番役割があいまいなのがウサギだが、ただ「幸運のシンボル」というだけで、「協力している」というのは、なかなか役得にちがいない。
人間の世界でも、こういう人、いますけどね(笑)
さて、あなたはどの動物に親近感を持ちましたか?
**
パロの空港で買ったコイン
ブータンを離れる日、パロの空港で手に入れた古銭。
しかし、どうみてもブータンで鋳造したものには見えない。
19世紀のブータンで、自前の銀貨を鋳造するほどの貨幣経済が浸透してはいなかった。
これは当時の中国・清で貿易用につくられていた銀貨「光緒元宝」。
光緒帝は1875年にわずか四歳で即位し、あの西太后が摂政をつとめていた事で有名である。
彼が親政をはじめたのが十七歳になった1888年。最初の「光緒元宝」が鋳造されたのが、親政開始翌年の1889年である。
この時代、周辺のアジア諸国は西欧諸国の植民地状態になり、その貿易にはアメリカやメキシコの銀貨、フランスの貿易用ピアストルなどが流通していた。自国の通貨を大量に流通させることによって経済圏に組み込んでしまったのである。
それに対抗するというのにはあまりに遅かったのだが、清もまた1889年に独自の国際貿易通貨を発行。それが光緒元宝なのだ。
ブータンもまた辺境とはいえ中国の衛星国チベットと国境を接している。
同じチベット仏教を国教とするブータンはチベットの強い影響下にある。
19世紀のブータンが中国の光緒元宝を使っていたのは理解できる。
さらにブータンはイギリス経済圏に組み込まれていたインドのすぐ北に位置している。
通貨は銀本位というのが当時の国際的なルールだったから、
清が鋳造した国際基準に合わせた銀貨は好都合だった筈だ↓
古銭の裏側である。「3 MACE 6 CANDAREENS」とは「三銭六分」をそのまま訳している。
これは欧米の基準銀貨の重量と合わせるために、中国の重量としては半端に感じられる重さ表示となったのだろう。
つまり、19世紀のアジアでは大量に流入流通していた欧米の通貨が基本単位になっていたのだ。
経済を支配されてしまえば、国家権力は風前の灯である。
※2008年にモンゴルの古寺で手に入れたこんなコインを思い出す。こちらはメキシコの銀貨。
「光緒元宝」にはいくつかの造幣地があったようで、こちらはその中の「北洋」という地域の造幣局でつくられたものということで、英訳では「HU-PEH PROVINCE」とか書かれている。
ブータン版「ブレーメンの音楽隊」?
↓以下は当時書いていたコメントをもう少しわかりやすくして写します↓
「ブータンのいたるところで見かけるこの四匹の絵が気になった。
まるでブータン版「ブレーメンの音楽隊」。
象、猿、ウサギ、鳥、の四匹が縦に積み重なっている。
ガイドさんに尋ねると「まぁ、フレンドシップね」と、簡単に言って詳しい話はきけなかった。
他の人に訊ねたり、情報を集めてみると、なかなか含蓄のある話が見えてきた。
★その①
象は力のシンボル、サルは知恵があり木にも登れる、ウサギはめったに見られないので幸運のシンボル、鳥は空を飛ぶことが出来る。
これらが合わされば最良のチームが出来上がる。みんな協力しましょう。
なるほど、これ、単純に納得できます。
★その②
ある日、象が一本の木の下で休んでいると猿がやってきました。
象が「自分がまだ小象だった頃は同じくらいの背丈のこの木で身体をこすったものだ」と言いました。
すると猿が「自分が小猿だっ頃はまだこの木には遊べるほどの枝もなかったよ」と言い、「自分の方がこの木を長い間知っている」と言いました。
そこにうさぎがやってきて、「自分が子供の頃はこの木はほんの小さな木で、上を飛び越えて遊んだ」と言いました。
最後に鳥がやってきて、「この木の種をここに運んできたのは自分だよ。上を飛んでいたら落としてしまったんだ」と、言いました。
四匹は、いちばん古くから木を知っている鳥を頂点にして積み重なって祈り
木に敬意をあらわしました。
するとたわわに実った果実に手が届き、鳥は果実をとって年下の動物に順番に渡しました。
4匹の動物はお互いを尊敬して仲良く平和に暮らしました。
★その③
孔雀が果物の種をまき、ウサギが水をやり、猿が肥料をやり、象がその果樹を外敵から守る。やがて果樹が生長し実をつけるが、この四匹とも高い枝になる果実に手が届かない。
そこでこの絵のように象の上に猿が、その上にウサギが、その上に孔雀が乗り、ようやく果実まで届くことができた。
四匹で分かちあって食べる事ができましたとさ。
↑
それぞれに面白い解釈。四匹のうちで一番役割があいまいなのがウサギだが、ただ「幸運のシンボル」というだけで、「協力している」というのは、なかなか役得にちがいない。
人間の世界でも、こういう人、いますけどね(笑)
さて、あなたはどの動物に親近感を持ちましたか?
**
パロの空港で買ったコイン
ブータンを離れる日、パロの空港で手に入れた古銭。
しかし、どうみてもブータンで鋳造したものには見えない。
19世紀のブータンで、自前の銀貨を鋳造するほどの貨幣経済が浸透してはいなかった。
これは当時の中国・清で貿易用につくられていた銀貨「光緒元宝」。
光緒帝は1875年にわずか四歳で即位し、あの西太后が摂政をつとめていた事で有名である。
彼が親政をはじめたのが十七歳になった1888年。最初の「光緒元宝」が鋳造されたのが、親政開始翌年の1889年である。
この時代、周辺のアジア諸国は西欧諸国の植民地状態になり、その貿易にはアメリカやメキシコの銀貨、フランスの貿易用ピアストルなどが流通していた。自国の通貨を大量に流通させることによって経済圏に組み込んでしまったのである。
それに対抗するというのにはあまりに遅かったのだが、清もまた1889年に独自の国際貿易通貨を発行。それが光緒元宝なのだ。
ブータンもまた辺境とはいえ中国の衛星国チベットと国境を接している。
同じチベット仏教を国教とするブータンはチベットの強い影響下にある。
19世紀のブータンが中国の光緒元宝を使っていたのは理解できる。
さらにブータンはイギリス経済圏に組み込まれていたインドのすぐ北に位置している。
通貨は銀本位というのが当時の国際的なルールだったから、
清が鋳造した国際基準に合わせた銀貨は好都合だった筈だ↓
古銭の裏側である。「3 MACE 6 CANDAREENS」とは「三銭六分」をそのまま訳している。
これは欧米の基準銀貨の重量と合わせるために、中国の重量としては半端に感じられる重さ表示となったのだろう。
つまり、19世紀のアジアでは大量に流入流通していた欧米の通貨が基本単位になっていたのだ。
経済を支配されてしまえば、国家権力は風前の灯である。
※2008年にモンゴルの古寺で手に入れたこんなコインを思い出す。こちらはメキシコの銀貨。
「光緒元宝」にはいくつかの造幣地があったようで、こちらはその中の「北洋」という地域の造幣局でつくられたものということで、英訳では「HU-PEH PROVINCE」とか書かれている。