旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

万博テストラン~いろんなパビリオン

2025-04-07 11:32:21 | 国内
「牛もおまえも同じ命だ」と言われている気がした。

※EARTH MART館を訪れた話をこちらからお読みください

海外独立パビリオン42のうち完成したものは、一週間前で22だそう。
小松の目に入ったものを以下に載せていきます↓

↑大屋根リングすぐ隣に、同じように木造の(ですよね?)この建築はどこの館?↓

↑シルクロードに位置する●ウズベキスタン館は最終仕上げが進行中↓

↑サマルカンドにのように青いタイルがせっせと貼り付けられているところだった。

●アイルランド館

↑目を惹く金色の輪はジョセフ・ウォルシュの「Magnus Rinn」というアート作品※解説されたページにリンクします下部がブロンズで上部がオーク材、それを金箔で覆っている。建物の全体像は正面から見ただけではわからないが、アイルランドの伝統的なケルト文様「トリスケル」(=三つの渦が集まったカタチ)からデザインされた。

↑大屋根リングの上から見下ろしてなるほどと思った↑ 2019年《手造の旅》アイルランドで「タラの丘」を訪れた際、古墳の石室に渦巻き模様を見つけたのを思い出した※2019年8月のブログにリンクします

●ベルギー館

予約せずに並び、十分ほどで入場できた。

入場する全員にビスケットを手渡し(^^♪ 

造形のように水が流れ落ちてくる前室で待ち、

↑入ると真っ暗な鏡の部屋↓ベルギーが力を入れている生命・医療産業の解説が入る光のショー

「そっちは鏡でーす」と声をかけられなかったらぶつかっていただろう。

スロープで二階にあがる。

ショップやレストランは未だオープンしていなかった。

●シンガポール館

「SG」でシンガポールだとわからなかった。

開館して列ができていた。

●オランダ館

「Common Ground: Creating a new dawn together(コモン グラウンド:新たな幕開けの共創)」をテーマとする意欲的なパビリオンなのだが、近くを歩きすぎてぱっと見その魅力が伝わってこなかった※こちらに詳しく書かれています もっと時間をかけないと理解はできません。

●ポーランド館


●ハンガリー館


●チェコ館 この日石破総理が訪問していたと後で知った


●北欧館


●トルクメニスタン館


●バーレーン王国館


●オーストリア館と●スイス館


●ポルトガル館

大航海時代のさきがけの国らしく、船のロープをイメージしている


●フランス館


●わ!ドイツ館


●トルコ館↓

↑左側は●モナコ公国館↑向こうに見える三角屋根は●タイ館↓



●韓国館


●スペイン館


●マルタ館


●オーストラリア館


・・・続く

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4/5万博テストラン~大屋根リング、流鏑馬

2025-04-06 23:07:51 | 国内
視覚的な楽しさがたっぷり(^^)↑赤いのは吉本興業館↑真ん中は木製の大屋根リング↑

朝9時に入場してすぐは通り抜けられた吉本興業館だったが、

午後に「新喜劇」がはじまると芝生は観覧する人でいっぱいになっていた。

大屋根リングは一見の価値がある。

世界最大の木造建築は日本らしい。
夏場、陽射しを避けられる場所としても大いに役立つだろう。
**
4/5 新大阪駅朝07:30発の「エキスポ・ライナー」に乗った↓

十五分ほどで桜島駅に到着。

誘導されるまま道をわたり

シャトルバス乗り場まで200mほど歩く。
↓入り口で入場のQRコードを確認される↓

一台に五十人ほど乗れるが座席は少ない。

キャリーケースなどは万博会場に持ち込めない。

バスが橋を渡ると

↑カラフルなごみ焼却施設が見えてくる。
オーストリアのフンデルト・ワッサーが手掛けた、一度見たら忘れない「作品」。
万博会場の建物の多くが半年の期間中のためのモノであるのに比べ、こちらの方が圧倒的存在感がある。
内部見学もできる※リンクします

十五分ほどで万国旗はためく西ゲートに到着。

かなり広い、日陰もない。
夏季に入場を待たされるとキビシイ場所になるだろう。

空港と同じような手荷物検査。
すぎるとすぐに入場ポイント↓

↑このポールにQRコードをかざすのだが、
まごつく人は多いだろう。
小松もアプリから自分のページに再度アクセスすることになったが、
毎度ワンタイムパスワードを入力する必要がある。
PDFにして紙チケットとして印刷する方がよほど便利?
だが、パビリオンの入場予約をするにはケータイアプリがほとんど必須。
★ケータイの充電が切れたらパビリオンの入場ができないのでは困ったことだ。


ゲートを入るとする↑こんな乗り物が貸し出されている↓

会場が混んでいなかった今日は運転しやすそうだったが、駐車しておける場所が限られているのが難点かも。


西口からリングの中央を目指して歩いていくと…

↑貝殻のようなパビリオン↓先端に

↑アトムが乗っている



ミャクミャク撮影スポット


↑ガンダム館

大屋根リングに登るにはこのエスカレーターが簡単。
他にエレベーターもある。

大屋根リングの上は日影がなく、座る場所もない。
いったん上がると次の降りられる場所までけっこう距離がある。
夏場のリング上は辛い場所になりそう。

リングの真ん中[F]は林になっている。

↑そこから地図で下になるウォータープラザへの途中にある「いのちの広場」では、夏場に涼ませてくれそうなミストが出現する↓

子供の背丈ならどこにいるか分からなくなってしまいそう(^^♪

すぐ横にある真っ黒な↓

↑「いのちの未来館」と呼応するよう※HPにリンクします

ミストを抜けると真正面にウォータープラザが見えてきた↓

夕暮れの噴水ショーはかなりたのしめそう。

今日はその時間まで居られそうもないが。

↑すぐ前にあるこの建物は何?

あ、トイレでした。

↑見取り図付ですが、混雑時はどこに並んだらよいのかわからない(笑)
***
西口ゲートから中心とは逆・右方向に歩くと「MATSURI」会場。
11:30から「流鏑馬(やぶさめ)」が行われるのを楽しみにしていた。

日本人でもなかなか間近に見られない↑すばらしい迫力でした(^^♪
※こちらに書きました★動画もごらんいただけます


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仙台下見~伊達政宗は左足を骨折していた

2025-03-28 09:49:45 | 国内
2013年の資料を新幹線で読み返す。
支倉常長は七年におよぶ苦難の旅のあと、禁教の祖国でどのような晩年をおくりどこに葬られたのか。
仙台バスさんのツアーで知ったことを十数年して生かしたいと思っている。
※2013年のブログにリンクします
この時は震災からたった二年。
ぺしゃんこの車が山のように積みあがっているのをみて言葉を失ない、それを書き留める言葉もなかった。

2025年3月25日09:48仙台駅に到着。
「伊達三日月街道」グループに紹介していただいた方が駅で迎えてくださった。
タクシーに乗って十分ほどで「仙台国際センター」に到着。

東北を代表する金メダリスト二人のシルエットが飾られている。



広々としたカフェで二時間ほど
伊達政宗に関連した多彩な紙資料を見せていただいた。
お二人ともほんとうに詳しい

伊達政宗も支倉常長ももとは現在の山形は米沢のうまれ↑
関連の展示館が昨年新しくひらかれた↑
2025年の紅葉の時期に仙台から米沢への旅を催行したいと思っている。
情報を生かす旅をどのように組めるのか考えなくては。

仙台から米沢へ抜ける道から113号線に入る高畠は、もともと伊達家が本拠にしていた場所。
歴史ある三重塔もある※HPにリンクします
高畠へ行くなら2016年の《手造の旅》で訪れた亀岡文珠の秀逸な木彫もみていただきたい。
※「ヤシの木の下で楽しそうな鶴と亀」こちらに載せました

仙台国際センターからは青葉城も近い。
広瀬川にかかる大橋からは江戸時代の橋の礎石が水底にあるのをおしえてもらった↓

**
午後から伊達政宗の廟「瑞鳳殿」を訪れた。

↓この階段は仙台藩62万石を表す62段↓

有料エリア入場料300円

色鮮やかな門↓

抜けて↓階段の左右は家臣が寄進した灯篭。

瑞鳳殿も金ぴか↓昭和54年(1979)の再建なのである。

↑周りを囲む石塔は政宗に殉死した家臣十五名とその陪臣五名の供養塔。

↑もとはここにも灯篭があった↑
伊達政宗が葬られた寛永13年(1636)当時の建物は、渡り廊下もそなえた・もっと重厚なつくりだったようだ。
空襲でその建物がなくなっていたので、
昭和49年(1974)に発掘が行われた。
伊達政宗の棺も開けられ、具体的な人物が見えてきた。
身長は159.4㎝。
テレビドラマのイメージよりはだいぶん小柄。
左足に骨折の跡がみつかった。
26歳の時に落馬してくるぶしを骨折したことは書き残されていたが、それが左足だったことはこの発掘ではじめてわかったのだそうだ。
瑞鳳殿付属の展示室にはみつかった副葬品も多数展示されていたが、水晶のレンズをつかった老眼鏡もあった。


政宗が亡くなった翌年に瑞鳳殿をつくりはじめると、その場所から↑満海商人の墓がみつかった↑(と、伊達家の記録にある)。
彼は湯殿山の修験者で隻眼だったので、「政宗は満海上人の生まれ変わりだったのか」と得心。
↑この供養塔が立てられた。


近くには二代藩主忠宗の廟「感仙殿」がある↑こちらも空襲で焼失していたので発掘が行われ、甕棺墓がみつかった。
となりには「伊達騒動」で蟄居させらた三代藩主綱棟の廟もある。

↑近くに立てられていた石碑は二代藩主の棺桶石だが、調査の結果室町時代の供養塔を再利用していると判明。

***

午後三時をまわり「北山五山」も訪れた。
※こういう場所ですリンクします
輪王寺の庭は一見に値する↓

もう夕方の光になっていた。

↑この塔は昭和56年(1981)の建立。伊達家の転封と共に五回も場所を移し1602年にこの仙台におちついたのだが、明治9年の火事で灰塵に帰した後二十年も荒れ果てていた。
※ホームページの由緒にリンクします

「北山五山」に付属する墓地に↓白虎隊の生き残りという方の墓があった。

仲間と自刃したが助けられ敵方長州の家で育てられた。

彼が生き残ったことで白虎隊の顛末が現代に伝えられた。



伊達政宗の母「保春院」(右)と↑伊達政宗の三男宗清(左)の墓。

夜、二十年ぶり?にお会いした仙台の方ご推奨の肉屋さんのやっている焼き肉屋へ。
ふだんそれほど焼肉を食べようと思わなくなった小松にも違いのわかるお肉でした(^^♪


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バワの住んだ「ナンバー・イレブン」再訪、ギャラリー・カフェ

2025-03-03 16:08:25 | スリランカ
家のいちばん奥にもうひとつ扉があって、縦二本の線が書かれている↑

↑この廊下の奥右手↑
「この廊下はもともと路地の道で、11番がバワの家だったのです」

なるほど。
そう言われて見ると縦二本の線は「11」だ↓

↑上が開いて郵便受けになっている。
※駆け出しのころのバワがこの小さな部屋に住んだ話を2018年のブログに書きました
現在の「ナンバー・イレブン」の入り口はこちら↓

それでも豪邸というほどではない。

入ってすぐにお気に入りだったロールスロイスが二台置かれているが。

ガイディング・ツアーは一時間ほど。

最晩年のバワをお世話していた案内の方が時々質問してくる。

↑「この椅子の柄はなんでしょう?」
壁のフクロウの彫刻じゃなくて、下の椅子のシロクロ柄のこと?
うーん、五年前にそんな解説してもらったかしらん…
↑「バワは生涯に四匹のダルメシアンを飼っていてぜんぶレオポルドという名前だったのです」

昔の路地だった突き当りにある坪庭。家の中です。
昔の「ナンバー・イレブン」の扉を開いて振り返ると↓

↑もうひとつのカラフルな扉が見えた↑
バワの友人が画いた疑似扉で開くわけではない。
本物はシドニーの美術館にあるのだそうだ。

バワが暮らしていた部屋は撮影禁止。

階段を上がって近所が見晴らせる屋上に出る。

周囲は昔の瓦の家々が残る。


**
バワが住んだ「ナンバー・イレブン」から歩いても行けるところに、バワの事務所だった「ギャラリー・カフェ」がある。

こちらもさエアコンなしでも快適なつくりになっている

雨が降ればそれを感じられる場所

ご飯時に降られるとたいへんだろうけれど(^^)


お土産屋さんにシンハラ文字の布を売っている。

「なんて書いてあるんですか?」
「シンハラ語の『あいうえお』です」

本もたくさん売られている



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「ベアフット」はスリランカ女性の自立

2025-02-24 05:59:58 | スリランカ
Bearはクマ
Bareは裸足
バーバラ・サンソーニはなぜこの名前を選んだのだろう?

「デザインは私たちにとって必要なものです。織機でつくりだす布のおもいきった色は私たちの誇りです。市場に追随する工場製品ではなく、独自のデザインを我々の手がつくりだしています。田舎に住む女性たちに織り・縫う技術を教え、根気強く仕事をしてもらっています。だから、ずっと使い続けていただける価値ある製品をつくりだしていけるのです」彼女の言葉がゴール支店に掲げられていた。※だいぶ意訳しました
ジェフリー・バワ建築の「ライトハウス・ホテル」に彼女の布が使われていて興味をもった。
※スリランカ観光情報サイト[Spice up]に彼女のことを詳しく解説されています
サンソーニというイタリア風の名前だが彼女はスリランカのバーガー(西欧人とスリランカ人の混血)家系。
※長野の「アルッガマゲ」というお店がベアフットの製品を置いているそうです
ゴール旧市街の路地にある店は目立たない。

製品は多様で

奥にはスリランカらしい中庭もある。

思ったより広い店舗

↑クリスマスのアドベント・カレンダーかな↓



小松はこの動物シリーズが好き

いちばん人気のゾウは、この日売り切れておりました。

コロンボの本店

バーバラ・サンソーニの言葉にあった織機が

実演を見せるために置かれていた。
少女時代にコロンボに近いブリギット修道院の学校で学んだバーバラは、発展途上国の女性たちが自立する方法を考え続けていたのだろう。
イギリスの大学で美術を学び、帰国後に結婚し、息子を産んだ二年後に1958年にベアフットを創業した。
修道院に面倒をみてもらっている女性たちが働く場所をつくることが目的だった。




本店のカフェは軽食もメニューにあった。

こういうところでランチタイムをかねた休憩もよいかもしれませんね。



バーバラ・サンソーニは2022年、94才になった直後に亡くなった。

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