旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

北投温泉をちょっと見てから空港へ

2024-05-23 10:48:07 | 台湾

↓「to XIN PEI TOU(新北投へ)」
先住民ケタガラン族の巫女が北投(ぺいとう)温泉へ誘う駅のホーム↓

ケタガラン族の「巫女の住む地」を意味する「パッタウ」が語源といわれる。
※台湾修学旅行ナビにリンクします

3月4日、夕方の帰国便に乗る前に訪れた。

台北から電車で30分ほどの↑「北投駅」から一駅だけ「新北投駅」への支線に乗る↓
↓この支線は1916年に開業したが、温泉街が廃れて1988年に一度廃線になった。
地元の努力によって復活したのは1997年。ラッピング電車も運行している。

冒頭写真は「北投駅」のホームにある大きな宣伝。

温泉街へのたった1キロちょっと・一駅だけを走る専用列車↑車内に風呂桶をイメージしたディスプレイ。

↑新北投駅の新しい門を出てすぐにある月琴を弾く像は「那卡西」

月琴を弾いて歌う「流し」が温泉街の風物詩だったのだ。

温泉街の公園には小さな川が流れている

湯気がでている場所もある

どうやら川の水も暖かいらしい。

↑この斬新な建物は図書館↑世界の図書館25にも選ばれたことがあるそうな。

↑「温泉博物館」と地図にあった建物が見えてきた↓

公衆浴場として1913年に建てられてにぎわったが、1980年代には廃墟になっていた。

1990年代に台湾政府が巨費を投じて修復し、歴史遺産のひとつになった。
↓内部を覗いてみる

↑浴槽はとても深く、立って入浴していたそうな。
諏訪湖畔の「片倉館」を思い出した↓
※2022年のブログにリンクします

日清戦争で台湾が日本領になってすぐに温泉地として開発された。

↑1896年最初にできた宿「天狗庵」の階段が今も残されている↓

現代は日本の老舗旅館も進出↓

平成22年に加賀屋がオープン↑

↑2011年には道後温泉と姉妹温泉になった↓同じ「松山空港」がある縁だそうです('◇')
※TRAVEL VISIONにリンクします


今回は一時間ほどの滞在↑駅に戻ってくるとすぐ横に昔の駅舎が保存されていた
他日、宿泊してゆっくりするのもよいかもしれない。

台北市内中心部の「松山空港」より羽田空港に向かって飛び立った。




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關渡宮(関渡宮)と蘿蔔湯

2024-04-27 14:36:45 | 台湾
きらびやかな千手千眼観音は1980年代に完成したもの。

三百年の歴史がある關渡宮(関渡宮)へ

3月4日の午前、
朝いちばんでホテル近くの「森林公園」に残る鳥居をご案内した。

※2020年に訪れた時にどんな歴史があるか書きました

10時にチェックアウトして、信頼するガイドさんに四時間ほどの行程をお任せした。
小松が思いつくような場所は限られている。

ホテル近くの台北中心部からMRTに乗る↓
地下への入り口が高くなっているのは雨水が入り込まない工夫

淡水方向へ三十分ほど↓

關渡宮(関渡宮)で降りると

少しの距離だがタクシーに乗った。

少人数だから身軽にうごける。

★関渡宮は17世紀後半創立
1661年に大陸から曹洞宗の僧侶・石興和尚が媽祖の像をもたらしたのがはじまり?

現地の案内板で1712年清朝の康熙帝時代の創立と訂正されている↑
台湾島北部随一の信仰を集める場所になっていた。

日清戦争の結果、清朝北京の意向で台湾が日本に割譲されると、台湾の人々は抗日運動をはじめた。
関渡宮はこの地域の抗日主要拠点になった。
日本軍に鎮圧され、焼き討ちで古来の建物は消失した。

↑本堂のひときわ技巧のすぐれた柱に↓

↑「乾隆發卯年」=1783年と刻まれている
現在の本堂は1950年代に再建されたものだが、消失以前の建物からのものをできるだけ再利用しているのである。


お詣りするひとたちがおみくじをひくのに↓これを投げている

いちど引いてからも「この番号のおみくじでよいでしょうか」と、もういちど投げるのだそうな。


↑本堂の横に「古仏洞」の入り口がある↓

↑もとは防空壕だったトンネル↓

十一面観音を守る二十八部衆がならんでいる。

↑冒頭写真の千手千眼観音の背中がみえてくると出口
この千手千眼観音は淡水河を見ている。

基隆河との合流地点にあたる。
大陸からの人々がやってくる以前から信仰の場所だったと思われる立地。

大型バスの駐車スペースもある

山上への階段をのぼってゆくと

かつて神社があったころのなごり?鳥居もあった


***
関渡宮を出て旧参道らしき道を駅に向かう。
そろそろお昼。

少人数だしこんな店↑どうでしょ
入って座るとテーブルはいっぱいになった。

↑メニューはこれだけ。近所の人がお昼にやってくる店は味にも値段にも手を抜けない。
冬天=冬場だけのメニューの「蘿蔔湯」は大根スープ。日本円なら150円ほど。

シンプルながらこれが忘れられない味で、
※帰国後にまねしてつくってみました

こちらももちろんいただきました(^^♪

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故宮博物院と「松江自助火鍋」

2024-04-02 05:58:22 | 台湾
「この香炉の『八卦』文様がひとつダブっているのに気づいたんです」↓

これは台北の信頼するガイドSさんの、コロナ禍での発見。
観光客の来なくなった故宮博物院に毎日通い詰め・眺め続けているうちに気付いたのだそうだ。
ほんとうの博物館好きでなければ、こんな発見はできない(^^♪
八卦は横三本線の組み合わせ※Wikiにリンクします。東西南北との関連についても書かれています。
↓確かに!下の写真で左角を挟んだ文様二つが同じになっている↓↓

間違い?いや、隣りあわせでそれはないだろう。
鬼門だから?
なぜなのかはわからない。解説にも何も書かれていない。明朝末万歴帝の時代、秀吉の朝鮮出兵のころにあたる。


Sさんに有名な「豚肉」を解説していただいて、目からウロコだった。
これ、豚肉に似ている石だから価値があるのではなかったんだ。

「これは赤壁なんです」※こちらに書きました



この日は嘉儀新幹線駅発10:08に乗って台北に向かった。

出発してふと左手を見ると、川のほとりに真っ赤な崖がそびえていた。

「左手に見えるなら大甲鐵帖山です」ガイドさん写真を送るとおしえてくださった(^^♪
※こんな場所があるんですねyoutubeにリンクします★音出ます
11:30台北駅到着。
すぐに故宮博物院に向かう。
はじめは今回の旅に故宮博物院を入れるか迷ったのだが、
Sさんのご案内なら一度二度訪れたことのある方にも「こんな場所だったのか」と思っていただけるだろうと思い、入れることにした。冒頭の発見のようなお話は、普通ガイドさんからは聴けない。

故宮博物院の入り口にある像も大陸から運んできたもの。

↑台座の彫刻が↓

10元札のデザインに使われている。
七宝焼きの香炉二種。

↑皇帝の冠の上につけられていた真珠や貴石を使った装飾。

↑こちらはハチドリの羽の青を大量に使っている↑

↑乾隆帝が自分の詩を飾るために考案した磁器の壁飾り↓

↑こんな風に自作の詩を飾っていたのか。
物の展示もおもしろいが、
↓特別展示の写真の(ちょっとこわそうな)王子の写真を見て↓

「彼が皇帝になっていれば、清朝はちがっていたかも」とSさんがつぶやいたのを調べてみると…


「添親王」は称号で、愛新覚羅奕訢が彼の名前。
分かりやすく言えば、清朝最後の皇帝溥儀の祖父。
以下は小松の私的理解↓
能力がありながら父帝に疎まれ皇帝にはなれなかった。
アヘン戦争の後の動乱でイギリス軍が首都北京が迫ると、逃げた弟の皇帝に代わり戦後処理をした。軍の西欧化の必要性を理解し実践した。西太后にも信頼されて成果をあげた時期があり「同治中興」と呼ばれる。西太后と対立して罷免されたり復帰したりしたが、日清戦争の処理の後1898年没。

彼が皇帝になっていれば清朝の滅亡もなかったかもしれない。そう思わせる人物↑これは彼の居室を再現した特別展示だった。
日本人が幕末史に興味を持つように、中国人も清朝末期の歴史に興味を持つ人は多いことを知った。

***
「松江自助火鍋」には午後三時過ぎに到着。
※2019年2月に訪れたのが忘れられず※その日のブログにリンクします

予約をとらない大人気店。ツアーに入ることはない。近頃は大混雑で食事時に行ったら何時間も待つことになるとガイドさんからきかされていた。個人で入っても言葉の問題で苦労する。少人数なのを生かして・時間に無駄なく楽しんでもらいたいのであえて午後三時にした。正解(^^♪

すぐに着席。お店の人がベースの出汁をつくってくれる↑スルメイカを大量に使っているのがポイント?

↑食材は自分でとってきてその皿の色で最後に生産する、回転寿司方式。

お肉は半分火を入れてとりだしておく。

いろんなものを入れるので味がかわってゆく

麺までがんばりました。

「間廟麺」は天日干しした台南名物だそうな。

煮込んでもちゃんとコシがあるので鍋にぴったり。


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嘉儀駅の阿里山森林鉄道車庫をちょっと見学

2024-03-26 14:18:09 | 台湾
もともと日本統治時代に材木を切り出す目的で敷設された阿里山森林鉄道。
嘉儀駅から北門駅方向への間数百メートルが現役線路と一体の車庫博物館になっている。
隣接する「嘉儀製材所」の敷地で↓巨木を積んだ再現車両に出会い↓

屋久島から切り出された巨大な杉を思い出した。
※2017年に屋久杉ランドを訪れた時のブログにリンクします


嘉儀駅から徒歩十分のホテルで、朝七時すぎに旅メンバーから電話がかかってきた。
「朝食を注文しすぎてたいへんなんです、小松さん手伝って」
台湾は朝食を外食して仕事や学校に行く習慣がある。

台湾によく来られるTさんは↑ホテルを出てすぐの食堂におられた。

よろこんでお手伝いさせていただきました(^^

七時半前の店内は空いていた。

たくさん用意してある↑これらみんな売れるのかしらん
**
八時にご希望の方だけ、三十分ほど嘉儀駅へ

枕木の塀

↑蒸気機関車が木材を運び↑ここに貯木池があった時代を思い出させる↓

↑左下↑嘉儀駅の右に木材があつめられて↑その上に製材所↑右下の方には「樟脳寮」が見える↑右下の「独立山」へ鉄道が三回ループして登っているのも描かれている。

1899年に調査をはじめ、1912年に本格稼働。1920年からは観光客もはこぶようになった。

1907年に購入した↑アメリカLima社製の蒸気機関車。
動態保存された機種が2024年1月から北門駅との間を「ヒノキ車両」をけん引して一日五往復の運航をはじめた。

ディーゼル車両が利用したターンテーブル↑1978年に完成し1989年まで使われていた↑

↑手で回転させられるようになっている。

↑元祖「中興號」↓今も嘉儀⇔奮起湖間で同じ名前の観光列車が運行されている。

車庫の中にはまだまだ蒸気機関車やディーゼルが保管されている。
次回、阿里山森林鉄道に乗る旅を企画する時にはもっとゆっくり見学しよう(^^

道路をはさんだところにある木材の塀に↓

「嘉儀製材所」と書かれていた↓

中を覗き込んでいると、ちょうど出勤の方?が扉を開けて入っていく↓

「ちょっと見せてもらってよいですか?」と言うと入れてくださった。

↑駅近くにもこんな巨木がまだ残っている。山から切り出された木はどんなだったろう…

木材を切り出していた当時を再現した車両が置かれている。

↑こんな感じで運搬していた

人と比べると大きさがわかる。

巨木と樟脳、阿里山森林鉄道は屋久島の安房森林軌道の巨大版なのかもしれない。
※2021年に屋久島の樟脳工房を訪れた時のブログにリンクします

08:45↓ホテルの前の朝食屋さんには行列ができていた

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嘉儀公園の「ニセ贔屓」、嘉儀野球場。夜は「林聡明沙鍋魚頭」へ。

2024-03-25 13:38:23 | 台湾
目なんか丸く線を入れただけ。

↑海に落としたホンモノの代わりの即席製作されたニセモノだ↑
↓下の台南にあるホンモノたちと比べるとその差は歴然↓


※2019年の台南のブログにニセモノがつくられた経緯を書きました
↓後ろも雑なつくりの「ニセ贔屓」

※こちらにも「嘉儀」の街の由来となった話と共に書きました

*「ニセ贔屓」のある嘉儀公園には1918年(大正七年)に建設された嘉儀球場がある。

1998年に拡張されて12000席となった。
嘉儀の野球場が有名なのは「KANO」嘉儀農業高校のおかげ

1931年(昭和六年)の高校野球で決勝までいった。

映画は大ヒット。

1931年の高校球児のメンバーの名前がずらりと掲げられている↓

日本人(日人)、台湾先住民族(原住民)、大陸からの中国人(漢人)↑民族混成のチームである↑
↑全員が日本人としてのの名前を与えられているのは現在の視点からは問題に見えるが、映画の中で監督はこのように言う。
「蕃人(先住民)は脚が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。三者のよいところをひとつにすれば、理想的なチームができる」※スポーツ雑誌NumberのHPにリンクします
民族ごとの特性というのは確かにある。それを上手に発揮できる環境をつくれば物事は成功する、ということなのだろう。ただ、こうした民族特性への思い込みは、ともすれば民族による職業隔離につながってゆく。


**
ホテルに入る前にスーパーでお買い物タイム

「ほんだし」のホタテ味はみたことがなかった↓

ドライマンゴーなどお買い得?

ホテルにチェックイン。
歩いて夜市に向かう。

「KANO1931」の公開にあわせて2014年に設置された、投手呉明捷の像

ライトアップがはじまっていた

★林聰明沙鍋魚頭は「砂鍋(=土鍋)魚頭」という、台湾の鍋料理の店。

三代続く、嘉儀で最も人気の食の店と言ってよいだろう。

予約をとらない。店の前は常にひとだかり。

↑イートインかテイクアウトか↑

我々はイートインのメニュー↑

番号札をひく↑待つ間にチェックしておく。


一時間ほど待って電光掲示番号がでた。

チェックしたオーダー表をみせて↑まず料金を支払う。
つまり、席で追加オーダーとかは、できない。

支払いをしてから
口頭で番号を呼ばれるまでさらに十五分待った。

店内はけっこう広く、外の混雑とちがってゆっくり食事ができる。

みんな大テーブルで中華料理らしい食べ方。

↑これがお目あての魚スープ

↑嘉儀名物の七面鳥ライス
※表記は「鶏肉」だけれど、嘉儀では七面鳥をつかっているのだそうだ。

↑こちらは別の鶏肉ごはん専門店↑次回はこっちでも食べてみたい

林聡明の魚スープ店は嘉儀に四店舗あるだけ。
品質への徹底したこだわりを三代守り続けている。

↑ビニール袋に入れたテイクアウトもあるけれど、
やっぱりお店で楽しみたい(^^)
予約をとらないから団体ツアーの予定表に入ることはない。
《手造の旅》で次に嘉儀に泊まったら、
一時間待ってでも入ろうと思います。



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