旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

大原で草木染

2018-10-26 12:12:12 | 国内
美しい糸は見ているだけで楽しくなる。


尾道から旧知の旅倶楽部メンバーが友人たちと京都旅行に来ておられる。今年三月の《手造の旅》「あなたの知らない京都」※こちらから写真集ごらんくださいでご紹介した京都ガイドさんの案内で大原で草木染をするというので、松江の帰りに便乗させていただいたのだった。朝九時に京都駅近くのホテルから出発。京都の北、山の中まで一時間ほど。観光客も少なくないが実際に訪れてみるとそれぞれはけっこう距離があるし坂も多い場所。少人数で車をチャーターするのが効率的だ。
**

工房は畑の一軒家で小さな看板しか出ていない。もともと糸をつくって織ることが生業で、観光客相手ではない場所なのだ。それは工房を見てすぐに感じられる。

暖かい日差しの入る広間に座ると田舎の友人宅を訪れたような気分になる

糸を干す縁側から山に囲まれた谷を見下ろす。

控え目に棚にあった商品。染めをする前についつい購買欲がそそられる。


まず、染める生地を選ぶ。絹も木綿もある。柄もいろいろ。小さいものはハンカチサイズから。エプロンと長靴をつけて先生の前に集合!
最初に染める原料について興味深い説明がきけた。

↑「茜色の語源はもともと赤い根っこ」なぁるほどぉ~
「安いウィスキーには着色料であの色になっているけれど日本の法律ではラベルに表示義務がない」
ええ!知りませんでした~※あとから調べてみると業界でも論争になっているようです
求める色に染めるには何種類もの染料の特性を知ってそれを自在にコントロールしなくてはならないということか。

メンバーそれぞれが自分がどんな色に染めたいか言って、それにあわせた方法を指導してくださる


↓下は藍色を目標になんども染めては洗うをくりかえす↓

最初は緑だったものがどんどん美しい藍色にかわってゆく

求める色になってきたら乾かす

今日は天気が良いからお日様にお願いしよう
↓手前が小松の染めた木綿のストール↓

求めていた色になりました(^.^)
自分で染めた布をつけて記念写真
これは楽しい!
2019春《手造の旅》あなたの知らない京都 第二弾で提案してみよう


















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小泉八雲記念館、島根県立美術館をちょっと訪れてから伊丹行に乗る

2018-10-25 12:12:12 | 国内
きのうにも増しての青空。午前中、ホテルの自転車を借りて小泉八雲記念館へ向かう途中、松江城があまりに美しくて何度も自転車を止めた。

江戸時代初期の姿を留める石垣

築城期間五年のうち三年はこの石垣を積むのに費やされたのだそうだ。

築城させた初代藩主堀尾吉晴像↓

堀沿いに「松江歴史館」がある

今年没後二百年の松平治郷(はるさと)(号が「不昧」)の展示を開催中。島根県立美術館が美術的なアプローチであるのに対してこちらは藩政改革を主眼にしているようだ。同じ人物を違う視点で見るのはおもしろいだろう。こちらも見てみたいが今日は時間が足りない。

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★小泉八雲記念館は2016年のリニューアル後はじめての訪問
※ホームページこちらから
八雲作品は学生時代から愛読していた。最初は怪談モノからはいったけれど、次第に「日本人の微笑」や「停車場にて」といった日本人の心理を巧みに読み解いた話がおもしろくなっていった。
自分自身が異国を長く旅するようになって、八雲(当時はラフカディオ・ハーンですね)の異邦人として巧みに日本をすくいあげる視点を身近に感じるようになったからかもしれない。
企画展で、八雲の好きだった彫刻職人をとりあげていた⇒これまで知らなかった八雲の視点を知ることができた。

二階はライブラリーになっている。三十年前、国内添乗をしていた時に印象的だった八雲の三男・清氏のフォビズム絵画はここにかけられていた。
記憶の中のものよりずっと大きく迫力があった。小松はこの絵ではじめてフォビズムというものを知ったのだった。

ライブラリーで本だけでなく、ヘッドフォンで朗読を聴くことができる。
これが普通の朗読ではない。
ハーンの曾孫・小泉凡さんが解説した後に佐野史郎、山本恭二という異色の組み合わせで語られる「怪談」は新しい表現になっている。二人は松江の同級生だったのだそうだ。びっくり。
※こちらFACEBOOKがあります
※youtubeはこちらから
これ、視覚があるほうが何倍も惹きこまれます。ギリシャ、アイルランドというハーンゆかりの外国でも公演をしてウケたというのがyoutube映像をみてはじめて納得できた。

売店で購入した「神々の国の旅案内」は、ハーンが日本を旅した折の各地の随想をまとめてある。これを読んできのう訪れた美保関のかつての様子が目に浮かぶ気がした。
《手造の旅》松江(2019年秋予定)のコースを考える大きな助けになる。


***午後、島根県立美術館へ向かう

全体像を把握できない建物だが、「渚をイメージした」と知ってなるほどと思った。
対岸から見た時に背景を邪魔しないように配慮して低く抑えられている。

建物というのは本来、外からの視点よりも内側からの視点を意識して作られるべきものなのだ。

同じ風景でも切り取り方でより美しく見ることができる

二階の常設展示に上がる階段からの視点↓


ショップスペースで売られていた茶筅の箱越しに↓


宍道湖に面した「渚」にも作品が↓嫁が島もまた違った風情に見えてくる

↓あ、このうさぎちゃんは仏像彫刻家・修復家の薮内佐斗司氏の作品ですね




イタリアンレストランも併設

このエリアは入場料なしにいつでも入ってこられる。
新しい美術館こういうフリースペースが充実しているところが多い。
東京の国立博物館も前庭ぐらい解放してもよいのではないかしらん。

***
明日、京都へ行くことになっているので出雲空港から伊丹へ飛んだ。
日暮直後の地平線の光で中海にうかぶ島が見えた。
あれは、きのう連れて行ってもらった大根島に違いない↓















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松江の八重垣神社にて

2018-10-24 20:20:20 | 国内

怖れなく世を歩いていける者など一人もいないから、
水面にあらわれた文字を見て、どこかで必ず見ていてくれる誰かが励ましてくれた気がした。
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美保関を出て松江にもどる道

中海にうかぶ江島と大根島を経由した。
江島大橋の坂は急でアクセルを踏み込まなくてはいけないから「ベタ踏み坂」と言われているのだそうな↓

島をむすぶ道は海の中をまっすぐに走っている。

大根島には牡丹園や溶岩洞窟があると、今朝米子でドライブルートを検討している時に知った。
有名なウナギ屋もあるそうな。訪れる機会あるかしらん。
***
松江市内で老舗和菓子屋へ。間口は狭いが奥がずっと深い。

松江藩主松平不昧公による殖産興業によって誕生した和菓子は今も継がれている↓

右下の「日の出前」だけは由来が違う↑
※こちら三英堂のページがあります
「本店と足立美術館でしか買えないから」ときいてきた
****
ラフカディオ・ハーンが「恋人たちが訪れる」と書いている八重垣神社へ。


本殿で専用の紙を購入し、それを持って森の中の「鏡の池」に向かう↓

苔に覆われた古木の中を歩いてゆくと

小さな池が見えてきた↓

恋人たちは紙の真ん中にコインを乗せ、そっと水面に浮かべる。
紙が早く沈めば恋が成就すると言われている。

どこで読んだか忘れてしまったが、後年小泉八雲の妻となるセツが少女のころに友人と三人でこの占いをした話を記憶している。
友人たちの紙が沈んでしまっても、セツの紙だけは沈まず遠くに流れていったので「セツちゃんは遠くにお嫁にいくのだね」と話していたのだそうだ。

今は占いのように、浮かべた紙に文字が浮かび上がるようにつくられている。
それはもちろんたまたまのめぐり合わせなのだろうが、小松の紙には冒頭の写真の文字が浮かび上がってきたのだった。

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↓ここの狛犬も美保関と同じ来待石で出来ているようだ


*******
日暮れてゆく松江

今回の訪問はこれからお会いする方との御縁
ひとつの行動をおこせば、自ずとまわりの事がみえてくるのだと感じる一日だった。



おいしい鰤シャブ、また食べたいなぁ(^.^)









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美保関~青石畳と老舗旅館と狛犬

2018-10-24 13:13:13 | 国内
広間いっぱいの窓から美保関の港がひろがっている




明治38年(1905年)に開館した建物は、今も宿泊客の朝食会場として日常使われている。泊まってみたいなぁ。

この広間の隣にある吹き抜けが、独特の空間↓


もともと屋外だった場所に明るい屋根を設置している場所。

コンサートもよく開催しておられるのだそうな。これは聴いてみたい。

《手造の旅》松江にて実現したい。
港側から見たところ↓向こうに見える白いビルが新館・宿泊棟。

開館した1905年は日露戦争に勝利した年。大陸での権益がますます拡大して、日本海側の人・モノの行き来は現在よりずっと隆盛していた時期にちがいない。

五代目のご主人と旧館の横の路地を歩いた。
「これは蔵を解体した時に出たんですよ」巨大な棟柱だった↓

この通路の上が渡り廊下になっている。
通路を抜けるとかつてのメインストリート「青石畳通り」に出た↓

ほのかな青さの石はひとつひとつ違ったかたち・表情をしている。

江戸時代に北前船が行き来し、廻船問屋が店を構えていた時代にはすでにこの石畳だったのだそうだ。古い石は室町にまでさかのぼるのだという、今も日常の道。

すきとおったイカが↓

この鳥居は何故この位置に

↓この石はもともと何?

かつて文人墨客も滞在した。歩くほどに興味をそそられる。

《手造の旅》でぜひ詳しい方のお話がききたい(^.^)

青石畳通は美保関神社と仏谷寺の二百五十メートル程をつないでいる。
この先に美保関神社がある↓

↓鳥居ををぬけたところで巨大な狛犬に目が吸い寄せられた。

※この狛犬について、こちらにもう少し書きました

夏から秋にかけての週末には青石畳通りにランタンがだされてライトアップされるそうな。
このタイミングにぜひ滞在してみたい。《手造の旅》松江にて、実現したいものです(^.^)


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米子空港から美保関灯台へ

2018-10-24 08:06:50 | 国内

**米子空港、灯台での写真など、こちらにも載せました
米子空港から境港を目指して走りだすと、予想外にも前方に山が見えてきて不思議だった↓

海に向かって走っているのにどうして山が見えてくるのだ?
境港に立つと、狭い海をはさんで山がそびえているではないか↓この山は何なのだ?

ただの地図で見てもこの風景は予想できなかった。
高さを描き込んだ地形図を見てやっと理解できた↓
↓赤い丸の中の左下の海峡が目の前の海。境港がある↓このページ冒頭の灯台は右端のとがった半島先端に位置している。
海をはさんで目の前に聳えている山は島根半島だったのである。

↑赤い円外右下にのびる砂州の根元あたりに米子市がある。
中海や宍道湖はこの地形の恵みだ。地理と歴史は連動している。
島根半島という山脈が、米子や松江を外洋から守り、この地域の繁栄を出現させていたのか。

↑上の地図を見ていてもうひとつ気になったのが青い丸の部分。
★松江市と外洋を隔てた島根半島山脈に細い切れ目がある。
そこに佐陀川という長さ8㎞の川が流れているのだが、それが江戸時代の人工河川なのをあとから知った。

今年没後二百年にあたる松平治郷(はるさと)通称:松平不昧公による治水・水運事業のひとつだった。
不昧公は茶の湯で藩の財政をたてなおした名君として知られているが、こんなところにまでアイデアを発揮していたとは。
なかなか奥の深い人物である。
※このあたりまたの機会に詳しい方にお話がきけるといいなぁ

今回、境港では有名すぎる「水木しげる記念館」は入らなかった。けっこう好きなので、入れば時間がかかるのはあきらかだったので(^_^;) 前を通った時「砂かけばばあ」をみかけました。

その代わり、「海と暮らしの史料館」を見学した↓

サカナの剥製いっぱい…



境港の「くらし」の歴史に関する話が詳しく楽しめると思っていたのだが…

境港水道の上にかかる大橋をわたって鳥取県米子市から島根県松江市へ↓

冒頭の美保関灯台へむかった。
いちど美保神社はとおりすぎて先端の灯台まで行く↓
駐車場から見える絶景におもわす声がでる↓

右に見える灯台まで歩いてすぐ

現在灯台の内部は、観光案内書と絶景のレストランになっていた↓

ここでランチにした↓

※この時の様子は冒頭写真下のリンクからごらんください
***

「美保関の老舗旅館の五代目が同級生なんです」
と、今日の案内をしてくださっている地元民がおっしゃる。
それは耳寄りなお話、歴史ある神社もちょっと見てみたいので美保関の港に車を止めた。

港から一筋入った昔のメインストリートの「青石畳」をひと目見て惹きつけられた↓

少し青光りする昔からのとおぼしき石畳である↓マンホールもあるから敷きかえられてはいるのだろうが

これは歴史的な石畳にちがいない。見飽きない。

そこにある老舗旅館の旧館は昔日の美保関そのものだった。

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